武&山根の展覧会レビュー ズレから見える風景──【日常事変】展を観て
── 武 盾一郎&山根康弘 ──

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武:こんばんは!

山:こんばんはー。お待たせしまして。

武:先日はごちそうさまでした! いやあ、久しぶりに呑みました。

山:久しぶりかー、最近ほとんど呑んでないってすごいな。武さんも変わったもんやね。

武:そうなんですよ。家でひとり酒呑むの辞めてるんです。それまでは「晩酌」だけが楽しみに、何年も生きてきたわけなんですけどね。

山:呑まないと一日を締めくくれないですよ僕は。

武:俺もそうだと思っていたんですよ。なかばアル中かなあ、と。今はお茶とか炭酸とかノンアルコール飲料を飲むんだけど、それであの晩酌の喜びにスイッチするんです。

つまり「実体(アルコール)」が必要なのではなくて、「飲む」という儀式化された「動作」でいいってことなんですよ(笑) なんかこれ、感じ方の本質のような気がして。

山:ノンアルコールビールでも呑んでる感はでるからな。僕は酩酊したい欲求があるっぽいけど。

武:生まれて初めてノンアルコールビールを呑んだ時ってさ、「おえ〜っ! こんなもん許せるか!」って感じたんですよ。

山:でも最近のけっこう呑める。

武:そうね。味が良くなったってのはある。「ビールっぽさ」のツボを感じると条件反射的に酔ったような感じになる。

山:で、今日も炭酸なんですか。

武:うん。生協の「ただの炭酸水」、酔った気分になってるw

山:そうなんや、すげーなw

武:酩酊してると錯覚できる、となると「酩酊」ってなんだ?

山:錯覚出来たら酒はいらんな。

武:あ、ひょっとして、俺は「酒道」を極めたのかも知れない! 弓の名人がもはや弓を持たない話、みたいなw

山:なんやねんそれw 呑まない人でも呑んでる場におったら酔っぱらった感じになる、って人はおるな。

武:そういう人はもともとお酒呑まない人だけどね。まあだけど不思議に思うよ。「晩酌の喜びの本質」がアルコールではなくて、「呑んでいる動きからくるもの」ってのは。

山:晩酌の喜び、ってのは実は僕はあんまりわからないけど。

武:ああ、そうか。ちょっと面倒だけど、料理を作るというプロセスが必要なんですよ。

山:僕も自炊はするぞ。毎日ではないけど。

武:いや、俺もたいした料理を作るわけじゃあないけど、包丁と火を使って、皿に盛って、テーブルに置く、という動きをしていくと徐々にウキウキしてくるんですよ。で、「カンパーイ!」って飲む。クライマックス。

山:あ、、、20代ぐらいはそういう風に感じてたような気がする。

武:年齢の問題か?

山:うーん、単純に飽きたのかも知れない。

武:なるほど。ルーチンワークは飽きるよね、脳はそうできてる。

山:仕事感を持ってしまうんかもな。仕事から帰ってきてまた仕事かい! となるからめんどくささの方が勝ってしまう。酒呑むのはそれから開放されたいからなのか?

武:確かに忙しいと出来合いのものになってしまうよね。で、解放されたいだけなら酒じゃなくてもいいんだよ。俺の場合たまたま「晩酌という儀式」が解放させてくれているんだな。

山:そんなもんかな。でも実は酩酊したいと言いながら、それさえ飽きてきた感もあるんやけどね。

武:てことは酩酊は目的じゃないんだよ。本当は「何処がポイントなのか」ってちょっと意外だったりするんだよ。

山:ああ、ほんとうは「集中」したいってのがあるかも。何に対してでもいいねんけど。ただそうするとしんどいと思ってまうのか、「酩酊」に逃げるってことやな、きっと。

武:酩酊に集中してるんかもな。

山:酩酊は受動的やろ、集中じゃなくないか? 意識的に酩酊できない。

武:いや、酩酊を認識してるのは意識だから、意識的に酩酊できるんだよw

山:でも記憶ないぞ。

武:意識的に記憶してないんだよ。

山:そんなこと言われても困る!

武:記憶してないというか、思い出すことを放棄してるんだな。きっと酩酊してる時だけ酩酊してる記憶が繋がるんだよ、うん、それはなんだか面白い。

山:よーわからんわ。展示にいきましょか。

武:そうですね。今回は初めての場所ですね。山根もだっけか。

山:初めてやね。「川口市立アートギャラリー・アトリア」です!
< http://www.atlia.jp/exhibition/
>



【日常事変/川口市立アートギャラリー・アトリア】

武:いやあ、埼玉だと近くていいねえ。川口は久しぶりだよ。メディアセブンの展示で行った以来? あ、なんかのワークショップかなんかで行ったんだっけ。
< http://www.mediaseven.jp/index.html
>

山:川口はたまに仕事で行くけど、武さんと川口で呑むのは久しぶりやね。

武:そうだねえ。先月に引き続き一緒に展示を観に行きました。続けて一緒に展示観に行くのもなんだか久しぶりにような気がするなあ。

山:えらい感傷的やなw

武:去年の7、8月かな?
【記録魔─関根正幸のお蔵出し─】展
< https://bn.dgcr.com/archives/20140725140100.html
>
【戦後日本住宅伝説─挑発する家・内省する家】展
< https://bn.dgcr.com/archives/20140829140000.html
>
デジクリ公式サイト2014年の8〜10月が抜けてるんだよなあw今年はもう二回一緒に観に行ったのでノルマ達成だな。

山:なんのノルマかわからんが、、まあ展示ですよ、展示。ってか初めて行ったんで、最初美術館だかなんなんだかよくわからんかった。

武:入口入っての建物内の空間がなんか気持ち良かったね。建物周りとマッチしてたのかな。

山:サッポロビール工場の跡地で、建物もサッポロビールからの寄贈みたいですね。

武:もともと酒だったからか! だから心地よかったんだ、なるほど!

山:なんでやねんw

武:そういうことはよくあるよ。ビールのゲニウス・ロキが棲んでいるんだな。

山:ほんまかいな。でも確かに気持ちのいい空間ではありました。で、中はそんなに広くないですね。ちょうどいいのか、そうでもないのか。前回の庭園美術館のギャラリーぐらい?

武:ああ、そうかもね。ちょっと雰囲気似てるかも。どちらも新しいからってのはあるけど、このくらいの広さがトレンドなのかな?

山:それはないやろ。庭園美術館はがっつり本館あるし。今回はアーティストトークに合わせて行ったので、しっかり鑑賞したという感じはしたけど、それがなかったらちょっと物足りなく感じるんやろうな。

武:そうね。川崎義博氏の展示で川口の職人さんにインタビューしてる音声作品があるんだけど、それ全部聴かなければ、5分で全部観れちゃう感じだしね。

山:アーティスト三人の作品だけやからな。

武:インスタレーションって立ち止まって観るきっかけが難しい。物語と感覚に訴える造形(デザイン)がないと。

山:作品にもよるかな。興味をそそられればやはりじっくり観るなり聞くなりするでしょ。

武:興味がどうやったらそそられるか問題ってあるよね。例えば、今回はクワクボリョウタ氏のアーティストトークを聞いて、それによって作品に対しての魅力をぐっと感じたんだけど、展示されている作品だけを観て「日常がテーマのインスタレーションです。」だとちょっと素通りしちゃう感じだったかも。

●日常と事変

山:じゃあ今回は展覧会のタイトルの「日常」と「事変」についてなんか話せないだろうか。

武:他人の日常にまったく興味ないからね、俺。もしあるとしたら、それこそ、自分の日常にちょっとした事変が起こること、なんだけどさ。

日常に普通に暮らしつつ、視点・観点を少しずらすとまったく風景が違って見えてくる。この手法は多分、誰でもやってることだと思う。

山:だから、この展示はそれをテーマとしてる訳でしょ? それを観て行きましょうよ、と。

武:多分、展示タイトルの「日常事変」と作品ってあんまり関係ないよw

山:それをチャットで話そうよ、って言ってんですよ。

武:そか。「日常事変」っていうタイトルいいよね。今回ここ川口市立アートギャラリー・アトリアにしようって言ったのはなんでかっていうと、ふたつ。ひとつは行ったことない場所だから。もうひとつは「日常事変」という単語が気に入ったから、なんです。

山:気に入ってるんやないか。

武:うん。「日常」と「事変」ってあんまし繋げられない単語だよね。語学学者が聞いたら怒り出しそうな。

山:アーティストトークでキュレーターの方が、落語から取ったとおっしゃってましたね。

武:検索したらありました。『桂あやめ 「京阪神日常事変」』
<
>

山:創作落語か。

武:あるあるネタみたいな感じ。

山:メロンパンにあんこが入ってるわけないやろ!

武:関西の人じゃないと分からないだろこれw やっぱ大阪人がボケなんだね。

山:ちゃう。これは大阪が突っ込み。

武:そうなのか! 京都人が皮肉られてる感じ。

山:わざと差異を出して京都、神戸が形はボケだけど、大阪も自虐ネタをするという。

武:つかこれ聞いちゃうじゃないかw

山:これの話をしたいんじゃない!

武:大阪と京都と神戸の事変ってことか。てことは今回の展示「日常事変」は三人の事変ってことにもなるんだね。

山:あ、作家が三人ってこと? そういうことではないんやろうけど、、そうなんか?

武:「日常」をテーマにした作品ってほとんど全て日常に再(新)発見を与える視点だよね。そういった意味では「日常事変」以外の日常テーマ作品って実はあり得ないんだよね。

山:なるほど。

武:だから「日常事変」というタイトルはちょっと変わった感じを与えるけど、実は大正解のド真ん中なんですよ。そこが面白いと感じたんです。変に見せかけて真っ当。キュレータさんの意図とは違うかもだけど。

山:落語であれば、わざとタイトルを壮大にして実際は細かい話しをするっていうことは笑いに落とせるからありだけど、美術の場合、というか今回の展示としてはどうだろう。もうちょっとユーモアのある作品ならおもしろいかもやけど。

武:「気にも留めないフツーのモノ・コト」が有難く見えたり、違う意味を帯びたり、と、意味をシフトさせて内容が変わったように見せる、というのが美術の手法になるだろうね。誇張するというより。観る側の意識が日常からズレてくれたら成功というか。

山:おそらく美術に限らないんだろうけど、ズレを見えるようにするっていうのは「何か」を伝えやすい方法なんでしょうね。

武:ギャラリーに入った時点で、その人が非日常を感じるのか問題ってのもあるのかな。アトリアも「ホワイトキューブ」じゃないですか。アーティストトークでクワクボさんが「ホワイトキューブって改めて考えると凄いですよねえ、、、」みたいに言ってたよね。

山:おっしゃってましたね。でも「日常のズレ」と「非日常」って別物のような気もするんやけど。「日常のズレ」はあくまでも日常の範疇であって「非日常」って「日常」とは似て非なるものである、んとちゃうんかな。

武:そうね、「非日常」と「日常のズレ」は違う。そのことで言うとね、最近の家の壁って白いの多いらしいんですよ。「ホワイトキューブ」という発明は一般の家の屋内デザインに薄まって広まってる。

山:あらゆるところにそのエキスがあるような気がする。

武:そうなんかな。でですね、前回の庭園美術館のギャラリーも川口のアトリアもホワイトキューブじゃないですか。で、今はもう昔の「ホワイトキューブ」とは違う意味になっているんですよ。

山根が「日常のズレ」と「非日常」が違うって言ったけど、「ホワイトキューブ」ってかつては「非日常」だったんですよ。けど今は一般家庭にもホワイトキューブ的なデザインが取り込まれている。だから今のホワイトキューブは「日常のズレ」的になってるんじゃないかな。

この展示は「非日常」を取り扱いたいんじゃないことは確かで、「日常事変」という言葉はそういった意味でもちゃんと芯を捉えてる感あるんです。

山:どうなんかね。「事変」という言葉が強いせいか、むしろ展示から事変を感じなかったので。概念的に考えるんであれば意味はわかるけど、さほどびっくりしない、というのは思ったかな。出品してるアーティストとは関係ないのかもしれないけど。

武:「事変」はね、煽りですw 強い言葉を持ってきたかったんだよ。「日常を少しシフトしてみる」とかだと聞き流されちゃう。「歌舞く」って必要だったりするじゃん。

山:かぶいたってしょうがないやろ、とも思うけど。

武:「かっこいい感じ」になるって重要ですよ。あ、あとね。いいなあって思ったのが展覧会のフライヤーなんです! これ、言いたかった。思い出せてよかった。フライヤーいいですよ。

山:僕は見てないけど、デザインがいいってこと?

武:フライヤーの裏側がいいんです。

山:見てないのでわからんが。

武:そっか。。ちょっと残念だなあ、それ。是非見て下さい。

で、「日常」をテーマにした展示としてどうか、の話に戻るけどね。

山:はい。

●日常と藝術

武:アーティストトークを聞いてる時、自分の身体の向きがゲストのアーティストじゃなくて美術館の外の広場だったんですよ。ソファーの関係で。日曜日だから親子やカップルなどが通り過ぎたりしてるんですが、その日常風景がすごく面白かったんですよ。とてもパラドキシカルな感じがしたんです。

山:あー、僕も思いましたよ。選挙カー走ってるし。僕はこの場所でいったい何をしてるんだろう? と思た。

武:それを思わせてくれるのが今回の展示であるわけなんですよね。アーティストやキュレータの意図とは違うかもしれないけど。どこか物足りなさを感じたがゆえに、館内から観る外の日常の風景がひときわ「日常事変」を写しだしていた感はある。

山:でもそれって、美術も藝術も関係なくないか?

武:いや、関係あると思うよ。美術館という「ちょっと退屈な空間」がそれをさせてくれたわけだから。厳密に言うと「美術館という制度」または「美術(界)の制度」になるのか。けど、デュシャン以降はそこも含めての藝術ってなるわけだからね。

山:そんなこと言い出したらね、これは載っけないが、留置所で体操、と呼ばれる煙草が吸える時間にだけ外の風景見れるんだけど、そりゃもうまさに事変やぞ。

制度から一瞬外されいて、いやむしろ制度のど真ん中だが、宙ぶらりんな状態の中に置かれる。そこから見た外の日常風景はその時の自分とはまったくかけ離れたものとして見えてきて、空虚なリアリティとでも言うのか、確かに存在してるんだろうけどつかめない日常、非常事態(事変)としてせまってくる。

まあそういったことを藝術だ、として提示するのがアーティストなのかもしれないけど。そこまでの説得力がなかったのか。

武:留置所の話は面白いので載っけましょうw アメ横で呑んでパトカー蹴って捕まったことは伏せておきますから。

確かに、制度を扱う方向だけでやっちゃうと意味を拡散させるだけになりがちでつまらなくなっちゃうんだよね。ジョン・ケージの『4分33秒』を最後にしてもういいやって思う。
< http://ja.wikipedia.org/wiki/4%E5%88%8633%E7%A7%92
>

作品の説得力はどこにあるかというと、美術で言えば「物語」と「造形」で、これは「作品の背景や文脈」と「目に見えるデザイン」ということです。「思想」と「形」と言い換えてもいいし、「見えないもの」と「見えるもの」って言ってもいい。

で、自分は後者の「見えるもの」の感覚的説得力を重視してるんです。簡単に言うと「パッと見て好きか嫌いか」ってことです。けど、この鑑賞法ってちょっと危うくて、実を言うと世の中の作品の99%は「好きでもないし嫌いでもない」んですよ。その場合、作品背景を知ると良いんです。

山:多くの作品は、特に現代美術は背景はすぐには見えないよね。そうすると、その背景を知ろうとする人にしか見えてこないんだけど、そんなんでいいもんかね。

武:ジョン・ケージじゃないけど作品自体「空」でもいいってのがあるからね。

山:「空」です、って言われて納得出来る為には「空」で作品が成立することになった物語を知らないと納得出来ない訳でしょ。なので、普通見えないやん。そんなんでいいのかなあ? と。

武:背景の可視化って必要なんだろうね。或いは作品の物語を知りたくなるような仕掛けとか。

山:そんな気もするが。

●偶然事変

武:今回はクワクボさんのアーティスト・トークを聞いたわけですけど、よかったです。展示されてた作品は照明で自分の影が映るインスタレーション。これ、説明書きと作品だとなんだかよく分からなかったんです。トークを聞いたことによって作品がとても面白く思えた。

山:やっぱり話を聞くと全然違うんやね。印象も理解も。

武:理想はさ、その話を聞かなくても興奮させる作品、だと思うよ。というか、クワクボさんの作品について言うと、川口の作品よりも世界を巡業してる汽車の作品の方がいいなあと思った。

『The Tenth Sentiment / 10番目の感傷(点・線・面)』
<
>

なんでかというと作品から「物語性」を感じるから背景の説明が要らなくなるんですよね。というか、これ好きだわぁ。めっさ好みw

山:となると、背景の説明は観る側にはさほど重要じゃない、てことやんな。作品の出来で魅せれればそれでええと。当たり前か、簡単なことじゃないけど。

武:自分は作品作ってるからアーティスト・トーク聞いてすんごく興味深かった。「ああ、みんな同じようなこと考えてるんだなあ」って。

だからきっと今回の川口アトリアの作品は、汽車の作品に比べたら何かが「弱い」んでしょうね。汽車の作品からは作家の考え方や感性が余すことなく視覚化・作品化されて表出してる感じするんですよ。

山:偶然的なことなんかも知れないけどね。作り手もそんな表出の仕方に出会うこと自体が「日常事変」でしょ。

武:「偶然表出できた」って結構重要だよね。アーティストじゃなくても。結局、仕事がうまく行ってるのは何か? と問われると、「たまたま」がすごく決定的だったりするじゃないですか。

山:偶然の要素がなければ、なんでもあまりうまくはいかないんかもね。こちらで決定出来ることは、すごく少ないような気もする。ただ少ないとしても自分でなんか決めないとしょうがないんでしょうけど。

武:日常って奇跡の連続とも言えるってことだよね。そうすると「何気ない日常」ってなんなのか? 「何気ない日常」の方がフィクションなんじゃないのか? とも思えてくるから不思議だw

山:起こること全てを平然と受け止められたら「何気なく」なるんやろな。無理やけど。

武:最初は「日常事変」って、「日常≠事変」だったけど、徐々に「日常≒事変」になって最後は「日常=事変」て感じになったな。

山:じゃあやっぱり美術、現代美術の話し関係ないやん。

武:ひょっとしたらね。もうそういう括り要らないのかも。

【日常事変/川口市立アートギャラリー・アトリア】
< http://www.atlia.jp/exhibition/
>
会期:2015年3月14日(土)〜5月10日(日)
時間:10:00〜18:00(土曜日は20:00まで開館、入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(5月4日(月祝)は開館、7日(木)休館)

観覧料:300円 高校生以下無料 65歳以上の方・20名以上の団体・障害者手帳のお持ちの方と介添1名は半額(要証明書等)
出品者:川崎義博(サウンドアーティスト/デザイナー)、中崎透(アーティスト)、クワクボリョウタ(アーティスト)

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/日情事篇】

ガブリエルガブリエラ2015年・春のコレクション
『ガブリエラのおまじない ─ トゥクル ティクル ポロン ─』27日迄!
代官山アートラッシュにて。ぜひ観に来てね!
< http://gabrielgabriela-jp.blogspot.jp/2015/03/blog-post.html
>

蓮田村に新規オープンする cafe muni さんで OneWallOneArt 第二弾として展示します!
< https://www.facebook.com/pages/One-Wall-One-Art-Project-produced-by-TeamUttoco/810666848970016
>
埼玉県蓮田市「清龍酒造」のすぐ近く!
イベント「cafe muni@蓮田村 オープニングマルシェ」
5月6日(水)10:00〜15:00
< https://www.facebook.com/events/796002687162543/
>

ROSE&ROSE〜お花と雑貨のマーケット〜
伊奈にあるstudio ROSEさんのマルシェに参加します!
5月29日(金)〜5月31日(日)
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13月世の物語 ガブリエルガブリエラ
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【山根康弘(やまね やすひろ)/造反と共存する】
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