ユーレカの日々[45]フラットワールドからの侵略/まつむらまきお

投稿:  著者:  読了時間:6分(本文:約2,500文字)



先日、大学の近くをクルマで走っていて、変なことに気がついた。赤、青、黄の自動車用信号機。その点灯がやたらクッキリとしている。

停車中によく見てみると、信号灯の表面が真っ平らで、その上にあるはずの「ひさし」がない。以前、ニュースで見たことがある、寒冷地用の信号機だ。





●寒冷地仕様信号機

LED製の信号機は発熱量が低く、ひさしに積もった雪が溶けない。そこでひさしのないタイプが登場した。LEDは電灯より輝度が高いため、ひさしがなくても視認性は確保できるという(これはこれで、吹雪が付着するなどまだ問題点はあるそうだが)。

大学のあたりは年に一〜二度、雪が積もる。寒冷地とまではいかないが、自治体区分かなにかの都合で、この機種が取り付けられたのだろうか。

電灯式の信号機だと、点灯していても中心部が明るく、周辺は徐々に暗くなっていく。LEDは小さな光源を複数、配列してあるのだが、よく見ないと個々の光源は見えず、面全体が一様に光って見える。

従来の電灯型信号機は、かなりごつい機械で重量もある。取り付けも支柱だけでは保たず、上からワイヤーで補強してあったりする。電球取り替えの為に機械を開けるフックなどもある。

つまり、凸凹していてゴチャゴチャしている。これに対し新型信号機はやたらスッキリしている。点灯面はフラット、その周辺にはベゼルもなく、本体も薄い。重量が軽いからだろう、支柱への取り付けもシンプル。ディテールがほとんどない。

要するに、まったく存在感、質量感のない色の円がぽっかりと空中に浮かんでいる感じなのだ。なんだろう、この奇妙な感じと、既視感は。

●フラットデザイン

なにかに似ている、とまず気がついたのは、MacOSのウィンドウのタイトルバー部分。信号機と同じく3色の円が並んでいる。以前のMacOSでは、このボタンは立体的な球としてデザインされ、パネルに埋め込まれているように見えた。

ところが最近のMacはフラットデザインとやらで、ボタン類の見た目がペッタンコになっている。存在感がまったくない。あの感じだ。

個人的にはフラットデザインというのは、インターフェイスとして優れているとは思えない。たしかに見た目はスッキリしているが、スッキリすればいいというものではないだろう。

たとえばウィンドウシステムの場合、どこからどこまでがコンテンツ(本文)で、どこからどこまでが操作系なのかが曖昧になってしまう。

もし、現実のノートに文字を書く時、ペンや消しゴムがフラットな記号であったら、どうだろう。シールのようにペッタンコで存在感がなければ、すぐに見つけられないだろう。

それでもフラットデザインは大流行らしく、Googleなんかもフラットデザインが進んでいて、先日はロゴまでフラットになってしまった。

寒冷地仕様の信号機は、モノとしての存在感が皆無で、このフラットデザインとよく似ている。ついにその侵攻が現実世界にまで侵食してきたかのようだ。

●グラフィカルな都市

信号という機能からすれば、周りの風景から浮かび上がっていることは機能的だが、景観という意味では違和感があるように思える。たとえば風景画で、それをリアルに描こうとしても平面的にしかならない。記号にしかならない。

看板やポスターはどうだろう? 日本の風景は、欧米の都市と比べるとものすごくグラフィカルだ。どの通りでも、建物を覆い尽くす看板や貼り紙。そしてそのほとんどが文字で埋め尽くされている。文字というグラフィックが都市を覆い尽くしている。

それでも、看板には質感がある。表面には反射がある。電灯には明るさにムラがある。それなりに存在感がある。これに対し、寒冷地仕様の信号はさらにもう一段、存在感が薄らいで、記号だけがクッキリと浮遊している。

●虚構と現実の境界

実在の中に浮かび上がる、存在感のない記号。この感じ、ドラマの中で見たことがある。ドラマ「シャーロック」では、主人公が観察したり推理している主観ショットで、文字がグラフィカルに映像に乗っかるという演出がなされている。ゲーム画面でよくある、人物やモノのパラメータがその横に表示されるのと良く似ている。

最近見た「シェフ」という映画では、twitterについてしゃべっている場面の背景にtwitterの画面が浮かび上がり、ツイートする場面ではピヨピヨとアニメーションの鳥が、実景の中を飛んでいく。

これらは映像としてはリアルではないが、映画の演出としては実感がある。なぜなら私たちはいつもスマホを片手に、現実世界とインターネットの情報世界を脳内で合成しているからだ。テレビを見ながら感想をツイートし、BLOGを見ながらお店を探し、食べながらインスタグラムに写真をアップする。

スマホのグラフィックと現実体験は混ざり合い、まさにゲームやシャーロックなどの映画の場面のように記憶されている。

だからあの信号機はとても奇妙に見えたのだ。現実と虚構の境目が崩れてしまった感じ。自分が居るのが、現実の世界なのか、ディスプレイの中の虚構の世界なのか、はたまた、脳内で作られたイメージなのか。境界がとてもあやふやな、不安な感じがしたのだ。

映像の中では、現実にはないサインを合成することで、実感のある演出が成立しているが、この信号機のような現実味の薄いシンボルが実世界で増えてくると、シャーロックやシェフのような演出も成り立たなくなるだろう。

「ピクセル」という映画では、パックマンはじめ、80年代8ビットゲームのキャラクターたちに世界が侵略される話だ。

ひょっとしたら、フラットなシンボルの世界侵略はもうはじまっているのかもしれない。

【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学准教授】
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