3Dプリンター奮闘記[57]あの時、3Dプリンターを導入していなかったら......
── 織田隆治 ──

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もう4月である。寒かったり暑かったり、コロコロと気温が変わる。昔から「花冷え」と言うらしく、桜の咲く季節は急に冷えたりする。

って言っても、この気温の変化には体調を崩す事が多いですねぇ......。という僕は、体調を崩す余裕もないような仕事三昧。

3月末にかけては年度末という「何故か忙しい時期」を、なんとかやり過ごし、4月になったら落ち着くかなぁ、と思ってはいたんですけど、まったくそんな様子もない有様。

物を作る仕事をやっているんですが、最近はすごく仕事が増えているように思います。

やっぱり景気が良くなって来てるのかな? と、少し実感してます。

数年前の僕の仕事は、主に3DCGを制作し、たまに模型、だったんですよね。それが、今は立体制作がメインとなり、たまに3DCG、に変化しています。

その原因は、実は色々とあるわけです。まず、リーマンショック。当時の僕の仕事は、「広告宣伝」がメイン。ここで、少し仕事が減りました。

ヤバいなあ......なんて思っていたら、あれよあれよと言っている間に、グググッと仕事が減り出しました。こりゃ本格的にヤバい!




あまりそれまで営業をしてなかったので、色々とやってはみたものの、景気が下がるとまず「企画宣伝」ってところの予算が減ってくる訳です。

そして、「こりゃ、色々と整理していかないといけないなぁ......」と戦慄していました。

そうこうしている間、なんとか貯金を切り崩して生活していましたが、なんとか少しずつ仕事量も増えて行き、ホッとしたのもつかの間。

次は「東日本大震災」が来てしまった訳です。この時、色々なメーカーも打撃を受け、そういった「広告宣伝」という予算も当然削減されるわけです。色々企画が進んでいた仕事もストップ。

元々少なかった仕事もグッと減り、かなり経済的にヤバい状況になりました。被災された方から見れば、そんなに大したことではないのですが、僕的にはかなりピンチなのでした。

まず、事務所をふた回りほど狭い所に移動を余儀なくされました。この時期、営業をかけても仕事は発生せず、どう考えても良くなる要因が見つからなかったんですよね。

そこで、目に付いたのが「3Dプリンター」だった訳です。当時、「3Dプリンター」は、ようやくマスコミにも取り上げられ始めたところでした。

もともと立体制作等を生業にしていましたし、3DCGもやっていて、これはやるしかない! と思いました。

でも、その当時の僕にとって、60万強のお金、設備投資を直ぐに用意するようなことはできずにいました。

でも、この機会を逃すわけには行かず、友人、知り合いに融資、投資をお願いして、なんとか資金を調達できました。本当にありがたいことです。

そして、念願の3Dプリンターを導入することができました。

当時はまだ、昨今のように3Dプリンターを導入している所もなく、色々と試行錯誤してサンプルなんかを制作し、多くの方に見て頂いて、仕事の量も増えて行きました。

もともと「博物館」や「科学館」「資料館」などの展示模型製作会社に居たこともあり、仕上げ作業や塗装など工作技術があったので、3Dプリンターで出力した物を、綺麗に仕上げる作業はお手のものでした。

そういった経緯もあり、人づてに僕が3Dプリンターで制作業務をしていることが伝わり、広がって行ったわけです。

当時、テレビ取材なんかも来て、ニュースなんかにも出たこともありますが、最近は全然来ませんけど(笑)

今では、3Dプリンターもかなり出回り、色々な所で使われるようになってきています。当時から使っている3Dプリンターは、今でもバリバリ現役で頑張っています。

うちにも3Dプリンターも三台に増え、レーザー彫刻機なんかも導入し、狭いながらも色々な立体制作ができるようになりました。

本当に、当時出資していただいた方には感謝しています。あの時、3Dプリンターを導入していなかったら、どうなっていたことか......。今では想像もできません......。

そういった感謝の気持ちを忘れてはいけないですね。今、なんとか色々とお仕事が出来ているのは、誰のおかげか? 忘れてはいけないと思う今日このごろです。

って事で、そろそろ仕事に戻らねば......。5月にはワンフェスの新作原型のアップもあったり、色々な仕事の納期があったり......。

しんどい時は、そういった当時を思い出して、気力を振り絞るようにしています。感謝、感謝ですね。

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