ショート・ストーリーのKUNI[185]世界は平等である/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,900文字)



なんだって屋根田先生はあんなことを急に言い出したんだろう。まあもともと変わった先生だけどな、とぼくは思った。

屋根田先生は音楽だけの先生で担任も持っていないし、ひまそうだから、みんな陰でちょっとばかにしている。その上、話がよく脱線する。昨日も突然、「この世界はある意味たいへん平等にできている」と言い出したので、みんな、はあっ? という顔をした。

先生によると、すべての人は願いごとがかなってしまう可能性を持っている。何の努力も何の苦労もせずに、そう、突然に。





神さま、ていうか、まあそういう存在があるとして、その存在にとってはこの世で誰がどうなろうとどうでもいい。

だから、「願いごとがかなう瞬間」を常に、まったくでたらめにばらまいている。どこに住むどんなやつが、いつどの瞬間にそれにぶちあたるかはわからない。そして、その「願いごとがかなう瞬間」はかなりの大盤振る舞いでばらまかれているので、いまこの瞬間にもだれかのもとにその瞬間が訪れているのだそうだ。

ただし、その瞬間に何も願っていなかったら、せっかくめぐってきてもすばらしい瞬間は素通りしてしまう。両者がぴたりとあうのは奇跡に近いかも知れないが、可能性は平等にあるのだ…。

ぼくの頭の中にはそのとき、赤や緑や紫、白といった無数の小さな玉──人間の目には見えない玉──が高速で地球のまわりをぐるぐるまわっている図が浮かび、どうして自分はこんなに鮮明に屋根田先生の言うことをイメージできるのだろうと、われながら不思議だったが、それは商店街でガラガラ抽選をやっている時期だったからかもしれないし、その少し前の理科の時間に宇宙とか惑星とかの話を聞いたことも影響していただろう。

ぼくはケーキ屋の前の行列の中にいた。母さんに頼まれてクリスマスケーキを買いにきたのだ。

「チョコレートケーキで、シンプルだけどかわいいデザインの。大きさは5号。わかったわね」

預かったお金を確かめる。だいじょうぶ、ポケットにある。待っているうちにまた屋根田先生のことを思い出した。

すべての人は願いごとがかなってしまう可能性を持っている。かなってしまう……? かなってしまう? 変な言い方だな。かなうと困るような願いごとって……あ、そうか。人間の願いごとって、いいことばかりとは限らないから……かな?

ぼくはそんなことを考え、ちょっと、ぞくっとした。そうか、……てことは?

不意に列の後ろに並んでいる、よその人の話し声が聞こえてきた。年取った女の人だ。

──○○さん、最近急におしゃれになったのよ。すごく高そうなバッグとか持ってて。何かあったのかしら。

──宝くじでも当たったんじゃない?

そうだ。確かに、絶えず誰かにその瞬間は訪れている。宝くじに当たりたい。 そう願った瞬間、高速でまわっていた赤い玉がちょうど、その人の頭上にやってきたのだ! その人の頭上にはきっと、雲のようなかたちのものが一瞬浮かび、そこに「宝くじに当たりたい」と書かれている。

赤い玉はひゅーっとやってきて、すぽっ! とそこにはまるわけだ。あるいは頭の上に「ギターが弾けるようになりたい」と書かれた雲をひょい! と浮かべた人がいて、また別の玉がそこにすぽっ! と吸い込まれる。

そうやって、あこがれていた俳優に突然街で出会った人もいるかもしれない。探し物が出てきた人もいるだろう。すべてはそういうことなんだ。

そしたら、反対に、誰かが悪いことを願ったそのとき、何色だか知らないけど、ちょうど玉がめぐってきたとしたら……。

にわかにぼくの胸はドキドキしてきた。だめだ。それは、あってはならないことだ! 

屋根田先生の言うことが本当なら、ぼくたちは自分が心で思うことによっぽど気をつけなくちゃいけないということなのだ。口には出さなくても、願ったことが「かなってしまう」かもしれないのだから。

ああ、そうか。だから先生はあんな話をしたんだ。ぼくたちが良い子でいるように。人の不幸を願うような人にならないように。

ぼくは納得した。屋根田先生は変な人だけど、ほんとうはまじめでいい先生だ。先生があんな変な話をしたのも、ぼくたちのことを思ってくれてるからなのだ。

頭の中でまた、赤や緑や白や、さまざまな色の玉が光りながらくるくるまわりはじめた。それぞれの玉の軌道は少しずつ違うし、速さも一定ではない。無数の玉がからまり、もつれそうに見えて決してそうはならない。

そして、よく見るとあちこちで小さな雲がひょいと浮かんでは消え、またひょいと浮かんでは消える。くるくるまわる玉の、ほんの一部が雲に吸い込まれていく………。

そして、またぼくは思い出した。夕べ、ひとつ違いの弟のシンヤとけんかしたこと。あれは何だったっけ。ああそうだ。クリスマスプレゼントの話で、シンヤは「サンタクロースなんてものをいつまでも信じてるやつがいるけど、ばかだよな」と言ったのだ。まだ小3なのに。

ぼくだってすでに、そうでないことはわかっていたけど、去年までは半分信じていた。だから、シンヤのその言葉は自分に向けられたように思った。おもしろくなかった。だから「そんなこと言うなよ」と言った。

シンヤは「なんでだよ」と言った。いつもそんなふうに、どこかさめてて、言わなくてもいい憎らしいことばかり言う。それがシンヤだった。それにシンヤは賢かった。ぼくよりずっと。小3にしてすでに「冷笑」という技を身につけていた。

ぼくは黙り込んだが、シンヤはしつこく「なんでだよ」「なんでだよ」と繰り返した。シンヤは、頭がいいだけでなく、しつこいのだ。ぼくはいやになった。相手になりたくなかった。勝てるはずがないから。

だけど、同級生とか近所の友達とかならともかく、いやになってもどこか他に帰るところがあるわけじゃない。ぼくたちは同じ家に住む兄弟なのだ。ああ、そうでなかったらどんなにいいだろう!

そう思うことは初めてではなかった。胸の奥にいつもいやなにおいの、重い水をたたえた沼が横たわっているような、わあっと叫びたいような気分だった。

──そうだ。ゆうべ、確かにぼくは思った。シンヤなんかいなくなればいい。あんな憎たらしいことが二度と言えなくなればいいと……。なんて恐ろしいことを思ったんだろう。いくらシンヤがしつこいからといって……。

そのとき、後ろから軽くこづかれ、行列が進みつつあることに気付いた。ちょっとぼうっとしてたみたいだ。ぼくはあわてて何歩か進み、ケーキの見本がいくつか並んだ「ご注文コーナー」に来た。

その中から「チョコレートケーキで、シンプルだけどかわいいデザイン」の5号を選んだ。注文だけして、さらに進むと次のコーナーでケーキを渡してくれる仕組みだ。

──チョコレート・Bの5号をご注文のお客様〜

ぼくはお金と引き替えにそれを受け取った。後ろの客の会話が聞こえた。今度は若い女の人の声。

──ねえ、5号ってどれくらいの大きさ?

──そうねえ。子どもの頭くらいかしらねえ……

ケーキは厚紙のしっかりしたケースに入れられ、さらに持ち手のついたペーパーバッグに収められていた。ぼくはそれを提げて歩き出した。ケーキは意外と重かった。

駅前広場を過ぎた。気のせいか、ケーキはさっきより重くなっていた。スーパーの横を通り、近道なので古い団地の中を通った。ケーキはずっしりと重く、紙のひもは今にもちぎれそうに、指に食い込んだ。

──これ、ほんとにケーキなんだろうか……

だが、確かめるのがこわかった。夕暮れの団地の中は外灯が少なく、歩く人もほとんどいなかった。葉を落とした木々が黒い影を落とすそばを、ぼくはゆっくり歩いた。枯れ葉がくしゃくしゃと足下で崩れる。

ひとあしごとにケーキはずんずん重くなる。とうとう、ひもが切れかけた! あわててぼくは紙のバッグごとケーキを抱えようとし、次の瞬間、わっと声を上げてそれを放り投げた。ケーキの箱が、動いたように思ったのだ。

──気のせいだ……

だが、中を改めてみるまでもなく、ケーキはぐしゃぐしゃになっているに違いなかった。もし、本当にケーキだったとしても。ぼくは確かめたくなかった。

どきどきしながら紙のバッグごと引き寄せ、やはりずっしり重いそれをひきずるようにして団地のゴミ収集所に持って行った。そして、震える手でコンテナに放り込むと後をも見ずに走って帰った。

──コウタなの?

帰るなり母さんの声がした。ケーキを持ってないことをどう弁解しよう。ぼくは窮地に立ったと思ったが、その心配はなかった。母さんはそれどころではなかった。

──シンヤがいないのよ。友達のところにもどこにも行ってないみたい。お父さんが探しに行ってるけど……。

シンヤはそれから4日間、行方不明だった。母さんも父さんもあちこちに連絡したり出向いたりしてばたばたしていた。警察にも届けていたが、公表しないよう頼んでいたようだった。だけど、これはもう、いよいよきちんと公開して捜索したほうがいいという話が出てきたころ、シンヤは突然帰ってきた。

ぼくはそのときのシンヤの目を忘れられない。見かけはどこといって変わったところはなかった。だが、ぼくを見る目はまるで別人だった。それは、だれも知らない世界にひとりで行き、そして帰ってきた人間の目だった。

シンヤはもともと賢いやつだったが、小学生とは思えないすごみが加わったと思った。そのことに気付いたのはぼくだけだったかもしれないが……。

ぼくはシンヤに対して恐怖に似た感情を抱くようになった。一方、シンヤも口数が少なくなり、ぼくたちは以来ほとんど会話らしい会話をしなくなった……。


それから20年以上が過ぎた。ひさしぶりに開かれた小学校の同窓会で、ぼくはなつかしい名前を聞いた。屋根田先生だ。

──変な先生だったよなあ。

──音楽の時間なのに全然関係ない話をしたりさ。

──覚えてるかい、ほら、いつだったか、「この世界はある意味たいへん平等にできている」と言い出して……。

──ああ、あれだろ。願いがかなってしまうというやつ。

──屋根田理論な。

わっと笑い声が上がった。ぼくも思わず笑った。すると、一人の男がぼくに言った。

──そういえば、おまえの弟がおもしろいことを言ってたそうだよ。

──シンヤが?

──そう。おれにはシンヤくんと同い年の弟がいて、その弟から聞いたんだけどね。屋根田先生はその学年にも同じように屋根田理論をぶったらしいんだ、おれたちの次の年に。自分ではずいぶん気に入ってたんだろうな。そしたら……。

──そしたら?

──授業の後、シンヤくんが言ったそうだ。「平等にできてると言っても、可能性があるだけで、生きてるうちにそういう瞬間にめぐりあえるかどうかとなると、確率的にはすごく低い。せっかくその瞬間がめぐってきてもそのときほとんど何も考えてなかったり、せいぜいアイスクリームが食べたいと思ってるくらいかもしれない。それでは意味がないし、実際そんなものだろう。

だけど、こうも考えられる。ぜひかなえたい願いごとを持っている人間は、ずーっとそのことを考え続けるようにしたらいいんじゃないか? そうしたらそれがかなう確率はぐんと高くなるということになるよね? たとえそれがどんな願いごとであったとしても、『神様』は選り好みせずにかなえてくれるそうだし」と。

ああ確かにそうだな、と思ったよ。シンヤくんはやっぱり頭がいいな、と……。ぼくは自分の表情がこわばるのを感じた。

──でもシンヤくん、何か願いごとを持っていたのかなあ。そんなにずーっと考え続けるような……。


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子どものころから時々、左耳の後ろあたりが「きりきり!」と痛くなってた。母に言うと「お母ちゃんといっしょやな。それは偏頭痛や」と言われ、以来ウン十年、自分は偏頭痛持ちだと思ってたが、最近ネットなどで調べるとどうも違うみたいじゃないか、母よ(もういないけど)。

医者に行ったわけでないので確かじゃないけど「後頭神経痛」っぽい。で、ここ数日それがひどかったのでバファリンのお世話になっている次第(ロキソニンやイブは胃潰瘍の経験がある人は服用してはいけないらしいので)。