[3981] 旅先でみつけた地味なものの巻

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《これが自分なりの藝術だ》

■わが逃走[167]
 旅先でみつけた地味なもの の巻
 齋藤 浩

■もじもじトーク[27]
 宇宙のお話・第三回「銀河系」
 関口浩之

■羽化の作法[02]
 たまたまなのだが続けるしかない
 武 盾一郎




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■わが逃走[167]
旅先でみつけた地味なもの の巻

齋藤 浩
< https://bn.dgcr.com/archives/20150924140300.html
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先日、マツダのお店で新型ロードスターに試乗した。

たとえるなら、身長+10cmが当たり前だったスキー板からカービングスキーに乗り換えたときの驚きに近い印象。つまり、とても快適だが、あえて言うなら快適すぎるのが不満。

欲しいかと言われれば、欲しい。世の中的にモデルチェンジ=肥大化の歴史となりがちなところ、過去最小のエンジン(1500cc)に1000kg以下の重量と、メーカーの本気を感じる。

二代目、三代目も悪くはないのだが、どちらかといえば“守り”の姿勢が強い印象だった。

しかし、今回の四代目は明らかに“攻め”ている。素直にかっこいいし、運転していて気持ちいい。

また初代はどうしてもネジレやヨレを感じたけど、補強ナシでこのしっかり感は特筆モノと言えよう。ちなみにオレ的に最もうらやましいところはドリンクホルダー標準装備である点。ペットボトルを股間に挟み続けなくてもいいとは、さすが21世紀である。

さて私はこの連休に、25年前の新型ロードスター(カーナビなし、エアバッグなし、ETCなし、ドリンクホルダーなし、エアコン故障中)で富山へ向かい、世界ポスタートリエンナーレトヤマのレセプションに参加。

6月にソウルでとても世話になったChaeさんとも再会、佐藤晃一さんとその弟子スジにあたる若手デザイナー達とともにデザインのこれからについて語り合い、BBG(敏腕美人学芸員)の稲塚さん(仮名)らと旨い鮨とうまい酒でへべれけになり、その後信州に立寄り、無言館にて神妙な気持ちになって、昨夜東京へ戻ってきた。

とても密度の濃い日々で、それぞれの出来事に対する思い入れも強く、語るからにはきちんと語らねばと思う。そんな訳で、きちんと語るのは次回以降ということにして、今回は旅先で見つけたわりとどうでもいいものを紹介したいと思います。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig01 >
地面にホース。

岩瀬にて。旅に出ると商店や民家の軒先に束ねられたホースがどうにも気になるのである。偶然の巻かれっぷりにグッとくる性格のようだ。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig02 >
重ねられたもの。

こういった単純な繰り返しにもグッとくる。80年代テクノポップをビジュアル化するとこんな印象、と勝手に思っている。昔はシーケンサーで記憶できるパターンが少なかったので、それらをいかに組み合わせて面白いものを作るかが曲づくりの肝だった。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig03 >
立てかけられたもの。

タイヤを美しく並べて鑑賞に耐えうる構成にしようなどと、立てかけた人は思っていない。しかし偶然、絶妙な空間構成になっていたりすることがあり、うっかりそれに気づくとつい、じっと見てしまう。不審者と思われないよう気を配りつつ、さらに見入ってしまう。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig04 >
切り取られた町並み

街道筋を歩くと、江戸時代から続いてきたであろう町並みがところどころ歯抜けになっているのをよく見かける。

とても残念なことではあるが、立派な木造建築の隣の何もない空間と垂直に立つトタン板に、ミニマルな美を感じるのもまた事実。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig05 >
ずれ

道路工事の痕跡が抽象絵画的のように見えることは多いけど、この太さの異なる平行線に対する下から突き上げる排水路の構成は、極めてドラマチックな部類に含まれるとみた。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig06 >
富山の穴

全国見られるブロック塀の風抜き用の穴は、まさに詠み人知らずのデザイン。このタイプは初めて見た。モダンな造形。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig07 >
上田の穴

越中と信州の文化の対比をたのしむ。ブロック塀に差す西陽って日本的。まるで江戸時代からあるかのようなプロダクトに思える不思議だ。

< https://bn.dgcr.com/archives/2015/09/24/fig08 >
川っぷちの階段のある路地

川は谷を流れるのだがら、両脇に階段ができるのは必定。川に沿って集落ができて、地形にあった暮らしっぷりが自然と生まれる。そういった訳だから、階段はその地の文化を表現したものと言えなくもない。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/
>

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。


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■もじもじトーク[27]
宇宙のお話・第三回「銀河系」

関口浩之
< https://bn.dgcr.com/archives/20150924140200.html
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こんにちは。もじもじトークの関口浩之です。みなさん、シルバーウィークはいかがお過ごしだったでしょうか? 僕は最初の二日間は実家へ帰ってましたが、東京に戻って久しぶりの休暇とったら風邪をひいてしまいました。

さて、今日は宇宙のお話・第三回「銀河系」をお送りします。

●天の川

みなさん、綺麗な天の川を見たことがありますか?

天体写真やドキュメンタリー番組で見たことあるけど、実際に肉眼でくっきりとした天の川を見たことがある人は多くないと思います。

僕は二回あります。一回目は高校生の時、八丈島を旅した際、天の川がくっきり見えました。40年ぐらい前のことなので星空と天の川がすごく綺麗だったことは記憶にありますが、具体的にどんな感じだったかは忘れてしまいました。

二回目は10年ぐらい前に那須高原のペンションに宿泊した時です。わりと最近のことなのでしっかり覚えてます。

夜中にたまたまベランダに出てみたら、星がすごく綺麗だったんです。なので、外でちゃんと見ようと思ったら,玄関は施錠されていたので非常階段から外に出てみました。

すると……、なんと、天の川がくっきり見えるじゃないですか!

「まさに星が降ってくる感じ」「牛乳をカーペットにこぼしたように乳白色がくっきり」「まさにMilky Wayです」「神々しく感じた」「綺麗すぎてびっくり」でした。

そして、流れ星が何個も流れました! そりゃあもう、大感激でした。残念ながら証拠写真はありません………。

このことがきっかけで、天体望遠鏡や赤道儀などを買い集めることになったような気がします(笑) おまけに、小さい頃に天体写真やっていたので、天体少年の血が騒いでしまったわけです。

ペンションのオーナーに聞いてみましたが、あれだけ綺麗に天の川が見えるのは滅多にないそうです。

天の川がくっきり見える条件はこんな感じでしょうか。

・街の明かりに影響をうけない場所
・空気が澄みきっている
・月が出ていないタイミング
・天の川の濃い方向が空に昇っている季節

ところで、天の川って何なのでしょうか? 正答率90%以上だと思いますが……、我ら「銀河系」です。

じゃあ、いつ見えてどっちの方向か知ってますか? 天の川の濃い部分は射手座や白鳥座の方向になります。つまり、夏の星座です。

それを理解するためには、太陽系が銀河系のどのあたりに位置するかを知ることが一番早いです。

ウィキベディアの「銀河系」のページを紹介します。
< https://goo.gl/CpnKLa
>

この写真は銀河系を二次元で表現していますが、写真中央の下のほうに「オリオンの腕」(Orion Spur)と書かれています。そこにSunと書かれていますが、そこが我らの太陽系です。

そして、地球から見て、夏の星座の射手座方向が銀河系の中心方向、つまり、光を放つ恒星がたくさん集まっている方向なのです。

ちなみに、銀河系の大きさは、直径で10万光年です。端から端までの距離が光の速度で10万年かかるということですね。厚さは1,000光年なので、平べったい渦巻銀河ということです。

そして、太陽のような恒星の数は2000〜4000億個と言われています。

●銀河と星雲

我ら銀河系のご近所の「アンドロメダ銀河」は、以前、「アンドロメダ星雲」と呼ばれることが多かったです。

両方とも正しいのですが、紛らわしいので、雲のように見えるが恒星の集団、つまり、我ら銀河系の外にある銀河は「銀河」と呼ぶことしましょうという分類法が一般的になりました。

わかりやすく分類すると、こんな感じです。
・銀河系 … 我ら銀河、天の川銀河、太陽系を含んでいる銀河
・銀河 … 銀河系の外の銀河。たとえば、アンドロメダ銀河
・星雲 … ガスや塵の集まり。地球から見えるものは銀河系の中の星雲

1970年代に制作された『宇宙戦艦ヤマト』では「小マゼラン星雲」「大マゼラン星雲」と呼んでいましたが、2012年の公開された『宇宙戦艦ヤマト2199』では「小マゼラン銀河」「大マゼラン銀河」と呼んでます。

星雲は言葉が示すように「雲状に見える天体」「ガス状の天体」です。星雲の形状や成り立ちから、四つに大別されます。超新星爆発により発生したガスだったり、恒星になる過程の星間ガスの集まりだったりします。

・暗黒星雲
・散光星雲
・超新星残骸
・惑星状星雲

地球から見ることができる星雲は(ほとんどがハッブル宇宙望遠鏡の撮影ですが)、銀河系の中の天体です。銀河系外の銀河の中で発生している星雲は撮影することは困難ですので。

もっとも有名な星雲は、暗黒星雲である「馬頭星雲」ではないでしょうか? ウィキベディアの「馬頭星雲」のページを紹介しますね。たしかに馬の後ろ姿に見えますよね!
< https://goo.gl/MSTuFk
>

●太陽系より外の天体を自分で撮影してみた

三年前からベランダで天体観測を時々していますが、東京都内は空が明るいこともあり、太陽系よりも外側の天体を写真でとらえることは正直むずかしいのです。

唯一、写真にとらえることができたのが、この写真です。じゃーん!
< http://goo.gl/8Nhh2M
>

しょぼい天体写真のように見えますね……。でも遥か彼方1,300光年先の星雲をベランダから写真でとらえたことは、僕にとっては大きな第一歩であり、記念すべき出来事だったのです。

つまり、この写真に写っている光は1,300年前の光なわけです。ということは、飛鳥時代から奈良時代の頃の光を撮影したことになります。

どのくらい遠いかというと、地球から冥王星までの距離の1,000倍くらい先にある星雲なのです。NASAが2007年に打ち上げした「ニュー・ホライズンズ」(太陽系外縁天体の探査を行う無人探査機)が八年以上かけて冥王星に接近しましたが、それよりも1,000倍先にあるのがオリオン大星雲なのです。

太陽系から一番近い恒星はケンタウルス座の「プロキシマ・ケンタウリ」という星になります。その星までの距離は約4光年(光の速度で約4年かかる)なので、その約300倍先になります。

銀河系の直径が10万光年と言われているので、距離の話をすると訳が分からなくなりますね。宇宙全体規模で距離の話をすると、さらに訳が分からなくなります。

次回、宇宙のお話・第四話(最終回)は、更に範囲を広げて、宇宙全体のお話をお送りする予定です。


【せきぐち・ひろゆき】sekiguchi115@gmail.com
Webフォント エバンジェリスト
< http://fontplus.jp/
>

1960年生まれ。群馬県桐生市出身。電子機器メーカーにて日本語DTPシステムやプリンタ、プロッタの仕事に10年間従事した後、1995年にインターネット関連企業へ転じる。1996年、大手インターネット検索サービスの立ち上げプロジェクトのコンテンツプロデューサを担当。

その後、ECサイトのシステム構築やコンサルタント、インターネット決済事業の立ち上げプロジェクトなどに従事。現在は、日本語Webフォントサービス「FONTPLUS(フォントプラス)」の普及のため、日本全国を飛び回っている。

小さい頃から電子機器やオーディオの組み立て(真空管やトランジスタの時代から)や天体観測などが大好き。パソコンは漢字トークやMS-DOS、パソコン通信の時代から勤しむ。家電オタク。テニスフリーク。


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■羽化の作法[02]
たまたまなのだが続けるしかない

武 盾一郎
< https://bn.dgcr.com/archives/20150924140100.html
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段ボールハウス絵画を実際に描き終えてみて、最初の「描きたい」気持ちが収まったかというと、まったく違いました。描いたあとに「一回ポッキリ描いて、これではいおしまい。ってワケにはいかないなあ」という感覚が湧き上がってきたのです。

新宿西口地下道に何軒も並んでいる段ボールハウス群。たった二軒だけ絵を描いても何にもならない。何より、「絵がもっとないと!」って強く感じたのである。

もし、いわゆる「都市のどこかの壁」に書いたんだったら違ったかもしれない。書いて逃げれば、「書きたい!」衝動は昇華できたのかもしれない。

何が違うのかというと「ことわって描いた」からかも知れない。人と関わってしまったのだ。それもホームレスの人たちと。未知の扉を開けてしまったような感覚。それで、次の日にもまた行くことにしたのだ。

新宿に行くのは最初の頃は夕方から夜だった。一晩制作して翌朝帰る。それは、まずは通行人とトラブルを起こすのが怖かったからだ。それから暑かったので夜にしたというのもあった。

そしてもうひとつ、夜に描いていた理由は通行人に風景の変化を見せたかった。通行人にしてみたら、前の日になかったもの(絵)が、次の日に突然現われる、となるわけで、それがどんどん増えていくのは面白いだろうなあと思ったのだ。

でも描いて行くうちに昼夜逆転生活は何かとしんどく、最終的には昼に描くようになる。9月14日まで休みなく制作し、描き始めた「(8月)14日」を記念日として一か月に一日だけ休日として制作するのだった。

●描き方と制作スタイル

絵の描き方は、現場で段ボールハウスと対峙して「絵」を浮かび上がらせていくという、アイデアを持って行かないやり方で進めた。自分のアイデアを「場」に押し付けるのではなく、「現場で描くものを決める」という行き当たりばったりのやり方だ。描きながら考えてゆくのだ。

家で考えてくるという「宿題」が苦手だったからというのもある。しかし何よりも、あらかじめプランを立ててもここでは無意味な気がしたからだ。これは僕の制作の重要な基点となる。

ところで、新宿西口地下道段ボールハウス絵画はいわゆる「グラフィティ」と混同されそうだが、自分の中ではグラフィティとはまったく違うものなのです。

グラフィティは自分を表現するもの、名前とかメッセージみたいなものをマーキングして「書く(write)」自己表現行為です。

だけど、僕らがやった段ボールハウスに絵を描く行為は、「そこにあるもの(あるいは見えてきたもの)」をペンキで「描く(paint)」んです。自己表現に見えるけど「自分」を表現してないんです。ある意味、「受け身」なんです。この感覚は段ボールハウスに描いて初めて覚えた体感でした。

気持ちとしては以下のような宣言になる。

[僕らの絵は段ボールハウスを変身させることではない。「本当はこう在ったに違いない」という姿に段ボールハウスが成る、その為のペインティングなのだ。段ボールハウスが内在しているものを描きおこす。それが成功すると段ボールハウスはこの新宿西口地下の空間に「ハマる」のだ。]

随分とエラそうなことを言ってるけど、当時の僕は本当にそう考えていたのだ。

そしてもうひとつ重要な制作スタイルがある。それは、同一画面に同時にお互いが筆を入れて共同で仕上げて行く方法だ。この描き方はとても楽しかったし刺激的だった。

なんでこの同一画面での制作作業を重んじたのかというと、バンド活動をしていたからだった。僕はベースを担当していたのだが、バンドではほぼ100%ジャムセッションから曲を作っていた。

使ってないガランとした倉庫を借り、メンバーが集まるとセッティングを始めて思い思いの音を鳴らす。「なんかいいな」って感じたらその音に誰かが音を重ねる。乗ってくるとしばらくその演奏を続ける。

そういう無方向無目的の自然発生的な曲作りだった。録音しておいて聴き返して面白いところを採用していく。時間はかかったけどそれが凄く楽しかったので、その方法を絵画にも活かせないだろうかと常々思っていたのである。

芸術的才能を持った誰か一人のアイデアに従って作品を製造するのではなく、関係性がやがて創発になることを目指すプロセス重視の作品作りである。

実際に僕らは段ボールハウスに絵を描くことに夢中になった。タケヲの絵筆の動きや、生まれてくる絵の生々しさをバンドのセッションのように全身でビンビン感じたのだった。

●偶然のアートプロジェクト

新宿の段ボールハウスに描くことができたのは「偶然」でした。たまたまいろんなことが合致したのです。

現場で感じたことをジャムセッションのように協働で描く方法。反応が即座に返ってくるストリートというメディア。ホームレスの人たちの家である段ボールハウスに描くという社会性。そして、人間の存在の意味を問う哲学性も見い出すことができるだろう。

これら自分たちが行っている段ボールハウス絵画という状態は、言語化できない自分の藝術観とピッタリと合った。描き始めてすぐ「自分はこれがやりたかったんだ!」と分かった。

最初に上尾の喫茶店であれこれ考えてひねり出したアイデアが実現できなかったことによって、自分の本心に辿り着いた感じがしてとても不思議だった。不本意ながらやってみたらそれが答えだった、というニュアンスだ。

それから、「与えられた課題に高得点で応えるのが藝術なのか?」という疑問が自分にはずっとあって、それに対する答えが見つかった感じもしたのだ。

彩光舎で絵を描くことによって自分は救われたのでとても感謝してるのだけど、「世界観を持つ人」は受験で失敗してる感じがしてた。課題に上手に応える「要領の良さ」が大学の合否を別けてる。業務処理能力を問われる職種ならそれでいいのだろうけど、果たしてそれは「藝術」を高めるのだろうか?

そんな偉そうに美術制度を批判するのなら、「自分なりの藝術」をやってのけないとダメだ、とジタバタしていたので段ボールハウスに絵を描いた時、「これが自分なりの藝術だ。ああ、ひとつ本懐を遂げることができた!」と思ったのだった。

この偶然だらけの体験が強烈だったので「計画通りにことが運ばないほうが、より良い結果を生みだす」と信じるようになり、のちのち「コンセプトや計画を打ち立てない」、「直感と偶然に頼る」の極端な方向に突っ走ることになり、結果、10年余り落ち込むことになるのだが。

●最初の苦労

最初の一件目はたまたま描かせてもらったけど、これがなかなか「描いてもいいよ」とは言ってはもらえなかった。最初の頃に苦労したことのひとつが絵を描く許可を得ることだった。飛び込み営業をやるわけですから、それはそうでしょうけど。

一軒描き終えたら、違う段ボールハウスをノックする。「俺の家に絵なんか描くな」「絵? いいよ、いらねえ」……なかなかOKしてくれるところはなかった。

それでも描かせてくれる段ボールハウスが見つかるまで次々と聞いて回り、「ああ、いいよ」と言った家主がいたら、すかさず新聞紙を家の周りに敷く。

「いいよ」って言ってくれた人もなんとなく「でも、描かれちゃうのやっぱりイヤかな」と迷う人もいるだろうからすぐに取りかかる。「何が何でも絵を描く」というパワーで家主が心変わりする前に描き始めるのだ。

段ボールハウスの側面の壁に絵の具を乗せ描き始めると、その後は集中して休まずに描き続けて行くのだ。

集中の密度が途切れるとおっちゃんたちは話しかけてくる。「俺にも描かせろ」と筆を持って行かれそうになったりもする。

「僕らはホームレスの人たちとおしゃべりをする為にここに来てるのではない。絵を描く為にここに居るのだ」という意思を描く集中力で示す必要があった。なので人を寄せ付けないくらいの勢いで描いてないとならなかった。

ホームレスとは「命」に直接関わる状態であると言える。その場所に絵を描くのだから僕らは「命がけ」で絵を描かねばならない。それがこの場所で生きて行く作法だと思ったのです。

今思うと、もうちょっとうまいやり方がありそうなんだが、当時はそれしかやりようがなかったのである。(つづく)


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PEACE CARD 関西展ではめでたく線譜が一点売れました。
どうもありがとうございました!
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ガブリエルガブリエラ第3回目展覧会日程が決定いたしました
代官山アートラッシュ『箱庭展』(10/28〜11/9)
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“氷砂糖の湖”の物語・呪薬を予定しております お楽しみに***

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編集後記(09/24)

●「老人力」と書いて「ろうじんりょく」と読む。たった今まで「ろうじんりき」と思い込んでいた。1997年に発表され、その後しばらく社会現象にもなった言葉なのだが、まだわたしも忙しく活動していた頃だったから、そんなの関係ねえと興味がなかった。最近、図書館内でうろうろしていたら、赤瀬川原平・編著「老人力自慢」を見つけた(筑摩書房/1999)。赤瀬川の「老人力」は売れに売れたらしい。読者カードでおもしろいコメントをくれた人に、加筆などを依頼してまとめた「読者からの便り」を軸に、老人力座談会や老人力シンポジウム、赤瀬川へのインタビューなどで構成した、版元の強欲な企画だ。

「老人力という言葉は、たんに老人が頑張るというのではなく、歳をとると自然にボケたり、よろよろしたり、考え方がアバウトになったりするが、それをただマイナス面として見るんじゃなくて、『老人力がついた』と前向きに受け入れようという、ちょっとばかりヒネッた意味合いが含まれている。若い人にはそのヒネリが受けた面もあるが、もう一つ、高齢化社会というのはますます目の前に迫ってくる問題であって、そこにすとーんとジョイントしてしまったということがある」という赤瀬川の説明がある。もう何百回も言わされてきたようで淀みがないが、いまだに本人も論理的な筋道はついていないようだ。

南伸坊が「老人力シンポジウム」で老人力のコンセプトが生まれた話を披露している。南や藤森信照は赤瀬川より10歳下で、よく赤瀬川をボケてきた、もの忘れがひどいとからかっていたが、自分たちも重大な忘れものをしたとき、これはまずい、自分のことをボケたというのもいまいちチカラが入らないから、気の利いた言い方はないかと二人で話しているうちに、「老人力がついた」ということにすればどうだということになった。老化をマイナスのままプラスに評価してしまえということである。赤瀬川から滲み出してきたものを南らが発見し理屈をつけ、赤瀬川が吹聴して回った結果が受け入れられ本になった。

わたしもよく物忘れするようになった。ついウッカリがふえた。文書は一応書けるが口頭ではうまく言えなくなった。人の名前がすぐには出なくなった。わたしも老人のまだまだ素人、駆け出しだ。これからは忘れたことを「忘却力がついた」とするのだ。この本の読者の便りはまじめだからあまり面白くない。ところで、老人力のデモの話がある。シュプレヒコールは「ま、いいか!」で一同「ま、いいぞー!」でボチボチ行進。いいな。最近国会前で見られた、ほとんどが組織の動員と、罵詈雑言が堂々とできて楽しいという無知学生や昭和ノスタル爺による見苦しいデモと比べて、なんと麗しいことか。  (柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480816097/dgcrcom-22/
>
赤瀬川原平・編著「老人力自慢」


●デジクリサイトを、サポート企業である吉田印刷所さんがリニューアルしてくださいました。笹川さん、スタッフのみなさまありがとうございます! 見やすい上に、レスポンシブデザインになっています。
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>

Ingress続き。オーナーであるポータルを維持するためにはどうすればいいか? これは人間心理や人口、季節や地形も関係するように思っている。

近所は敵優勢の激戦地で3日程度。味方優勢地域の中なら維持されやすいが、そもそもオーナーになる隙がない。

繁華街だと1分経たずに壊される時がある。そのはずれ、少し不便なところは、場合によっては1週間もつ。自分が行きにくいところは、他人も同じ。

住宅地の人通りの少ない路地裏は穴場だと考えたが、同じことを考える人がいて取り合いとなり、1週間もてばいいほう。大抵半日。

駅は激戦。面白いことに、敵優勢の駅の次は味方優勢というように、交互になっていることが多い。1駅ぐらいだと歩くからか。

急な坂が続く山の中腹は3日。これはお盆休みだったからかもしれない。早起きして、苦労して登って3日って……。その後、数日サイクルで数回オーナーが変わり、味方が3週間以上維持したが、シルバーウィークではまた変わった。次はお正月まで変わらないのかな。続く。 (hammer.mule)