ネタを訪ねて三万歩[121]非常勤講師オファー祭り
── 海津ヨシノリ ──

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2月に大きな封筒を投函する必要が出て来て、大騒ぎしてしまいました。大きいと言ってもA4の書類を折らずに入れるための角2封筒(240mm×332mm)です。

結果から言うと、久しぶりに手書きで宛名書きをしたのですが、見事に5回も失敗してしまいました。当然油性ペンで書いていましたので、封筒はゴミ入れに格下げとなりました。

普通、宛名書きはプリンタで処理するのですが、手持ちのプリンタには収まらないサイズであったことが失敗の元。

プリンタはインクジェットもレーザーもA3ノビ対応機種を持っていましたが、ほとんど使わずにいて、インクジェットはお約束のインク詰まりで昇天。レーザーは寿命で昇天。以降はA4限定機種に鞍替えしたというわけです。

後から冷静に考えればラベル的な処理で済んでいたわけですが、焦っていると思考回路はフル活動しませんね。では、何を間違えたのかというと、一文字飛ばしです。ひとつ先の文字を先に書いてしまうのです。

頭でわかっていることを、手が先走りしてしまうと言うワケです。焦る必要はないのにどんどん焦ってスピードが速くなり、気が付くと失敗というわけです。かなり情けない結末でした。




年取った証拠? と一瞬焦りましたが、PC処理でスピード感覚が崩壊していることを痛感しました。手書きだと漢字が書けなくなる点も、焦る要因のひとつかもしれません。

普段から手書きをほとんどしていないことのシッペ返しですね。出来るだけ手書きを心掛けるためにわざわざアナログの手帳を使うようにしていますが、それも最近はかなりの殴り書き。今年の課題は焦らず丁寧に書く......ですね。いや、もっと手書きをしなくては......ですね。

手書きと言えば、色々な書類への署名などの書き込み。当然ながらボールペンの使用となるのですが、どうしたわけかボールペンが必要なときに限って見つからないのです。どうでもいいときにはその辺に転がっているのに、いざという時に行方不明。しかも一本しかないわけではないのに、いつも本当に不思議で仕方がありません。

情報も似たようなことが多々あります。なんとなく目に入った情報も、特に興味もない状態だとスルーしてしまいますが、数日経って、ソレがどうしても必要となった時、ソレがどこのサイトだったか思い出せない展開に似ています。

正に予想外の顛末ですね。これが結構多かったりして、我ながら毎度同じようなバカを繰り返していることに苦笑いです。まっ、でも、多くの人が似たり寄ったりではないでしょうか。あまり気にし過ぎるとストレスが溜まって体に良くないです。

●講師のオファーが次々と

ところで、予想外で思い出したのですが、2005年から関わっていた多摩美術大学造形表現学部は2017年3月で閉部されてしまうので、実質今年が最後の授業になりそうです。

最後の年に共通教育科目を履修する学生は予想できませんからね。履修者5名以下で不開講ですから、まず最後の年の授業はないでしょう。

それは2013年の4月に通達がありましたが、いざ最後の年になると万感胸に迫るものがあります。学生と騒げないと、私は鬱になってしまうかも知れません。本気でそう悩んでいました。

思えば2010年からデザイン学科にも関わりましたが、某大学の専任を固辞して選んだ道でしたので、あっけなく4年で終了という結末には呆然です。

そんなことを思いながら2014年の12月を迎えたとき、駿河台大学から非常勤講師のオファーが舞い込んできました。

2008年と2009年の後期に、駿河台大学メディア情報学部の非常勤講師として関わっていましたが、当時知り合った学生達や一部の先生方とは今も交流があるので、懐かしさと嬉しさが同時に交差してしまいました。

今回は情報処理教育センター管轄で、担当科目はコンピュータ・リテラシー関連です。デザインに直接関わっているわけではありません。

しかし、昔から、非美術系の大学でデザインについて授業をしたいと考えていた私にとっては、不思議な巡り合わせかも知れません。もちろん、前記したようにコンピュータ・リテラシー関連ですので、ガッツリとしたデザインの授業はできませんが、細部でそれなりにアドバイスはできるのではないかと感じていました。

そんなこんなで、年明けから準備に明け暮れていました。実は前回少しだけ触れたMS-Officeは、この為だったのです。

ビジネス文書を作成する人達が、デザインで少しでも武装できれば、世の中の流れが少し変わるような気がしています。そんな思いを4月から学生に伝えたいと、妙にテンションが上がってしまいました。

昔から思い描いていた悲願みたいな展開になってきたからです。もちろん、ちょっと大袈裟ですが。

もっとも新しい展開というわけではなく、前回駿河台大学で担当していた課目のひとつに情報処理技法という、類似した授業がありましたので、かなりリラックスして準備をしていました。

そんな、どちらかと言えばテンションが上がりかけた段階で、今度は跡見学園女子大学から非常勤講師のオファーが舞い込んできました。私は埼玉県に縁があると確信しました。

担当は全学共通教育で、様々な学部の学生の一般教養課目です。女子大なので他の大学よりも言葉遣いなどに注意が必要ですが、何にせよ適度な緊張は大切ですね。そんなわけで、予習の時間が突然増えてしまいました。

実はTVドラマ「ごくせん」のファンだった私は、2008年に駿河台大学からオファーが入った時、駿河台大学は「ごくせん2008」の赤銅学院高等学校として撮影に使われていたのです。

これで東京工芸大学と実践女子短期大学から声が掛かればコンプリートなどと、馬鹿なことを考えていました。つまり、「ごくせん2002」の白金学院高等学校は実践女子短期大学。「ごくせん2005」の黒銀学院高等学校は東京工芸大学厚木キャンパスが撮影現場だったからです。

その後、2010年から東京工芸大学の厚木キャンパスからのオファーが入り、いよいよ実践女子短期大学と思っていましたが、世の中そんなに甘くはないですからね。もちろんまだ諦めていませんよ。

話を戻すと、この埼玉祭りは一段落したものの、非常勤講師オファー祭りはまだ続いていたのです。更に続けて突然(こればかりですが)二松學舍大学から新たに声が掛かりました。今度は国際政治経済学部管轄です。

この時期に声を掛けて頂いたことにビックリです。経緯を整理するとかなり長い文章になってしまうので省きますが、高く評価して頂いた様々な教育機関の先生方には本当に恐縮しっぱなしです。

しかし、もっと学生の時に色々と勉強をしておくべきでしたと少し焦っています。もちろん、今からでも遅くないですからね。多様な教育機関に関わることが出来たことは、大いなる縁と感じています。

そしてこの縁を大切に、それぞれの大学で得た色々な経験をそれぞれの大学の学生に伝えられればと、今からワクワクしています。

そうはいっても、なんだかよくわからない突然の展開に完全に狼狽状態の私ですが、冷静になってみると、私は10年サイクルで大きな変化が発生していることを思い出しました。

10年前は予想もしなかった大学の非常勤講師の始まりの年。その更に10年前は完全フリーとなった年。すると10年後にはどんな展開が待っているのでしょうか? 

なんだかそれを考えるとワクワクしてしまいます。次の変化までに出会う素敵な人達へ、今から感謝の言葉を贈りたいと思います。

ちなみに、この怒濤の突然オファーにもかかわらず、予め段取られていたかのようにほとんどスムーズにスケジュールが埋まってくれたことに驚きを隠せません。ほとんど軌跡のレベルです。

問題は私の体調管理だけですね。今まで以上に体調管理に注意して大学生活をエンジョイしたいと思います。なにせ私は講師として教えに行くという意識がまったくありません。

あるのは学生に教わりに行くという向学心だけですから......。いや、元気をもらう? かな。

■今月のお気に入りミュージックと映画

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[レナウン「ワンサカ娘」]by 小林亜星 in 1965(日本)

偶然見付けてちょっと楽しくなってしまいました。色々な歌手が歌っていたようですが、シルビー・バルタン版が一番イイですね。1965年から1966年にかけて、この曲を日本語で歌う彼女のCMがTVに流れていたそうです。70才になった彼女は今でもキュートです。

レナウン ワンサカ娘 シルヴィ・バルタン
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[Non-Stop]by Jaume Collet-Serra in 2014(U.S.A)

邦題「フライト・ゲーム」。リーアム・ニーソン主演のアクションスリラー映画。今回は大西洋上空を飛ぶ旅客機の中で、見えない敵と戦う航空保安官。96時間シリーズで渋い演技を見せた彼の真骨頂という感じデスね。96時間も三作目の「96時間/レクイエム」が楽しみです。

Non-Stop Official Trailer #1(2014)
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【海津ヨシノリ】グラフィックデザイナー/イラストレーター/写真家/怪しいお菓子研究家

yoshinori@kaizu.com >
< http://www.kaizu.com

< http://kaizu-blog.blogspot.com
>
< https://www.facebook.com/yoshinori.kaizu
>

ほとんど活動の場をfacebookにしてしまっているわけですが、実はLinkedInも2010年から始めていました。facebbokを始める2年も前です。ただし始めただけでほとんど何もしていなかったことを猛省。

そもそも海外の友人からのお誘いが連発していたので始めたという、不純な動機だったのが問題でした。そんなわけで、友達申請が幾つか発生すると慌てて対処に走るのですが、承認したにも関わらず承認されない事件が多発していて困惑していました。

しかし、やっと原因が分かりました。私は二重登録をしていたようです。つまり、メールアドレス違いで2つ登録していたのです。ちょっと真面目に整理しないとダメですね......と思っても、当分は無理なので夏前までの課題ですね。気が付いてよかった〜。しかし、消したい方のアカウント用パスワード忘れていました......。