デジクリトーク 「百人一首」が凄すぎた/柴田忠男

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ふくからに秋の草木のしをるればむべ山風をあらしといふらむ
文屋康秀 〈百人一首 二十二番〉

山にむかって見ていると、風が吹くとともに目に見えて秋の草木がしおれる。なるほど、山風とつづけて書けば嵐という字になるが、昔の人はつくづく巧く考えついたものだと感心してしまうねえ。

高橋睦郎「百人一首 恋する宮廷」(中公文庫、2003)にある現代語訳である。これを読まなくても、だいたいそのような解釈が普通にできるだろう。非常に分かりやすい歌だと思う。だが、この歌は誰が見てもひどい出来、駄作、愚作だといわれている。

草木を枯らすから「あらし」といい、山と風を合わせると「嵐」という文字遊びを歌にしただけのものである。十八公を合わせて「松」、秋と心を合わせて「愁」というように、離合誌と呼ばれる漢詩のひとつのかたちを和歌に取り入れたもので、文字遊びとしてはそれなりにおもしろいものであるが、時代を代表する名歌、秀歌と呼ぶにはほど遠い。

これは織田正吉「絢爛たる暗号 百人一首の謎をとく」(集英社、1978)にある一文である。織田正吉は、百人一首にはなぜ類似の歌が多いのか、なぜ駄作・愚作の歌を、一世の大歌人・定家ともあろう人が採録したのか、そんな素人の素朴な疑問と直感を大事にして百人一首の謎に挑戦し、ついに前人未踏の秘密を解明した。




これは見事な謎解きで(じつは今その内容を覚えていない)、わたしが三十代前半にこの本に出会って感動したものだった。さらに三十年以上が経過した今になって再挑戦しているが、なかなか難解というか、もはや読むのがめんどうくさくなっている。若い頃は頭もやわらかかったので、難なく読みこなしていたのだろう。

正岡子規はこの種の素朴な機知をくだらぬものとして認めなかった。「古今集はくだらぬ集」と「歌よみに与ふる書」に書く。子規の実感主義から見れば掛詞のたぐいもくだらない悪洒落ということになる。要するに、機知と認めるか、駄洒落と貶めるかの違いである。さすがに悪洒落というのは酷すぎると思うが。

高橋睦郎は「言葉の多義性はむしろ詩歌の富であると認めれば、掲歌は言葉の機知を文字の機知に転じた、なかなかの遊び心の所産といえるのではないか。そこから自国の言葉に他国の文字を当てたわが国の文化の相も見えてこようというものだ」と書く。

わたしには詩歌を評価する頭はないが、ゲームとしての「百人一首」における「むすめふさほせ」一枚札記憶法により、とりやすい札として便利で好きな歌である。その程度の認識だったが、この歌のじつに驚くべき解釈にぶちあたり、大いなる衝撃を受けている。

この歌だけではない。すべての歌が新しい解釈でよみがえる。そんな素晴らしい本に出会ったのだ。

●言ってはならないことをあっさり言ってのけた歌

現代語訳:秋風が吹き、草木がしおれる季節となりました。なるほど「山風」と書いて嵐という字になりますな。

この歌の表面的な意味は、筆者が現代語に訳したとおりだ。従来と同じ解釈だ。紀貫之は文屋康秀の歌を「言葉の使い方が巧みなだけで内容が伴わず、いわば商人が見た目だけ立派な衣装で身を飾ったようなものだ」と「古今集」の仮名序でぼろくそに評している。なぜ藤原定家は、この歌を「百人一首」に入れたのか。

「実はこの歌は、言ってはならないことを、あっさり言ってのけた歌」なのです」と筆者は言う。

秋といえば時期的に、今も昔も台風のシーズンである。台風は山からではなく海からやってくるものだ。「山から来る嵐」とはなにを指すのか。

京都の西には嵐山があり、北東には比叡山がある。山にはお寺がある。奈良・平安の昔、仏教寺院は政治に強い影響力を持っていた。僧兵は集団で強訴を繰り返していた。真夏は暑いからやってこないが、少し涼しくなると強訴を始める迷惑な存在だった。

といっても、仏教寺院は多くの人の信仰を集め、全国から多額の寄進が集まる金持ちの勢力でもあった。朝廷の貴族といえども、表だって仏教勢力を非難や攻撃はできない。やろうものなら手ひどい報復がある。そんな政治力や宗教的信条を盾にとり、都で大騒擾を起こす仏教勢力の過激分子、不逞仏教勢力ともいうべきなのが僧兵であった。

そんな連中について、「文屋康秀は『山から吹く風は嵐ですな』と実に軽妙にシャレてみせながら、返す刀で『あいつらは草木を枯らす』と、しらっと言ってのけているのです」……こんな解釈、生まれて初めて聞いた。

文屋康秀は才能あふれる自信家で、小野小町が惚れ込むほどの美男子だったらしい。しかし、出世には縁がなかった人でもあった。

「人の言えないこと、言いにくいことを、さらっと言ってのけ、本人は『本当のことを言ってなにが悪い』などと居直ったのかもしれません。しかしそれは、朝廷中枢からみれば、対立や災いを招きかねない実に危険なことなのです」

「この歌は、文屋康秀の才能が如何なく発揮された名歌ではあるけれど、同時に彼が、言ってはならない一線を、才気のあまり平気で踏み越えてしまう性格の持ち主であることを、はからずも露呈してしまった歌ということができます」

うううむ。ここまで読み込むとは、すさまじい衝撃だ。この歌だけではない。残る九十九の歌についても、驚くべき、感動的な解釈がしめされる。

そして、歌の配列こそが藤原定家が伝えたかったメッセージであるという。一番歌から順番に紐解くことが重要なのだ。じつはまだ完読していない。惜しみながら、一日一首、百日を楽しみたいものである。読むたびに、日本に生まれてよかったと必ず思う。

その本とはこれ。「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」。日本人必読です。ちょっと高い本だけど。

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ねずさんの日本の心で読み解く百人一首