[3675] アラ還は阿羅漢になれるか?

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《買ってみて、データ作って、出してみて。》

■私症説[57]
 アラ還は阿羅漢になれるか?
 永吉克之

■ローマでMANGA[74]
 読者は「ミヌス」にきちんと反応していた
 midori

■3Dプリンター奮闘記[34]
 レーザー彫刻機と3Dプリンターのデータ収集
 織田隆治


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  怒りのブドウ球菌 電子版 〜或るクリエイターの不条理エッセイ〜
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◎デジクリから2005年に刊行された、永吉克之さんの『怒りのブドウ球菌』が
電子書籍になりました。前編/後編の二冊に分け、各26編を収録。もちろんイ
ラストも完全収録、独特の文章と合わせて不条理な世界観をお楽しみ下さい。
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■私症説[57]
アラ還は阿羅漢になれるか?

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20140410140300.html
>
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先月58歳になった。57歳までは憚っていたが、これで吾輩はアラ還であると公言してもいいだろう。

50歳になった時、「50歳マニュアル」というコラムをデジクリに載せたが、それからもう8年にもなるのか。早い。早過ぎる。50過ぎてからは、8年も1年もあまり変わらないな。

ところでウナギという、にょろにょろした魚をご存知だろうか? 日本人ならみな土用の丑の日にはウナギを食べているはずだから、蒲焼きを思い浮かべれば、ウナギとはどのような魚なのか、あるていど想像がつくはずだ。

蒲焼きはどうでもいいのだが、ウナギは生殖がすんだらお役御免。あとはくたばるだけ。種のお役に立てなくなれば、従容として海の養分となり、水棲生物の仲間たちに恩返しをする。潔いではないか。

ところが人間はド厚かましいから、生殖能力がなくなっても、労働ができなくなっても、周囲の負担になってもノウノウと生きている。しかも、死んだあとも骸は棺に、遺骨は骨壷に収められて墓に入り、大地の養分になるのを拒否する。どこまで因業な生き物なのだろう。

                 ●

加齢による精神的および肉体的な衰えといえば、自分にもいろいろと思い当たる点があるが、最近とみに感じられるようになったのは気力の衰えだ。こいつに身を任してしまうと、ただでさえ怠慢な私は、月一のこのコラムすら書けなくなってしまうだろう。

かつては毎週コラムを掲載していた。しかも週に3〜4日の非常勤講師の仕事をこなし、自身の作品を制作そして発表しながらの寄稿だった。同じ自分とは思えない。当時は気力なんて意識していなかった。書いているのが楽しかったから書いていた。気力とは、それが衰えてきたときに初めて意識できるようになるものなのだろう。

スポーツ選手が引退会見で、気力の低下を引退の動機に挙げるのを何度も見ている。いわく「粘れなくなった」「負けても悔しいと思わなくなった」「優勝することへの執着がなくなった」など。

私も、かつて書いていたものと現在書いているものを比べると、粘性がなくなってきたような気がする。低カロリーで塩分控えめ、歯に負担のかからない、消化しやすい内容になっておりますので、ご高齢の方にも安心してお召し上がりいただけます。

                 ●

無名の作家が創作活動を続けるにはたいへんな気力が要る。なにしろ売れるかどうかわからないもののために膨大な時間と労力を費やすのだから。「継続は力なり」に希望の囁きを聴き取れるのは、せいぜい40代まで。60近い無名の貧乏作家にとって、それは溺れるものが掴む藁でしかない。

気力が衰えたというのと、やる気を失ったというのは違う。やる気はきっかけしだいで回復することができる。しかし気力の衰えは、体力の衰えに加えて本来の性向、人生観、生活環境などが作用しあって起こるものだから、冷水摩擦をしながら、精神一到何事か成らざらん! と唱えれば回復、というわけにゃいかんのだ。

だいたい、精神一到うんぬんは私の芸風にそぐわない。同世代人びとの心を希望の光で満たすようなことを書いて、読者を失望させるつもりは毛頭ない。

                 ●

『死にたくないが、生きたくもない。』(小浜逸郎著・幻冬舎新書)を読んだ。タイトルが気に入ったので買った。この本については、デジクリ編集長の柴田さんが以前、編集後記で紹介していたような記憶があったので検索してみたら、2007年4月23日号に載っていた。

7年前だから、柴田さんもアラ還だった頃だ。たぶん。そして、この本の著者も出版当時、アラ還(59歳)だった。

この本のタイトルはアラ還男性の心を共振させるような響きをもっているのかもしれない。私の心境にもっと近い表現をするなら、「死ぬのは怖いが、生きているのも面倒だ」といったあたりになるだろうか。

還暦を迎えると、60通りある干支のなかで、自分が生まれた年の干支(私は丙申=ひのえさる)と同じ干支に「還る」ことになる。だからまた赤ちゃんに還りまちょうね、というわけで、赤いちゃんちゃんこなんか着ちゃったりして祝っちゃったりするのだ。

しかし、60歳というのは、店をたたむ準備をするには早過ぎるが、店の拡張を計画するのもいささか億劫な年齢だ。そんな中途半端な年齢の前後にいるということが、アラ還世代を「死にたくないが、生きたくもない」心境にさせるのかもしれない。

この本の著者が推奨する、老いに逆らわない「枯れるよう」な死に方はまさに理想だが、やはり理想は理想だ。たとえ枯れていても生きている限りはお金が要るわけだから、私のように蓄えがなく身寄りもない人間は死ぬまで働くしかない。まだ箱の底にこびりついている気力の残滓をかきあつめるしかない。

だからといって、体力に頼る仕事はそろそろ限界。となると結局アレしかない。アレで食べていこうなんて無謀極まりないが、体力労働ができなくなったボンビーアラ還の私に残っているのはアレしかないことは、読者諸氏にもおわかりいただけるはずだ。

案外、アレがうまく行きそうだと思ったとたんに「もうしばらく死にたくない、できたら長生きしたい」に変わるかもしれない。

来年か再来年、アレが納得できる結果を出したら吹聴してまわるつもりだが、もしも失敗に終わった場合、それなりの覚悟はできている。そのときは、また皿洗いを始める所存である。

「死にたくないが、生きたくもない。」
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「笑わない魚・50歳マニュアル」2006年
< https://bn.dgcr.com/archives/20060323000000.html
>

【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp

『怒りのブドウ球菌』電子版 前後編 Kindleストアにて販売中!……「発売中」と書かないのは、「発売」とは「商品を売り出すこと」(デジタル大辞泉)だからです。「売り出す」を辞書でひくと、「売りはじめる」「新しい商品などを市場に出す」(同)とあるので、売りはじめてから(市場に出てから)すでに1年近く経っている拙著が「発売中」つまり「売りはじめ中」というのは適切ではないような気がして、無難に「販売中」にしました。

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■ローマでMANGA[74]
読者は「ミヌス」にきちんと反応していた

midori
< https://bn.dgcr.com/archives/20140410140200.html
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90年代に講談社のモーニングが、海外の作家の書き下ろし作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたとき、にローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとにこのシリーズを書いている。

●ミヌスへの読者の反応

いよいよミヌスがモーニング誌に掲載された。担当編集者はドキドキしながらあるモノを待った。あるモノとは、雑誌の巻末についている読者アンケート葉書だ。誰も反応しなかったら? こういう場合、無視が一番こわい。箸にも棒にもかからないというのが一番こわい。

でも来た! ミヌスについて反応した葉書が! 編集者はミヌスについて書かれた葉書を一部コピーしてファックスしてくれた。

このへんのやりとりは1994年の11月初めに行われている。息子がヨチヨチ歩き始め、郊外へ引っ越してガタガタしている時期の話だ。にも関わらず、整理整頓下手な私がちゃんとファックスを整理して、取っておいたのを自分で褒めている。すごく真剣にこの仕事に向かっていて、自分の性癖を理解していたから特に気をつけて「粗相があってはなんねぇぞ」と常に言い聞かせていたのだ。

「ミヌスの色は鮮やかでいいね!」
「色が鮮やかでいい。」
「シンプルな絵、鮮やかで豊かな色彩に、子供の頃に読んだ絵本を思い出しました。」
「色が溢れてるような感じです」
「言葉のないミヌスを読んでいるとチャップリンの無声映画を思い出した」
「オールカラーのミヌスのきれいな色彩にひかれて思わず買ってしまいました」
「絵本みたいなきれいな色彩ですね。絵の愛らしさと噺の内容のギャップが面白い」
「ミヌスの可愛い絵と美しい色使いに圧倒されました。」
「とてもかわいらしいキャラと絵が心に残る作品です」
「カラーインクでしょうか? 色がとてもきれいですね。」
「絵もかわいい、とても面白かった。発想が笑える」
「ミヌスは色がきれいですね。ぬりえがしたくなりました」
「ミヌスが不思議な作品でものすごく心に残りました。内容と色が合ってて大好きです」
「色がとってもきれい!」
「ミヌスにはびっくりしました。きれいな色、センスのいい結末。言葉でなんか表現できないよ〜」

これに対し、編集者は「読者の反応内容はすごく良いとはいえないが、けっして悪くはなかった。読者はきちんと反応していた。外国人作家の初登場としては上々と言える」と分析した。無視されなかったということがまず第一だ。

読者の反応は、新連載作品の今後の方向修正にも役立つ。編集者は反応を総合し、分析して整理した。

1)ミヌス(ミーアやミーオも)がかわいい
2)絵(色)がきれい
3)発想がユニーク
の3点を上げ、今後の制作で留意すべきは「ミヌスが可愛い」だろう、と指摘
した。

父親の「ミヌス」、母ミーア、息子ミーオの家庭劇として設定し、その枠の中で作品を展開していくのもひとつの方法かもしれないと、このファックスで言った。

ヨーリのオリジナルアイデアはすべて、まったく自由に思い付くままの、ほのぼのユーモアやブラックユーモアで語っていくことだった。ミヌスは特定の性格や職業などの設定はなく、何にでもなれて、何歳にでもなれるキャラクターとしてヨーリから生まれた。

これまでに編集者とのやりとりでOKが出た話は、ミヌスの役割は様々で、構成も様々だ。今回モーニング誌上に掲載になった話は親子で登場し大きなコマ割りのある8ページ。他は1ページものあり、1ページ1コマの絵本のような8ページもの。1ページ1コマの2ページもの。内容も一般人のミヌス、ファラオのミヌス、中世の騎士のミヌスとほんっとに千差万別。

担当編集者は読者の感想から、ある程度の決まった設定が良いと判断した。

●大海ではなくお庭へ誘おう

MANGAの読者は、キャラに感情移入して物語を生きる、という読み方に慣れている。結局はMANGAの基本をなぞるということにつきてしまうのかもしれない。

キャラに感情移入するためには、キャラにある程度の決まった設定があり、性格が決まっていて、お馴染み感を作りあげる必要がある。キャラがあまりにも奔放で毎回すべてが変わると、読者は毎回キャラをおさらいすることになる。毎回新しいキャラと出会って、関係を作り直すことになる。そうすると楽しめないのだ。

MANGAを始めとする表現芸術は、作品作品によって表現方法やシチュエーションが変わるので「楽しめないのだ」と言い切ってしまうこともはばかられる。毎回新しいキャラと出会って楽しめる作品もないはずがない。

でも、担当編集者が意図するのは、この場合、「ミヌス」と言う名のシンプルな画像のキャラがあって、読者が反応した美しい色彩(彩度が高い)という重要な二つの要素は変わることがない。

ミヌスが繰り広げるナンセンスなユーモアという要素も毎回同じ。この三つの要素のみ固定して、内容を果てしなく広げていって読者を大海のどまんなかに誘うよりは、固定した環境において身近な存在としてアピールしていくという意味だと思う。

同じひょうきんな顔をした三人の親子が、美しい色の洪水の中で、淡々と怖いことをしていくシリーズっていうのも確かに見てみたい気もする。

ここまでは11月のファックスで、担当編集者がボローニャへ行く話をしている。ボローニャに住むヨーリと、前シリーズで扱った子供宇宙飛行士「ユーリ」の作者イゴルトとの打ち合わせに行くわけだ。

ファックスでのやりとりでも話が通じることは通じるが、人間同士の付き合いは対面でのコミュニケーションも大事だ。会話だけではない表情や言葉の抑揚や、その場での対応が人となりを理解するのに役立つ。

正確な日付の記憶はないのだけれど、私も担当通訳として編集者のお供をしてボローニャへ行った。

息子は一歳過ぎて固形物を食べていたので、数日私がいなくても大丈夫だろうと判断した。ちょっと余計な話になるけれど、息子は一歳になっても母乳を飲んでいた。指吸もおしゃぶりも毛布吸いもしない、ひたすら母乳の子だった。

周りはまだ吸わせてるの?! とうるさかったが、育児のバイブルとあがめていた松田道雄先生の「育児の百科」にも、「子供は安心したい。おしゃぶりを選ぶ子もおっぱいを選ぶ子もいる」と無理に母乳をやめる必要はないと書いてあった。

成長するための栄養はちゃんと他で摂っていて、すくすく育っている。眠かったり不安になると、抱きついてきておっぱいをせがむのだった。「この世に生まれてきて歓迎されていると子供に伝えなさい」とバイブルが言い、安心するための口にふくむものをあげるのは「ここにいていいんだよ」と伝えることだと大いに了解したので、結果、3歳になるまで寝る前はおっぱいをあげていた。

乳牛と同じ理屈で、使用中は母乳を生産し続ける。ボローニャへ出張した時期も母乳生産中だった。子供がいつもお昼寝をする時刻になるとおっぱいが張ってきて、にじみ出てきたのを覚えている。生命の不思議+家庭内で仕事をして子どもと24時間そばにいられた幸運。

ボローニャでの会見は丸一日仕事の打ち合わせをしたわけではなく、作家たちと食事もして和気あいあいと過ごした。

今、ミヌスのことについて主に書いているけれど、先に始まった「不思議な世界旅行」の方もネームは進んでいた。ボローニャでももちろん両方の話をした。先のイゴルトはシリアスなマフィアの話「アモーレ」と、可愛い子供宇宙飛行士「ユーリ」を抱えていて、作家は二人なのに4人分の打ち合わせだった。

●通訳の頭のなか

ところで対面の打ち合わせだと、通訳はファックス通信の翻訳ように時間をかけて辞書を用いたりしながら言葉を選ぶことが出来ない。当然ながら、その場で言葉を変換していくわけだ。日本語の特殊性を痛感するときでもある。

イタリア語をはじめとするヨーロッパ言語は、主語+動詞+述語の順でフレーズを構成する。日本語は主語+述語+動詞。つまり、日本語からイタリア語にするときも、その逆の時も、フレースを全部終わるのを待たないと通訳に取り掛かれない。

ヨーロパ言語体系に属する言葉の場合は、ほぼ同時通訳も可能になる。だって、順番が同じなんだもの。

This is a pen. みたいな単純なフレーズの場合はあまり困らないけれど、イタリア語に大豊富な形容詞をたくさんくっつけてくれると、日本語にするのに戸惑う。(形容詞+主語+形容詞)+(動詞+副詞)+(形容詞+述語)=(形容詞+形容詞+主語)+(形容詞+述語)+(動詞+副詞)と単純にいくならまだいい。

日本語の主語にたくさん形容詞をくっつけるとすごく不自然になる。日本語は副詞が豊富にあって、これをイタリア語に単純に同義語を当てはめることができない。「さめざめ」とか「しくしく」と泣いたりしないのだ。イタリアでは。なんとか形容詞を見つける方がしっくりくる。

頭の中のスイッチをパチン、パチンと切り替えて、日本語にしたりイタリア語にしたりを繰り返すこと2時間に及ぶと、スイッチが疲れてくる。まず起こる現象が、何語をしゃべっているのか認識できなくなって、日本人にイタリア語で話しかけたりする。

次にやってくるのが、頭が真っ白になる現象。席にいる誰かがしゃべる。聞いているときはちゃんと、しっかり内容を把握している。それをいざ訳そうとすると、なぜかなんにも頭のなかに残っていないのだ。今、聞いたばかりなのに!!!

夢を見て、朝起きた時に夢の残骸の余韻の仄かなニュアンスは残ってても、内容を全く思い出せないのと同じ状況がやってくる。その時は、勝手にでっち上げるわけにも行かないので、ごめんさいと言ってもう一度繰り返してもらうほかはない。

最初、これが訪れた時は、私ってダメな通訳! とおもったけれど、他の国の同僚もそうなのだと聞いた。パリ在住は「あ、来そうだな! と思ったら、ふんっ! と踏ん張るのよ」と金縛り対策みたいなことを言っていた。

幸い、私の場合はその前にファックスで散々やりとりして、周知の仲なので繰り返しをお願いして嫌な顔をされたことはない。

国際会議で日本語同時通訳をする人の頭のなかはどうなってるんだろうと、同情と尊敬の念を以てテレビニュースを眺めたりする。いやぁ、あれは針のムシロじゃなかろうか。

次回は1995年へと進みます。

【みどり】midorigo@mac.com

1月、2月、3月とマンガ学校のフィレンツェ校で授業を持った。ローマ校ではずっとセミナーだったので、初めての正式コースだ。セミナーは週に一回2時間のみ。正式コースは一回3時間で週に3回。だからじっくり生徒と付き合える。宿題も出せる。

そうすると課題のアイデアも色々出てくる。なるべく自分の頭で考えることができるように、既成の作品(漫画に限らない)を見て分析することができるようになるように工夫した。

1月には4ページ、2月には8ページ、3月には16ページのネームを作らせた。この16ページのネームを持って4月から6月まで、日本からの漫画家さんが講師として描画実技して原稿を完成に持っていく(我が子を里子に出した感じがして、ハラハラ)。

2月に生徒から出してもらったネームでバーチャル雑誌を作ってみた。
みんな、なんとかキャラの感情を中心に話を作ることに成功したと思う。
< http://issuu.com/midoriyamane/docs/gianni
>

無料電子書籍「イタリアで新しい漫画を作る大冒険」
< http://p.booklog.jp/book/77255/read
>

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
< http://midoroma.blog87.fc2.com/
>

よかったら協力してください。
無料サーバーbitcasa。下記URLをclickして無料登録していただくとあなたと私に無料スペースがもらえます。
< http://l.bitcasa.com/poG6F9QI
>


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■3Dプリンター奮闘記[34]
レーザー彫刻機と3Dプリンターのデータ収集

織田隆治
< https://bn.dgcr.com/archives/20140410140100.html
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すっかり春ですねぇ。関西では、桜ももう葉が出て来てしまいました。結局花見にも行けずでしたが、歩いていると公園の桜とか、道ばたの桜とか、日本は本当に桜が多くて、この季節は気持ちいいです。

って、そんな話ではなく、新しく導入したレーザー彫刻機と、前回に引き続き、3Dプリンターの事をちょっと書いてみます。

僕の仕事は、元々は3DCGをメインにして、ここ10年くらいやってきたんですが、以前模型製作会社に勤めていたこともあり、この3Dプリンターの出現で、ここ2年くらいは模型製作にシフトしつつあるんですよね。

建築模型や科学館での展示模型、展示会等で展示する模型なんかがメインです。レーザー彫刻機は、もうかなり前からある機械で、レーザーで平面の板に彫刻を入れたり、切ったり出来る工作機械です。

これまで、外注さんにお願いしてきたんですが、模型の製作仕事が増えるにつれて、外注費がかなりかさむようになってきました。そこで、算出してみた結果、入れた方が良いという結果になった訳です。

レーザー彫刻機というのは、アクリル板や木板、皮なんかを切ったり彫刻したりする機械です。彫刻って聞くと、立体物を想像しますが、このレーザー彫刻機での場合は、凹凸をつけて名前等を彫る事を意味します。

ある程度、レイヤを分ける事で、レーザーの出力やスピードを変えて、凹凸を付ける事も可能。木や皮なんかは、焼き印みたいな表現も出来る訳です。紙なんかも、かなり精密な切り抜きが可能で、最近ではそういった工作キットも出て来ています。

金属を切ったりするレーザー彫刻機もありますが、かなり高価で、僕は滅多にない事なので、出力の小さいアクリル用を導入しました。

これが、結構難しいんですよね。コツというか、素材や厚さによって、カットする出力量やスピードが違ってきます。そういったデータ収集をして、初めて使えるようになるんだな〜と思いました。

という事で、ここ2〜3日は色々な厚さのアクリルをカット、彫刻してみて、データを収集しています。アクリル板も、キャストと押し出し、という二種が存在します。これもデータを取ってみようと思っています。

3Dプリンターも同じようなもので、どういった設定で出力すれば、一番良い結果になるのか? という事を、どんどん出力してデータを取る必要があります。

適当な数値で出力しても、それなりのものは出来ますが、より繊細できれいな出力物を作るか、という事は、そういった積み重ねが必要になります。

最終、どう使うかによって、出力する3Dプリンターの種類を選定する事もありますし、同じプリンターでも、出力する積層ピッチやスピード等、その場合に応じた出力方法を選び出すには、色々なプリンターを実際に使ってみて、その性質を知る事が重要になります。

データや文章等でもある程度の知識は得られますが、やはり実際に使用するという事が、とても重要なポイントになってきますね。

そこは、山本五十六曰く
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて。褒めてやらねば、人は動かじ」のように、「買ってみて、データ作って、出してみて。繰り返さねば、腕はあがらず」って感じでしょうか。

え? なんか変? ま、そういう事なんですよ。多分。

やっぱり、積み重ねが一番なんですよね。知識だけで、分かっているような気持ちにもなりますが、やはり実際に使って触って失敗して、その積み重ねをバネとして行かなアカン! と思う訳です。

新しく導入したUV硬化式の3Dプリンター「B9creator」も、まだまだ色々と出力してみて、そのクセを早くつかんで行かないといけません。

来週からバッタバタになりそうなので、そういったデータ収集は、今週頑張ってなんとか使えるようにして、それからは毎日コツコツやっていくしかないな〜と思ってます。

四捨五入したら、もう50に手が届きそうな感じの僕が、これからまた勉強せんとイカン訳ですが、好きな事はどんどん勉強出来ますね。学生時代は勉強なんてあんまりしませんでしたが、働くようになってからの方が真剣に勉強するようになりました(笑)。

まあ、そんなもんですね。

え? これも変?
まあ、そういう人間も世間にはいる訳です。はい。楽しいぞ〜。

【織田隆治】FULL DIMENSIONS STUDIO(フル ディメンションズ スタジオ)
< http://www.f-d-studio.jp
>

新しくレーザーも入れたんで、固定費上がったなぁ……。仕事営業しなきゃ!
でも、趣味でも色々作りたいんですよねぇ……。贅沢な悩み。


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編集後記(04/10)

●石田ゆうすけ「大事なことは自転車が教えてくれた」を読む(小学館、2014)。この筆者の本は初めてだが、これまでは自転車にも旅にもまったく関心のない人が読んでも面白いものを、というコンセプトで書いてきて、文庫本をふくめてこれがちょうど10冊目になるという。今回初めて旅のトラブルや自転車の話に焦点をしぼったそうだ。いまさら自転車で旅行する気も体力も金もないので、世界自転車紀行といった自慢タラタラな内容ならやめようと思って読み始めたら、意外に面白いじゃありませんか。親切なノウハウ本ではないところがいい。あまり役に立ちそうにないところがいい。

筆者は6年半かけて世界を回って来た。遭遇したさまざまなトラブルに対して、みごとな、あるいは情けない、あるいはいかれた彼の行動が笑える。彼はハッタリ旅会話の達人だ。どこの国に行っても、最初に覚えなければならないのは「こんにちは」「さよなら」それに数字、指示代名詞(これ、あれ、それ)だ。これは基本中の基本だが、彼は「good」「very」「a little」をその国の言葉で覚えるといいという。会話を回すためのキーワードや、その場を盛り上げるための単語をまずは覚えよということだ。参考になるなあ。いまのわたしには、もはや絶対に役立たないけど。深刻な自転車トラブルと解決法なんてのもあるが、まず殆どの人に関係ないと思う。

激しく共感するのは、ノウハウ本を読んだり、人の情報をせっせと集めて、「確認の旅」をしてもしょうがないということ。ネットでいろいろ調べて、人の感想を読みあさり、人の行動をなぞってみて、書いてあったとおりだと喜ぶことに意味はない。情報は手堅い旅を可能にするが、「旅には『余白』がないとなんだか味気ないものになってしまう」という筆者の感覚は正しい。能率は悪くても、じっさいに行動し自分で見つけたほうが旅はおもしろい。とはいいながら、ちょっと負け惜しみだという自覚はある。わたしの青春時代の自転車旅は、有益な情報は手軽には入手できず、紙の地図と電話と郵便しかない、今思えばとっても不便なものだった。おもしろかったけど。

「情報は『必要最低限』でいい。あとは、未開の地をワシワシ分け入って、己で見つけていく、そんな気概で走ってほしい──とセンエツながら思うわけです」と筆者はいうが、もはやそんな気概を持つ人は少ないのではないか。人類は情報とやらとひきかえに、大事なものを失ってしまった。人類史上もっとも便利でもっとも危険なツールはスマホである、とわたしは思う。ある日、突然スマホが無効になる。それはネットの死を意味する。世界中がパニックに陥る。ふふん、アナログ比率が高いわたしは生き残る。しかし、上空にはUFOの大群がひしめき、やがて──またこれかい……。(柴田)

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石田ゆうすけ「大事なことは自転車が教えてくれた」


●iライフログ続き。アプリ設定時に項目を作れると書いたが、それぞれGoogleカレンダーの保存先が選べるのだ。たとえば仕事なら、仕事先別にしておいてもいいし、仕事全般をひとつのカレンダーに保存してもいい。これらをGoogleカレンダーで見ると、色分けしたグラフが見られ、タイムスタンプつきのメモは「説明」欄に記入されている。ここにEvernoteのノートへのリンクはなし。

惜しいのが、ログの項目名を変えられないこと。食事として記録したはずが、結局仕事してましたなんて多いのよ。家事やりはじめてすぐに電話入って、結局仕事でしたとか、仕事のはずが、ついネットしちゃってたわとか。削除して新たに開始時間入れ直して記録という形に。

で、このアプリで時間を記録しながら、時々メモをとっている。お客さんの名前や、電話でのやり取り、感じたこと、つまずいたことなど。あんまりやらないけど、手書きメモをカメラで撮影して保存することもある。何がいいって、これらをgoogleカレンダーやEvernoteで検索できる。

で、これらと、若林さんのお話にあったメールとコメントの一体化ができれば、仕事の振り返りがとても楽なんじゃないかと。さぁどうする、わたし。(hammer.mule)

< http://blog.motta.jp/2014/04/i3.html
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あ、おんなじ!
「ログ開始後のカテゴリ変更が簡単にできれば嬉しい」