メグマガ[03]あぶないから入ってはいけません/こいぬまめぐみ

投稿:  著者:  読了時間:4分(本文:約1,800文字)



今年の誕生日に、ある人から泥だんごをもらった。

子どもの頃、手を真っ黒にして土を押し固め球体にしながら磨き上げたあれである。私の生誕を祝うことを目的として作られたそれは、他のどのプレゼントでもなし得ない、私のかねての潜在的な衝動を叶えるものであった。

誕生日に泥だんごをもらったのは、21年間生きてきて初めての経験であった。





数ある贈り物の選択肢の中から泥だんごが選ばれた理由は、あまりのインパクトを前に忘れてしまったが、会社帰りに近所の公園へ立ち寄って作ったというそれは、夜の闇を凝縮したかのように艶めかしく、手渡された瞬間、無機質な街灯に照らされ黒光りした。

手の中で艶やかな重みを楽しんでいたのも束の間、このプレゼントは飾って鑑賞するのではなく、この場で地面に叩きつけて割ってほしいと言う。「壊す楽しさ」を味わってもらうために作ったからそれが本望だと。

ますますわけがわからない。せっかく何日も前から時間を費やして作り上げたそれを、他人の手によってほんの一瞬で粉々にされていいのだろうか。

言われるがままに、車の通りが途絶えた夜の車道に立つ。握る右手に力が入る。するとどうだろう、どのくらいの力を込めて地面に叩き落とせばいいのか、泥だんごの大きさ、硬さ、地面からの高さを元に脳は嬉々として計算を始めた。

かざした腕を力いっぱい振り下ろし、泥だんごから手を離す。黒い塊がアスファルトの一点を捉えたその瞬間、パーーンッという破裂音と共に、乾いた茶色の土が綺麗な扇状を描いて広がった。私は高揚した。

わたしたちの身の回りには、壊してはいけないもので溢れている。それは「壊す」という行為の後には、大抵悲惨な結末が私たちを待ち構えているからであろう。

今こうしてキーボードを打つパソコンを壊したら私は途方に暮れるだろうし、誕生日にもらった万年筆を壊したら悲しくなるだろう。他人のものを壊してしまったときには罪悪感でいっぱいになるし、誰かの夫や妻を奪って家庭を壊したら法によって裁かれる。

私たちは、極力「壊す」という行為を避けて生活している。何かが壊れないように、壊さないように生きている。

しかし、抑圧はときに欲望を生む。ストレスが溜まっているときや、精神的に不安定なとき、ふと破壊衝動が頭を掠めるときがある。

駅の階段を駆け下りているとき、
──もしも今ここで足を踏み外して前の人を巻き添えにしたら……

家のベランダから通行する人を眺めているとき、
──もしも今地上へ向かってケチャップをかけたら……

満員のエレベーターに乗っているとき、
──もしも今ここで急に大声を出したら……

しかし、これらは実際に妄想するだけで身震いし、絶対に行動には移さないように理性が働く。誰もがこの衝動に駆られることはあるというものの、皆それを抑えられているが故に社会は平穏を壊すことなく秩序を保てるのだ。

稀にこれらが抑えられなくなって、欲望の赴くままに行動に移してしまうと犯罪が起きる。そう考えると、私たちと犯罪者の間にあるものは紙一重であるように思う。

しかし、日常的に破壊活動が行われている場所がある。建造物や道路の解体現場である。そこは、破壊と同時に新たな創造も行われている場所でもあるが、関係者以外の立ち入りを許されない禁断の工事現場内には、きっと私の憧れが詰まっている。

街中で突如遭遇した作業中のクレーン車には、惚れ惚れする。ショベルカーが建物を取り壊している現場では、足を止めて見入ってしまう。近所で進行中の工事現場をブックマークして、経過を観察している。

私たちが生活を営むすぐ横で、破壊と創造が行われている様子を目にすると心惹かれるのは、そこは私にとっての破壊衝動の健全な供養の場であるように思うからかもしれない。

次はどこでどんな工事が行われ、どこでどんな建設重機が見られるのか、東京ウォーカーあたりで工事現場の特集してくれたら絶対買うのにな。


【こいぬまめぐみ】
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武蔵大学社会学部メディア社会学科在学中。宣伝会議コピーライター養成講座108期。現在、はてなブログ「インターフォンショッキング」にて、「おもしろい人に自分よりおもしろいと思う友だちを紹介してもらったら、13人目には誰に会えるのか」を検証中。