私症説[68]肩甲骨と肩甲骨とのあわいで
── 永吉克之 ──

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私は、これまでいろんな仕事をしてきたが、企業や職場の方針に抵抗したことが一度だけある。

そのほかの場合は、ここは言うべきことを言っておかなければ、後任の人がまた理不尽を被ることになる......と思いつつ、結局は不満を抱えたまま従容として辞めていくというのが常だった。

「主任さん、僕はですね、あなたの肩甲骨のあたりを一発叩いて、そういう風にしてから、この会社を辞めてやろうと思ってるんですぜ」

「おーい、永吉。私を叩くことはよすんだ」

その時、私に友情を抱き、私を深く理解し、前日いっしょの電車で帰った、同じ部署の依田様がやってきて、私と主任の間にすっぽりとはまり込んだ。大柄な彼の後ろに小柄な主任が姿をくらましたので、私は未曾有の安堵を覚えた。

「永吉様、武力を用いずして解決する努力はしたのか? 叩くのか?」

「叩く。そう考えるのが僕だが」

「主任、永吉様がなぜ怒っているのか、公平な立場から解説させてもらいたいという想いに、僕はいま満ち満ちていまにも破裂しそうかもしれないんです」

「それは君、むしろ解説をしてみてもいいんじゃないか?」




                 *

前夜、私が輾転反側しながら考えた末、主任の両側の肩甲骨の間あたりを手のひらで叩いて辞めるのがいちばん無難な、最小公倍数的な方法だとわかった。というのは、肩甲骨の間を、人間の急所である「眉間」のメタファとしてとらえるのが日本文学の伝統だからだ。

それを実行するつもりで早めに出勤し、主任がロッカールームで作業服に着替えているところを背後から襲おうとしたのだが、私がロッカールームに入るや相手が振り向いたので、肩甲骨のあたりを叩くのが難しくなって、なんだかわからないけれど口論になった。

そこに、依田様が出勤してきたのだった。

「主任。永吉様は派遣社員なんだそうですから、主任の脳裏をかすめる人事方針。それこそギリギリなこと。マサルさんや僕が是非に及ばずと考えるとしても、そうだよね。ね、永吉様。一切がね」

依田様が、私のことを弁護してくれているのをありがたいと思いつつも、いささか舌足らずなところがあるので、補足した。

「主任。依田様の言ったことだ。このままでは《百年河清を俟つ》ことになると思うわけです。僕たちは派遣社員という立場です。定年になって、正社員から嘱託社員となった人びとがパンとサーカスを求めて、僕らの職場にふらふらと流入してくる。派遣と嘱託では、わーははは、身分が違ふとぞいひける」

「永吉。身分が違うから、派遣が嘱託に駆逐されるのは経営者長谷川の野望なのか、それとも事故なのか。私はいま、この狭いロッカーのなかで考えていたので、ほら、頭が四角柱になってしまった。考え方も非常に四角柱的だ。おい、依田。君はどう思う?」

依田様は、一晩じっくり考えてから、ぽつりぽつりと話し始めた。

「ぐわー主任! 嘱託も人間、派遣も人間! しかし嘱託は、余生を埋めるために仕事をしている。派遣は、いまを生きるために仕事をしているというのが僕の見解であったとしても、主任には届きますまいて!」

「この、虚(うつ)けが!」

主任は、背後にいたのを幸いと、依田様の肩甲骨の間を四角柱になった頭で突いたので、依田様は、どうと倒れて二度と動かなくなった。

「さすがは世に聞こえた眉間のメタファよのう。一撃で身罷りおったわ。ところで永吉、いったい何が不満なんだ?」

「仕事中は規定の作業福着ろ主任言う。でもときどきはクリーニング出せ言う。クリーニングのおカネ会社ださない言うから自腹だからみんなつぶつぶ言う。ワタシ作業するときの福もてこの国きた。でも会社の作業福着るないとダメ言う。ワタシ起こる。起こると奥さん泣く。子供たちこわがる。もう家族連れて日本に帰りたい」

「不可なり。この職場が、還暦を過ぎた嘱託社員に埋め尽くされる。君ら派遣は放逐され、曙光の見えぬ将来を想って暗澹たる気分になる。そんな理想郷が現実のものとなるまで辞めるのは許さないということになったりもする。いったい何が不満なのか、自分の気持ちを率直に表現することをためらう。敗北したいのか。そんな感じだ」

抗議はことごとく論破され、私は、言葉を遣い尽くした。

                *

襲撃未遂事件以来、主任は、眉間のメタファを守るためにランドセルを背負うようになった。そのなかには、高密度に圧縮された教科書や学用品が1ミリの隙もなく格納されており、ライフルの弾丸も通さないという。しかし、それだけにかなりの重荷になるはずだ。

そんな重装備に対して、手のひらで叩くことの無力は明白だが、私は諦めるわけにはいかなかった。身を挺して私の盾となり命を落とした依田様のためにも、私は主任の襲撃を敢行しなければならなかった。

物理的な力が及ばなければ、言葉での駆け引きに持ちこむしかない。

「主任。ランドセルを下ろしてくださいませんか、という僕の要求を主任はどのように捉え、どのように対処しようと考えておられるのか、いや実際、興味は尽きませんなぁ」

「おいおい、人にランドセルを下ろせと言う前に、まず自分が重荷を下ろしたらどうなんだ」

わたしは主任さんのお言葉に甘えて、重荷を下ろさせてもらおうとしたんですけど、職場では、重責と呼べるような地位にいるわけではないので、下ろすべき重荷がありません。それに扶養家族もいないので、私生活においても重荷がないのです。

来年、60歳になるというのに、いまだに重責を担う立場というものを知らず、いつでも交換の利く部品のようなポジションにいながら何の危機感もなく、一銭にもならない芸事にうつつを抜かしている男に対する皮肉が、主任の言った《重荷を下ろしたらどうなんだ》の真意だったと理解したのは、わたしが結婚出産を経て、職場に復帰してからのことでした。

【ながよしかつゆき/『無気力文学』主宰】thereisaship@yahoo.co.jp
ここでのテキストは、ブログにも、ほぼ同時掲載しています。

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