私症説[60]今年の夏はデウス・エクス・マキナでGO!
── 永吉克之 ──

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インドとパキスタンと中国の国境が交錯するあたりに、カシミールと呼ばれる山岳地帯が広がっている。

そこは、その三国が武力衝突まで起こして領有権を争っている地域なのだが、ある時、天から神が侵攻してきて占領し、カシミール地方を天に併合すると一方的に宣言した。

なにしろ神が支配すると言うのだから、インドもパキスタンも中国も抵抗のしようがない。それに、外国人にぶん捕られるよりはずっとましだし、神様が相手なら譲歩しても国民から弱腰だと批判されることはない。政治家も軍人も、いくぶん肩の荷が下りたような気がした。

カシミール地方を平定した神は、続いてゴラン高原、フォークランド諸島、クリミア半島を併合し、それらの地域の領有権を主張、あるいは実効支配していたシリア、イスラエル、アルゼンチン、イギリス、ロシアを黙らせた。

これら天の領土となった地域は、見渡せど枯れ木一本ない不毛の土地となった。そして神は、それらの国が領空や領海でも争わないように、枯れ木一本ない空と海にしてしまった。

そんな土地に人びとはもう住むことができず、異郷の地に移住して差別と排斥の日常に耐えるか、あるいは流浪の民となって天を呪うしかなかった。




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ここまで書けば、賢明な読者諸氏なら次の展開は予測できるであろう。そう、神はさらに尖閣諸島、竹島、北方四島とそれらの領海領空も平らげてしまったのだ。

竹島と尖閣諸島に定住者はいないので、たいした騒ぎにはならなかったが、国後島、択捉島、歯舞群島、色丹島の四島に住んでいた露西亜人は択捉海峡を渡って、ウルップ島に移住し、彼らにとっては故郷である四島を望む日々を送り、海の日の沈むを見れば激(たぎ)り落つ異郷の涙に暮れ、いずれの日にか國に歸らむ、と歌った。

ここまで書けば、賢明な読者諸氏(ただし東京都民限定)なら次の展開は予測できるだろう。「中央防波堤埋立地」をめぐっての紛争である。

日本のダイナモである東京で、こんな土地争いをしているとは知らなかった。今回のコラムを書きながら、「日本国内の領土問題」で検索したら、たまたまヒットしたので使わせてもらうことにしたが、そもそも「中央防波堤埋立地」とはなんなのか、関西人の私にはわからないので、ググって予備知識を仕入れることにする......

......だいたいわかった。東京湾にある防波堤の内側と外側の埋め立て地のことで、江東区と大田区が領有権を争っているらしい。どうやら江東区が実効支配しているようなのだが、どちらの区に帰属するかはまだ決まっていないとのこと。なぜ領有権を主張しあっているのか、どんな利害があるのかについては、ご自身でおググりいただきたい。

まあ、そんなこんなで、神はその「中央防波堤埋立地」とかいう土地までも直轄にした。埋め立て地の紛争にまで神が介入してくるなどと誰が予想しただろう。天網恢々疎にして漏らさず。埋め立て地ですら天の網から逃れることはできないのである。

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ここまで書けば、賢明な読者諸氏なら次の展開は予測できるだろう。

新幹線の三列シートの真ん中の座席(B席)が空いている場合、窓側(A席)と通路側(C席)に座っている乗客のうち、先にB席に荷物を置いた乗客がそこを実効支配していると見なされる。

まだ私が、新幹線で帝都に行くことができるほどの巨財を持て余していた頃のことだ。新大阪発に乗った私は通路側のC席に座った。A席B席は空いている。次の京都にはすぐに着くので、乗車してくる客のために空いているB席にはバッグを置かずにいたら、京都から、やにさがった若い男が乗ってきてA席に腰かけると、当然のような顔をしてB席にコートを放り投げるように置いたのだ。そのとき私の内奥で地中爆発した感情については語るまい。

ともかく神は、紛争の火種になりやすい新幹線のB席も直轄地として支配し、どの車両でもB席だけは、雨粒のひとつも降らない死の大地と化した。

新幹線内での領有権問題といえば、ふたつの座席の間の肘掛けがどちらの座席に帰属するのかの議論もよく知られている。

良識ある人同士なら肘掛けの帰属については棚上げにして、どちらも肘を載せないという暗黙の了解が成立するが、上のような不逞の輩がいるため、神は乗客が共用する肘掛けにも侵攻しなければならず、新幹線のすべての車両の共用の肘掛けは、生命の痕跡もない焦土と化したのであった。

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私が通う職場は従業員が多いので休憩室も広い、だから娯楽用にハイビジョンのでかいテレビが置いてあるのだが、周囲の声がうるさくてテレビからの音声がほとんど聴き取れない。といってそんな場所では読書をする気にもならない。だから画面をただ眺めているか、居眠りしているしかない。

先日、昼食後に休憩室に行ったら、テレビではたまたま他愛もないバラエティを放送していて、見るともなしに見ていたのだが、そこに年輩の従業員がやってきて、テレビの前に置いてあるリモコンを手に取ると、ウィンブルドンの中継にチャンネルを切り替えて、のうのうと最前列の椅子に腰かけて観戦を始めたのである。

ウィンブルドンに興味はないが恨みもない。どうせ暇つぶしなのだから、白球が行ったり来たりするのを眺めているのも悪くないが、気に食わないのは、その頭頂部の薄い肥えたおっさんが、その場にいた従業員たちに了承を求める素振りすら見せず、全世界がウィンブルドンに注目しているのだ、お前らも見ろ、と言わんばかりにチャンネルを替えたことだ。

そんなわけで、このテレビも天の直轄となり、どのチャンネルを見ても枯れ木の一本も生えていない荒野しか映らなくなってしまった。

このテレビの一件を最後にして、領有権をめぐる争いは地上から完全になくなった。神の御力により世界は、国家エゴによる無益なメンツの張り合いから解放された。神のみが全き公正を示すことができるのだ。

それから数年後、神は人類に世界の運営をまかせても大丈夫と判断し、直轄地を返還。国家エゴを克服しない限り戦争がなくならないことを学んだ人類はこぞって神の恩寵を讃え、御心に従って公明正大な政治を行うようになった。

その結果、竹島は日本への帰属が決まり、中国は尖閣諸島を諦め、北方領土には日本の国旗が立ち、IWC(国際捕鯨委員会)では満場一致で日本の商業捕鯨が認められ、TPP交渉では「聖域」とされる5品目が守られたのであった。

※デウス‐エクス‐マキナ【(ラテン)deus ex machina】
《機械仕掛けの神の意》古代ギリシャ劇の終幕で、上方から機械仕掛けで舞台に降り、紛糾した事態を円満に収拾する神の役割。転じて、作為的な大団円。
──大辞泉より

【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp
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