[3850] ......なくてよかった記

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《身体の引き出しが増えた》

■私症説[66]
 ......なくてよかった記
 永吉克之

■晴耕雨読[09]
 システマを始めて一年半が過ぎたら
 福間晴耕

■笑わない魚[223]再掲載
 有名人と呼ばれて
 永吉克之




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■私症説[66]
......なくてよかった記

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20150213140300.html
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●自動車の運転ができなくてよかった

自動車の運転ができなくて、ほんとうによかった。いちおう免許証は持っているのだが、取得してすぐに二度レンタカーで練習をしたのを最後に、30年近くハンドルを握っていない。今後も運転をするつもりはない。まあ、免許証といえば無敵の身分証明になるから、とりあえず更新はしてますけど。

そんなわけで愚生、自動車はもちろん、自転車も三輪車も大八車も持っていないので、交通事故の加害者になる可能性は絶無である。

被害者になる可能性はあるが、加害者になるよりはいい。人を轢くよりは自分が轢かれる方がいい。殺すより殺される方がいい。誉めるより誉められる方がいい。金を与えるより与えられる方がいい。受動態こそ平和の文法である。

●アウトドア派でなくてよかった

貧乏人の遺伝子が原因でインドア派に生まれてきた私だが、アウトドア派と比較すると、多くの点でインドア派の方が優れていることが、マニラ大学の研究チームによって明らかになった。

家のなかにいるのと屋外にいるのとでは、どちらが通り魔に遭う確率が高いだろうか。誘拐される確率、落雷に感電する確率、暴走車にはねられる確率、インフルエンザウィルスに感染する確率はどちらが高いだろうか。子供でもわかることである。

スキーやウィンドサーフィン、登山、ツーリング、ピクニック、散歩などを趣味にしている人たちは、そういう危険を承知の上で興じているのだろうから、その剛胆さには、まことに頭が下がる思いである。

なかでも家族連れでドライブなどしている人びとは、交通事故で血統を絶やしてしまうかもしれない危険に常に直面しているのだ(親子ともに死亡という自動車事故を起こした知人が実際にいた)。いったい何が彼らを一家心中ドライブに駆り立てるのだろうか。

                *

アウトドアはカネもかかる。酒食するにしても、インドアとアウトドアでは、費用がまるっきり違う。たまにアウトドア(おもに大阪のミナミ。千日前や道頓堀界隈)で店に入ると、インドアなら1000円以内に悠々と収まりそうなメニューが、その2倍も3倍もする。

先日、道頓堀にある店で勤務先の新年会があったのだが、水炊き鍋をつついた後、シメに雑炊を頼んだら、5人分の鍋で玉子がひとつしか出てこなかった。これで御一人様2500円というボったくりが、アウトドアでは横行しているのである。

また、勤務先の社員食堂の定食は、なんと一律450円もする。この、生きとし生けるものに共通する弱味である「空腹」につけ込んだ商法に屈するのも業腹なので、インドアで作った、安上がりなうえに栄養価が高い弁当を公然と持ちこんで無言の抗議をしているところである。

●有名人でなくてよかった

かなり以前に似たような記事を書いたな。有名人が有名人でいられるのは、われわれ無名人がいるからだ、とかなんとか、有名人に対するルサンチマンをぶちまけるようなことを書いた気がするから、やめておこう。

●若くなくてよかった

これも、ひがみ根性丸出しになるのでやめておこう。

●裕福でなくてよかった

同上。

●高学歴でなくてよかった

これなんかは、ひがみ根性の最たるものだ。......しかし顧みるに、私のコラムのほとんどは負け犬根性が下地になっているから、ひがみがなくなった時が私の作家生命の終局の時となるであろう。

●女でなくてよかった

これがいい。ひがみが動機になっていない。男に生まれてよかったと心底思っているからだ。もし来世(なんかない方がいいけど)があるのなら、また男に生まれたい。もしも女なんかに生まれたら親を恨んでグレてやる所存である。

                *

女性が電車内で化粧しているのを見るのが不快という男性がいるが、私はむしろ、家を出る前に化粧をする時間がないときは、衆人環視のなかであってもそれを遂行しなくてはならないという哀しい宿命を背負った女性諸氏に、同情すら覚える。

すっぴんのまま外出できる範囲は、玄関からゴミの集積場までの間だと、ある女性が言うのを聞いて、私は、化粧品を買う費用を必要経費として所得控除の対象にすべきだと、心の中で世間に訴えたほどである。

たとえばデパートで、女性店員が、口紅もつけず眉毛も描かず、すっぴんで店頭に立っていたら客はどう思うだろうか。それが中高年の男性客なら誰でも、

♪恋人よ 今も素直で 口紅もつけないままか〜 

と、皮肉をこめて歌い出すにちがいない。もちろん私は歌わない。そんなところでいきなり歌い出したら、まるっきりアホではないか。

                *

性犯罪の被害者になる確率も、男性の方が女性よりはるかに低い。スカートを履いても盗撮される心配はない、というか盗撮する奴なんかいない。もし盗撮されても「被害者」になったという実感がないだろう。

盗撮に対しては、男は極めて強い耐性を持っている。だから、女性がスカートを履くのをやめて、かわりに野郎どもがスカートを履けば、明日にでも盗撮は地上から消えてなくなるであろう。

                *

自衛隊員のほとんどが男性である。将来、集団的自衛権が行使され、外国に派兵することになれば、私は志願してでも参加する所存である。男に産んでもらったことを両親に感謝したい。

......あ、だめだ。この年齢(58歳)では入隊資格を満たすことができない。無念じゃ。地位も名声も財産も(そんなものはない)棄てて、死地におもむく覚悟ができていたというのに。

もうすこし若ければ、今すぐにでも自衛隊大阪地方協力本部の堺出張所(南海シャトルバス「堺市役所前」下車すぐ)に行って入隊手続きをするのに。いやー悔しい。実に口惜しい!

                *

いかがでしょうか、女性のみなさん。来世は男に生まれてごらんになりませんか? 一度男をお試しになって、どうも男はアタシに合わないわねぇ、とお思いでしたら、全額ご返金いたします。


【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp
ここでのテキストは、ブログにも、ほぼ同時掲載しています。
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無名藝人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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■晴耕雨読[09]
システマを始めて一年半が過ぎたら

福間晴耕
< https://bn.dgcr.com/archives/20150213140200.html
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以前にも書いたように、最近は自転車(ロードバイク)に加えて、システマというロシアの格闘技も練習しているのだが、一年半程続けてちょっとした発見があった。

システマを始める前から、休日になるとロードバイクで50km程走っていたので(ちなみに自転車乗りにとっては、この数字はそれほど大したものではない)、そこそこ足腰には自信を持っていた。

だが、システマをやってみて分かったのは人間、練習していない動きはたとえ鍛えている部分であっても全然出来ないということだった。

単純な話、キックの練習で足を水平に90度上げるだけでもバランスを崩すし、日常行っている歩行やペダルを漕いだりする動き以外をしようとしても、上手く動かすことが出来ないのだ。

例えば片膝を上げて8の字を書くように動かす練習をしたのだが、そもそも片足で長時間立っているだけで足元がぐらついてくるありさまである。

そしてシステマの練習をした翌日には、ロードバイクで50km走った時以上の筋肉痛に悩まされる。運動量は圧倒的に自転車の方が多いのにも関わらず、筋肉痛は日頃やらない運動の方がきついらしい。

これは足腰に限った話ではなく他の部位も同じで、たとえ鍛えていても日頃動かしてない動きをすると、うまく動かない上に筋肉痛に悩まされる。

それでも、最近ようやく身体のいろんな部位の自由度が上がって、以前よりは酷い筋肉痛に悩まされなくなってきたのだが、面白いのはこれまで10年近くロードバイクに乗っていても同じだったポジションが変化し始めたことである。

一般的にロードバイクに乗っていると、練習するに連れて身体の柔軟性が増して、いわゆる前傾姿勢が取りやすくなり、最初の頃ならとても届かない程サドルを上げても平気になると言われているが、自分の場合、姿勢が変わっていったのは最初の数年だけで、後は殆ど姿勢は変化しなかった。

それが最近、競輪選手やレースに出るようなプロの選手ほどではないものの、それなりにシートをあげても平気になってきた。

それ以外にも、身体の引き出しが増えたというか、単純だがやってみると出来なかった色んな動きが出来るようになって来ているのも面白い。そして、心なしか歩く姿勢も以前よりはだいぶ良くなった気がする。

そんなわけで、複数の運動をしてると思わぬところで繋がったり、身体の自由度が増えるのを実感している。

システマのインストラクターの先生などは更に凄くて、不安定そうな姿勢で立っているところを、普通なら倒れるような力で押してもびくともしなかったり、身体のある部位を押さえつけても、縄抜けのようにするりと抜けたりして驚かされる。

いつか自分もそんなことも出来るようになるのだろうか。

■デザイナーがハマった格闘技「システマ」福間晴耕
(デジクリ No.3695 2014/05/22)
< https://bn.dgcr.com/archives/20140522140100.html
>

【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
< http://fukuma.way-nifty.com/
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HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったのでインテリアを見たりするのも好きかもしれない。


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■笑わない魚[223]再掲載
有名人と呼ばれて

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20150213140100.html
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最近、芸術家から、すっかり芸人にシフトした観のある私だが、どちらの分野にしろ、最終的には「有名」にならなければ成功したことにはならないのだ。

世間の熱狂的な称賛を浴び、その成功にあやかるために誼(よしみ)を通じようと目論む人びとに取りまかれ、誰だか知らないけど有名人らしいと聞くと、とにかく一目見ようと集まってくる軽佻浮薄な輩に囲まれて、始めて成功したと言えるのである。

人知れず成功してどうするのだ。カカアとガキの前で自慢話ができるのが関の山ではないか。

そんなわけで私は、成功して有名になって、さまざまな分野業界の人びとと交流を持ち、時の人になってちやほやされるのだ、という野望を胸に生きてきた。

その手段として芸術家を選んだのは、たまたま私が絵を描いていたからというだけのことで、成功する可能性があると思ったら、政治家でも、ボクサーでもバレリーナでも、何にだって手を出しただろう。

私には時間がないのだ。うちの家系の男はみな早死にで、平均寿命に至る前に亡くなっている。早く成功して有名にならなければ、私はちやほやされることのないまま寿命が尽きてしまうかもしれない。

そんなことは断じて許されるべきではない。もしそうなったら私は成仏できず浮遊霊となり、さまざまな霊障を引き起こすであろう。魂魄この世にとどまりて、怨み晴らさでおくべきか。

いや成功なんか、もうどうでもいい。とりあえず有名になりさえすれば、きっと何かで成功した人なのだろうと思ってもらえるからだ。あの叶姉妹のように「何をやってる人なのか分らないがとにかく有名」というのでいい。

いつまでも無名でいるのは御免だ。ああ早くちやほやされたい。両方は無理だというのなら「ちや」か「ほや」のどちらかひとつでもいい。

私はてっきり、40歳くらいまでには有名になっているだろうと思っていたので、そうなったときに手記を依頼されたら、こう書こうとアイデアを練っていたのだが、生きているうちには発表できないかもしれない。そこで今のうちに書いてしまうことにした。

     《特別手記》「有名人と呼ばれて」永吉克之

私は、いわゆる有名人と呼ばれる立場にいるわけだが、実はその自覚がないのである。無名だったころは、漠然と「有名人の生活って、とても素晴らしくて、すごく素敵で非常に良いだろう」と思っていたが、実際になってみると、こんなものかという感触しかない。

「有名人」という地位はあくまで、成功した結果、得られるものである。私は、他人が眠っているときに眠らず、喰っているときに喰わず、働いているときに働かずに努力して成功を収め、それが人びとの知るところとなり、その副産物として「有名人」と呼ばれるようになっただけのことで、私としては、自分がこの道で成功をしたという事実だけで充分満足である。

多くの若い人たちが「有名になりたい」という動機から、短絡的にタレントや歌手などの、いわゆるエンターテイナーを目指そうとする。

有名人とは、その一挙一動がマスコミの話題になり、街を歩けば通行人が振り向き、見ず知らずの人からサインや写真をねだられたりして、ちやほやされる人間のことを言うのであれば、私は有名人などとは呼ばれたくない。

正直なところ、私は最近、有名人として扱われることに少し疲れてきた。贅沢な悩みと言われるかもしれないが、無名だったころが懐かしい。貧しくても、世間の評価を気にすることなく、成功を目指してひた向きに生きていた。

カネがなくて飲めないときは、いきつけのパブでタップを踏んで、客からの「おひねり」で飲んだ。歌えと言われれば歌ったわ。酔客に、五千円やるから長襦袢一枚で逆立ちをしろと言われたこともあったのよ。

辛かったけど、そんな時代もあったねと、いつか笑って話せるわ、まわるまわるよ時代はまわる、喜び悲しみ繰り返しと思って頑張ったわ。

                 ●

無名人がいるから有名人も存在しうるのだ。名も無き人びとのおかげで有名人を張っていられるのだということを、われわれ有名人は忘れがちだ。なかにはセレブなどと呼ばれて自分たちが特権階級であるかのように錯覚する者もいる。世界中の人間がみな有名人になってしまったら、有名人はいったいどうやって有名人でいられるというのか。

無名人の方々から「おい、誰のおかげで有名人やってられると思ってんだよ」と言われてもしかたがないのである。言わば有名人とは、どこにでもいるような取るに足らない大衆の皆さまからの投げ銭で暮らしている大道芸人だ。

名もない瓦礫のような大衆の皆さま、塵芥のような大衆の皆さまのおかげで生かせていただいているのだという自覚を、有名人は決して忘れてはならない。

【ながよしかつゆき/ばい菌】thereisaship@yahoo.co.jp

勝った負けたで一喜一憂するのにウンザリしていたので、今年は野球を見るのをやめようと年頭に決心したものの、また去年のようにタイガースが絶好調だと見てしまうのではないかという懸念もあったが、幸か不幸か今年は絶不調で、なんと7連敗という大盤振る舞いまで見せてくれた。もう優勝はムリだ。これで安心して野球から離れられる。


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編集後記(02/13)

●上念司・倉山満「説教ストロガノフ『日本の敵』を叩きのめす!」を読む(PHP研究所、2014)。中央大学辞達学会、先輩・後輩コンビによる痛快な対談だ。「我田引水のプロパガンダを発信する悪辣なる海の向こうの勢力や、彼らの影響下にある愚かな日本人を徹底的に追い詰めて、論破します。説教という名称はあくまで方便であって、実際には言論による戦争だと思って下さい」という内容だから、「わからず屋」さんにはそうとうに嫌われている本だ。さて、「日朝正常化の密約」という本で、「日朝平壌宣言」が拉致に触れず日本の謝罪と経済支援しか書かれていない亡国的文書だとし、破棄を提案していた。

ところが説教ストロガノフでは、「日本の完全勝利だった小泉訪朝と平壌宣言」とある。「日朝平壌宣言」の読み方がまるで違う。日本の謝罪は敗北宣言という人もいるが、実際には北朝鮮のメンツを立てているだけ。日本がすでに表明済みの内容だ。以下は、あけすけに言うと「国交正常化するまでは一切カネをやらん」「賠償金なんて変なものは要求するなよ」「お前、真人間になれよ」「二度と拉致するなよ」「核兵器を今後開発してはだめだよ。今度つくったら俺の後ろにいるブッシュさんが何をしでかすかわからないよ」「北朝鮮は2003年以降、ミサイルを発射しません、悪さをしません、ということだ」

「お互い、命は惜しいよね、だから拉致問題を解決して、国交正常化しましょう」ということ。要は「拉致問題の解決なくしては国交正常化なし」「拉致問題の解決なくしては経済援助なし」が原則で、「拉致問題が解決したら、お前の生存を約束し、最低限の健康的で文化的な生活を営むだけのカネはくれてやらんこともない」というわけで、実際に一部の拉致家族が帰ってきたのだから完全勝利であるという。だが冒頭の「日朝間に存在する諸問題に誠意を持って取り組む強い決意を表明した」の中には「拉致」の文字がなく、諸問題の筆頭は拉致問題である、という断定があれから12年後でも通用するのだろうか。

説教ストロガノフの「日朝平壌宣言」の読み方は、気分はいいが楽観的過ぎるような気がする。先月末、日朝の外交当局者が拉致再調査を巡り、中国で協議したことが報道された。調査期限の今夏まで半年に迫っているが進展はあるのか。このままなら、まず正常化ありきという外務省のメンツのためだけに、拉致問題が解決しないままで、膨大なカネが北朝鮮に流れるのではないか。平壌宣言の解釈は違っても、ふたつの本で共通していることは「たとえ身代金であろうが、払って拉致家族を取り戻せ」という現実論だ。拉致問題がカネで解決したあとは、経済援助も国交正常化も知らん顔するがいい。(柴田)

●hammer.mule の編集後記はしばらくお休みします