[3816] 天下茶屋はトムヤムクン(トムヤンクン)の猿

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《だから、スー玉ってなに?》

■私症説[64]
 天下茶屋はトムヤムクン(トムヤンクン)の猿
 永吉克之

■私症説[23]再掲載
 なぜ美女を愛することが背徳なのか?
 永吉克之

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■私症説[64]
天下茶屋はトムヤムクン(トムヤンクン)の猿

永吉克之
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永吉:バイトの帰りやったんやけど、地下鉄の岸里駅で降りて南海本線に乗り換えるために天下茶屋(てんがちゃや)駅に歩いていく途中、いつものルートで帰るのもなんや切ないから、その日はスー玉の裏の道を通ったんや。

永吉:スー玉ってなに?

永吉:60も近こうなって、俺いつまでこんな生活繰り返しとらなあかんねやろて思うと切のうなってな......とにかくトボトボ歩いとったら、きったないビルの前にごっつい立て看板があるのが見えたわけや。

永吉:どんな仕事でも結局は繰り返し。反復作業だもんね。水戸黄門を演じる俳優だって、台詞覚えて、カツラと衣装をつけて、立ち回りをして、8時46分ごろに印籠を見せて、悪い大名や商人を叱責する。その繰り返しさ。

永吉:看板には「つまらなけりゃカネはいらねえ!」とか威勢のええこと書いてあって、なんやろ思て、そのビルの入り口に立つと、その横の壁に《天下茶屋美術館》ゆう札がかけてあったんや。名前は聞いてたけど、まさかスー玉の裏にあるとは思わなんだわ。

永吉:だから、スー玉ってなに?

                *

このふたりの論客の対談から、気っ風のいい江戸前寿司屋のような美術館に入った永吉さんの体験談がこれから語られるものと読者は当然、期待するだろう。入館すると、「っらっしゃい!」というイキのいい声に迎えられる。カウンターがあって、そのなかで板前が手際よく絵を握っている。そんな光景が頭に浮かぶだろう。

しかし、それらはすべて虚無なのだ。天下茶屋美術館などという施設は、かつて存在しなかったし、これからも存在することはない。しかも、大阪市民はみなそれが虚無であることを知っているのである。

にもかかわらず、なぜ天下茶屋美術館が存在するかのように思われているのか? それは、人間の認識を自在に操ることのできる猿が、その美術館を運営しているからなのだ。

市民は、それが存在しないのは分かっていながら、同時に、存在するという確信を植えつけられて、「存在しないのに何故わたしは行くのだろう」という疑問に苛まれながら天下茶屋美術館に足を運び、存在しない作品を鑑賞し、存在しない感動を味わうのである。

観客は何も見なかったし、何の感動もなかったことを認めながらも満足して帰ってゆく。作品の感想を友人と語り合いながら会場を出てくる観客すらいるのである。

                *

ひと月ほど前のある日のこと、なんだか猿を背負っているような気がして、ふり向いてみたが背後にはなにもいない。しかし、私は間違いなく猿を背負っていた。手触りも匂いもない。類人猿なのかニホンザルなのか、はたまたヒヒのような猿なのか種類はわからなかったが、確かに猿だった。

実は、猿はそれ以前から私の思考を読み続けていたのだ。

......もし人間の眼のレンズに波ガラスのような凹凸があるとすると、どんな面でも曲面に見えることだろう。だとすると、《視覚》世界には平面というものは存在しなくなる。だから、平らなテーブルの天板もデコボコして見える。

しかしテーブルを撫でてみると、おや、平らじゃないか、デコボコしてなんかいないじゃないか、これは一体どういうことだ、《視覚》世界には存在しない平面が《触覚》世界には存在する。曲面であると同時に平面でもあるなんて、こいつは発見だ......

この私の発見を読み取った猿は、無色透明無味無臭になり、さらには質量も棄てる決心をし、ついに虚無になった。存在しながら存在しない存在になった。あるいは、「観念」という存在形態を選んだとも言える。

だから、天下茶屋美術館が虚無的に存在することになったことに、間接的に私が関与したことになる。ということは、私の思考を猿に読み取らせることによって、私が人心を操ることも可能なのだということが、最近の研究で明らかになってきた。

                *

翌日の仕事に持って行く弁当の具材を買いに行かなければならないのだが、その日は仕事が休みで、朝から飲んでいたものだから外に出るのが億劫で、いつまでも家でぐずぐずしていたら、ふと猿のことを思い出した。

試しに、永吉に買い物に行かせてみようと「永吉に行かせろ」と考えたら、それが猿に届いたらしく、いきなり永吉が買いに出かけた。しかも、何を買えとも言っていないのに、豚肉、イイダコ、ピーマン、スイカ、トムヤムクンとか、弁当に入れるつもりやった具材を買うてきよってん。すごいやろ。

それ以来や。今では家事だけやないでえ。仕事も飯も風呂も便所もコレ(と言って小指を立てる)とのアレも、猿を経由して永吉に指示を出して、やらせてんねん。

永吉:「トムヤムクン」じゃなくて「トムヤンクン」じゃないの?

永吉:そやから、作品がつまらなんだら、ほんまにゼニはいらんのか試したろ思て美術館に乗りこんだったんや。俺もその時はちょっとヤケになっとったから、ちょうどええ、ウサ晴らしや、もし、つまらんからゼニは払わん言うて、向こうがつべこべ抜かしやがったら暴れてこましたろ、て思てな。

永吉:殴り込みか。健さん、文さん......R.I.P.

永吉:展示室のまんなかにちゃぶ台があって、その上に、豚肉、イイダコ、ピーマン、スイカ、トムヤムクンとかのっとんねん。俺が明日の弁当に入れようと思てた具材やがな。

永吉:「トムヤンクン」でしょ?

永吉:「額縁効果」やな。子供がカレンダーの裏に描いた落書きでも、それが額縁に入っとったら、《作品》に見えてしまうゆう心理。それと同じで、食材がちゃぶ台にのってるだけやったら、ただの日常的光景やけど、それが美術館の展示室においてあったら、どや? 何かの作品ちゃうかと思てまうやろ?

永吉:「異化効果」とも言えるね。

永吉:イカはなかった。「豚肉、イイダコ、ピーマン、スイカ、トムヤムクンとか」や。

永吉:いや、だから「トムヤンクン」じゃないのかって聞いてるんだけど。

【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp

スー玉(スーパー玉出)は、大阪府及び兵庫県で展開している生鮮食品、加工食品の販売を中心としたスーパーマーケットである。──Wikipediaより

トムヤムクン(Tom yum goong)は、辛味と酸味、複雑な香りが特徴的な、タイ料理を代表するスープ。トムヤンクンとも表記される。──Wikipediaより

ここでのテキストは、ブログにも「ほぼ」同時掲載しています。『怒りのブドウ球菌』電子版 前後編 Kindleストアにて販売中。
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ブログ:無名藝人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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                 ■

筆者は50歳前後で独身の貧乏アーティスト、元専門学校講師。デジタルアートの作品展で、彼の作品自体の妙なところに加えてその解説がやたらおもしろかったため、「日刊デジタルクリエイターズ」編集長から芸術についておもしろおかしいエッセイを書いてみないかと誘われる。

連載当初の数回は比較的まともだったが、徐々に独特の確信犯的思いこみエッセイに変身、その妙なおもしろさが爆発的な人気を呼び、本人も文筆の才能を開花(?)ますます不条理な世界を突っ走っている。

不自然なまでに誇張された表現、真実だかフィクションだか判別しがたい話、あたかも人生の本質であるかのように装っているが実は空疎な話、一行で済む話を何十行にまで水増しして書く根性、針小棒大。

内容は、芸術、人生、社会、言語などと分類できないこともないが、そもそもあまり意味のない内容なので、全部ごちゃまぜにして上・下各26編を掲載。それぞれタイトル下に、不条理イラストを添付。また個展などで発表した作品も20点ほど収録、そのタイトルと解説もじつに独特な世界。

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■私症説[23]再掲載
なぜ美女を愛することが背徳なのか?

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20141205140100.html
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独身は自由だ。何と素敵な生存形態なのだろう、まるで毎日が生ける屍のようだ。にもかかわらず、なぜ人は結婚という罠にいともたやすくはまるのか。今は相手がどんなにきらきら輝いて見えても、それがいつまでも輝き続けるものではないことを知っていながら。〈結婚は勢いでするものだ〉とは、まったくよく言ったものだ。

そんなわけで、俺は結婚することにした。といっても俺ももう年だ。3月には55歳になる。もちろん若い女は望まない。25歳までならなんとか妥協する覚悟はできていた。

最近はあまり見かけなくなったが、かつては縁談をまとめるのが趣味のような年輩の婦人がどこにでもいて、亡母の友人だった北門さんも今では少なくなった世話焼き婆さんのひとりだ。この人も6年前に亡くなったのだが、死後も世話焼き活動は一向に衰えを見せていない。

その北門さんの仲立ちで見合いをすることになった。相手の女性は、美山あかね、という無闇に可愛いらしい名前の25歳の歯科衛生士で、ヨーロッパあたりに旅行に行った時のものと思しきスナップ写真が、紹介状に添付してあった。

その写真に写っている彼女が無闇に美人だったので、絶対に結婚するつもりで見合いを決めたが、美人だから決めたとは言えず、北門さんには、バロック音楽が趣味というところで話が合いそうなので、会ってみてもいいかなと思います、と伝えておいた。

場所はホテルのレストランで、食事をしながらというのが北門さんの提案だったのだが、俺の両親も北門さんも、みな、とうの昔に死んでいるので、見合いは全部俺ひとりで段取りをつけて手配をせねばならず、しかも美山あかねは、ちょっと可愛いと思っていい気になっているのか、手伝いを申し出る様子も見せないので俺はすこし頭に来ていたが、まあ、いい女だから、と赦してやった。

                 ●

そんなわけで、仲立ち人の同席もなく、ふたりっきりで会うことになった。俺はまるで几帳面な人間でもあるかのように几帳面な性格なので、遅刻が大嫌いで、約束の20分前にレストランに着いた。

ウェイターが俺を予約席に案内しようとすると、その席にはすでに『スターウォーズ』に出てくるジャバ・ザ・ハット( < http://bit.ly/h6tw8T
> )のような生き物が蜷局(とぐろ)を巻いていて、俺に手を振っているのが見えた。そして俺は、その生き物の向かい合わせの席に腰かけた。見ると、生き物は俺の写真を手に持っている。

「美山あかねですぅ。いゃん、もう」

俺は、背広の内ポケットから美山あかねの写真を取り出して、生き物と見比べたが、別人という言葉だけではとても表現し尽くせないほどの別人で、写真の美山あかねがウサギだとすると、実物の美山あかねは溶岩だった。

「写真とはずいぶん違うんですけど」

「いゃん、もう。ママったら去年の写真送っちゃったんだぅわん」

「去年どころか、500年くらい前の写真じゃないかと思うほど、年もぜんぜん違って見えるんですけど」

「いゃん、もう」

もしかして、と思った俺は100円ライターを取り出して、写真を裏からあぶった。美山あかねは、コラ、なにさらすねん、おっさん! と叫んで椅子からやおら立ち上がり、俺に向かってきたが、あまりの巨体ゆえに動作が鈍く、俺に手の届く位置にくるまでに2〜3分はかかると見て、ゆっくりとあぶり出しを続けた。

写真で笑っている美女の像にオーバーラップして、カエルのような顔が浮かび上がったと思ったら、目の前にいる美山あかねの顔になった。そしてさらに顔の上に〈六十五歳〉という筆文字がタテ書きで現れた。

「思った通りだ。この詐欺師! 40歳もサバ読みやがって、貴様ぁ」

美山あかねはまだこっちに向かって突進中で、俺を捕まえるにはまだ30秒はかかりそうだったので、俺はフォークトレイからフォークを掴み出して逆手に持つと、美山あかねをこちらから迎え討ちに出て、脳天に突き刺そうとしたが、有刺鉄線のような頭髪に阻まれて、逆に俺の手が血まみれになった。

                 ●

「冷静に話そうじゃないか」

美山あかねは、フォークを持った俺の手首を掴んで言った。その金剛力に手首の骨が軋む音がしたので、俺はおとなしく話に応じることにして、ふたりは着席し、俺はワカメカレーを、美山あかねは青椒肉絲を注文した。俺はカレーもフォークで食べた。美山あかねの急襲に備えるためだ。

「なぜ、最初にワシを見たときに、あたかもジャバ・ザ・ハットを見るような目つきをした?」

俺は答えに窮した。実際にジャバ・ザ・ハットに似ていたからだが、それは口にできなかった。仮にも相手は女性である。愛せない理由を容貌に求めるなどということは吉本新喜劇以外の場ではしてはならないのだ。

俺は血に染まった手首を右左に回して、骨折していないことを確認してから答えた。

「写真とあまりに違うからだ」

「ウソをつけ。現物のワシを見て気に入ったら、写真通りかそうでないかは、たいした問題じゃないはずだ」

たしかにその通りだった。写真と同じか違っているかなど何の意味もなさない。男はみな、女が美人でさえあれば愛することができるからだ。見かけとは裏腹に、美山あかねが相当な論客だということがわかった。

「答えにくいだろうから、ワシが代りに言ってやろう。お前はワシの顔が気に入らないのだ。どうだ、図星だろう」

図星もなにもそれ以外に理由が思いつくのなら、教えてほしいものだ。しかし、相手が本音で話そうとしているので、こっちもそれにつき合うことにした。

「その通りだ。俺はお前の顔立ちも体つきも声も匂いもぜーんぶ大嫌いだ」

「そうか。しかしワシはお前が大好きだ。その白髪混じりの幾分クセのある髪の毛、境界線のはっきりしないちぎれ雲のような眉毛、垂れた目。なにもかもが大好きだ」

「なんだ、結局お前も容姿を基準にして男を判断してるんじゃないか」

「当たり前だ。お前まさか、人間の価値を、容姿じゃなくて人格というやつで判断すべきだとか言い出すんじゃないだろうな」

「お前は、容姿がすべてだと言うのか」

「そうは言わん。ワシはただ、人間の価値を人格で判断するのも容姿で判断するのも同じことだと言いたいのだ」

「ほう。というと?」

「容姿よりも人格を重んじると言えば、そりゃ聞こえはいいさ。しかしな、それにしたって、結局は自分の好き嫌いの感情で決めているわけだ。コンナ人格の人が好き、というのと、コンナ容姿の人が好きというのとでは何が違うというのだ。容姿であろうが人格であろうが、結局、人間は好きになれるものしか愛せないのだ」

「そうか。つまり男が美人で巨乳で脚のきれいな女と結婚したいと思っても、女がイケメンで背が高くて有名大学を出ている資産家の息子を誘惑しても、後ろ指を指されるいわれはないわけだ」

「そういうことだ。モナリザの美しさを賞讃する者は数多(あまた)いるが、モナリザの人格を云々するものはいない」

「よくわかった。俺はいま無知の檻から解放された!」

「だったらワシと結婚しろ」

「死んでもイヤだ」

俺は、皿に残っていたワカメカレーをかき込むと、レストランの支払いをすべて美山あかねに押しつけて店を後にした。〈人は心だ〉という教条にがんじがらめになっていた俺の魂は、いま無限の自由を得たのだ。これで誰にはばかることなく、グラマーでヤングな別嬪と結婚することができるのかと思うと、俺は気が変になりそうになった。

何時の間にか街は猥らな夜の賑はひを見せ、往き交ふ人びとの顔(かんばせ)は一様に何かを秘匿してゐるやうな笑みを浮かべてゐた。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
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編集後記(12/05)

●高嶋哲夫「首都崩壊」を読んだ(幻冬舎、2014)。タイトルからいって、首都圏直下型巨大地震による東京の壊滅を描いたパニック小説、シミュレーション小説、情報小説かと思い、期待して読み進めた。ところが違った。出来の悪い政治小説、経済小説なのかもしれない。これでほんとに終わりなのかと、すこしあきれて380ページもの大冊を閉じた。これはネタバレしたらまずいだろう思い、どこまで書いたらいいのか迷ってアマゾンの評価欄を見たら、地震の話ではなく遷都の話だと完全にオープンになっていた。評価は微妙なところだ。この小説は、日本が生き残るためには、一刻の猶予も許されない状態を描いているはずだが、緊張感に欠けるのはなぜだろう。

主人公は国交省の若手キャリア官僚だが、切れ者というほどでない。いろいろな人がご都合よく出てきて彼を助けてくれる。5年以内に90%の可能性で、マグニチュード8級の大地震が東京を直撃すると伝えるのは彼の知り合いで、アメリカからの世界経済に関する極秘情報を伝えるのは彼の友人で、美人で優秀な新聞記者や同僚が彼を支えてくれて、上司には恵まれていて、ほんとうにうまくいきすぎている。日本国債、CDS、信用格付け会社、ヘッジファンドといった経済用語が出てくる。よくわからないから、斜めに読んでいくが、それでもストーリーはだいたいわかる。ということはリアリティに欠けるからだろうか。面白いのは俗物首相の思惑や行動、中国による世界規模のサイバー攻撃(東京直下型大地震に加えて富士山大噴火のニセ情報拡散)だ。このふたつはさもありなんというかんじだ。

首都東京が直下型大地震に襲われる可能性は小さなものではない。30年以内に起こる可能性が75%というのが、政府防災会議の発表だっけ? この小説ではもっとハードだ。阪神淡路大震災も東日本大震災も甚大な被害を日本に与えたが、たまたま東京ではなかったために、どうにか日本は生き延びた。あらゆる機能が集中する東京が襲われたら、指揮系統はまとまらず、混乱は全国に及び日本の経済は崩壊し、世界大恐慌を呼ぶだろう。そこで、「首都機能を護る対策」を超えて「首都移転」の話が持ち上がった。その目的は、東京一極集中の是正、国政の改善、災害への対応があげられる。首都移転が実現すれば、実際に東京直下型の地震が来ても、政府は冷静な対応をとれる。復旧復興の計画もたてられる。

そして登場するのが、田舎に引退していた「首都機能移転室」の前室長だ。彼を中心に「首都移転チーム」が結成され、本格的な活動を開始する。都合よすぎるのだが、このスーパーマンは独自の人脈で着々と「遷都」の準備を進めていた。道州制の導入も検討される。移転先の選定が始まる。そんな時、震度6強の南関東地震が発生し、東京の機能は数日にわたってマヒする。この地震はウォーミングアップで、いずれ本番がやってくる。ストーリーの中の今はいったいいつなのか、はっきりしない。これが緊張感に欠ける原因だった。「首都移転チーム」ができてからどのくらい経過したのか。ストーリーの設定からいえば、新しい首都ができあがる前に本番が来てるね。さて、肝心の首都はどこに決まったのか。わたしも想像できなかった所だ。(柴田)

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高嶋哲夫「首都崩壊」


●ランニング教室続き。

あんまり気合いいれた格好でもなぁと、上下セットのものはやめ、ジャージに長袖シャツ、パーカーにした。帽子や靴はいつも使っているものだ。念のためボトルポーチも持って行くことにした。

集合場所はミズノ大阪店。シャワーとロッカーのあるランニングステーションがあるとのこと。知らなかった〜。土日祝は8:30から開いてる。ショップは11時から。

向かう途中でミズノのものは何一つ持ってきていないことに気づいた。というよりひとつも持っていないのだ。帽子や靴はアシックス。

持ってきていないけれどアームバンドもアシックスだ。ウェアはナイキ、アディダス、ボディメーカー、チャンピオン、モンベルなど。下着やタイツはワコール。なぜか今まで縁がなかったな。

ランニングステーションで着替える。掲示板で、こういう教室はしょっちゅう開催されていると知ったわ。eoノベルティやタオル、アクエリアス、FM802のノベルティをもらう。もらったんだからとアクエリアスをボトルポーチにセットして装着。これが正解だった。 (hammer.mule)

< http://www.yurenikui.jp/
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揺れにくいボトルポーチ「YURENIKUI」

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ミズノ大阪店

< http://www.mizuno.co.jp/mizuno-osaka/floor/floor_b1.html
>
ランニングステーション

< http://mizunorunning.jp/runningform/
>
マーカーをつけてのランニングフォーム診断もあるよ