[3879] 3Dプリンター産業革命

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《想像の翼を広げんかい!》

■ショート・ストーリーのKUNI[171]
 星の王子さま
 ヤマシタクニコ

■3Dプリンター奮闘記[56]
 3Dプリンター産業革命
 織田隆治




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■ショート・ストーリーのKUNI[171]
星の王子さま

ヤマシタクニコ
< https://bn.dgcr.com/archives/20150326140200.html
>
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ある朝、新聞を読んでいたおれはいきなり話しかけられて驚いた。なぜならおれはひとり暮らしで、話しかけられる心当たりなんかなかったから。そして、話しかけてきたのが星の王子さまだったからだ。

「おじさん、いったいいつになったらぼくの本を読んでくれるの?」

星の王子さまはかわいい声で言った。おれの想像していた星の王子さまのイメージ通りの声だ。

「あたりまえさ。ぼくは、おじさんのイメージしている星の王子さまなんだもん」

「え、そういうことになるの?」

王子さまはこくりとうなずき

「ぼくの本を買ってから、かれこれ30年は経ってると思うんだけど、そろそろ読んだほうがいいんじゃないかな」

30年?! そうなのか!!

おれが若いころ、「星の王子さま」はけっこう人気があった。まわりのやつはたいてい読んでいた。おれも読もうと思ったが、みんなのまねをしているだけの、ただのミーハーに思われたくない。

と思ってたら、たまたま本屋でフランス語の「星の王子さま」を見つけた。「Le petit prince」。おお、これだ! ル・プティ・プラ〜ンス......おれは何を隠そう大学では仏文専攻...のつもりで第一外国語をフランス語にしたのだ。

結局めげて、大学も中退してしまったとはいうものの、ぱらぱらと見た感じでは文字も少ないし、ところどころ絵も入ってるし、これならいけそうな気がした。元仏文志望のおれならこのくらい絶対読める。

よし、これを読もう。そして、いつか仲間内で「星の王子さま」の話になったとき、おれはさりげなく言うのだ。

「ああ、星の王子さまね。おれはフランス語で読んだよ」

みんなは尊敬のまなざしでおれを見る。あたりまえだ。日本語ならだれでも読めるだろうが、フランス語だからな! ああ、想像しただけでスキップしたくなる。ついでにおれ流のすばらしい日本語訳をしてもいい。

そうだ、そうしよう。内藤濯も真っ青というものだ。待ってろよ、そこらの女ども! おれの才能に惚れるなよ!

よくわからない決意とともに、当時のおれは意気揚々とレジに進んだ。そして、家に帰ってさっそく辞書を片手に読みかけたもののあっという間にめげて......。あれから30年って、まじか。

「おじさんがなかなか読んでくれないから、ぼく、なんだか埃っぽくなってしまったよ」

確かに、目の前の王子さまはどことなく色あせ、うっすら埃をまとったようにぼやけている。それにしても、一々おじさんと言うのはやめてほしいもんだ。

「しかたないよ、おじさん。もう50歳過ぎてるんだから」

「やめろと言ってるだろ。本を買ったときはまだ若かったんだ」

「結局、ぼくの本がどういう話なのか、わかってないんだよね」

「確かに」

「日本語訳を買おうともしなかったんだ」

「いつか絶対フランス語で読むつもりだったんだよ。先に日本語訳で読んだりしたらだいなしじゃないか」

「日本語で読んだほうが賢明だと思うけどなー」

なんだかこいつ若干生意気になってきたな、と思ってると

「当然さ。おじさんがイメージするように、ぼくは変わるんだ。なぜなら、おじさん、あんたはおれを知らない。本を読んでない、というより読めなかったからな。はは。タイトルと何枚かのイラストだけが与えられた情報。そこからあんたがイメージしているのが目の前にいるおれというわけだが、いま現在の会話によってイメージが刻々補正されている。つまりおれはあんたの内面の投影」

どんどん憎たらしくなる。見た目も最初は挿し絵どおりのあどけない王子さまだったのにどんどん老けていく。

だいたい、このおおげさな上っ張りはなんなんだ。エイみたいにやけに横に突っ張って。いまどき糊きかせすぎじゃないか。じゃまだな。ないほうが......。

すると王子さまの上っ張りは消えた。上っ張りがなくなってみるとただの文句たれの中年男にしか見えない。と思い始めるとどんどんそれらしくなる。

もはや、するめを肴にコップ酒でも飲んでいそうな感じだ。その、中年男の星の王子さまがさらに毒づく。

「あんた、本を読んでないだけじゃなく、『星の王子さま』に関する批評とか感想なんかもわざと読まないようにしてきたみたいだね」

「ああそうとも。本を読まずに先にレビューを読んでそれに影響されるなんてまっぴらだ。感動の物語と書いてあれば感動する、みたいな。そういう輩が世間には多いようだがね。おれはまっさらな状態で本を読み、感じたいのだ」

われながらいいことを言った。自分で感心する。おれ、天才ちゃうか。

「なにが天才やねん。よう言うわ。まあええわ。しやから、30年たっても『星の王子さま』について何もわかってないとな」

「うるさいなあ」

「かわいそうなやつや」

「ほっとけ! だいたいなんで急に大阪弁になるねん」

そのとき、ピンポーンとチャイムが鳴った。

「おーい、おれや、おれや!」

「なんだ。中川先輩ですか。ひさしぶりですね。なんか用でも」

「いや、たまたま近くに来たから...あ、お客さん?」

先輩は星の王子さまを見て言った。

「ああ、あの、気にしなくていいんですよ。......なっ!」

おれが言うと王子さまはうなずいた。先輩も王子さまのほうを向いてあいさつする。

「すんませんね、急に押し掛けて......いやー、ひさしぶりやな。元気にやってるんか」

「あ、もちろん元気で。えっと、あ、そうだ。先輩、『星の王子さま』って読んだことありましたっけ」

「ない。本は持ってるけどな」

「え、本は持ってるけど読んでないんですか?」

「ああ。だいたい想像つくやろ」

「想像つくって」

「イラストが何枚も載ってるから、だいたいわかるやん。小さな星にいる王子さまがほかの、同じような小さな星と戦争する話や」

「え、あ、そういう話なんですか」

「ああ、王子さまがいる星のいぼいぼみたいなところからぷわーっと煙みたいなもんが出てる絵があるな。あれは大砲や。星自体が戦車みたいになってるわけや。あそこからよその星をばんばん攻撃する」

「なんで戦争を」

「おまえー、いまさらそんなこと聞くか。戦争は食うためにするもんやろ。自分とこの資源が乏しくなってきたらどっかに攻めていくわけや。20世紀の歴史をひもといてみるに」

「あ、今はいいです。話が長くなりそうで」

「しやけど王子さまは黄色いマフラー巻いてるやろ。まぼろし探偵みたいなもんや。王子さまは正義の味方や。安心せえ」

「あー、そうそう、そういえば黄色いマフラー! そうか、そうやったんか! ......違うんちゃいますか」

星の王子さまは唖然としておれたちのほうを見ていた。

「違うことない。絶対そうや。それで、いろいろあって、最後は地球に来てほっとするわけや」

「なんで」

「もとは小さい丸い星やから、カーブが急やないか。いつも、こう、落ちそうになるのを脚に力入れて必死でこらえてなあかん。大変や。地球はそんなことないやろ。大きな星に来てよかった、王子さまはやっと身も心も癒されましたという話や。絵を見てたらそういうことはすぐわかる」

星の王子さまのほうを見ると、あまりのことに泣いていた。そのうちそっとトイレに立った。

「なんやあの人、具合悪そうやな」

「いや、気にしないで......あの、先輩の話は、ちょっと違うような......」

「なんでやねん。おまえ『星の王子さま』読んだんか」

「いや、読んでないんですが......」

「ほな違うとは言いきれんやろ。先入観や固定観念にしばられてどうする! 想像の翼を広げんかい!」

「そ、そうかもしれませんが......あの、中川先輩」

「なんや」

「日本語の『星の王子さま』持ってるんやったら、いっぺん貸してくれませんか。急に読みたくなりました」

「......ええけど? 変なやつやな。ほなまあ、次来るとき持ってくるわ。どっかにあるやろ」

その後、中川先輩が帰るころにはおれの中の星の王子さまイメージはすっかり元に戻っていた。やがてトイレからあどけない少年の姿の星の王子さまが出て来た。

「ぼく、なんだか疲れちゃったから帰るよ。じゃ」

そういうわけでおれは30年来のこだわりを捨てて「星の王子さま」を日本語で読むことにしたのだ。まだ読んでないが。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
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最近、早咲きの桜が多くなった。新しくできた桜の名所は河津桜だったりコシノヒガンだったりエドヒガンだったりで3月後半には満開。ソメイヨシノ前提の桜前線とか開花状況なんてのも、そのうち見直さなければならないかも。

いや、こうなったら遅咲き桜のバリエーションも増やしてほしいところだ。夜桜で宴会をしたらけっこう寒くて、おでんが大人気だったりするではないか。八重桜があるにはあるが、ソメイヨシノタイプで4月下旬に満開になる品種があればビール党にも喜ばれ......って、桜が聞いたら「ええかげんにせえ」と言うかも。


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■3Dプリンター奮闘記[56]
3Dプリンター産業革命

織田隆治
< https://bn.dgcr.com/archives/20150326140100.html
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つい最近、光硬化タイプの3Dプリンターの造形速度が飛躍的にアップする技術と、積層痕の出ないプリンターのニュースが出た。面白いことになってきた。

あと数年もすると、本当に一家に一台の時代がやって来るんだろうな〜。

色々妄想してみる。

少し昔、カラーコピーが一般化したように、はじめに都市圏に3Dプリントショップが出来始める。

で、色々なコンテンツが沢山出回るようになり、気軽な値段で3Dプリントができるようになってきて、次はコンビニだ。

各コンビニに一台の3Dプリンターがやってきて、事前に注文しておくと、次の日か数時間後にプリントされた物を取りに行く時代。

そして、いよいよ各家庭に一台の3Dプリンターだ。

素材自体も各種多様なものが出来てくるだろう。通電するもの、しないもの、金属、プラスチック、天然素材を主原料にしたものなど。

基盤等は、3Dプリンターでの出力は、もうすでにそろそろ現実化しつつある。

各メーカーは在庫を抱えることもなく、データを蓄積するだけになり、物流はその素材等を運ぶのがメインになる。

こればかりは、現在のような物流に任せるしかないわけだけど。

しかし、流通の仕組みも、倉庫の仕組みもガラっと変わる。

素材メーカーはしのぎを削って色々な素材を開発するだろう。その素材を作り出す元の原料の生産、リサイクルする施設なんかも増えてくるだろうな。

3Dプリンティングの発展により、大陸、国境を超えた製品の購入も気軽に行えるようになるだろうな。

今まで、輸送に苦労していたもの、輸送するのに困難な場所へ、苦労してものを運ぶことも容易になる。あらかじめ、素材を運ぶことが必須だけど。

怖いのは、色々といけないものが入って来たり、出て行ったりすること。

通信さえできれば、そういった技術や物資等が簡単に送れるようになるのは良いかもしれないけど、逆にそういうことを制御するシステムの開発が必須になるだろうなぁ。

プロテクト技術と、ハッカーとのせめぎ合いは、これまでよりもっと激しくなるだろうな。こういうのって、いつもイタチごっこなんだよなぁ。

懸念すべきなことは他にも色々ある。

顧客はいつでも、欲しい時にデータ選んでスイッチを押すと、自宅での生産が可能になる。そうなると、各メーカーのある程度の工場の削減が行われる。

当然、そこで働いている者の人員削減が行われるわけだ。時代に応じて、色々な職業が消え、生まれるのは仕方ないことだけど。

3Dプリンターの生産も、3Dプリンターで行われるかもしれない。

そうなると、根本的に産業革命が起こる訳だ。これまでの生産というものが、根本的に置き換わる。

これは本当に凄いことになるかもしれないな〜と。

ちょっと前までは、そんなのずっと先の話なんだろうな〜と思っていたけど、冒頭で書いたような3Dプリンターが普及してくると、そう夢物語でもないのだなと実感(?)する。

当然、3Dスキャンの技術も向上しているし、色々なもののコピーが簡単にできる時代が来る。

今のスキャナーは、解像度が低かったり、出力するための後加工が大変だったりして、まだまだ簡単に行えるものではない。

でも、この急激な進歩を見ていると、それもすぐに色々な技術が出て来る可能性が高い。

そうなると、世の中コピーだらけになるわけだ。本物の価値ってのも上がってくるのかもしれない。

これ? 本物なの?

「ブレードランナー」という映画に、ヘビのシーンがある。

精巧にできたヘビのロボット。このヘビは本物なんですか? 本物は高くて買えないわ。と、いうくだり。

逆に、本物の持つ価値観がグッと上がってくるんだろう。まあ、嗜好品ということになるかとは思うんだけど。

「本物か偽物(コピー)か?」

そういったことがささやかれる時代が来るんだろうなぁ。

でも、「本物、オリジナル、って何なのか」さえ分からない時代になってくるのかな。

なんか、怖いような、不思議なような。妄想しすぎ、って思うかもしれないけど、本当にそういう時代ってすぐそこまで来ている気がするんですよね。

その時代まで僕は生きているだろうかなぁ。

手作業で生み出されるものの価値。そういうものが値踏みされる時代になるんだろうな。まあ、今でもそうなんだけどね。

工場で大量に生産されるもの。手作業で作り出されるもの。

その価値は、それぞれ持つ、使う者の価値観で変わって来る。

そういう意味では、これからも、先もずっと変わらない普遍的な思考なのかもしれないなぁ。

いや、とにかく面白いことになってきたね。

レコード、カセットテープから、CD、データ配信と、音楽なんかの普及方法も変わって来た。今では、データで曲を購入し、手元のプレーヤーで再生するは当たり前になっている。

だけど、今になって、レコードが原点回帰のように見直されて来ている。これは、色々なことに共通しているように思う。

時代が進んで便利になればなるほど、逆にそれが窮屈になり、追い込まれている錯覚に陥り、昔のアナログ手法を懐古する者が必ず出て来る。

クラシックカーにしろ、SLにしろ、そういう物だ。でも、それは嗜好品でしかない。まあ、そういう骨董品(?)を愛する人は、これからも沢山現れて来るんだろうな。

その「時代の進歩」によって、消えて行くものもあれば、新しく生まれ変わるものもある。そういったことを繰り返していくわけだ。

人間ってのは相変わらずだね。

【___FULL_DIMENSIONS_STUDIO_____ 織田隆治】
oda@f-d-studio.jp
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編集後記(03/26)

●金・土の夜はたいてい古い映画のDVDを見ている。いままではSF、ホラー、BC級バカ映画を好んで見ていたが、漫画「テレキネシス」に出てきた名画を全部見てやろうと挑戦しているうちに、様々なジャンルの映画を見るようになった。食わず嫌いだったジャンルも、見れば面白いではないか。映画館は苦手だけど、自分ひとりで好きな時間に見る映画はいいものだ。かつてはWOWOWを録画したVHSを大型テレビで見るだけの映画部屋もあったのだから、映画は好きなのだろう。映画について書かれた本を読むのも好きだ。とくに、映画評論家ではない和田誠の書いた映画の本はどれもが読み応えがある。イラストが最高。

和田誠は20冊ほどの映画関連本を出していて、一番新しいのが「ぼくが映画ファンだった頃」である(七つ森書館、2015)。よく通っていた映画館がなくなった。いつのまにか映画館の窓口が機械に変わり、彼はその新しいシステムが手に負えなくて、映画館に行かなくなった。「映画ファン」であることを放棄したようなものだ。でも、毎晩DVDで一本か二本を観ている「映画好き」は持続しているという。「映画ファン」だった頃に書いた原稿を集めて、対談二つを加えたのがこの本である。個人史の中の映画、雑学的映画ばなし、この一本、追悼、対談二席、監督という6章で構成されている。

「雑学的映画ばなし」の中で「映画と伏線」という一編がじつに面白かった。優れたエンターテインメントは巧みに伏線が張り巡らされている。ヒチコックのスリラー、サスペンスをはじめ、いくつもの有名な映画の伏線の名人芸が解説されて、なるほどそういうことかと感動した。わたしの偏愛するSF、ホラー、BC級バカ映画では、なんでこんなご都合主義なのかと呆れることが多かったが、名作といわれる映画は脚本家の設計が完璧で、辻褄がきちんと合っている。最近見た「君よ憤怒の河を渉れ」や「黒部の太陽」などのトンデモ展開は伏線を生かしていなかったからか、そもそも伏線を張っていなかったからか。

「この一本」では11本の作品が語られているが、わたしが見たことあるのは「北北西に進路をとれ」「椿三十郎」「E.T.」の3本だけだ。これを読んで、そうだったのか、それでは絶対見直さなければならないと決意した。スピルバーグを語る中で、「激突!」の結末はこうすればよかったというアイデアを披露している。「ラストでタンクローリーは崖下に転落し、主人公の勝ち、というところまではこのままでいい。しかし不死身のタンクローリーは、またのろのろと走り出す。そこへ何も知らぬ別の小型車が、ひょいと追い抜いてゆく、というところで終わる」。素晴らしい! その方が絶対面白い。 (柴田)


●hammer.mule の編集後記はしばらくお休みします