[3922] 私の履歴書:エンジニアとしての始まり

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《何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない》

■装飾山イバラ道[157]
 アメアイの終わりを感じて
 武田瑛夢

■Take IT Easy![55]
 私の履歴書:エンジニアとしての始まり
 若林健一 / kwaka1208

■ところのほんとのところ[114]
 展覧会の準備と写真集の制作と
 所 幸則 Tokoro Yukinori




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■装飾山イバラ道[157]
アメアイの終わりを感じて

武田瑛夢
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20150609140300.html >
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アメリカン・アイドルのシーズン14もフィナーレの放送が済み、優勝はニックだった。決勝まで残っていたクラークは中盤までは確実に優勝候補だったと思うけれど、途中スコット先生(レコード会社のえらい人)と方向性についてモメてしまったのがいけなかった。

マズイーと思ったファンも多いと思う。自分のポリシーを貫く姿勢は立派だったのだけれど、なんとなく堅物という印象を視聴者に与えてしまったのではないかと思う。

クラークは歌は抜群にうまいけれど、ヒットを飛ばせる人なのかをレコード会社と番組に信じさせる力が弱かったような気がする。そんなところにニックがどんどん本気を出して、抜群のパフォーマンスをみせていたから、最後にシーソーがニック側にグイっと傾いたような感じだった。ニック優勝おめでとう。

シーズン11の優勝者フィリップ・フィリップスも、売り出し方について、現在アメリカン・アイドルの番組プロデューサーと制作会社を相手に訴訟になっているそうだ。自分のやりたい方向性の音楽ができないというのは、アーティストにとって自分の道を歩いていないということなんだろう。

フィリップの優勝したシーズン11の録画は未だに消せずたまに見ているし、キラキラした優勝シーンは忘れられない。だから今になってケンカはとても残念だ。フィリップ・フィリップスは今年日本デビューもするらしいし、早くカタがついて元気な姿を見せて欲しい。

来年はアメリカン・アイドルも最終シーズンを迎えるそうだから、それまでに良い方向で決着がついて、ファイナルシーズンの本当のファイナルでパフォーマンスが見られるといいな。ここ最近のアメリカン・アイドル出身者の中では確実に活躍している人なのだから。

●番組の低迷

アメリカン・アイドルは全盛期の頃に比べると視聴率は落ちていたし、最近は類似の番組へ全部持って行かれている雰囲気だった。英会話学校でアメリカ人に聞いても、今も見ているという人はほとんどいなかった感じだ。

アメリカにおけるリアリティショーの形を作る役割を終えて、同じスタイルで続けていく意味がなくなったのだろうと思う。

会場を見てもティーンのファンが多い感じだった。ファイナルに大御所の歌手が出て来るのはいつものことだけれど、昔の紅白における演歌の時間帯みたいなものだ。

目の前の若い子たちを放っておいて、生まれる前くらいのヒット曲を歌う。テレビの前のファンに往年の大スターの久しぶりの姿を見せるのだ。日本の紅白のように、しらけてしまう層が出て来るのもしょうがない。

こんなにこの番組が好きな私でさえ、終わりが来るのも必然だと思えるポイントはいくつもあるのに気づく。

この番組の骨組みは、番組が残したい人を選ぶ前半と、アメリカが残したい人を選ぶ後半(投票)で成り立っているはずである。でも最近は、後半にも番組の意向が大きく影響し、いい子ちゃんが残る要素が強いように思えるのだ。莫大な予算をかけて作る番組の看板娘、看板息子なんだからしょうがないかもしれないけれど。

●それでも私が見る理由

私はアメリカン・アイドルのシーズン6から見ているけれど、歌が好きという以上に、審査員のコメントに学ぶ点も多かったのもその理由だ。

審査員の目の前で歌を歌った人にかける言葉に、なかなか嘘はつけない。良い部分と直した方がいい部分を考えながら伝えるのは、どんな先生でも同じ苦労だと思う。

でも、審査員を感動させるレベルまでいっている人については、何も頭を使うことなく心から褒めればいい。お互い嬉しい同士の言葉の掛け合いになる。そういう瞬間は本当に素晴らしいので、いいもの見た感がすごいあるのだ。

番組としてもそういった名場面がいつ来るか予想ができないのが、リアリティ番組の難しいところかもしれない。

私は自分でも感動して泣くことがあるけれど、番組内で見る涙もやっぱりいい。人前で歌って生きて来た人もいれば、人前で歌う勇気がなかった人もいる。そんな人が審査員の前で歌って、褒められて泣いていたりするとなんてかわいいものかと思う。

昔々の審査員、ポーラ・アブドゥルやジェニファー・ロペスなどの優しい人の涙も良いけれど、怖い方の審査員サイモンの、鬼の目に涙がたまに見られたのも良かった。厳しいことをいう人の涙って、どんなに目の奥であろうと光って見えちゃうのだ。

たぶん本当に番組が終わる来年にも、昔を振り返って考えると思うけれど、楽しみな番組が終わるのはいつもさみしいものだ。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
< http://www.eimu.com/ >

錦織選手の全仏オープンテニスの試合は、久しぶりに白熱して見てしまった。観客のほとんどはフランスのツォンガ選手の応援という状況。それはクラッシュ・オブ・クランで言うところの、ヒーラーを背後につけたジャイアント「ジャイヒー」の状態に見えた。

もうジャイアントにしか見えないツォンガ選手は、観客の声援がかかるたびにファンファンと光り輝き、無敵状態だったのだ。

錦織選手は第一、第二セットの調子が悪くて、はっきりとミスと見て取れるシーンが多かったし、相手のツォンガ選手の弾丸のようなサーブと周囲の応援の雰囲気ですっかり飲み込まれてしまっているかに見えた。

それが観客席に看板が落ちるトラブルで発生した休憩時間により、錦織選手は急に自分を取り戻したようなプレーを見せ始めた。

錦織選手のあったまるのに時間がかかるところは、クラッシュ・オブ・クランで言うならウィザードのよう。体格は小さいけれどスタミナがあって攻撃のバランスが取れているのも似てる。

ジャイヒーの戦法も完璧な訳ではないし、ウィザードの良さで押し切ることもできたかに見えた。でも結果は惜しくも負けてしまった。残念。(テニスをゲームで説明してすみません)


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■Take IT Easy![55]
私の履歴書:エンジニアとしての始まり

若林健一 / kwaka1208
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こんにちは、若林です。よく「若林さんって何してる人なんですか?」「謎なところが多いですよね」と言われます。

確かに実際に会う方にも「エンジニアです」と自己紹介はするものの、どんなことをやってるとか、何が得意といった具体的な話をすることはありませんし、いわゆる「エンジニア」っぽくない部分もあって、皆さんに不思議がられます。

そんなわけで、今回から三回に分けて、私自身の経歴について書いてみたいと思います。不思議に思っていらした方はおつきあいください。

●シャープ株式会社入社

私は、工業高校を卒業して1986年にシャープ株式会社に入社しました。就職先としてシャープを選んだわけは、自分がMZ-2000ユーザーだったことと、家を出たかったけれど関西を離れたくなかったので、奈良でPCの生産をやっているシャープが適当だった、といいかなりいい加減な理由でした。

大阪の学校でしたので、Panasonic(当時は、松下電器産業)に就職する同級生も多く、希望を出せば松下へ就職することも難しくなかったのですが、とにかく自宅を出たかったことと、周りに松下で働いている人が多くて一緒になるのが嫌だったという理由でシャープを選択しました。

まだバブルが弾ける前だったので、一介の高校生でもそんな簡単に就職先が選べたのですね、今思えば幸せな時代です。

貧乏な家に生まれ育ちましたので、中学の頃から大学進学など考えもせず工業高校を選択し、卒業したら働くつもりでした。

自分でいうのもおこがましいですが、中学の頃から自分なりにライフプランを持っていたというのは、なかなか立派なやつだったなと思います。

とはいえ、世間のことは何もわからない高校生でしたので、募集職種にあった「技能」と「技術」の違いもよくわからず、「技術」の方がいいらしいと聞いたという安直な理由で、現在に至る大きな選択を行いました。

●レジスタ部門に配属

入社して、新入社員研修を経て配属された先が、POSやレジスタを開発している事業部の技術部門ソフトウェア開発担当でした。

プログラムを作るということは高校時代からやっていたものの、「メーカーで働く=ハードウェアを作る」というイメージしかなかったので、仕事としてプログラムを作ることになるとは全く想像だにせず。

また、シャープのパソコンに憧れて入社したのですが、配属先が「スーパーのレジ」を作っている部門ということで、高校を出たばかりの自分はとてもがっかりし、パソコン部門に配属された同期が羨ましくて仕方がありませんでした。

やっぱり、まだまだ子どもだったのですね

●五年間の下積み時代

ソフトウェア担当とはいっても、最初からプログラムをやらせてもらっていたわけではありません。

一番最初の仕事は、ICE(インサーキットエミュレータ:ソフトウェアの実行を自由に制御できる機械)が繋がれたレジスタで、市場で発生しているトラブルの再現オペレーション。

同じ操作をずっと繰り返して、ブレーク(あらかじめ設定しておいた条件でプログラムが一時停止すること)したら担当の方を呼びに行く、そんな簡単なお仕事からスタートしました。

それ以外にも、ドキュメント作成やプログラムの評価など、開発アシスタント
的な業務がメイン。

ドキュメント作成といっても、自分で考えてつくるのではなく、元々の資料や仕様書に手書きのコメントがついたものを渡されて、それをワープロで清書していく作業です(ちょうどビジネスワープロ専用機が出はじめた頃です)。

評価も評価担当の女性社員が作った評価シートの内容をこなしていくことが主な仕事でした。

せっかくソフトウェア開発部門にいるのに、そんな作業ばかりじゃ嫌だ、プログラムを書きたい! と訴え続けた結果、入社から五年経っていよいよ既存機種のマイナーチェンジを担当させてもらうことになりました。

当時は嫌だったこれらの仕事も、今思えばとても貴重なものだったと感じています。例えば、評価作業を通じてソフトウェアにどんな不具合が発生するのか、その原因にはどんなものがあるのかを知ることができました。

最近の若いエンジニアはプログラムを評価する経験が少なく、これをしっかりやればもっと品質に対する意識が高まるのになぁと感じています。

●エンジニアとしてのすべての経験はここに

実際にソフトウェアの開発を担当させてもらえるようになってからは、多くのことを経験しました。最初は、マイナーチェンジで既存機種のプログラム変更だけでしたが、そのうち新機種の立ち上げにも関わりました。

言語や環境も様々で、8bit CPUのアセンブラ、4bit 1chipマイコン(制御部分とROMとRAMが一体化したもの)でのアセンブラ開発に始まり、その後はC言語での開発がメインになりました。Intelの486上で動作する通信ミドルウェアのアセンブラでの開発にも携わりました。

開発対象は、機器組み込みの業務アプリケーション、ミドルウェア、通信処理、ユーザーインターフェース、からPC側ホストアプリケーション。

この期間に開発したもので、印象に残っているのは通信やユーザーインターフェースのミドルウェアです。

アプリケーションの開発も面白いのですが、アプリケーションの開発が円滑になるように考えて、役割分担を考えながらインターフェースを設計していく過程がとても楽しく、それは今の自分のコアのひとつになりました。

開発環境は、VAX-11、MS-DOS(IBM PC/AT互換機)、Windowsと移り変わっていきます。

VAX-11の時代には、一回のビルドに時間がかかりましたし、ビルドしたものをROMに焼くまでのデータフォーマット変換のために、複数の機器を経由しなければならず手間がかかっていましたので、ひとつひとつの作業が慎重でした。ちょっとした失敗が大きな時間のロスを生むのです。

今のように、ちょっとした修正でもソースを変更してビルドするのではなく、場合によってはバイナリパッチ(ソースパッチではありません)を使うことも多々ありました。

今となっては隔世の感がありますが、そんな不便な時代を過ごしていたから、今の良さがわかるものです。

ちなみに、不便な時代も悪いことばかりではありませんでした。一度ビルドをスタートすると時間がかかりますから、みんなで休憩コーナーにいってコーヒー飲みながら雑談していたものです。

こういった時間も、今はすっかりなくなってしまって、一部の喫煙者だけのものになってしまいました。

POS/レジスタ事業部門の在籍期間には、開発業務以外に部内LANの構築、部門内サーバー、インターネットサーバー、インターネット接続環境の整備など、開発環境の構築にも取り組み、今の私が「エンジニアである」と言えることを、すべてこの期間に経験しました。

●ビジネスのアイデアが詰まったPOS/レジスタ事業

配属当初こそは、がっかりしたPOS/レジスタ事業でしたが、実際に仕事をしてみると面白い業界でした。

私は海外の担当で、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、ドイツ、フランス、台湾、その他多くの国の機種を担当し、それぞれの国の税制、通貨事情、商習慣、生活習慣などを知ることができました。

例えば、ひとついくらだけど三つ買うと安くなるとか、ひとつ無料になるといった販売方法は、元は欧米でメジャーな販売方法だったものです。

現地人の生活習慣がわからずに要求仕様の背景の理解が進まなかった、ということもありましたが、色んな国の文化に触れられるというのは、とても刺激的な経験でした。

POS/レジスタというと、売り上げを管理するための機械であるというイメージかもしれませんが、販売方法を支援する機械でもあり、商品の販売方法を新しい機能として搭載することで、新しい商習慣を作り出すことができる面白い分野だと思っています。まだまだ新しいアイデアを出す余地がありそうです。

次週に続きます。


【若林健一 / kwaka1208】 kwaka1208@pote2.net
crossroads
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CoderDojo奈良
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■ところのほんとのところ[114]
展覧会の準備と写真集の制作と

所 幸則 Tokoro Yukinori
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20150609140100.html >
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●「PARADOX─TIME アインシュタイン・ロマンスをめぐる冒険─所幸則写真展」

7月1日から開催される大型個展「PARADOX ─TIME アインシュタイン・ロマンスをめぐる冒険─ 所幸則写真展」(ESPACE KUU 空 大正大学 五号館1F)。テーマは1セコンド〜アインシュタインロマンへの流れです。詳しくは次回。キュレーターの太田菜穂子さんにはこのように書いてもらいました。

|Curator Statement|
都市の時間、現代における時間への考察へのお誘い

過去から未来に向かって流れ続ける時間、私たち人類はその時間の運動の中で、一瞬たりとも休むことなく、ひたすら“その先へ”と突き動かされて生きてきました。

それは千年前の百年前も同じこと、ただ21世紀が過去の時代のどれとも圧倒的に違うのは、その場に存在している時間への認識が恐ろしいほど希薄になってしまったことです。

現代人の多くは、SNSの過激なまでの急速な進歩の波の中、目の前よりも他の何処かの時間に関わることに大いなる神経を使わされています。

一体、私たちは何に急かされ、“今、ここで生きる”という唯一の確かな時間との関係性すら、放棄しようとしてしまったのでしょうか?

本展覧会は、人間の支配を超えたこの存在、「時間」について、写真を起点に多角的にその本質に迫ってみたいと考えました。

「時間」へのキーワードを整理し、テーマを投げかけるのは、所幸則。1秒間に3回のシャッターを切る「One Second」という手法で、都市における時間の姿を捉えた写真家です。

彼の問いかけにさまざまなジャンルのクリエイター、アーティストたちが応えるという展開で今回の展覧会は進行します。時間という制約、時間という空間、そこでどのように写真とアートが呼吸をするのかを、皆さんと共有したいと考えています。

写真家を起点とし、複数のクリエイター、アーティストを招いて展開する今回の試み、アーディエンスの反応がなによりも重要なポイントになるはずです。この挑戦にもっとも重要な役割を担う当事者として、どうぞご参加ください。心よりお待ち申し上げます。

【何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない】
アルベルト・アインシュタイン

●タブロイド誌の制作と写真集の造本と

この展覧会用にタブロイド誌を作ることになって、[ところ]はよろこんでいたのだけれども、いわゆる小さめの新聞で8P、内容を決めて埋めていかなきゃならない。

太田さんや僕の文章で1P、作品で2Pは埋まるとしても、写真ばっかじゃタブロイドとしてつまらないので、一緒にコラボレーションをする音楽家、ダンサー、舞台監督、渋谷を撮った時に世話になった建設会社の人、雑誌の編集長、建築家、絵描き、写真家、キュレーター、コレクター、そしてファンにも連絡のつく限りコメントを頼んでみました。

急なことだし、半分ぐらいは断られると思ったので50人くらいに出したら、断る人がいなくて、紙面を埋めつくつくさんばかりだ。編集者って大変だなあと、今更ながらにわかった[ところ]でした。

そして写真集も同時進行。蒼穹舎と詰めの話し合いをした結果、A4変形横長かB4変形横長で、100ページは軽く超える。B4で100ページ越えなら、今時なかなかない【奇書】みたいなものだといわれました。制作費も倍近くかかる。

だけど「アインシュタインロマン」は明らかに大きいほどいい。本屋にもあまり置かれないという可能性は高い。発行部数を半分にしてもA4の1.8倍はかかる。B4の変形横の写真集は手製本で一冊1500円〜1800円もかかるのだそうだ。

なんとか、ここからファンディングが伸びて欲しい。B4で出さないと……記憶に残る本にしたいです。よろしくお願いします。
< https://greenfunding.jp/lab/projects/1083 >

今日、明日と写真集用のデータの仕上げをしないといけない。[ところ]が倒れないように応援してください。

ちなみに超大型プリントによる展覧会もはじまります。二度と見れないサイズだと思います。ぜひ来てください。

●超大型プリントによる展覧会 所幸則「アインシュタインロマン」

〈H.P.FRANCE WINDOW GALLERY MARUNOUCHIより、所幸則「アインシュタインロマン」の開催をご案内申し上げます。走行中の新幹線の車窓からシャッターを切り、流れゆく風景をカメラに収める所幸則。

切り取られる一瞬の中で、被写体となる物は容易に形を変え、日常では感じ得ない“危うさ”を画面に漂わせます。緊張を孕んだ静謐な世界観を、この機会にぜひご高覧ください。〉

会期:6月19日(金)〜7月30日(木)11:00〜21:00 日祝11:00〜20:00
会場:H.P.FRANCE BIJOUX
東京都千代田区丸の内2-4-1 丸の内ビルディング 1F

〈これは僕が少年の頃からのスーパースターであるアインシュタインの特殊相対性理論へのオマージュである。僕が生きている間には光に近い速度で地上を走りながら写真を撮る事はとても不可能だろう。せめてもの可愛い挑戦として300Kmで走る新幹線から撮る事で、一部の人には伝わるかもしれないというささやかな試みである。所幸則〉

オープニングレセプション:6月19日(金)19:00〜21:00
大口俊輔(音楽家)と樋笠理子(バレエダンサー)によるイベント

【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >


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編集後記(06/09)

●山本弘「ニセ科学を10倍楽しむ本」は、正しい科学の考え方を会話形式で楽しく学べる科学リテラシー入門の書である。ニセ科学や陰謀論が好きなわたしだが、あやうく信じかけたことが明快にバッサリ斬られると、すごくうれしい、少し残念。「血液型性格判断」は出会ったときから信用していなかったが、世の中にはこんな愚かな説にはまり込んだ人が、けっこういるのが驚きだ。冗談のネタならいいが、マジで血液型と性格の話をされるのはすごくいやだ。勝手に人の性格を決めつけるな。A型のわたしは、周囲の人に気を配る、ルールを守る、何か役に立つことに生きがいを感じている、という性格なんだそうだ。

えっ、誰でもそうじゃないか。このように、誰にでもあてはまるような曖昧なことをいわれると、自分のことを正確に言い当てられたように錯覚してしまうことを「バナーム効果」という。血液型性格判断が当たっているように見えるのも、バナーム効果のせいだ。血液型性格判断の本はたくさん出ているし、大勢の日本人は信じていて、間違っているならとっくに訂正されているはずだから、間違っているわけがない、と力説する支持者もいる。間違ってはいないのだ。誰にでもあてはまっちゃうんだ。二面性がある、気分がコロコロ変わる、ドライでいやみ、ってのがAB型だそうだ。A型のわたしもそんな性格だよ。

戦前にも血液型ブームがあったが、日本法医学会総会で正式に否定された。再び注目されるようになったのは、1971年に元放送作家で雑誌の編集者・能見正比古が書いた「血液型でわかる相性」(青春出版社)が30万部超のベストセラーになり、その後も20年以上も売れ続けて2001年までに146万部に達したからだ。血液型と性格の関係を調査した学者は何人もいて、関連性は完全に否定されている。本の内容はまるごと能見の想像のカタマリだった。海外でこの研究をしている人はほとんどいない。実際、欧米人で自分の血液型を知らない人が多いらしい。血液型をこんなに気にするのは日本人だけだ。

気の毒なのがAB型で、信用できないとか結婚したくないといわれれる。そこまでいうか。いやな気持ちになったり傷ついたりする。差別ではないか。いまはやりのヘイトスピーチだよ。「こんな科学技術の進歩した日本で、こんなあからさまなニセ科学がはびこっていて、大人から子供まで信じているなんてなげかわしいことだ」と筆者。娘:タバコの嫌煙権みたいに、「嫌血液型権」をうったえるのもいいかもね。「血液型の話は、わたしに聞こえないところでしてください」って。父:「本人は楽しいけど、まわりの人は迷惑」「のめりこむと害がある」というところがタバコに似ているね……いいオチだ。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480432531/dgcrcom-22/ >
山本弘「ニセ科学を10倍楽しむ本」


●マラソン続き。受付やゴール、EXPOはナゴヤドーム。混雑していて地下鉄から入口まで10分はかかったよ。地図だと近そうだったのになぁ。大会の案内板を見るだけで緊張する。一ヶ月前に案内とナンバーカード引換証が届いていたので、案内に従い受付場所へ。

受付は5Fスタンド観客席入口横に、ナンバーカードによって分かれて設けられていた。案内に従って進むと引換証と身分証明書のチェック係がいて、「あっ、○○○(区)の人ですね」と笑顔で迎えてくれた。

「僕も大阪なんです。○○(駅名)です。」「うわー、大阪からボランティアで参加されているんですか。」「はい。大阪の参加者結構いますよ。」などと会話をしてくれて、ほっとしたのを覚えている。

統計を見ると、愛知が6,847人でトップ。東京2,186人、大阪1,408人と続く。海外からは1,456人だ。東海3県で47%、関東24%、近畿16%、中部5%。年齢別だと40代33%、30代30%、29歳以下18%、50代16%、60歳以上が3%。

身分証明書は健康保険証、パスポート、住民票のみ。運転免許証は性別の確認ができないので不可とのこと。そうだ、これは女性だけのマラソンだった。

ナンバーカード、プログラム、手荷物袋、化粧品サンプルの入ったメナードのエコバッグをもらい、受付終了。続く。 (hammer.mule)

< http://kedama.3rin.net/womens/2015030602 >
洗剤の試供品とペーパークラフトもあった。そうだった。シティマラソン参加者にも配られていたみたいで、メナードバッグを持った人たちだらけ。