Take IT Easy![60]私の履歴書:エンジニアとしての始まり/若林健一 / kwaka1208

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こんにちは、若林です。よく「若林さんって何してる人なんですか?」「謎なところが多いですよね」と言われます。

確かに実際に会う方にも「エンジニアです」と自己紹介はするものの、どんなことをやってるとか、何が得意といった具体的な話をすることはありませんし、いわゆる「エンジニア」っぽくない部分もあって、皆さんに不思議がられます。

そんなわけで、今回から三回に分けて、私自身の経歴について書いてみたいと思います。不思議に思っていらした方はおつきあいください。




●シャープ株式会社入社

私は、工業高校を卒業して1986年にシャープ株式会社に入社しました。就職先としてシャープを選んだわけは、自分がMZ-2000ユーザーだったことと、家を出たかったけれど関西を離れたくなかったので、奈良でPCの生産をやっているシャープが適当だった、といいかなりいい加減な理由でした。

大阪の学校でしたので、Panasonic(当時は、松下電器産業)に就職する同級生も多く、希望を出せば松下へ就職することも難しくなかったのですが、とにかく自宅を出たかったことと、周りに松下で働いている人が多くて一緒になるのが嫌だったという理由でシャープを選択しました。

まだバブルが弾ける前だったので、一介の高校生でもそんな簡単に就職先が選べたのですね、今思えば幸せな時代です。

貧乏な家に生まれ育ちましたので、中学の頃から大学進学など考えもせず工業高校を選択し、卒業したら働くつもりでした。

自分でいうのもおこがましいですが、中学の頃から自分なりにライフプランを持っていたというのは、なかなか立派なやつだったなと思います。

とはいえ、世間のことは何もわからない高校生でしたので、募集職種にあった「技能」と「技術」の違いもよくわからず、「技術」の方がいいらしいと聞いたという安直な理由で、現在に至る大きな選択を行いました。

●レジスタ部門に配属

入社して、新入社員研修を経て配属された先が、POSやレジスタを開発している事業部の技術部門ソフトウェア開発担当でした。

プログラムを作るということは高校時代からやっていたものの、「メーカーで働く=ハードウェアを作る」というイメージしかなかったので、仕事としてプログラムを作ることになるとは全く想像だにせず。

また、シャープのパソコンに憧れて入社したのですが、配属先が「スーパーのレジ」を作っている部門ということで、高校を出たばかりの自分はとてもがっかりし、パソコン部門に配属された同期が羨ましくて仕方がありませんでした。

やっぱり、まだまだ子どもだったのですね

●五年間の下積み時代

ソフトウェア担当とはいっても、最初からプログラムをやらせてもらっていたわけではありません。

一番最初の仕事は、ICE(インサーキットエミュレータ:ソフトウェアの実行を自由に制御できる機械)が繋がれたレジスタで、市場で発生しているトラブルの再現オペレーション。

同じ操作をずっと繰り返して、ブレーク(あらかじめ設定しておいた条件でプログラムが一時停止すること)したら担当の方を呼びに行く、そんな簡単なお仕事からスタートしました。

それ以外にも、ドキュメント作成やプログラムの評価など、開発アシスタント
的な業務がメイン。

ドキュメント作成といっても、自分で考えてつくるのではなく、元々の資料や仕様書に手書きのコメントがついたものを渡されて、それをワープロで清書していく作業です(ちょうどビジネスワープロ専用機が出はじめた頃です)。

評価も評価担当の女性社員が作った評価シートの内容をこなしていくことが主な仕事でした。

せっかくソフトウェア開発部門にいるのに、そんな作業ばかりじゃ嫌だ、プログラムを書きたい! と訴え続けた結果、入社から五年経っていよいよ既存機種のマイナーチェンジを担当させてもらうことになりました。

当時は嫌だったこれらの仕事も、今思えばとても貴重なものだったと感じています。例えば、評価作業を通じてソフトウェアにどんな不具合が発生するのか、その原因にはどんなものがあるのかを知ることができました。

最近の若いエンジニアはプログラムを評価する経験が少なく、これをしっかりやればもっと品質に対する意識が高まるのになぁと感じています。

●エンジニアとしてのすべての経験はここに

実際にソフトウェアの開発を担当させてもらえるようになってからは、多くのことを経験しました。最初は、マイナーチェンジで既存機種のプログラム変更だけでしたが、そのうち新機種の立ち上げにも関わりました。

言語や環境も様々で、8bit CPUのアセンブラ、4bit 1chipマイコン(制御部分とROMとRAMが一体化したもの)でのアセンブラ開発に始まり、その後はC言語での開発がメインになりました。Intelの486上で動作する通信ミドルウェアのアセンブラでの開発にも携わりました。

開発対象は、機器組み込みの業務アプリケーション、ミドルウェア、通信処理、ユーザーインターフェース、からPC側ホストアプリケーション。

この期間に開発したもので、印象に残っているのは通信やユーザーインターフェースのミドルウェアです。

アプリケーションの開発も面白いのですが、アプリケーションの開発が円滑になるように考えて、役割分担を考えながらインターフェースを設計していく過程がとても楽しく、それは今の自分のコアのひとつになりました。

開発環境は、VAX-11、MS-DOS(IBM PC/AT互換機)、Windowsと移り変わっていきます。

VAX-11の時代には、一回のビルドに時間がかかりましたし、ビルドしたものをROMに焼くまでのデータフォーマット変換のために、複数の機器を経由しなければならず手間がかかっていましたので、ひとつひとつの作業が慎重でした。ちょっとした失敗が大きな時間のロスを生むのです。

今のように、ちょっとした修正でもソースを変更してビルドするのではなく、場合によってはバイナリパッチ(ソースパッチではありません)を使うことも多々ありました。

今となっては隔世の感がありますが、そんな不便な時代を過ごしていたから、今の良さがわかるものです。

ちなみに、不便な時代も悪いことばかりではありませんでした。一度ビルドをスタートすると時間がかかりますから、みんなで休憩コーナーにいってコーヒー飲みながら雑談していたものです。

こういった時間も、今はすっかりなくなってしまって、一部の喫煙者だけのものになってしまいました。

POS/レジスタ事業部門の在籍期間には、開発業務以外に部内LANの構築、部門内サーバー、インターネットサーバー、インターネット接続環境の整備など、開発環境の構築にも取り組み、今の私が「エンジニアである」と言えることを、すべてこの期間に経験しました。

●ビジネスのアイデアが詰まったPOS/レジスタ事業

配属当初こそは、がっかりしたPOS/レジスタ事業でしたが、実際に仕事をしてみると面白い業界でした。

私は海外の担当で、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリス、ドイツ、フランス、台湾、その他多くの国の機種を担当し、それぞれの国の税制、通貨事情、商習慣、生活習慣などを知ることができました。

例えば、ひとついくらだけど三つ買うと安くなるとか、ひとつ無料になるといった販売方法は、元は欧米でメジャーな販売方法だったものです。

現地人の生活習慣がわからずに要求仕様の背景の理解が進まなかった、ということもありましたが、色んな国の文化に触れられるというのは、とても刺激的な経験でした。

POS/レジスタというと、売り上げを管理するための機械であるというイメージかもしれませんが、販売方法を支援する機械でもあり、商品の販売方法を新しい機能として搭載することで、新しい商習慣を作り出すことができる面白い分野だと思っています。まだまだ新しいアイデアを出す余地がありそうです。

次週に続きます。


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