装飾山イバラ道[163]関心スイッチを切るということ/武田瑛夢

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自分の性分である心の癖ってなかなか抜けないものだ。

講師として教えている時は、クラスの生徒が何か困っていないかとか、作品の進みは順調かなどに関心を示すようにしている。ちょっと目があった時の感じで、何か言いたいことがあるのかも? などとおせっかい気味に目を配って教室内を歩いている。

最近の若い人は言いたいのに言えないことも多いので、大人は積極的に気持ちを汲んであげることも必要だと思う。

しかし、主人の母が入院している病院でのお見舞いでは、いつもの考え方や振る舞いを少し変える必要があった。その病院では要介護度の高い人が多くて、ベッドで寝ている老人たちにお互いのコミュニケーションはほぼ無い。

この患者同士にコミュニケーションはほぼ無いという言葉は、入院する病院を選んでいる時に相談員に言われた言葉そのままで、なんてハッキリ言うのかしらと当初は思っていた。





今は入院患者たちのコミュニケーションはほぼ無いということがよくわかる。ここでは患者となる老人はほぼ寝たきりで、移動に車椅子を使う人の割合も低い。自分で歩ける人はほぼいないので、徘徊が問題になるような病院とはタイプが違うのだ。

ある意味それを最初にはっきり言ってくれた相談員には信頼感が持てると思う。
※コミュニケーションのあり方は病院のタイプによって異なるので、すべてではないことに念を押しておく。

●必要な関心と不必要な関心

ここでは家族や介護士、看護師たちとコミュニケーションはある。身の回りのことをする時は、しっかりと名前を読んでケアしてくれるし、それを見て名前を呼ぶことの大切さをしみじみと感じた。

名前の呼びかけは、言葉を「自分自身への言葉」としてパッケージするのにとても良い方法だと思った。この事は、次回の授業では名前をもっと活用する方向へと影響を与えそうだ。

家族から患者へは、話しかけやマッサージなどで優しく見舞う人が多い。病院にいてあげられる時間くらいは相手が疲れない範囲で、精一杯言葉をかけてあげたり体をさすってあげたいものだ。

見舞う家族と患者はまっすぐに矢印が向かい合うような関心の渡し合いになる。患者は他の患者に介護士がケアをしている時に、自分の番を待っていることがある。

その時も自分の方にやって来て、関心を向けてくれるのは介護士さんであり、患者ではないということがよくわかっている。患者が期待を向ける存在は、立って歩いている人たちなのだ。

見舞いの家族同士はお互いに軽い会釈はするけれど、立ち入ったことは話さない。見舞客も横にいる他の患者や他の仕事に忙しい介護士さんへの興味、関心は「切」にスイッチを入れているような感覚だと思う。このへんの感覚は、以前からいた家族の対応で少しずつ察していった。

同じ空間にいるからふんわりと関わり合うし、困っている患者さんには最低限気づくようにはしている。

しかし、よけいな興味のスイッチを入れてしまって心配したり、見舞いの家族の方に質問したりは一切必要のないことだと思うのだ。

それぞれに抱えている現状がまったく違うし、変化もあり様々だからこそ思うことだ。病院での滞在時間は自分の家族への関心を向けて、ケアに力を注ぐのがいいのではないかと思うのだ。

私の場合は、関心を向けないように気をつけるぐらいでないと、失礼をしてしまうかもしれない。それこそプライバシーの配慮であると今は思っている。

今は学校の授業が前期の春のみのために、気持ちの持ち方を関心スイッチ「切」の状態にすぐ切り替えられるようになったと思う。以前は曜日によって気持ちを切り替えるのは、慣れるまでけっこう大変だった。

なんとかりょく(力)という言い方が流行っているなら、「無関心力」というようなものかなーと思って調べてみた。やっぱり「無関心力」という使い方で既に本になっているけれど、ちょっと私の言っているのとは違うみたいだ。

自分の周囲のある方向へは直接的な関心を向けず、どうしても必要な時だけ関わる。私が忘れがちなことだから、これからは必要だと気づかせてくれたのかもしれない。競馬馬の目隠しのように心に板を立てる練習をしよう。

●自分の性分

私はこういった文章を書いているくらいだから、物事への関心、興味が強い性格を持っていると思う。分析癖(?)に近い物の見方をどうしてもしてしまう。記者かインタビュアーみたいな魂も、ちょっと持ってしまっているということかな。

刑事という仕事をしている人は、人を見る時に何かと怪しんでしまいそうだし、精神分析の仕事の人は恋人にするどい観察眼を使ってしまうかもしれない。自分の関心を常々どう使うかは、職業病にも通じることだ。

やはり自分の性分の大事なところは生かしながら、時には無関心でもいられる人になりたい。

実を言えば心は自分の思ったようにだけ動くものでもないので、いろいろと感じるし、疑問に対する答えを次々と思い巡らせてしまうことも多い。関心を切ろうとだけ思うと、とても難しいものなのだ。

そういえば、「関心を止める」のは瞑想にも近いような気がする。瞑想では無駄な考え事の連鎖を止めるには、別のことで心を埋め尽くす方法が多く使われるようだ。

仏教やリラクゼーションの方法の本でいろいろ紹介されているけれど、自分の呼吸の数を数えたり、周囲で起こっていることを心の中で実況中継するなどの方法がある。

そして、瞑想を使わずとも最も簡単によけいな事を考えない方法は、何かに集中することだ。制作や仕事に集中していれば、他の事に関心を向ける余裕は自然になくなる。だからこそ、自分の家族への愛に気持ちを集中させていればいいという結論になると思う。

今必要な事に集中する、これが出来るならあえて「無関心、無関心」と思わなくてもできるということか。

そして関心スイッチは間違っても切りっぱなしにならないように、自分の時間では自由な心で遊びに行くのを忘れないでいたい。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
< http://www.eimu.com/ >

アメリカからの通販の小包が届かない。一番安いUSPSで送ったためかもれないけれど、今まで大丈夫だった。まぁトラブルというのは、今まで大丈夫だったから起こらないことでもないのでしょうがない。

だいぶ待ってお店のカスタマーサービスとのやりとりで無償で再送してもらうことができた。今度は追跡が細かいUPSというやつらしい。しかしこれもトラッキングNO.を追跡してみたら、日本に着いたのに追加で必要な書類があるとかで、すでにアメリカと日本を二往復! している履歴が見える。

今のところ倉庫に留め置きみたい。なんでこうなるのか不思議だけど、WEBを検索すると、アメリカの郵便や運送会社に困っている人がたくさんいるらしい。こうなると諦めるタイミングを失ってしまう。ちなみに買ったのは二か月前だ。