まずは今、世間を騒がせてる例の話には複数の問題が混在している。
良いデザインなのか、盗作なのか、出来レースだったのか、オリンピック以外の盗作疑惑、著作権の問題、ネットリンチの問題、顔がムカつくなど本筋と関係ない議論、後から個人が勝手に出してきた案がそこまでイイのか、など。
また、こういった輝かしいステージと無縁の人(オレとか)にも、デザイナーという仕事をしているだけで後ろ指をさされたり、決まりかけていた仕事がポシャったりと二次被害、三次被害が発生している。
口蹄疫が流行したときにユンケル黄帝液の売上げが落ちたようなものかもしれないが、後ろ盾のないフリーランスにとっては由々しき事態なのである。
で、ひとの意見というものには憶測とか好き嫌いとか、感情的なものが少なからず入るものだと思う。
そういったものを排除した上で、私の意見は以下の三点。
●デザインと盗用の問題
白か黒かと聞かれればグレーである。立証はできないだろう。見た目は似ているが、コンセプトは違うように思う。ものはシンプルになればなるほど似てくるという意見にも同意。ただし、あくまでその後出てくる別案件の疑惑とは切離して考える。
そもそもあのロゴはイイのか? という問いかけに対しては、
イイところ:シンプルなところ。誰もが記憶スケッチでほぼ正確な形が描ける。RGB、CMYK、モノクロを問わず視認性が高い。
悪いところ:パラリンピックロゴとネガポジの関係としたこと。オリンピックとパラリンピックは並列の関係にあるべきで、オリンピックが光、パラリンピックが影であってはならないと思う。
純粋にロゴとしての良し悪しは5段階評価で4(オレ基準)、しかしケチがついたものは使うべきではない。なので、今回の取り下げは正解。
●釈明問題
そもそも、なぜ釈明会見をデザイナーひとりにさせたのだろうか。
あのエンブレムを選んだのは審査員(アートディレクター)なんだから、コレを選んだ我々に全責任があります、くらい言ってほしかった。
デザインにかかる疑いは、上に立つアートディレクターの責任である。だからこそデザイナーは思い切った提案ができるんじゃないか?
デザイナーはいちいち似たロゴがあるかの検証なんかできないし、それをするのは選ぶ側とそのブレーンの仕事だと思う。
●第三者の作品を無断で使用した問題
これは完全にアウト。ほんとに部下のしたことだったとしても指示したのはアートディレクターなんだから、コレを選んだ私に全責任があります、くらい言ってほしかった。
著作権のチェックもそれに対する教育も、アートディレクターの仕事である。だからこそデザイナーは思い切った提案ができるんじゃないか?
デザイナーのミスは上に立つアートディレクターの責任である。
といったところかな。
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てな訳で、本日はデザイン界における「似てしまう話」を書きます。
私の経験上、アイデアとはゴキブリのようなもので、ひとつイイ案を思いついたら、同時に同じことを考えている人が30人はいる。
あとは、いかにして発表するかで勝負は決まる。たとえば…
1.早く──すぐに仕上げて国際コンペ等に出して入選を勝ち取り、公的に大勢の目に触れさせる。
2.大きく──キャンペーンやイベントで使われるよう広告代理店に売りこむ。
3.長く──瞬発的に似たような表現はブームとなることが多いが、10年、20年と続けているとライバルも減り、結果認知度も上がる。
私の場合はほぼ1と3かな。まあ大きなキャンペーンに不向きなアイデアが多いとも言えるが。
よく、「じぶんの方が先に考えたのにー」と嘆く人がいるが、そのほとんどの場合がwebに載せただけとか、中には誰にも見せずアイデアを温めていただけとかである。
気持ちはわかる。わかるが、その悔しさをバネに戦略を練り、効果的に発表することが肝要。
また、確かにアイデアが盗まれることはある。なので、とにかく信用できるパートナーと組むこと、そして盗まれても決して落ち込まず、次回それ以上のアイデアを出してやるぜと思えるメンタルづくりが、この仕事を長く続ける秘訣かもしれない。
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同時に同じことを思いつく人が複数いるというのは、世の中における文化の流行や気候、事件などさまざまな要因があると思う。
たとえば2003年にドイツの雑誌で、私とアムステルダムのアーティストDELTAが並んで紹介されたことがあったのだが、同時多発的感性とでもいうべきか、共通するものが多く、驚いたものだ。
私がDELTAの作品を知ったのはその少し前だったし、彼はおそらく私のポスターなど見たこともなかったはずだ。
そこに紹介された作品は、とくに色彩やモチーフをとらえる角度に共通するものを感じた。
知らない人が見たらパクリと思ったかもしれない。しかし、おそらくは少年時代に見ていた同じアニメの影響だろう。ひとことで言えば、いずれもガンダムっぽいのだ。
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また、師匠やあこがれのデザイナーの仕事には似てしまう。
伝統芸能の世界には『型に入り型から出よ』という言葉があるそうだ。それに限らず、なにごとも習得するには模倣から入る。
言葉も動作も親を真似ることから始まるし、スポーツだって憧れの選手の模倣から自分にあったフォームを発見していくものだろう。
子供がアイドルの振り付けを覚えたい! と思うのと同じように、私も小学生の頃、YMOの書体を覚えたい! とアルバム「テクノデリック」のライナーノーツに使われていた奥村靫正さんによるYMOフォントを、トレーシングペーパーで写経していた。10歳の頃だ。
こういう経験が血となり肉となって、今の表現に繋がっているのだと思う。
たまに私のポスターを見て「カッサンドル?」「リシツキー?」と尋ねる人がいるが、「ロシア構成主義でテクノミュージックを表現した奥村靫正の影響」が正解。
他にも80年代=10代の私は、当時のレコジャケや、資生堂、西武百貨店、セゾン美術館、パルコなどの広告によってデザインの通信教育を受けていたようなものだった。
ブレードランナーやエイリアンなど、映画の美術表現の影響も大きいと思う。またガンダムに登場した全てのモビルスーツは、今でも正確に描くことができる。小中学生の頃にさんざん描いたので、手が覚えているのだ。
同年代にはそういう人も多いと思う。
同様にあの頃憧れたデザイナーの仕事も脳裏に焼き付いているし、体に染み付いているのだ。
『型に入り型から出よ』、果たして私は『型から出』られたのか。これは常に自問自答している。
いろんな人や文化に影響を受けている。それらを自分の人生を、経験をとおしてアウトプットしているつもりだ。
デザインが世の中に出た以上、それは「個人の作品」ではなく「みんなのもの」となる。それにどのような感想を抱いてもそれは見る人の自由だ。
人によっては模倣、盗用ととらえることもあるだろう。10年ほど前、私は居酒屋において隣に座った某出版社副編集長(当時)から「齋藤さんの“リッタイポ”は五十嵐威暢さんのパクリだよね」と言われたことがある。
ずいぶんと表層的なことをいうやつ! と思ったものの、五十嵐さんは私の憧れのデザイナーのひとりだし、文字の立体表現の先駆者であるわけなので、たしかにそういう意見もあるかもしれない。と思い直した。
こうなると、もう、酔いがいっぺんにさめてくる。あの憧れの五十嵐さん、あのパルコのロゴをデザインされた五十嵐さんに「お前の仕事はオレのパクリだ!」と思われたらどうしよう! 家に帰ってもなかなか寝付けない。
そんなある日、銀座の画廊で五十嵐さんの個展が開催中であることを知る。私はすぐに、今まで作った“リッタイポ”シリーズをファイルにまとめ銀座へと向かい、ご本人に直撃したのだ。
「五十嵐さん、ぼくの作品はパクリでしょうか?」
今思えば、面識もない駆け出しのぺーぺーが個展会場にいきなり自分のポートフォリオを持って現れて「パクリでしょうか?」ってものすごい失礼だったと思う。思い出すだけで恥ずかしい!
しかし、五十嵐さんは私のファイルを1ページずつ丁寧に見てくださり、「君のポスター、TDC年鑑に出してたね。審査会で見ましたよ。いいポスターでした。私も票を入れました。パクリだなんて思っていませんよ。これからもどんどん作ってください」と言ってくださったのだ。
画廊から出て、しばらく歩いて雑居ビルの角で立ち止まったら、手も膝も震えていた。(なんて図々しいことをしたんだ、オレ!)でも、これで吹っ切れた。
独立系デザイナーを15年以上やってこられたのも、こうした偉大な先達の言葉によるところが大きい。ありがとうございます。
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アイデアの出し方というのは人それぞれだと思うが、アートディレクターの青葉益輝さんは晩年、体のいろんなところを叩いたりつねったりして脳に刺激を送っていた。
「年をとるとなかなかアイデアが出なくなる。じっとしていたらもっと出なくなる。だからとにかく動かしてみるんだ」と目の前で顔を叩き始めた。
「この前はこのあたりをつついたらいいアイデアが出た。今日はどこかな」。
もちろん、触覚だけでなく視覚や聴覚への刺激も有効だと思う。音楽を聴けばそれをBGMとした映像がうかぶし、視覚を刺激して出すのなら私の場合は地図帳とか細胞の写真とか、仕事と無関係なものを見ているときの方がイイものが出やすい。
デザイン年鑑を見てヒトサマの考え方を参考にすることもあるけど、見すぎると表層的に似てしまうからほどほどを心がけている。
ずいぶん前に聞いた話だが、コピーも見ながら書くと似るらしい。憧れのコピーライターの本を片手に机に向かうと、それっぽいコピーがつぎつぎと書ける。しかし、ホンモノには遠く及ばないそうだ。
どうやら『型に入り型から出よ』の『型』とは、メビウスの輪のような存在のようだ。努力を重ねて一度はそこから出たものの、油断しているといつのまにか型の中に戻っていた、なんてこともあるかもしれない。
肝に銘じることとする。
【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。