[4003] 写真の中にあるもの

投稿:  著者:  読了時間:19分(本文:約9,300文字)


《正直これをネタにできる日が来るとは思っていなかった》

■装飾山イバラ道[165]
 写真の中にあるもの
 武田瑛夢

■ところのほんとのところ[126]
 写真集「アインシュタインロマン」の深いレビュー
 所 幸則 Tokoro Yukinori

■メグマガ[01]
 先生、めぐみちゃんが原稿用紙の中でしかしゃべりません
 こいぬまめぐみ




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■装飾山イバラ道[165]
写真の中にあるもの

武田瑛夢
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20151027140300.html
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イベントやサプライズが好きな人もいれば、年中行事や自分の記念日に無頓着な人もいる。やった事を携帯カメラで写真に残し、発表する場所は今だとやはりSNSだ。毎日ネタに尽きない生活をしているのは、楽しそうだけれど大変そうでもある。

私はせいぜい自分のiPhone内に残しておくぐらいだけれど、人生を記録しておくのは「今」が楽しい以上に将来の宝にもなる。若い子たちがそれにどれだけ気づいているかはわからないけれど、どんどん撮って撮って、撮りまくればいいと思う。

●記念日を刻む

先日夫の実家で夫が小さい頃の写真を見た。私たちは年齢差もあるので夫の昔の写真は完全に白黒写真が中心だった。家族写真は年中行事や、親がまだ若い頃の旅行の写真、何の祝い事で集まったのかわからないような集まりの写真がたくさんあった。親世代だと子供たちの集合写真が全員着物姿のものまである。

それらは小津安二郎の映画の世界のようで美しく、白黒だけれどシャープでクリアで素敵なものばかりだった。夫の家庭が今まで行事を大切にしてきたのを知る良い機会になった。

七五三や学校時代の子供の頃の夫の写真などは、あまりにも若すぎて不思議な感覚だ。数多くの写真を見ていたら、人って今も昔も自分たちの日常を写真に残すことが大好きなんだと気がついた。昭和時代も今も、やっていることは同じだったのだ。

写真は時間が経ちすぎていて誰が誰だかわからないものもあるし、同じ旅行だと思われる同じ場所の写真も多数ある。これを書いていてそれがなぜだか気づいたけれど、そういえば昔はカメラで撮影したら現像するまでちゃんと写っているのかわからなかったのだ。

今は液晶画面で写真になる画像が見えるカメラなんて当たり前だけれど、昔は「念のため」にと何枚も何枚も同じシーンを撮影していたのだ。

アナログカメラしかなかった時代は、フィルムを丁寧に巻き取って写真屋に持って行き、小さい指定用写真から欲しいものを決めて、写真として完成した時に初めてよく写っているのか判断できたのだ。

ネガフィルムを光にかざして指定していたような記憶もある。このあたりの写真の注文の仕方は時代によっていろいろ違うだろうけれど、とにかく手間のかかる作業を繰り返してようやく写真が手に入ったのだ。

●昔の人と目が合う

何十年も前の一瞬が切り取られた白黒写真は、記録として貴重なだけではなくいろいろな人々の思いが凝縮しているようにも見える。今よりもサイズの小さい写真や正方形に近いプリクラのような大きさのものもあった。

サイズによって値段も違ったのだろうし、ロケットペンダントに入れたりしたのかもしれない。

何枚かiPhoneカメラで撮影して拡大してみたら、細部がよく見えた。スナップ写真的なものは自由な感じで撮れているけれど、写真館で撮ったような写真はグラデーションの背景などで独特の雰囲気だ。

結婚式や子供たちの記念の写真。この時代にそこに写っている人たちも一回は出来上がったこの写真を見たのだと思うと感慨深い。この姿のまま写真を手に取って見ている姿が目に浮かぶ。

そしてやはり写真の良さを痛感するのは、どこまでもきめ細かく、白と黒の濃
淡の綺麗な調子で記録されていることだ。セピアや灰茶のような色に変色して
いるものもあったけれど、なんとも言えない「深み」があるのだ。本当に何を
今さらなのだけれど、写真って素晴らしいですね(笑)。

いつでも携帯できる娯楽器具が今のようになかった時代に、財布に写真を入れて持ち歩く意味もよくわかる。手に収まるような小さい紙の中に、大切なものが全部あるような、そんなものが写真なのかもしれない。

現代のインスタグラムのように、ネット上に増えていく写真だって価値が薄まっている訳ではないと思う。残し方の選択肢が増えて気軽になって安くはなったけれど、「今を残したい」気持ちは昔と同じだと思うのだ。

しかし、今はそれを目にする人が圧倒的に増えていて、他人の経験の影響が広まるスピードの早さがまったく違っている。

インスタグラムに比べたら、家の中のアルバムって本当に「点」として孤立している。引っぱり出して人目に触れることがなかったら、これらが見られることは何年もないのだ。処分された時には消えてしまう。だからこそ、見つけた時の感動があるのかもしれない。

「この飲み会いつの時代の何だろうねー。あ! ここにいるじゃない。これ自分でしょ?」と相当前の若かった夫の横顔に出会う。どこかの誰かがカメラを向けて撮った一瞬が、時を隔てて私の視線に変わるのだ。

夫の中学時代の証明写真も出て来たのでもらっておいた。受験用だろうか、詰め襟の制服を着て少し緊張した表情でまっすぐこちらを見ている。夫の現在の写真はiPhoneの中にたくさんあるけれど、私の知らない時代のものはもう増えていかないし、とても貴重なのだ。

ここに写っている中学生は、この写真がどこかのおばさんの大事なものになるなんてことは知らない。知らない方が幸せかも? 私にはわからないれど。


【武田瑛夢/たけだえいむ】eimu@eimu.com
装飾アートの総本山WEBサイト"デコラティブマウンテン"
http://www.eimu.com/

私はマウス派なので手首が疲れやすい。そこで手首のところにむにゅむにゅした感触のジェルパッドがついているマウスパッドを愛用していたけれど、二年使ったら傷んでしまって、端からジェルが漏れるようになった。

中のジェルは透明で和菓子の求肥みたいだ。手首のところがベタベタして、今までの快適さとは真逆の不快さ。Amazonで代わりの低反発パッド付きを買ってようやくそこそこ快適に戻ったけれど、本当はジェルパッドの使い心地が好きだった。求肥漏れさえしなければなー。


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■ところのほんとのところ[126]
写真集「アインシュタインロマン」の深いレビュー

所 幸則 Tokoro Yukinori
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20151027140200.html
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発売中の「capa」11月号で「アインシュタインロマン」の特集が組まれています。とてもいい内容ですのでぜひみてください。

来月の号で「月刊カメラマン」でこれも「アインシュタインロマン」です。編集長のセレクトの違いが面白いと思います。同一のテーマで雑誌による打ち出し方の比較は、普段はあまり見られないんじゃないでしょうか。

そして、やはり日本の印刷の最高技術を駆使して作った写真集には、雑誌では敵わないこともはっきりしました。

写真集と合わせて見ると面白さ三倍です。

今回はレビューでもっとも深いなと思ったものをひとつ紹介したいと思います。

Amazonのレビュー 抽象画家・住田佳瑞子さん
「クール・ジャパンの真打ち、光速で登場。」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/490412054X/dgcrcom-22/

すべての芸術作品には多面的多層的に楽しめるという特徴があるが、この写真集しかりで、予約販売で入手したというのに、ずいぶんと感想をまとめるのに時間がかかってしまった。「1ページの密度が高すぎて、とても一晩で最後までめくることができなかった」そんな感想が、あるイベントでほかの方から出ていたが、まったくその通りである。

まずはこのシルバー、いや、プラチナの重厚な大判の装幀に驚かされる。氏の東京での個展やフェイスブック上に時折アップされる近作を知っていても、こうして見せられると印象は全く違ってくると言っていいだろう。

紙、額、プリントの質はもちろんのこと、4Kの大型モニターさえ駆使してベストなプレゼンテーションにこだわる氏が自らクラウドファンディングまで企画して出したのだから、ただの図録ではないのだ。写真集自体の洗練された美しさがコレクターズスピリットをまず刺激する。

中身の写真に関して言えば、抽象画家であるわたしは、氏がミニマリズムに落ちることなく成熟した写真家として抽象へのアプローチを成功させていることに感銘をうけた。削ぎ落とすことによって伝わりやすくなる場合もあるだろうが、内容がやせ細ってしまっては意味がない。その点、どの作品もシンプルでありながら、強さと見応えがある。

また、各カメラ専門誌がこぞって特集を組んでいることからもわかるように、大きく注目されているのは、その撮影の手法らしい。

新幹線はおそらく世界一安定した高速の乗り物だが、ここ日本では次々とホームに現れる日常の交通機関だ。特別なものをチャーターして、というのではなく、あくまでその一乗客としてこんなクールな作品が撮れるという事実が日本中の、いや世界のカメラファンをくすぐるのは想像に難くない。

しかし、その「クール」の源は、時さえも凍らせてしまうこの写真家の世界観、宇宙観なのだから、たとえ高価なカメラを手に東海道を何往復したとて、他人がやすやすと真似できるものではないと思う。

長く、写真は過ぎていく事象の記録の道具として使われてきた。いうなれば、シャッターを切る行為そのものが「一過性への抵抗」なのかともわたしは時に思う。だが、あえて逆行せず、光の速さで走ってみたとき、そこで見えてくるものがなんなのか....この作品群はそんな命題までも提示しているような印象をわたしは受けた。

前作の渋谷と違って、この写真集に写っているのはほとんどが匿名性の高いビルである。ただ、誰にもそれとわかるのは、「富士山」? それはそうなのだ。地上にある、途方もないものといえば、ピラミッド、と答える文化の人もあるだろうが、私たち日本人にとってはやはり富士山なのだ。はかりがたい、古い、大きな、美しい、おそろしい(火山だもの)存在。Second to God と言ってしまっては怒られるかもしれないが....日本で空に一番近いには違いない。

洗練された写真集、と先ほど書いたが、それにしてもいまどき「洗練」なんて言葉の意味が通じるものだろうか? とふと思った。近頃は、芸術、美術、と言われていたものが、いつのまにか「アート」に置きかわって、なんだか「グッズ」だの「スポット」だの、安っぽいことばがつくのが当たり前になってしまった。長いデフレで人の価値観が狂ったのか。

そういえば、この写真集の値段はかなり狂っている。デフレなみの狂気だ。どう見ても一万円以上する「はず」の品物であるのに....この頃の「アート」と同列には語れない、これはそんなプライスレスなデンシティをもった一冊だと思う。


さすがにNYにずっと抽象画家で頑張っていた人の言葉だと思う。次回は、スナップという、写真文化を脅かす無知とヒステリックな者たちがいかにナンセンスなのかについて書こうと思う。


【ところ・ゆきのり】写真家
CHIAROSCUARO所幸則  http://tokoroyukinori.seesaa.net/
所幸則公式サイト   http://tokoroyukinori.com/


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■メグマガ[01]
先生、めぐみちゃんが原稿用紙の中でしかしゃべりません

こいぬまめぐみ
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20151027140100.html
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正直、これをネタにできる日が来るとは思っていなかった。これをメルマガの連載で書ける日が来るとは、あの頃の私は微塵も思っていなかったはずである。

口数の少ない幼少期を過ごした。いや、正確には、家の中で家族に対しては饒舌だが、一歩家の外へ出ると口を噤んで母の後ろに身を隠すような女の子であった。

しかし小学校への入学は、母の背中という絶対的な盾の崩壊を意味した。同じ地区の様々な幼稚園、保育園から知らない子達が集まり、たくさんの知らない人の声が飛び交う環境へ向かうランドセルの中には、教科書と共にいつも緊張感が詰まっていた。

自分の感情や欲望をストレートに表現する子が多い小学校低学年の中で、何かを尋ねられたときには首を上下左右に振って最低限の意志表示をし、授業中に先生に指名されたときには、顔を赤らめながら小さな声で答える子は異彩を放った。

下校前に行われる「かえりの会」では、明日の連絡事項や宿題の確認の後に、その日一日の中で起こったいい出来事、悪い出来事をクラス内で発表するという時間が設けられていた。

「今日よかったことはありますか」

すっと手が挙がり、誰かがこう答える。

「めぐみちゃんにいっしょに帰ろうって言ったら、いいよって言ってくれたことです」

その瞬間、クラス中から注がれる視線の中でこう思う。

(どうしてみんなの前でそういうこと言うの)

目立ちたくない一心でおとなしくしていたがそれは逆効果で、おとなしくしていればしているほど目立つことに、彼女は気づいていなかった。

何か言葉を発した瞬間には、たくさんの視線が一斉に集まり、

「こいぬまさんがしゃべった」

「めぐみちゃんがしゃべった」

当時の私にとってみんなの前で発言することは、カメラの無数のフラッシュに包まれた記者会見でマイクを向けられるような気分にさせるものだった。

「どうしてしゃべらないの?」

「“あ”って言ってみて」

そんな私を喋らせようと、何人もの記者たちが私の元へと訪れる。どうして喋らないか、実はそれは至って単純な理由であった。

なぜなら、喋るタイミングを逃したから。

小学校入学以来、慣れない環境に馴染もうと周りの様子を観察することに必死で、そこへ自分の主張を加えて意見の食い違いが生まれ、仲間外れにされることを極度に恐れた。

そうこうしているうちに寡黙な女の子というイメージが定着してしまい、その徹底ぶりにみんなが注目するようになると、話し始めるタイミングを完全に失った。

今までずっと黙っていたのに、急に今日から話し始めたら変なのって思われる、本気でそう思っていた。

言葉を発することを今か今かと心待ちにされる注目度の高さに嫌気がさした私は、次第に脳内の自分と会話をするようになる。

走っていて転んだときには、

(痛い。膝がジンジンする。でも、ここで泣いたら目立っちゃうかな。いや、でもこの前先生にもっと自分の気持ちを表に出していいのよって言われたから、泣かない方が逆に心配されるな、よし、ちょっと泣いておこう)

給食当番の配膳ミスで、私のお皿に芋の煮物が配られなかったときには、

(こういうときは先生に何て言ったらいいんだろう。煮物がないです、は小学二年生っぽくないかな、みんなが言うように、お芋がない〜が正解かな)

この独自の思考回路がかなり発達してしまい、それを公用語へ訳すのに時間がかかったことも、無言を貫く理由を補強した。

しかし、そんな私が唯一言葉を発することができる場所があった。独自の思考回路や周囲への観察力は、原稿用紙の中でこそ生きたのである。

ここでは瞬時に言葉を出さなくてもいいんだ、みんなが言わないようなことを書いてもいいんだ。文章の中だけは、誰も追いかけてこなかった。

それをみんなの前で褒められたり、朗読をするように言われたときには相変わらず赤面して困ったが、ひらがなや漢字、新しい言葉を覚えるたびに、作文や日記の中での自由度は上がっていった。

それから十数年、私は人前で話したり自分から人に話しかけることができるようになったが、正直これをネタにできる日が来るとは思っていなかった。これをメルマガの連載で書ける日が来るとは、あの頃の私は微塵も思っていなかっただろう。

文章を書くことによって、自分の気持ちや考えを表現する手段は手に入れたが、それでも自分の中で、この幼少期の記憶を誰かに話すことはタブーなことであった。

それをこうして自らネタにして言語化できるようになったということは、それだけ当時の自分と向き合うことができるようになり、そこに自己開示性が伴った結果であろう。

特殊な少女時代を経て手にした「文章を書く」というツールは、あの頃も今も、私と外の世界をつなげている。

「先生、めぐみちゃんが日刊デジタルクリエイターズの中でもしゃべります」

こいぬまめぐみによるメールマガジン「メグマガ」、始動。


【こいぬまめぐみ】
Facebook: こいぬまめぐみ
Twitter: @curewakame
BLOG: http://koinuma-megumi.hateblo.jp/

武蔵大学社会学部メディア社会学科在学中。宣伝会議コピーライター養成講座108期。現在、はてなブログ「インターフォンショッキング」にて、「おもしろい人に自分よりおもしろいと思う友だちを紹介してもらったら、13人目には誰に会えるのか」を検証中。


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編集後記(10/27)

●前にも書いたが、長谷川豊公式ブログ「本気論 本音論」が大好きで、更新されてるかなーと毎日チェックする。さまざまな問題をタイミングよく提示し、ズバズバ斬って、きちんと落とし前をつけてくれる。決して言いっ放しではない。わたしはそうは思わない、というのもたまにはあるのだが、とにかくその切れ味のよさにほれぼれする。ちょっとくだけた会話体の日本語を使うのもよい、ってプロ中のプロアナウンサーだもの。いまどきのテレビのアナウンサー、とくに女子アナの日本語レベルの低さといったら情けないものだが。彼が切り回すテレビ番組がいくつもあるようだが、ひとつも見たことはない。

彼は「日本の少子化は止まりません」「なので、日本の経済は、当面は誰が政権を担っても回復しません」と身も蓋もないことを言う。「働く女性が働きやすい環境づくりが大事」という意見は間違いで、女性の社会進出と少子化対策はリンクしない。一番手っ取り早い少子化対策は「専業主婦や専業主夫を増やす」に尽きる。「国」という単位で物事を見て「子供を増やすんだ!」という方向にもっていくには、それが何よりも有効である、という。とうてい政治家や有識者会議などに出ているエラい女性たちには受け入れるはずのない暴論であろう。政府やマスコミに発言力のあるバリバリ働く彼女らは必ずこう言う。

「保育所をもっと整えなければいけない!」「働く女性が育児と子育てを両立できるようにしなければいけない!」「でないと子供は増えません!」。だが、これは全部ウソだという。マンハッタン周辺の子育て環境と育児・保育状況を取材してきた彼が言うんだから説得力がある。アメリカでもっとも日本人に近い働き方をしているその地域の合計特殊出生率は2.0近くある。全然少子化ではない。保育環境が整っていないから少子化、という理屈では説明がつかない。日本の育児環境はすでに諸外国と比べて整いすぎてるぐらいだという。それなのに、日本の若い女性は子供を産まない。なぜか? 彼は意外なことを言う。

「若い男女が、子育てよりも自分のことの方が大好きだ、ということなんです」これがすべての元凶なのだという。「子供なんて産んだら、自分たちの遊ぶお金が減るから。子供なんて産むためには女性にプロポーズして結婚しなきゃいけないんだけれど、そうしたら合コンも行けなくなるから。子供なんて産んだら、もうキャリアが台無しになるから。子供よりも自分の方が可愛いから、子供なんて産んだら自分中心の物語が崩れるから」……こんな日本の少子化対策では「家族が好きな人たち」「子供が好きな人たち」が超優遇される状況を作ることがとても有効だ、という話。わたしは説得されました。 (柴田)

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/
長谷川豊公式ブログ「本気論 本音論」

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1510/26/news105.html
これが未来のクリエイター 「こどもCGコンテスト部門」の作品が素晴らしい
(ねとらぼ)柴田もコンテスト審査員ですよ


●「メグマガ」の展開が楽しみです。こいぬまめぐみさん、よろしくお願いいたします!

Ingress続き。まさか竹島にポータルはないわよね? と検索したら、5つもあったわ……。ここには日本人は行けないんじゃないの?

検索したら竹島に行けるか試した人たちがいたよ。結果的には今は無理で、留学生は例外だったそう。帰化した人たちも行けないのかしら。

政治的なことは脇に置くとして、行けない島にポータルが存在しているのってどうなの(怒)? そりゃまぁどこかの国交断絶・紛争している国にだってポータルはあるでしょうよ、ええ。

アフリカだとポータルが存在しない国はあるよ。そういう国でポータル申請し認められたら、ガーディアンの最上級メダルだってとれそう。ああ欲しい、ガーディアンメダル。次のレベルに上がるための条件に、一番早くて遠いのがガーディアンの金メダルなのだ。20日維持って私には難しいよ。続く。 (hammer.mule)

https://www.ingress.com/intel?ll=37.239273,131.869375&z=17
竹島。ログインしないと見られない。日本からだとリアンクール岩礁

https://www.ingress.com/intel
ケニア、ザンビア、南アフリカ、ガーナ、モロッコ、チュニジア、アルジェリア、エジプト、エチオピアあたり

http://www.kankeri02.com/takeshima_dokdo
日本人が竹島(独島)へ行けるか試してみた【1.鬱陵島】
http://www.kankeri02.com/takeshima_dokdo_2
日本人が竹島(独島)へ行けるか試してみた【2.独島博物館】
http://www.kankeri02.com/takeshima_dokdo_3
日本人が竹島(独島)へ行けるか試してみた【3.完結】