[4029] 大人を幼児化する火山のエゴイズム

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《なにしろ箱入り娘だからなあ》

■私症説[76]
 大人を幼児化する火山のエゴイズム
 永吉克之

■晴耕雨読[18]
 日常知識の意外な隙間
 福間晴耕

■羽化の作法[07]
 道行く人と道で暮らす人との境界線上で
 武 盾一郎




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■私症説[76]
大人を幼児化する火山のエゴイズム

永吉克之
https://bn.dgcr.com/archives/20151204140300.html

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噴火が収まったとはいえ、噴火警戒レベル2(火口周辺規制)が続いている阿蘇山と電話で話をした。

「噴火やめますか、それとも観光名所やめますか」(公共広告風に)

阿蘇山の返事。

「もちろん葮(註1)は、観光名所であり続けたいんでう。でも、肉体の要求に抵抗できないんでう。人間男性のみなあんだってあるでいょ? 噴火いたい欲求が。マグマがたまってくると。ね?」(註2)

註1)葮(だん)=男性の山が自分を指す場合に使う一人称。人間男性の「僕」にあたる。

註2)火山はサ行が発音できなくて、ア行と同じ音になってしまうので、慣れるまではコミュニケーションに困難を伴う。

この阿蘇山の返事、メタファが下衆なだけでなく、動機があまりに幼い。したいからする。周囲の顰蹙を買ってもする。それでは子供と同じではないか。下衆なだけならまだしも、それに幼児性が加わったら、もう対等には話せない。

いい年をした火山がそんなことを言うのを聞いて失望したが、彼の次の言葉が、その失望をさらに深くした。

「おれに、最近、噴火いたのは葮だけじゃないでいょ? 新燃岳とか桜島とか御嶽山とかも噴火いたじゃないでうか。箱根の大湧谷もなんかくうぶってるい」

噴火してるのは僕だけじゃないじゃん、他の火山もやってんじゃん、どうして僕だけ叱られるの? と言いたいのだ。

この発言(註3)が、「日本の火山に幼児化が始まっているのではないか」という疑念の「ヨード卵・光」を、油断しているスキに密かに私の腎臓に産みつけたのであった。

註3)山が言葉を発する場合「はつげん」ではなく「はつごん」。

                 *

阿蘇山の言ったことが、他山にも当てはまるのかどうかを確かめるために、私は、爆発的噴火を繰り返して、警戒レベルを上げ下げしている桜島に電話をかけて、片言隻句たがわず同じことを聞いた。

「噴火やめますか、それとも観光名所やめますか」(公共広告風に)

桜島の返事。

「はい、わかりまいた。噴火やめまう」

「そうですか! どうかよろしくお願いします」

しかし、そんな合意などなかったかのごとく、翌日からも桜島の小噴火は収まらない。その場しのぎに、もうしませんと言っておいて、また同じことを繰り返す。

「噴火やめる、って言ったばかりじゃないですか」

「だって、噴火いたいんでう」

火山の奴ら、体ばっかり一人前で、頭のなかはどいつもこいつもガキだ……と、怒りが全身を貫いた瞬間だった。

「ぐ、ぐわっ!」

私の腎臓に産みつけられていた「ヨード卵・光」が孵化し、私の背中を食い破って、その醜怪な姿を衆人の前に現し、凶暴な産声を上げた。

すでに生え揃った肉食獣の歯をもった怪物新生児は、そのまま逃げ去り、以来姿を見せない。縁の下かどこかで生きているか死んでいるかのどちらかだろう。

                 *

ふと、この数年、マスコミを賑わせた一連の出来事が浮かんだ。

・不祥事の釈明会見で号泣する兵庫県会議員

・親子以上に年の離れた教え子にストーカー行為をする教師

・ベビーカーが邪魔だといって、1歳児をなぐった64歳の男

・幼児にタバコを吸わせている動画をFacebookにアップした父親

・ゲームをするのに泣き声がうるさいといって乳児をプラスティックのゴミ箱に入れて窒息死させた両親

これらには共通項がある。それは「大人の幼児化」だ。

先日。仕事からの帰り。横断歩道の前で信号が青(緑)になるのを待っていたら、信号待ちの一群の間のなかから自転車がスイスイと抜け出してきて、これみよがしに信号無視をして渡っていった。

それだけなら、「そのうち痛い目にあうがよかろう!」と、この無法者が車に自転車ごと轢き殺されて、五体バラバラ、ハラワタまき散らして原形をとどめぬ肉塊になるところを想像して溜飲をさげるところである。

ところが、その自転車の荷台には妻か愛人か知らないが、若い女性が乗っていて、ハンドルの前の買い物カゴ(なのか、チャイルドシートなのかよく見えなかった)には、幼児を載せている。

で、自転車を運転している馬鹿野郎は、くわえタバコで荷台の女性となにやら楽しそうに話している。

私が判断できるだけでも、信号無視、ふたり乗り、くわえタバコ(路上喫煙)という、人類の三大罪業をことごとくクリアしている。この所業を目の当たりにして私は思った。あいつらは親子じゃない。三人の幼児だと。

私の職場でも実際に、チャイルディッシュな大人がいろいろやってくれている。採用された女性のアルバイトが、勤務の初日、昼休みに食事をしてくると言って出ていったきり、二週間経っても戻ってこない。

昼食をとるのに二週間もかかるとは考えられない。「この仕事、アタシに向かない」と思って逃亡したのだろうが、仕事が向かないと思うのなら、テキトーな口実をもうけて正式な手続きを踏んで辞めるべきだ。でも、それすらできなくて逃亡する。まさに幼児性の表れ。

もうひとり。できるだけたくさん入れるようにシフトを組んでください、と依頼しておきながら、初日に来ただけで、あとは無断欠勤。電話を何度しても出ない(あるいは何か重大な事件事故にまきこまれたのかもしれないが、その可能性はとりあえず無視する)。

彼らの論理はいたって簡単である。「したいからするんや」「したくないからせえへんのや」「ほしいもんはほしいんや」「いやなもんはいやなんや」。

                 *

大人の幼児化の原因が、火山だったという事実を前にして、われわれはただ立ち尽くすしかないのだろうか。これがさらに高じて、将来、国体の護持を危うくする前に何らかの手を打たねばならない。

まあ、火山とはいっても、規模が大きいだけで、その本体はフジツボなのだから、薬品を用いれば駆除は容易であるが、水質汚染が懸念される。

国体の護持をとるか、水を汚染から守るか。選良たる国会議員に託すしかあるまい。だから来年の国政選挙では是非、投票所に足を運んでもらいたい。私も泡沫候補として無党派で出馬する予定である。しかし、まかり間違って私が当選したら、なにかと面倒なので、投票所には足を運ばないでもらいたい。

ただ、火山には、江戸期の蘭学者、渡辺華山、映画監督のエリア・カザンなどを輩出してきた歴史がある。だからフジツボとはいえ、絶滅させることは、文化にとっては痛手となるわけで、なかなか悩ましい問題である。


【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp

本日金曜日、いよいよ最終回を迎えます。小説非小説『徒労捜査官』第35話《カニの野望》更新しました。構想の段階から目指していた「無責任な作品」となっているのかどうか、自分でもわかりませんが、もう終わったのでどうでもいいです。
http://ironoxide.hatenablog.com/


けなされず、かといって誉められもしなかったこの作品を根気よく読み続けてくださった読者のみなみなさま、ほんとうにありがとうございました。私の小説非小説家としての今後の去就については、家族(家族はいない)と相談のうえ決めようと思います。

・ここでのテキストは、ブログにも、ほぼ同時掲載しています。
無名藝人 http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz


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■晴耕雨読[18]
日常知識の意外な隙間

福間晴耕
https://bn.dgcr.com/archives/20151204140200.html

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誰でも知ってそうな事でも、それに縁がない人にとってはまるっきり判らないというのはよくある話だ。ある人にとっては料理かもしれないし、またある人にとってはパソコンの使い方だったりする訳だ。

自分にとってはそれはヘアメイクだろう。会社に勤めていた時もデザイン系の会社でスーツとは殆ど無縁だった上に、その後はフリーランスのデザイナーなどをやっている関係で、きちっとした格好とは殆ど無縁だったせいもあり、洋服はともかく髪の毛まではまったく頭が回らなかったのだ。

ようやく最近になって、いくらきちっとした格好をしても髪の毛がそのままでは駄目だという事がわかって、たまに整髪料などを見てみるがはっきり言ってよく判らない。しかもファッション誌は細分化されていて今更何を読んでいいかも分らないし、そもそも入門書的なものはなかなか見つからないのである。

それでもよくしたもので、最近のネットはググれば何でも書いてある。得てして検索上位に来るものが、企業ページとスポンジのようなアフィリエイト狙いの内容の薄いスカスカなページばかりなのはご愛敬だが、意外にWikipediaが役に立つ。

Wikipediaというと不毛な編集合戦や、一部の記事の内容の偏りなど批判的な話もよく聞くが、結構基礎的な事で充実した記事があったり、サブカル分野などでは結構役に立つのだ。

そしてもう一つの長年の謎が女性のファッションと化粧である。男兄弟の中で育った男にありがちなように、自分もまったくこの手の事は分らなかったのだ。

実はデザインやイラスト・写真の仕事をしていると、結構これがウィークポイントになってくる。

イラストレーターや漫画家はもちろんのこと、それ以外のジャンルでも意外と「人」を扱うことは多いのだ。ところがその時に女性のファッションと化粧がまったく分らないのでは話にならない。

(実は仕事ではないものの何かのやりとりで、女性の服や下着の話になったときスリップだったかシミーズだったか、何かえらく的外れな事を言って大笑いされたのは内緒だ)

周りを見回すと、確かにカメラマンの知人はファッション専門の人でなくてもファッションと化粧に詳しい人が多いが、これもモデルさんに指示を出すときに必要になってくると考えればよく分る。

女兄弟もなく、こうした職業に縁がない男性の場合、いざ結婚して初めてこれらのことを知るのだろう。それが笑い話を生むうちはいいが、たまに嫁さんが倒れたときに買い物一つ任せられないと言われたという話を聞くと、こうした自分に縁が無さそうな知識でも、知っておいたほうがいいのかも知れない。


【福間晴耕/デザイナー】
フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/


HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったのでインテリアを見たりするのも好きかもしれない。


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■羽化の作法[07]
道行く人と道で暮らす人との境界線上で

武 盾一郎
https://bn.dgcr.com/archives/20151204140100.html

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●道行く人に背を向けて

段ボールハウスは地べたに置かれているので、描くときはほとんどしゃがんだ姿勢になる。一日の乗降者数が数百万人もいる新宿駅で、通路からはみ出し人波に背中を向けて描いている。丸腰だ。しかし、そこに魅力もあった。
https://www.facebook.com/junichiro.take/photos/a.1053736031337950.1073741847.206228169422078/1073622076016012/


場数を踏んでいくうちに、だんだん通行人に対する恐怖心がなくなってくる。リュックは必ずしも背負わなくなる。そしてそのかわりにTシャツの背に「I can not speak English.」とか書いて着てたりした。

なぜなら、英語圏の外国人から話しかけられることはすごく多かったからだ。「ストリートで表現してる人は英語がペラペラ」という先入観を外国人は持っているのか、何のためらいもなく英語で話しかけてくるのだ。

もし、僕が海外に旅行に行ってストリートパフォーマンスをしてる人に話しかけるとしたら、現地の言語を使うよなあと思って、そこに何か英語圏の人たちの日本人を見る意識を感じざるを得なくて、カウンター的な意味を籠めて「Ican not speak English.」と書いたのだった。英語が喋れない日本人の屈折した気持ちが現された「作品」である(苦笑)

通行人とのトラブルを恐がって気を張って描いていたが、通行人の反応はポジティブなものが圧倒的に多かった。

ほとんどが「励まされました!」とか「自分の信じたことをやればいいんですね!」とかだったのだ。話しかけて来る人たちは意外にも二十代とおぼしき若い女性が多かった。女性は感想を述べる、男性は意味を述べる、という感じだ。

実は、僕はこのことに強く打ちのめされた。「打ちのめされるくらいの強度で救われた」と言った方がいいだろうか。

社会のレールの上に乗っかって、上手して生きてる圧倒的多数の人達に向かって、僕は「ふざけるなあ!」という気持ちをぶつけるように描いていた。

路上で寝ている人と自分を重ね合わせてドロップアウトしてる側から、「社会人というヤツら」に一撃を食らわすつもりで描いていた。だがしかし、圧倒的に好意的な言葉を返されたのである。「励まされた!」と感謝されたのである。

気持ちとしては窮地に追い込まれた側の「無差別テロ」的なところがある。しかし、その方法が「銃撃」ではなくて「藝術」だと、人を傷つけるどころか逆に人を励ましたりできるのだ。

この体験こそが、僕のアーティストとしての原点と言っても良いだろう。

●道で暮らす人たちの中で

1995年というのを、ある人は阪神淡路大震災で、ある人はオウム真理教事件で、ある人はWindows95で記憶しているだろう。

同じ時、むき出しの野宿者が新宿駅周辺にたくさん暮らしていた。言ってみたら、「乞食」とか「浮浪者」という存在が露出されていた。「平常な日常」と「平常ではない日常」が隣り合って互いに可視化されていた。このことは、けっこう記憶から抜け落ちていると思う。

路上で暮らさざるをえない人たちの呼び方も変わってきた。昔は、「乞食」か「浮浪者」だった。それが「ホームレス」となり、僕らが段ボールハウスに絵を描き始める頃は「野宿労働者」と呼ばれ始めていた。

ホームレスの人たちの多くは、もともと日雇い労働者だったらしいからだ。バブルがはじけ、都市の建設ラッシュも終わり、それと同時に便利な労働資源だった日雇い労働者たちが不要になる。

すると、簡易宿泊所なんかも利用できなくなり、路上で暮らすしかなくなる。社会保障なんかない。構図としては、いまの非正規労働者問題もまったく同じである。

だけど僕が見つめていたのは、労働問題ではなかった。心や哲学的な問題として「ホームレス」という存在を見ていた。仕組みの内側に入れない、システムからはじき出されることは、果たして単純に悲劇なのだろうか、不幸なのだろうか?

僕は仕組みの内側に入れない人々が暮らしている姿に、ユートピアやファンタジーを懸命に見い出そうとした。

僕の目に映る新宿段ボール村は、実に多様でバラエティに富んだ人たちが生活している場のようだった。日雇い労働者だけでなく、元自衛官、サラリーマン、それに女性も結構いた。美味しいごちそうをいただいた体験があるせいか、板前さんが最も多い印象である。

それから、目立って多く感じたのは、成人した知的または身体的に障がいのある人だった。障がい者でホームレスってあんまり語られないけど、僕にはとても多くいるような印象だった。

思い出してみると、小中学生の頃って学級に一人か二人は障がいのある子っていた。しかし社会に入ると、障がいを持った人と仕事をする機会ってほとんどなくなる。いつの間にかいなくなってる。けど、それってどこかいびつなのかも知れない。

家族でホームレスという人もいた。実際に結婚しているかは別として、カップルも結構いた。

いちばん最初に描いた「新宿の寅さん」と呼ばれてた佐々木さんも、親娘で段ボールハウスに暮らしていた。血は繋がってないらしいのだが20代前半の若い女性だった。僕らは佐々木さんのことを「親分」と呼んでいた。

ある時、僕らが段ボールハウスに絵を描いているすぐ近くで、親分がみんなと酒を呑んでいた。住民たちが昼間から宴会をやっていることはちょくちょくあった。ちょうど会話も聞こえる距離だった。呑みながら親分はこんなことを言っていた。

「うちの娘も早く嫁に出したいなあ……」

血は繋がってなくても娘を心配する親心は同じである。宴会は一瞬だけ間が空いた。きっといろんな思いが渦巻いたのだろう。

僕も、ホームレスの女性と結婚する人は現れるのだろうか? とか、ちょっとヘヴィな方向を無意識的に思考してしまってた。

そのあと、親分が続けてこう言った。「なにしろ箱入り娘だからなあ」
呑んでいたみんなも、「ホントに箱入りだわ!」と笑っていた。

僕はものすごい勢いでずっこけたが、なんとか聞こえていないフリをして絵を描き続けていた。(つづく)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/アーティスト歴20周年】

2015年最後の展示です![トンドの夢想家達展 vol.3]
12月4日(金) 5日(土) 10日(木) 11日(金) 12日(土) 17日(木)
18日(金) 19日(土) ※全8日間 ・開廊日は変則的なので注意して下さい
13:00〜19:00(最終日は18:00閉廊)
ギャラリー オル・テール
http://d.hatena.ne.jp/Take_J/20151203/1449140324


武盾一郎×立島夕子二人展無事終了しました! ありがとうございました!
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編集後記(12/04)

●若い頃、テアトル東京で「2001年宇宙の旅」のシネラマ初上映を見た。よく理解できないまでも、ショッキングな体験だったと思う。その後、WOWOWなどを録画して何度も何度も見たが、やっぱり未だに正確には理解できていないのである。これに輪をかけた難解なSF映画「インターステラー」をDVDで見た。パッケージをチラ見して、ああ宇宙SFね、そのうち見るか。あれ、どこかで読んだ覚えがあるぞ。デジクリの連載「映画ザビエル」でカンクローさんが書いていたではないか。あっ、クリストファー・ノーランって、難解のあまりわたしが一度投げ出した「インセプション」の監督ではないか。大丈夫かなあ。

ちょっと不安を覚えながら見始めたら、これが超絶技巧のビジュアルに、よく理解できないがとても意味深長な、ガチガチのハードSFではないか。こんなとてつもない映画があったとは! 約3時間、目が離せない。見る者の理解度を慮ることなく突っ走るんだからたまりません。三次元における不可逆性の時間と重力場、特殊相対性理論、特異点、ニュートン力学、スイングバイ航法、ブラックホール、ワームホール、とかなんとか、若い頃見栄はってハードSFをむりやり読んだものだから、多少はわからないでもないが、正直言ってストーリーを完全トレースするのは無理無理。みんな、理解して見ているのかなあ。

比較的わかりやすいのは、父と娘の愛の話である。予想通りの展開は、宇宙から帰還した主人公が再会する娘は、ウラシマ効果により自分より年長になっているというところだ。だがこれはエピソードのひとつだ。この映画が本当に言いたいことは、……よく分からない。ストーリーについていけなくても、構想とビジュアルのすごさはよくわかる。超弩級といっていいだろう。SF知識を蓄えて二度見、三度見してみようと思う。ネットには知識をひけらかす人がこの映画を得意気に語っているサイトがいくつもあったが、いまひとつ素直に読めないのだった。アメリカ映画については町山智浩の話を聞くのが一番いい。

「インターステラー」=「フィールド・オブ・ドリームス+2001年宇宙の旅」という直感もナイスな彼は、監督にインタビューしている。監督はアポロ計画など人類が宇宙を夢見ていた時代が大好きで、「いま、科学技術は本当に進んだけれども、スマホとかネットとかコンピュータとか、そっちの方ばっかりじゃないか。それ、内向きだろう。あまりにも。本当にみんな下を見て、スマホをずっとやってるじゃないか。黙って。どうしたんだよ、これで人類、どうなるんだよ」と言っていたという。我が意を得たりである。「この映画の隠されたテーマは『人類の進化』なんですよ」と町山。ほんとにそうだね。 (柴田)

映画ザビエル[04]スペース☆ダンディ カンクロー
https://bn.dgcr.com/archives/20151019140100.html


「インターステラー」オフィシャルサイト
http://wwws.warnerbros.co.jp/interstellar/


「インターステラー」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00UMB8BF8/dgcrcom-22/


町山智浩 クリストファー・ノーラン『インターステラー』を語る
http://miyearnzzlabo.com/archives/21003



●「『壊す』という行為を避けて通っている。」の続き。実生活と同じだなぁと。プレイスタイルには個性が出る。

壊すのが好きな人、構築するのが好きな人、アイテム在庫を気にせず使いまくる人、レアアイテムのMUFJカプセル(東京三菱UFJ銀行とタイアップ。アイテムを入れておけば増える時がある)で増やすために使わない人、逆になくなったら取りにいけばいいんだというアクティブな人、柔らかいポータルをたくさん壊すのが好きな人、硬いポータルは相手からの挑戦とばかりに壊すのにやりがいを見いだしている人……。

壊すのが嫌いだから、新しい大きなものが作れない。アイテム在庫のことを考え、日々の増加を楽しみにしているからアクティブになれない。使う時はレベルの低いものから使うセコさ。つまりいつまでもレベルの高いアイテムで思い切ったことができない。

宵越しのアイテムは持たねぇとばかりに行動できる人は、やっぱり成果を上げていくのよね。続く。 (hammer.mule)

まにまにフェスティバル(まにフェス)P4
http://m2college.net/fes4/