挑んで死にたい、ダンボールアーティストとして[13]退職に至るまでの心境/いわい ともひさ

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●数年前から抱いていた退職の気持ち

前職には10年間勤務し、数々の貴重な経験をさせてもらいました。社内外の素晴らしい人達と知り合うこともできました。この会社での経験がなければ、今の自分はありません。本当に感謝しています。

一方で良いことばかりだったわけではありません。会社の方針と自分の考えが合わず、ストレスを感じることもありました。

会社の方針とは無関係に自分が本当にやりたいことはこれなのか、このままで人生が終わってしまって良いのかということも常に考えていました。





「仲の良い友達とは一緒に会社を作るな」という話を良く聞きます。理由は、必ず方針が合わなくなって仲違いしてしまうからです。

極めて良好な関係の人達同士ですら、こういうことが多いというのですから、誰かが作った会社に多くの人が集っているという状況で、何もかもが自分の思い通りにいくはずがありません。

会社が良いとか悪いとかという話ではなく、自分が思い描いたことを妥協なく実現しようと思ったら、自分で会社を作るしか方法はないのです。

少なくとも私はそのように考えていました。このような考えは、前職でお世話になる前から持っていました。

今どきは大企業に就職しても、一生安泰とはいえないということを多くの人が言いますが、それでも会社という組織に属することによって、経済的にはかなりの安定感が得られます。

また、会社員は会社が倒産しても負債を背負う必要はありません。

前職には最初から退職するつもりで入社したわけではありません。会社という仕組みの、良いところも悪いところも理解した上で入りました。

ただ、固く心に決めていたことがありました。それは、会社勤めはこれで最後にするということです。この会社を退職するときは独立という選択肢しかありませんでした。

●退職したくてもできないもどかしさ

2014年12月末日に退職する数年前から会社を辞めたいという思いはありました。

一つの会社にしか勤務したことのない人にとっては、退職・転職ということ自体がとても大きなことであり、とくに初めてという場合は簡単に動くことはできないでしょう。

私の場合は過去に何度か転職も経験していて、会社を変わること自体への抵抗感はありませんでした。

転職ならすぐに次を見つけて動くことはできました。しかし、今回は自分の中にはその選択肢はありませんでした。

IT業界でよく聞く独立の形として、「受託」と言われるものがあります。これはシステムエンジニアが他社からシステム開発などを請け負うことを指します。

受託の仕事をしながら資金を蓄え、徐々に自身のやりたい仕事を増やしていく方法です。システム開発の仕事は多くの収益が得られるため、経済的なリスクを最小限に抑えて独立できます。

すぐに収益につながる仕事はシステム開発だけではありませんが、いずれにしても私には、退職後すぐに前職と同等に稼げるような特別な能力は持ち合わせていませんでした。

このような状況では独立しようにもできません。退職しても開店休業状態では、失敗するために会社を辞めるようなものです。

しかし、2014年にテレビ局とディズニーから、立て続けにダンボールアート制作の仕事をいただいたことをきっかけに、これを活かして独立できないかと考えるようになりました。

ダンボールアート制作で生計を立てようと思ったわけではありません。紙やダンボールという素材で製品開発を行い、それを販売していけないかと考えたのです。

紙は加工もしやすく原価が安いことに加え、リサイクルがしやすく、製造・廃棄時の環境負荷も比較的低いという利点があります。

様々な可能性が頭に浮かび、独立したいという気持ちが日増しに高まるようになりました。

それでも、退職することをすぐには決められませんでした。経済的な不安、家族に理解を得ること、失敗への恐れなど、負の感情も芽生えました。

元々、とても堅実な性格ということもあり、不安定な状況に陥ることはできる限り避けたかったのです。

それでも最後は独立への強い思いが勝り、自分を動かしました。

●一度だけの人生を悔いなく終えたいとの気持ちが勝った

2014年、退職を決意したときの年齢は42歳でした。これぐらいの年齢になると、同年代ですでにこの世にはいない人達も増えてきます。

病気であったり、自ら命を絶っていたりと、原因や理由は様々です。一つだけ確実なことは、望もうと望むまいと人間はいつか死ぬということです。

それまで生きてきた42年間を振り返ると、大きな苦労もなく生きてくることができました。海外旅行や出張により、国内外の様々な場所も見てきました。

また、インターネットの普及により入ってくる情報量も増え、便利で豊かな生活ができています。

文明が今ほど発達していなかった時代を懐かしみ、昔は良かったなどという人もいますが、犯罪率の低さや医療技術の発達、住環境の充実などを考えると、今の日本は過去のどの時代よりも恵まれていると思います(精神的な部分は別として)。

42歳まで大きな怪我や病気もなく生きてこられたこと自体がとても感謝すべきことであり、100年、200年前の時代ならば、すでに一生を終えていてもおかしくはない年齢です。

80歳まで生きることができるとしたら、40歳までは最初の人生で、その先は二度目の人生。

一度目の人生は手堅く、冒険の少ない人生でした。二度目の人生はリスクをとって、思い切りやりたいと考えました。もちろん、家族や周りの人達には迷惑をかけないという前提で。

友達の言葉も背中を押してくれました。一番効いたのは、すでにクリエイターとして大活躍している友達から言われた「(クリエイティブな仕事で生きていくのは)満たされ方が違う」という一言。

元々持っていた強い思いを自分自身が封じ込められなくなり、家族の了解も得て、2014年10月に会社に対して退職の意思を伝えました。

●色々な覚悟はしたが無計画に退職したわけでは無い

ここまでの内容を読むと、最後は無鉄砲に飛び出したように思われるかもしれませんが、決してそういうわけではありません。

もちろん、独立後は会社勤めのように毎月決まった給料がもらえるわけではないので、リスクはあります。覚悟を持って退職しました。

もしも、マンションや持ち家を購入して30年ローンを組んでいたり、子どもがいたりしたら、この決断はしませんでした。

負債(ローン)はなく、始めようとしている事業が大きな設備投資を必要とするものではないなど、不安要素は最小限に抑えつつ、健康で体力もあり、長年の会社勤めによって得た貯蓄や人脈がといった強みがあったからこそ、挑戦できたのです。

退職した友達が定職にも就いていないにもかかわらず、特に困った様子もなく、以前と変わらず生活をしているということがあり、詳しく話を聞いていみると実は経済的にとても恵まれた家庭環境だったことがわかりました。

このようなことは往々にしてあります。誰かに勧められたからといって、自身の状況も踏まえずに独立してしまえば、あっという間に困窮して、家庭崩壊ということにも成りかねません。

大きな決断は自分自身の状況を冷静に考えた上で、自らの考えで行わなくてはいけません。そうしなければ、上手くいかなったときに大きな悔いが残ることでしょう。

自分の人生は自分で考えなくてはいけないのです。私は自分の挑戦がどのような結果になったとしても、背中を押してくれた友達に感謝することはあっても、恨むことはありません。

彼らの言葉は後押しにこそなりましたが、決めたのは自分であり、全ての責任は自分にあるからです。

もちろん、失敗するかもなどという弱い気持ちで独立を決めたわけではないので、今は自身の成功を信じて疑っていません(笑)

次回は、独立後に役に立った営業経験についてお伝えします。


【いわい ともひさ/ダンボールアーティスト】
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今週の一言:10月に激しく足首を捻ってしまい、地味に続けていたランニングを二週間ぐらい中断しました。気を付けねばですね(>_<)