もじもじトーク[20]母のデータベースは偉大だった/関口浩之

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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。今年の5月は真夏ですねー。でも湿度が高くないので過ごしやすいかな......。。

さて、前回のメルマガ配信の日、おふくろを天国に見送るために帰省中でした。メルマガお休みしようか正直迷ったのですが、そのときに感じていたことを書かせていただきました。

おかげさまで無事おふくろを見送ることができました。母が亡くなってから三週間が経ち、落ち着いてきました。たくさんの方からお気づかいいただきありがとうごさいました。

哀しいことですが、身近な人との別れはいつか必ずやってきます。

こんなときでないと書けないので、葬儀屋さんや住職から教えてもらったことを書きとどめておきたいと思います。

その地域の慣習などにより形式や考え方はまちまちですので、実例のひとつと思って聞いてください。




●突然の別れがあっても......

病院で亡くなった場合、なるべく早めに病院から出されることが多いようです。母は深夜に亡くなったのですが、その4時間後の明け方に葬儀社が手配した寝台車で自宅に戻ったと聞きました。

急な不幸の場合、病院で心の整理をしている余裕がないですね。だけど、故人のためにも家族は立ち止まっているわけにはいかないのです。

医師による死亡告知がされたあと、看護師により医療行為としての死後措置をした後、全身をアルコールまたはお湯で拭いてもらうことが一般的のようです。本来の湯灌の儀と解釈することもあるようです。

病院ではそこまでです。措置室の近くには葬儀社の一覧表が置いてありました。病院にしばらく居られると思っていたのですが、すみやかに自宅に戻るか、葬儀社の霊安室などに移動するが一般的のようです。

病院と提携している(というか出入りしている)葬儀社から「寝台車ご用意しましょうか」「葬儀はお決まりですか?」と声を掛けられるケースも多いようです。

冷静でいられる状況でない中、高額請求してくる葬儀社もあるので注意したほうがよさそうです。

家に戻ると、葬儀社の方が母をドライアイスを使って布団に安置してくれました。お化粧などもすべてやってもらいました。

残された家族が心やすらかになるには時間が掛りますので、自宅に戻ってから二日ぐらい一緒にいる時間があったほうがいいと思いました。心を整理する時間もできると思います。

とはいえ、親戚知人への連絡、葬儀社と打ち合わせなど矢継ぎ早にやることがあり、心を整理する時間はないですが...。

●納棺の儀

納棺の儀は実家の自宅でおこないました。家族・親戚みんなでおくりことばを書いた「おくりたたみ」という厚さ数cmの畳を柩の中に敷いてあげました。

昔の風習である「最後は畳の上で」という故人への思いやりを形にしているようです。

そして、旅支度をしてあげました。
・手に「手甲」(てこう)
・足に「脚絆」(きゃはん)
・さらに「白足袋」と「わらじ」
・頭の上に「網傘」

家族みんなで旅の準備をしてあげました。十字結びで解けないようしっかり結ぶことが大事です。旅の途中で解けないために。

そして、
・頭陀袋(ずだぶくろ)
・頭巾(三角形の白い布)
・生前にお気にだった品々

これらも柩に入れました。三途の川の渡り賃として頭陀袋に小銭も入れました。頭巾は頭につけずに(生前のままの姿のほうが見た目がよい)、頭の周辺に置くのが最近では一般的のようです。

●通夜と葬儀と告別式

お通夜は、本来、故人の霊が極楽浄土に無事に行けるよう住職にお経をあげてもらい、家族で一晩故人を見守る行事だと聞きました。

葬儀および告別式は通常、日中なので仕事の都合上、お通夜のみに参列するケースが増えているようですね。

実家の菩提寺住職からは「形式にこだわらず、残された家族が心おだやかになるためにも、故人に寄り添ってあげることが大切。ずっと起きてる必要はなく(次の日、体が持たない)、柩の近くで一晩一緒にいるだけで心通じますよ」とおっしゃっていたのが心に残りました。

兄と僕は二十畳ぐらいの和部屋(昼間は親族控え室として使用)でおふくろの柩の近くに布団を敷いて一緒に一晩過ごしました。ほとんど寝られなかったけど、別れの心の準備は少しできたと思います。

葬儀と告別式ですが、本来、葬儀が宗教的な行事で、告別式は生前親しかった一般の方々を含めたお別れ会になります。

お別れ会(告別式)といっても、住職がお経あげながら親戚や友人からお焼香してもらうので、告別式も宗教的な儀式に思えてしまいます......。

告別式に続き、初七日法要もとりおこないました。あわただしかったです。

初七日法要の後に出棺の儀になりますが、その前に、最期のお別れの儀式として、お花をみんなで柩に献花しました。この儀式が本当の意味のお別れ会だと思いました。

貴金属類は火葬で残ってしまうので遠慮するよう言われましたので、生前好きだった食べ物、着物や趣味の品などもいっしょに入れました。

これが最期の対面だと思うと哀しくなります......。

そのあと、親族と火葬場に向いました。うちの葬儀社では火葬場でも最期のお別れの対面をさせてもらいました。たくさん泣いたけど、笑顔と感謝の気持ちいっぱいで送り出すことができました。

●初七日から七十七日(四十九日)法要

死後四十九日間は、故人にとって極楽浄土へ旅立つための大切な期間だそうです。

住職が「閻魔大王の最終の裁きがあるので、それまでの旅の道程の間、家族で応援してあげてください」と言ってました。

えっ、生前の行いが良くてもすぐに極楽浄土に行けないの? 亡くなってからも四十九日間修行しないといけないの? 死後七日ごとに極楽浄土に行けるかどうかの裁判があるの? と思ってしまいました。

このような言い伝えがあるのは、残された家族が時間をかけて心おだやかになるための慣習なのだと思いました。

住職から「家族の応援が一番心強いけど、この期間、満中陰(四十九日)までの間、不動明王から薬師如来まで七人の仏様が故人の魂をサポートしてくれてますから安心して応援してください」とのお話もありました。

四十九日法要(お棚上げ)が終わるまでは、「白木位牌」をお骨と一緒に祭壇に飾ります。仮の位牌です。四十九日法要の日に納骨し、弔明けになると「塗位牌」(本位牌)を仏壇に飾ることになります。

東京に戻る際に住職から戒名が書かれ紙のお札をいただきました。住職に聞いたら「親元離れるでしょうから、東京でこのお札を飾ってお水を毎日替えたり好きだった食べ物をお供えして、四十九日まで応援してあげてくださいね」と教えてもらいました。

毎日、東京から母を応援しています! ある意味、楽しい日課であり、生前に言葉にあまりできなかった感謝の気持ちを今伝えているのかもしれません。

三年半前に父が亡くなった時にも同じことをしました。今回、菩提寺住職からいろいろ教えてもらったのがありがたかったです。

住職曰く「形式的なことよりも、故人や残された家族がお互いに感謝して、心やすらかに過ごすことが一番」と言ってました。

●知恵袋がいなくなってしまった

父が亡くなった際、葬儀社に全体を仕切ってもらいましたが、昔ながらの慣習を熟知した母が知恵袋になり、影の葬祭ディレクターをしていました。

そんな知恵袋がいなくなってしまったので、もろもろ一段落したあと、兄と一致した感想は「母は偉大なるデータベースだったね...」ということでした。

母の人脈データベースはとにかくすごかった。遠い親戚を含めれば百人以上の情報が頭の中に入ってました。

また、近所の誰さん家の誰さんが最近子供が生まれたとか、数百人の情報が頭の中に入っているのです。

どうやら、おふくろは仲人を六十組ぐらいしたらしい......! いわゆる、仲人おばさんである。聞いた話ではこんなことだったようです。

・婚期が遅れている人のための駆け込み寺だった。

・写真と経歴書を持参して「いい人いない?」と相談されると、頭の中のデータベースから「この子がいいんじゃない」とインスピレーションが働くらしい。

・お見合いはホテルじゃなくて、我が家の茶の間でおこなう。

・母はモデレーター役として、場を和ませるため、笑いを誘う世間話をする。

・早々に「そろそろ二人で食事かドライブでも行ってくれば〜」と軽い乗りで送り出しちゃう。

・デートから帰ってきたら女性のほうからさりげなくフィードバックもらう。
(年は離れていても女性同士は話しやすいようです)

・深入りせず、マッチングだけして、あとは本人同士に任せる。

・ときどき、女性のほうをフォローアップする。

こんなスタイルだったようです。

結婚式の仲人をするというよりも(どうしてもと頼まれたら時々やっていたらしいが)、マッチング支援するのがライフワークだったようです。

パソコンもなければ台帳もない状態で(写真と名前と経歴書は保管してたと思いますが)、非常に高い成約率だったようです。

●葬儀ディレクターという仕事

三年半前に父が亡くなったときに、親身になって段取りしていただいた葬儀社に今回もお願いしました。

今回の担当者は女性の方で、父のときにはアシスタントをやっていた方でした。名刺には「葬祭ディレクター」と書いてありました!

そうです! 山村美紗サスペンス「赤い霊柩車シリーズ」に出てくる大村崑さんが演じている一級葬祭ディレクターです。

その方に「葬祭ディレクターには一級とか二級とかあるんですか?」と聞いてみたら実際にあるそうです。

その方は遺族に対する心づかいといい、全体のディレクションといい、素晴らしい葬祭ディレクターでした。地域地域のさまざまな慣習もしっかりと理解してました。

田舎かつ農家のお葬式は、何かと古いしきたりを重んじるので、僕ら遺族が困った顔をしていると、それを察して寄り添うようにアドバイスしていただきました。

ここ四年で六十件の葬儀を取り仕切ってきた経験値も凄いですが、約一週間、僕ら遺族に寄り添って相談役になっていただいたことは本当にありがたかったです。

ビジネスとはいえ、なかなかできることではありません。なかには相続争いで遺族が不仲であったり、サスペンス劇場にででくるような事件もあったりしたそうです。

最近は田舎でも遺族の負担が少ない家族葬が増えてきたとか、葬儀はその地域の慣習にしたがう必要があるので、地域密着型でないとうまくいかないと、その方が言ってました。

●6月はイベント月間

ゴールデンウィーク明けにおふくろが亡くなったので、あっという間に過ぎた5月でした。

急なことではあったけれど、こうやって文章に書けるってことは、心もおだやかになってきた証拠だと思います。

6月はいま決まっているセミナーイベントだけでも三つあります。

・MTDDC 東北 6月6日(土)
< http://mtddc2015.mt-tohoku.net/speaker/#speaker06 >

・FontLovers #2 6月12日(金)
< http://fontlovers.connpass.com/event/14866/ >

・WDF 金沢 6月13日(土)
< http://wdf.jp/ >

いまから楽しみです。準備をしっかりやってセミナーにのぞみます!!

それらが終わったあとに、おふくろの四十九日法要で帰省し、もう一度たくさん感謝しておやじのいるお墓に送りとどけてあげようと思います。

次回は「街もじ」のお話を予定しています。


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/ >

1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。