ユーレカの日々[41]それ行けスマート/まつむらまきお

投稿:  著者:  読了時間:9分(本文:約4,400文字)



アップルウォッチがいよいよ発売されるということで、「スマートウォッチ」と呼ばれるモノがちょっとしたブームらしい。機種によってできることは様々だが、基本としてはスマートフォンと連携して、着信を知らたり、スマホをリモコン操作できるそうだ。

別にスマホだけでいいだろうと思うのだが、スマホが大型化しており、ポケットではなくバッグに入れる人が増えているからだという。

なんだか変な話だな、と思う。ノートパソコンが重いからスマホやタブレットが生まれた。今度はそれが大型化してるから腕時計だ。たしかに女性はバッグだろうが、スマートウォッチを女性がするのかなぁ? 

この分では三年後には腕時計が大型化して、指輪型やイヤリング型の端末が出てくるんじゃないだろうか。

そもそも、そこまでしてメールなどの連絡をリアルタイムで受けたいのだろうか?




●メールがリアルタイムでなかった時代

その昔、パソコン通信やインターネットは今のように常時接続ではなく、必要な時に電話で接続する「ダイヤルアップ」ということをやっていた。

当然、メールもリアルタイムには届かず、受け手側が「回線に接続」し、「メールを確認」してはじめて、メールが来たことがわかる。電話で「メールしました」と伝えるなんてことも、ごく普通に行われていた。

今のメールシステムと比べると、徒歩とジェット機くらいの違いがあるが、ほんの15年前までメールはそういうモノだった。

そんな不便なメールがこれだけ普及したのは、ファイルを添付することも、また、内容を第三者へ転送することもできるからだ。

後日、内容を確認することもできるし、相手の都合を考えず、いつでも送ることができる。使ってみると電話より便利な点がたくさんある。

そんなわけで、ビジネスでもパーソナルでも、メールという通信手段はあっというまに必須となった。今では声が届く同じフロアに居る人に対しても、メールでメッセージすることさえ、珍しくなくなっている。

そうなってくると、メールが来たことをはやく知りたい、来た時点で知らせて欲しいということになる。

手動だったメールチェックは自動化され、パソコンに向かうのは仕事の一部ではなく、中心になった。やがて携帯電話が普及しだすと、携帯でもメールを使うようになる。

携帯メール、特にiモードでは文字数の制限、添付ファイルの制限があり、パソコンからのメールを受信しない設定も普通だった。

ファイルサイズの大きなメールは、受信通知を携帯に飛ばし、パソコンでメールを確認するという、なんだかわけのわからない時代が何年も続いていた。受ける方も面倒だが、出す方もサーバにはねられて戻ってくるなど、やっかいなことが多かった。

ここ数年、スマホ時代になってからはそんなトラブルはすっかり影を潜めた。わたしがパソコン通信で初めてメールを使ってから25年。ずいぶんかかったものだ。

●メールが来てないか、気になるキモチ

ダイヤルアップの時代でも、携帯メールの時代でも、自分にメッセージが届いていないかどうか気になって仕方がなくて、何度もログインしてみるというのは自分自身も憶えがある。

メールはもちろん、パソコン通信のフォーラム、インターネット時代に入ってからは掲示板、BLOG時代にはコメント欄。自分が何かアクションを起こした時は、その反応が気になるものだ。慌てて見る必要などないのだけれど、ついログインしてしまう。

LINEなど、スマホ時代のSNSユーザはどうなのだろう? もちろんメッセージが来れば着信するのだが、その着信が来てるかどうか、気になってチラチラとスマホを見てしまう、ということが今の若い人でもあるのだろう。

高校以下の学校では携帯を持ってくること自体が禁止されているのを見ると、気になってしまうのは人の性のようだ。

こういうのは個人の性格によって頻度が違う。自分を律することができるかどうか、というのもあるが、それ以上に「せっかち(関西でいうイラチ)」かどうかだ。

もともとわたしは、絵を描いていても、絵の具が乾いたかどうか指で触ってみて台無しにしてしまう性格だった(だからさっさとデジタルに移行した)。合理的に考えれば、十分に乾くまで他の仕事でもすればいいのだが、どうしても気になってしまう。ちゃんと乾くまで置いておける人なら、メールやメッセージが気になるということはないのだろう。

●どうやって逃げるのか

さて、スマートウォッチである。着信を知りたい、という気持ちはよくわかるのだが、逆にそんなものを身につけていては「着信があったのに気が付かなかった」とバックレることができないではないか。

固定電話の時代には「居留守」という言葉があった。今の携帯電話はとても便利になった反面、24時間、どこに居ても逃げられない。かわりに「気が付かなかった」「電波が届かない」「電池が切れた」という言い訳が登場した。

スマートウォッチが出てくると、この「気が付かなかった」とう言い訳が通用しなくなる。これはまずくないのか?

今後テクノロジーが発達して、地球上どこでも電波が届き、永久に保つ電池が発明されたりしたら、どんな言い訳をすればいいのか今から気になってしょうがない。

いや、別に自分が常日頃バックレているわけではないが、そういう言い訳理由というのは円滑な人間関係を保つために必要だと思うのだ。思わない? 思うよね?

●まだまだ改良の余地がある携帯電話

反面、携帯がこれだけスマートになりながら、なぜそれができないのかということもある。

たとえば携帯の留守電。たまにメモとして保存しておきたい内容があるのだが、どうして未だにあれをメールで受け取ることができないのだろう? 音声ファイルが添付されていれば、いつまでも保存できる。転送だってできる。

FAXもそうだ。メールでFAXを送受信できるサービスもあるが、いまどきのFAXは送受信とも一旦メモリに入れるのだから、機種単体でもメールに添付するくらいできそうなものだ(できる機種もあるのだろうけど)。

スマートウォッチやテレビ電話もいいけれど、そういった旧来のメディアと新しいメディアをつなぐ工夫が、もっとなされてもいいんじゃないだろうか。

●どこまで行ってもワガママ

そもそも携帯やメールは、なぜ必要なのか。それは双方向で連絡を取り合うためだ。ところがたまに、携帯は自分がだれかに連絡をとるために持ち歩くものだ、と誤解している人がいる。

うちの父をはじめ、年配の人に多いのだが、まわりがあなたに連絡を取るのに必要、という概念が欠落しているらしい。だから使わない時は平気で電源を切ってたりする。イライラするが、ある意味うらやましいとも思う。

電話が登場する以前は、メディアというのは単方向が普通だった。貼り紙、演説。電話が登場してはじめて双方向が実現したのだが、テレビ、映画、雑誌、新聞など電話以外のものは一方通行が普通。

しかも固定電話は個人と個人ではなく、個人と場所をつなぐものだ。そういった時代に生まれ育てば、メッセージということに対して鈍感になってもしょうがないだろう。

もっとも時代が変わった現代でも、そういう人間のワガママさはあまり変わっていない。自分が出すときはしっかり受け取って欲しいが、想定外の連絡はあまりうれしくない。

●携帯が変えた待ち合わせ

この20年、携帯とメールでもっとも大きく変わったのは「待ち合わせ」だろう。携帯が普及する前は、時間と場所を事前にちゃんと決めていたものだが、今はだいたいの場所と時間だけで、あとは電話なりメールなりで現地で落ち合うのが普通になった。

予定に縛られるのが大嫌いな私にとって、これは本当にありがたい。先に決めておかなくてもなんとかなる。

いくら事前に申し合わせをしていても、当日の状況によっては遅れる人も、場所を間違える人も現れる。待ち合わせ場所が工事中ということもあるだろう。

昔はそういうことが心配で、あれこれ腐心したものだが、所詮、未来のことを人間が完全に予測することなどできない。その現場でスムースに解決できることこそ重要だ。

スマホなら電話もメールもできるばかりか、自分が居る場所を地図で確認することも、写真を撮って送ることもできる。待ち合わせを決めておかなくても、現場でなんとでもなるのだ。

現在では相手の携帯番号もメアドも知らずに待ち合わせすることなんて、ちょっと考えられない。

そうだ、そうなのだ。先のことをあれこれ心配するのではなく、現場でなんとかできること。判断を先送りにできること。それこそが本当の「スマートな機械」に求められることではないだろうか?

●先送りにしよう

そういえば二年ほど前に、自宅の仕事部屋の照明をLEDに変えたのだが、その時に選んだものは「色が変えられる」ものだ。真っ白な光か、黄色い電球色かで迷っていたところ、色も明るさも変更できるものがあったので、それにしたのだ。

取り付けてみて、「これはスマートだ」と思った。メーカーは状況に応じて変化させられることを売りにしているが、そうではなく、自分の部屋にあわせてチューニングできる点がいい。

照明器具は店頭で見るのと、自宅に設置してみるのとで、環境が違うためずいぶん印象が違う。白熱灯や蛍光灯よりずっと寿命が長いLEDだから、購入時にあれこれ悩むより、後から変更できる方がずっといい。

なるほど、スマートフォンがスマートと言われる所以はそこだ。つい、色んなことができるからスマート、と思ってしまうが、ユーザーに合わせてくれるからスマートなのだ。

あとから必要なアプリを追加したり、別のものに置き換えて、自分用にカスタマイズできる。使いもしない機能は捨てておくことができる。

最初から目的を決めるのではなく、また、機械に人が合わせるのでなく、後から対応してくれるのが、人にとって一番ありがたい「スマート」さだろう。

そういう意味では、アップルウォッチは時計として見れば、見た目(文字盤)が変えられる点で、先のLED照明のよさと似ている気がする。

●人と機械、どちらがスマート

そういえば、人間も同じ気がする。役所なんかの対応を「機械的」と言うが、「決まっていることですから」と融通の効かない相手は、なんだか機械を相手にしているような気になる。

状況に応じて様々な対応をしてくれる人は、優秀だなぁと思う。機械がどんどんスマートになってくる現代。機械に負けないように、人もスマートになりたいものだ。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
< twitter:http://www.twitter.com/makio_matsumura >
< http://www.makion.net/ > < mailto:makio@makion.net >

大学の卒業式があった。来月には入学式。毎年毎年リセットを繰り返す、因果
な商売だなぁと思う。私も卒業したいぞ。