[3925] 美人という宿痾

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《ファイル名は決められたルールに従う》

■私症説[70]
 美人という宿痾
 永吉克之

■晴耕雨読[13]
 デザイナーでも当たり前の共同作業のルールについての話
 福間晴耕




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■私症説[70]
美人という宿痾

永吉克之
< https://bn.dgcr.com/archives/20150612140200.html
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しゅく‐あ【宿痾】 長い間治らない病気。持病。痼疾(こしつ)。宿疾。宿病。──大辞泉より

散髪屋(昨今は“理髪店”と呼ぶらしい)で順番待ちをしているときに読んだ四流週刊誌の記事で、美人と不美人とを比べると、一億円だったか一兆円だったか忘れたが、とにかく生涯に得る収入は、美人の方が格段に多いということを知った。

記事では、美人は富裕層の男性と結婚できる確率が高いからとか、就職面接の担当者の多くが男性だからだとか、いろいろ理由を並べていたが、共通するのは、やはり男性の美人偏重だ。たしかに、男が面食いだと美人が得をするという理屈は、自然の法則といってもいいほど普遍的である。

そういえば、俳優、スポーツ選手など、男性著名人の奥方はたいてい美人だ。その原理は簡単で、いい女を連れていたら見栄えがいい、に尽きる。

いくら世間の目から逃れようとしても、マスコミを賑わすほどの有名人の妻となれば、いずれ必ず面が割れる。そのときになって世間から、これはちょっとなぁ、Jリーグのスーパースターの嫁ハンがなぁ、と思われたくないばかりに、多少人格が破綻していても、テレビ映えのする女ならというので結婚して、三か月以内に離婚するのである。

また、有名でなくても財産がある男は、おらぁゼゼ持ちだで、それに釣り合うだけのめんこい娘もらう権利があるだよ、という発想に傾くだろう。つまり自分の名声や財産の程度に応じた美度(造語)を要求するわけである。

男が、美女を獲得するための対価として、富や名声を利用するのは、クジャクのオスが華麗な羽を広げたり、グンカンドリのオスが赤い胸をふくらませたりする求愛行動と同じようなものだから、まあ許してやってくれたまえ。

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林真理子の小説『下流の宴』のなかで、フリーターをしているイケメンの恋人は、不細工なデブという設定なのに、NHKでテレビドラマ化されると、その役をモデル出身のスレンダーな女優が演じていた。

また、桐野夏生の原作(まだ読んでいない)では、40代半ばの肥ったオバさんが主人公の『東京島』も、映画化(まだ観ていない)されると、その役を木村多江が演じていた。まあ美人だと思う。

外界から閉ざされた離島で、大勢の男に囲まれて、唯一の女として暮らしていると、《白豚》と渾名されていた中年のオバさんでも、その獲得を巡って男たちが争うほどのセックスシンボルになる……

という物語(読んでないけど)なのに、それを美女にしてしまったら意味がなくなるのはわかっているはずだが、それでもやっぱり主役の女性は美人でなくてはならない。かといって、絶世の美人女優を使うわけにもいかないので、譲歩して絶世度60%くらいの美人女優を使ったのだと思う。

ドラマや映画の製作者としても、男女を問わず多くの人びとに観てもらいたいはずだから、男性の嗜好にばかり合わせて作るわけにはいかない。小説通りの不細工な女優よりも、美人女優が演じるのを望むのは女性も同じだと判断したうえでの起用だろう。

男だけでなく、女も美人が好きなのだ。

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おそらく、どこの家庭でも、親は子供に、「見た目で人を判断するな」と教えていると思う。まさか純真な子供に「結局、人は見た目が九割なんだぜ」なんて不都合な真実は教えないだろう。

ところが、テレビをつけるとドラマの女性主人公はみな美人。ワイドショーの女性キャスターも美人。『アナ雪』のエルサもアナも可愛く描かれている。

シンデレラだって、美人だったから王子さまにみそめられたのだ。白雪姫にしても、美女だったから白馬の王子様がキスをしたくなったのだろう。アニメであろうが実写であろうが童話であろうが何であろうが、主役の女性は美人でなくてはいかんのである。

ニュースを読むのが仕事のアナウンサーまで美人揃い。かのNHKですら、女性のアナウンサーは基本的に美形である。

アホらしいと思いながら、Wikipediaで「NHK東京アナウンス室」の女性アナのリストから20名ほど、知らない名前をググって、本人の画像を見てみたが、みな合格ラインをクリアしている。お年を召して、いくらか型くずれされている方もいるが、原形は美人だとわかる。

あの、公正さには神経質なNHKでもそういう姿勢なのだから、やはりテレビという、視覚に訴えかけるメディアで中心的な役割を担う女性は美人じゃないといかんのじゃろう。

そんなわけで、またひとり面食いを育てるだけだから、アイドルの出る番組はもちろん、ドラマもニュースも、アニメも童話も子供には見せない方がいい。

「人間、善意ばかりでは生きていけないんだな」

「親切もお金で買えるんだな」

「愛と性欲は別物なんだな」

──などと同じく、「人はやっぱり見た目なんだな」も成長するうちに自ら学ぶだろう。

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すこし脱線するが、野球にはぜんぜん関心がなくても、東北楽天ゴールデンイーグルス(長いな)を日本シリーズ優勝に導いた、田中将大、もしくはマー君の名前は知っているだろう。

しかし、映画などに比べて、一般には語られることの少ない芸術の分野、たとえば美術。なかでも書や版画など。いまブレイクしている書家は誰かと問われて答えられる人は、その分野にかなり関心のある人だ。私も知らない。

実名は憚られるので出さないが、かつて某女性版画家や某女性書家がテレビCMに起用されていた。また最近、若手の版画家が「行列のできる法律相談所」に出演したり「FRIDAY」で紹介されたりした(私はどちらも見ていない)らしいが、いずれ劣らぬ美女である。

美術家が、作品だけで全国的に有名になるのは極めてむずかしい。彼女らが有名になった要因のひとつに美貌がなかった、とは言わせない。

名前や顔は知っていても、作品が思いつかない芸術家はあまたいるが、上に挙げた美人芸術家たちもテレビや雑誌に出るから、顔は知っていても作風が思い浮かぶ人は少ないと思う。でも、それって本末転倒じゃん。ああ、こんなことでいいのか、芸術!

だから、印象派の画家ベルト・モリゾや、アールデコの画家タマラ・ド・レンピッカがもし「これはちょっとなぁ」な容貌だったら、美術史に名を残しただろうか、と考えてしまう。

二重まぶた、濡れた瞳、筋の通った鼻、艶のある唇、片アゴのホクロ、エクボ。こういったパーツが世界を動かしているという事実は、美の力のなせる業か、はたまた人間の愚行の所産か。

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私に美人の妻はいない(ついでに不美人の妻もいない)。しかも野郎ばかりの職場で働いているか、さもなきゃ失業しているかのどちらかなので、美人と日常的に接することはない。

男心を惑わし、堕落させ、時として犯罪に走らせる美人たち、企業に寄生し、男同士を争わせ、女を嫉妬に狂わせて組織を機能不全に陥れるウィルスたちに接触する機会がないことを天に感謝したい。

正直に言うが、私は美人にはなんの興味もない。むしろ、美人を見ると憎悪が湧くほどだ。たまに街で美人を見かけると、怒りのあまりに我を忘れ、すんでのところで抱きついてキスをしそうになったことが何度もある。

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美人のみなさんに要求する。

もし、あなたに誇りというものがあるのなら、面接試験をパスして採用通知が届いても能天気に喜んだりせず、その企業に対し、敢然として採用理由を問い質してもらいたい。

「わたしが美人だからですか? もしそうなら、採用を辞退します」と。

それともあなたは美貌という、DNAが発現した結果にすぎない代物でバカな男たちを誑(たぶら)かして、世間を渡っていこうというのか。

そこであなたは、こう反論するかもしれない。

「美人であることも才能なのよ。才能を活かしてゼニ儲けしたらだめだっていうの? イチローかて野球の才能で何億も稼いどるやないか」と。

たしかに野球の才能も、美貌と同じく天賦のものであるから、DNAで稼いでいるといえば、たしかにそうだ。

しかし、メジャーリーグで第一線にとどまるには、不断の訓練と科学的な健康管理が必要だ。それがあってこそ才能が生きるのである。

美人でいるだけならなんの努力も……いくらかはしなきゃならんのだろうなぁ。ダイエットとかお肌のお手入れとか、美貌を引き立てる化粧品や服や装身具への投資とか。大変だろうな……美人のみなさん、頑張ってください。

ワタクシ、美人のファンです。応援してます。

【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp
ここでのテキストは、ブログにも、ほぼ同時掲載しています。
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無名藝人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz
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■晴耕雨読[13]
デザイナーでも当たり前の共同作業のルールについての話

福間晴耕
< https://bn.dgcr.com/archives/20150612140100.html
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久しぶりにデザイナー向けの話題を書いてみたい。たまには、デジクリらしく。

今回は若手デザイナー、その中でも特に企業などの組織内で働く人向けにあたり前のことを書いてみようと思う。

自分は長年フリーランスでやってきて、今でも一応立場上はフリーで仕事もしているのだが、主な仕事がリアルタイム系3DCGということもあり、殆どのケースで他の社員に混じって契約先の仕事場で一緒に働くスタイルだった。

その中で仕事の内容や職場が変わっても、毎回必ず言われることがある。それは、他の人から見てもどんな状況で、どんな状態なのか、分かるようにするというものだ。具体的には以下のような感じである。

・ファイル名は決められたルールに従う。もしルールがないときでも、第三者が見てなんだか分かる名前にする。

・ファイル名に自由に名前をつけるときも、なるべく汎用的なルールに従う。例えば大文字の数字は使わない。ソートをかけた時に、ちゃんと時間もしくはバージョン順に並ぶようにするなど。

・成果物だけでなく、作業データもきちんと保存し、もし後で修正があった時にすぐに直せるようにしておく。

・万が一、急に休んだり、仕事を離れて別の人が引き継ぐ時にも、見た人が分かるるような状態にしておく。

・上に書いたことを実現するための、データの整理と分類を心がける。

・バージョンの管理は、最終データなのか、作業中なのか、仮なのか、分かるようにする。

・ファイル名に英語を使うときは、一応辞書を引こう。今ではファイル名に日本語も使えるケースが多いものの、相変わらずいろんな事情でファイル名はアルファベットと半角数字のみしか使えないという場合も少なくない。

英語を使うときは、億劫でもちゃんと辞書を引くことをお勧めする。恥ずかしい話だが、自分のケースでは物を引っ掛けるフックのつもりで、f*ckと四文字ワードを書いてしまい。危うく大問題になるところだった事もある。

・最近ではネットワーク環境が増えてきたので、データが「どこ」にあるかにも注意する。ネットワーク環境は会社ごとにルールが違うので、それに従うにしても。

よくある事故で、自分のパソコンに保存したつもりがネットワーク先だったり、逆にネットワーク先のデータだったので、気づいたら消えていたというケースをよく聞くからだ。

まあこういったごく当たり前のことなのだが、不思議なことにどんな仕事先に行っても、これらをくどく言われることはあってもあまり守られてないことが多いのである。

自分が大昔に大学で学んだ頃は、まだデジタルが黎明期だったこともあり、あまりこの手のことを習ったことはないのだが、もしかしたら今でもそうなのだろうか。

自分の場合は、以前ゲーム会社で直接プログラマーの方と作業していたこともあり、自分の作ったデータが見た目だけでなく、ファイル名も含めて直接ゲームソフトに組み込まれて、プログラムで制御される環境だった。

そのため、特に厳しく指示されたので意識するようにしているが、これは別にゲームに限らず殆どの共同作業で大事なことだと思うのだ。

そんなわけで、もし読者の方でこれから業界に入ろうとしている人は、スキルやポートフォリオの他にも、こうしたことも頭の隅に入れておくことをおすすめしたい。


【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
< http://fukuma.way-nifty.com/
>

HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったのでインテリアを見たりするのも好きかもしれない。


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編集後記(06/12)

●鈴木光司「樹海」を読む(文藝春秋、2015)。「リング」「らせん」「ループ」あたりまでは面白く読んだ。そのうちこの作家がマッチョなイクメンとして有名になっていくと、なんとなく興味が薄れてしまった。久しぶりの出会いである。帯の煽りが気になった。「樹海でひとり朽ちていく男、を眺める視線」「虐待の連鎖を断ち切らんとする母親」「車のトランクに入れられ、運ばれていく瀕死の男」「失踪しホームレスになった男性と、その娘」「『死にたい』でつながった、知り合ったばかりの男と女」と、六本の短編の内容が示され「それぞれの短編に、長編一本分の着想が詰まっています」とまで言う。

最初の「遍在」は、50歳を目前にして失職し、犯罪を起こすだけのエネルギーもない男・原田が樹海で死ぬまで、ではなくて、死んでからあとの話まで続いていくファンタジー(?)である。死んでからあとが、死ぬまでの倍の分量を持つ構成だ。彼は樹海の中で上出来の首吊りセットを構築したが、最後の最後で態勢が整わないうちにバランスを崩して落下、まったく苦痛のないと確信していた首吊りによる死が、死ぬ間際の遅い時間経過の中で、肉体の痛みはなかったものの、心を強烈に痛めつけた。意識はいったん途切れ、気が付くと思考の主体は首を吊って死んだ自分の姿を、耳のすぐ後方に漂って見ていた。

つまり、死んでからも彼の意識は、目の前にぶら下がる死体の背後の枝の裂け目あたりに固着していて、視覚と聴覚はほぼ正常に機能している。やがて死体は腐敗し、頭部、上半身、下半身が時間の経過とともに姿を変えていく。自分の肉体が消滅していくさまをまざまざと見せつけられる。自殺の目的は意識を消滅させることだったが、肉体は消えたものの意識はむきだしで残ってしまった。思考を止めることができず、このまま永遠に存在し続けるとしたら、なんという恐怖だ。丸一年が過ぎ、彼の意識は久方ぶりの樹海への侵入者を迎える。といった、死者の意識の一人称の語りという珍しい構成、これは面白い。

それ以降の五本も樹海に関連した展開で、いちおう全編がリンクしているように思うが、「遍在」ほどの奇抜さはなく、明らかに展開の矛盾があったり、ごく平凡あるいは無理矢理感が漂う物語ばかりで、これらに長編一本分の着想なんて感じられない。最初に驚かされたが、あとはなんとも……。文体が緻密だと家族に言われたとか、人称の冒険をしているなど、自信満々のインタビューがあったが、いまひとつ残念な出来だと感じた。わたしも樹海に行ったことがある、といいたいが、鳥類専門のイラストレーターの同行取材で、樹海を見渡すポイント行っただけだ。今度、自転車で……、もう無理だわ。 (柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163902430/dgcrcom-22/
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鈴木光司「樹海」


●最近わかってきたのは、顔の美醜よりスタイルが大切なのではないかと。タカラジェンヌって、美人は多くないんだけどスタイルの良い人が多くて、服の着こなしとか仕草とかが美人〜。/辞書はひいたほうがいいに賛成。logoをrogoとする人は結構いる。ローマ字なのかな。私はcampaignをcampaineとやりがちです。

マラソン続き。昨日の開発ストーリーを書いたライターさんと出会いたい。盛り上げるの上手だ〜。

最初に私は完走(フィニッシュ。この後記では、全距離走ってゴールするという意味ではない)できるかどうか不安だと書いた。できてもギリギリだろうと。ということで、私にとって大事なのは関門だ。

名古屋ウィメンズは制限時間が7時間と長い。高低差は少なく(と言われている)、道路の幅も広くて初心者向き。それは完走率97%が物語っている。ただし気力体力が残っていても、途中のペースダウンで関門に引っかかったら即退場になる。

自分で棄権を決めるのはいい。でも関門での退場だけは避けたい。ということで対策は、関門の距離と時間を油性マジックで腕にメモ! いやー、本当にこれは役立ちました。ええ。

最初は掌に書こうと思ったけれど、汗で流れる可能性がある。手の甲は日焼け止め代わりに手袋をするし、小さな文字だと誤読したり、いらつくかもしれない。スマホのメモだと走りながら操作するのは面倒(一応入れてはおいた)。

前腕なら見やすいし、スペースが広いので太く大きな文字が書ける。ということで左前腕に書き始め、足りないので右前腕も少し使った。油性マジックは大阪から持って行ったよ。整列時に見渡すと、メモしたガムテープを手の甲に貼っている人は見かけたよ。続く。 (hammer.mule)

< http://womens.marathon-festival.com/outline/general
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関門はゴール含めて10。