[3984] 関心スイッチを切るということ

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■装飾山イバラ道[163]
 関心スイッチを切るということ
 武田瑛夢

■ところのほんとのところ[123]
 いま「産後の肥立ち」みたいな……
 所 幸則 Tokoro Yukinori





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■装飾山イバラ道[163]
関心スイッチを切るということ

武田瑛夢
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20150929140200.html >
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自分の性分である心の癖ってなかなか抜けないものだ。

講師として教えている時は、クラスの生徒が何か困っていないかとか、作品の進みは順調かなどに関心を示すようにしている。ちょっと目があった時の感じで、何か言いたいことがあるのかも? などとおせっかい気味に目を配って教室内を歩いている。

最近の若い人は言いたいのに言えないことも多いので、大人は積極的に気持ちを汲んであげることも必要だと思う。

しかし、主人の母が入院している病院でのお見舞いでは、いつもの考え方や振る舞いを少し変える必要があった。その病院では要介護度の高い人が多くて、ベッドで寝ている老人たちにお互いのコミュニケーションはほぼ無い。

この患者同士にコミュニケーションはほぼ無いという言葉は、入院する病院を選んでいる時に相談員に言われた言葉そのままで、なんてハッキリ言うのかしらと当初は思っていた。

今は入院患者たちのコミュニケーションはほぼ無いということがよくわかる。ここでは患者となる老人はほぼ寝たきりで、移動に車椅子を使う人の割合も低い。自分で歩ける人はほぼいないので、徘徊が問題になるような病院とはタイプが違うのだ。

ある意味それを最初にはっきり言ってくれた相談員には信頼感が持てると思う。
※コミュニケーションのあり方は病院のタイプによって異なるので、すべてではないことに念を押しておく。

●必要な関心と不必要な関心

ここでは家族や介護士、看護師たちとコミュニケーションはある。身の回りのことをする時は、しっかりと名前を読んでケアしてくれるし、それを見て名前を呼ぶことの大切さをしみじみと感じた。

名前の呼びかけは、言葉を「自分自身への言葉」としてパッケージするのにとても良い方法だと思った。この事は、次回の授業では名前をもっと活用する方向へと影響を与えそうだ。

家族から患者へは、話しかけやマッサージなどで優しく見舞う人が多い。病院にいてあげられる時間くらいは相手が疲れない範囲で、精一杯言葉をかけてあげたり体をさすってあげたいものだ。

見舞う家族と患者はまっすぐに矢印が向かい合うような関心の渡し合いになる。患者は他の患者に介護士がケアをしている時に、自分の番を待っていることがある。

その時も自分の方にやって来て、関心を向けてくれるのは介護士さんであり、患者ではないということがよくわかっている。患者が期待を向ける存在は、立って歩いている人たちなのだ。

見舞いの家族同士はお互いに軽い会釈はするけれど、立ち入ったことは話さない。見舞客も横にいる他の患者や他の仕事に忙しい介護士さんへの興味、関心は「切」にスイッチを入れているような感覚だと思う。このへんの感覚は、以前からいた家族の対応で少しずつ察していった。

同じ空間にいるからふんわりと関わり合うし、困っている患者さんには最低限気づくようにはしている。

しかし、よけいな興味のスイッチを入れてしまって心配したり、見舞いの家族の方に質問したりは一切必要のないことだと思うのだ。

それぞれに抱えている現状がまったく違うし、変化もあり様々だからこそ思うことだ。病院での滞在時間は自分の家族への関心を向けて、ケアに力を注ぐのがいいのではないかと思うのだ。

私の場合は、関心を向けないように気をつけるぐらいでないと、失礼をしてしまうかもしれない。それこそプライバシーの配慮であると今は思っている。

今は学校の授業が前期の春のみのために、気持ちの持ち方を関心スイッチ「切」の状態にすぐ切り替えられるようになったと思う。以前は曜日によって気持ちを切り替えるのは、慣れるまでけっこう大変だった。

なんとかりょく(力)という言い方が流行っているなら、「無関心力」というようなものかなーと思って調べてみた。やっぱり「無関心力」という使い方で既に本になっているけれど、ちょっと私の言っているのとは違うみたいだ。

自分の周囲のある方向へは直接的な関心を向けず、どうしても必要な時だけ関わる。私が忘れがちなことだから、これからは必要だと気づかせてくれたのかもしれない。競馬馬の目隠しのように心に板を立てる練習をしよう。

●自分の性分

私はこういった文章を書いているくらいだから、物事への関心、興味が強い性格を持っていると思う。分析癖(?)に近い物の見方をどうしてもしてしまう。記者かインタビュアーみたいな魂も、ちょっと持ってしまっているということかな。

刑事という仕事をしている人は、人を見る時に何かと怪しんでしまいそうだし、精神分析の仕事の人は恋人にするどい観察眼を使ってしまうかもしれない。自分の関心を常々どう使うかは、職業病にも通じることだ。

やはり自分の性分の大事なところは生かしながら、時には無関心でもいられる人になりたい。

実を言えば心は自分の思ったようにだけ動くものでもないので、いろいろと感じるし、疑問に対する答えを次々と思い巡らせてしまうことも多い。関心を切ろうとだけ思うと、とても難しいものなのだ。

そういえば、「関心を止める」のは瞑想にも近いような気がする。瞑想では無駄な考え事の連鎖を止めるには、別のことで心を埋め尽くす方法が多く使われるようだ。

仏教やリラクゼーションの方法の本でいろいろ紹介されているけれど、自分の呼吸の数を数えたり、周囲で起こっていることを心の中で実況中継するなどの方法がある。

そして、瞑想を使わずとも最も簡単によけいな事を考えない方法は、何かに集中することだ。制作や仕事に集中していれば、他の事に関心を向ける余裕は自然になくなる。だからこそ、自分の家族への愛に気持ちを集中させていればいいという結論になると思う。

今必要な事に集中する、これが出来るならあえて「無関心、無関心」と思わなくてもできるということか。

そして関心スイッチは間違っても切りっぱなしにならないように、自分の時間では自由な心で遊びに行くのを忘れないでいたい。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
< http://www.eimu.com/ >

アメリカからの通販の小包が届かない。一番安いUSPSで送ったためかもれないけれど、今まで大丈夫だった。まぁトラブルというのは、今まで大丈夫だったから起こらないことでもないのでしょうがない。

だいぶ待ってお店のカスタマーサービスとのやりとりで無償で再送してもらうことができた。今度は追跡が細かいUPSというやつらしい。しかしこれもトラッキングNO.を追跡してみたら、日本に着いたのに追加で必要な書類があるとかで、すでにアメリカと日本を二往復! している履歴が見える。

今のところ倉庫に留め置きみたい。なんでこうなるのか不思議だけど、WEBを検索すると、アメリカの郵便や運送会社に困っている人がたくさんいるらしい。こうなると諦めるタイミングを失ってしまう。ちなみに買ったのは二か月前だ。


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■ところのほんとのところ[123]
いま「産後の肥立ち」みたいな……

所 幸則 Tokoro Yukinori
< http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20150929140100.html >
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9月16日はハービー山口さんとのトークショー。

その4日前から始まった、喉の痛みと体調不良をだましだましやり過ごし、当日は会場までタクシーを使って、ようやくたどり着くありさまでしたが、おかげさまで、有料にもかかわらず満員御礼でした。

その後の[ところ]もバテバテでしたが、19日も太田菜穂子さん、山口マコトさん、アドビの近藤裕爾さん、松枝佳紀くんにトークでカバーしてもらって、最後は美しく終えることができました。

次の日は川崎大師に撮影に行くことになっていましたが、事情を話して中止にしてもらいました。その日に高松に帰りたかったのですが、体が動かず。。

次の日、多少回復したかにみえたのでタクシーをマンションに呼び、羽田から飛行機でやっとの思いで高松空港にたどり着きましたが、空港に置いてあった自分のくるまが硬貨でキズだらけにされていて、高松不信という精神的ダメージでまた体調悪化。。

26、27日のトークショーはルイママさんに助けられて。。今月は安静にして、10月からは普通の体調を目指したいなと思っています。

娘の幸采にも癒されているけど、あまり遊んであげられなくて悪いなと思っています。運動会の徒競走は、幸采が鮮やかな走りで1番でかけぬけて久しぶりに興奮しました。

運動会の写真はiPhoneのデジタルズームなので、鮮明じゃないけど撮っておいてよかった。来年はちゃんとしたカメラ持ってこよう。

なぜ病気がこんなに長引くのか。やはり、写真集を出す、ということ自体がいろんな負荷を[ところ]にかけていたのではないかと思います。

2015年の2月頃に、H.P.FRANCE(アッシュ・ペー・フランス)の丸の内ウインドウズギャラリーで個展をすることが急遽決まり、7月から9月まで大正大学で個展も決まっていたし、後日思い出したら、森岡書店でもすることになっていました。

これはのんびりってわけにも行かなくなった。[ところ]の性格として個展をさせていただくからには集客をと考えるし、集客するにはオープニングでなにかしたほうがいいなと考えるし、そのためには誰と誰に頼んでおもしろいことをしたいと考えるし。

そのためには色々動かなきゃいけないし、DMひとつとっても印象に残るものを作りたいし。

大正大学の展示は、少しでも興味を持ってもらえるように、タブロイド誌をDMがわりに作りました。分かりやすいプレスリリースも考えなきゃいけません。

それはそれとして、どっちも「アインシュタインロマンシリーズ」の展示をするのだから、写真集も出したほうがいいんじゃないだろうか。

そう思って蒼穹舎の大田通貫氏にも相談して、その資金の足しにするためのクラウドファンディングも、ファンディング会社と打ち合わせしました。

そして何より2万枚近い未整理のデータの山から、作品をセレクトして現像しなければなりません。HDも足りなくなってきたから12TBのサンダーボルト2対応のものを買わなきゃいけなくなったし。

2万枚の中から一週間がかりでざっくり現像したものが12,000枚。ちゃんと現像したものが1400枚、セレクトを真面目にして1,323枚まで持って行くのにまた一週間。

そこからまた500枚前後に持って行くのに五日、そこから二日で330枚に、その間にどんな額装にするかとか、問題山済み……。

最終的には133枚まで削りました。もう削れないと思ったので、それを敏腕写真選定家でもある太田さんに渡して、60枚以内にしてもらうつもりでした。太田さんもそのつもりで臨んだのですが、結局78枚までしか削れませんでした。

デザイナーに写真が渡り、クラウドファンディングも進んでいき、すごくいいものになりそう、ということでますます体力、気力を集中させます。個展やパブリシティにも色々な準備が重なりました。

無理をしてでも、いい出し方をしたかったのです。ということで、子供を産んだぐらいエネルギーを使ったのでしょう。いまは産後の肥立ちがよくない、そんなところなのかな。

あっ、今発売中の「月刊カメラマン」のモノクロームの衝撃だったかなのページで、ファインアート代表で掲載されています。


【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >


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編集後記(09/29)

●津野海太郎「百歳までの読書術」を読む(本の雑誌社、2015)。この欲張りなタイトルに惹かれた。この人が「季刊・本とコンピュータ」編集長だった頃知り合ったが、向こうは覚えちゃいないだろう。なにかの発表の時、こわいもの知らずだったわたしは(ほんと、そんな時期があった)辛辣な意見を放った覚えがある。津野の読書スタイル(というよりクセだという)は、トイレはもとより、風呂に入るときも本を手放さないこと。有名なのは歩きながらの読書だ。持ち歩きに不便な重い本はバラしたという愛書家(?)。経験歴60年を優にこえる路上読書の大ベテランである。そんな人に大きな変化が訪れた。

ケータイに没頭して事故を起こす例が急増しているらしいが、歩行読書はその種の事故は起きにくいという。紙の本だと見開き2ページの空間上を視線がたえず動いているので、そのついでに本のそとの空間に生じる小さな異変もごく自然にキャッチできると豪語していた彼は、いまはさいたま市浦和区の路上読書人として、晩年を順調に送っているのだろうと思っていたら、そのクセがそうと気づかぬうちに消えていたと告白する。長い時間をかけて作りあげた「歩く読書人」としてのアイデンティティが、そうと意識することなく、いつのまにか崩壊していたことが大きなショックだったという。

齢を取って消えたクセがある一方、あらたに加わったクセがある。意外にも自分の部屋できちんと椅子に坐って本を読むようになっていたことだ。OSR(オン・ザ・ストリート・リーディング)に代わって、いつのまにかDTR(デスクトップ・リーディング)という新しい習慣が根付き始めた(って、やっとノーマルになったんじゃないの)。それによって、それまでうまく読めなかった吉田健一の文章が読めたという衝撃。路上より机上のほうが読書に向いているという発見。「むかしのクセが滑稽に見えてきた。バカだねえ」と笑う。いや、齢はとってみるものです。昔のクセは多忙のせいの窮余の策だったのでは。

目下の津野の読書の場は、机7割、ベッド1割、電車0.5割、路上ゼロ、その他1割といったところ。わたしの読書の場は机8割、ベッド2割。読書に快適だったテラスの古いロッキングチェアは、マンションの大規模修繕で邪魔になるため捨ててしまった。電車に乗らないので外で読む機会はない。だいぶ前に妻が救急車で中央病院に運ばれたとき、フロアのベンチで待機するわたしは、何の本も持ってこなかったため、長いつらい時間を送ったのであった。まあ、本人も正気で、念のために来たようなものだから、心配ないとはいえ、妻の体より読む本がないという事態にうろたえたわたしって。読書術の話は続く。(柴田)

< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4860112741/dgcrcom-22/ >
津野海太郎「百歳までの読書術」


●Ingress続き。が、その色が変わらない地域で、半日経たずに全部壊されてしまった。三日後に家人が仕込んだポータルは、ひとつも壊されずに維持し続けている。よそ者が休みに来たから壊されたんだろうか。

そのエリアで敵・味方含めて活動しているのは4〜5人程度だろう。毎日活動しているようには思えない。うちの近所だと毎日活動している敵は、10人は下らない。どころか、連日昼夜問わず、自転車で乗り付けてまで破壊活動をする人がいるぐらいだ。

大阪にはJR環状線という、東京でいうところの山手線ミニ版があるのだが(山手線は1周1時間、環状線は1周40分)、その内側は基本的には砂場・砂漠とのこと。

Ingressには勢力のテーマカラーから、青を水、緑を木々の緑と例えることがあり、水も緑も維持できないという意味。私の活動範囲は砂場だからガーディアンメダルがとれないのは仕方がないのだ。たぶん。続く。 (hammer.mule)