[4034] 受動意識仮説は人をお寺へ導く

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《春になったら「ブルマおじさん」か》

■Otakuワールドへようこそ![224]
 受動意識仮説は人をお寺へ導く
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■Otakuワールドへようこそ![224]
受動意識仮説は人をお寺へ導く

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高度な精神のはたらきが備わっているおかげで、多彩な生活を営んでいるわれわれ人類といえども、本質的には機械と大差ないのではないかという仮説が有力視されるようになってきている。

われわれには自由意志が備わっており、昼飯にラーメンを食うか、ハンバーガーを食うかは自分が好きなように決められるというのが、感覚的には疑いの余地がないことのように思える。決めている主体は、この「わたし」である。

ところが一方、われわれの肉体は食ったものでできているのであるから、その材料は、そこらのスーパーで売っている肉とか野菜とかである。原子レベルまで分解すれば、構成要素は炭素とか酸素とか水素とか窒素とかカルシウムとか鉄とか、まぎれもない物質である。

物質の挙動は物理法則にしたがう。物理の側を主体に考えると、自由意志なんてものの生じる余地があんまりなく、われわれが精神と称する領域の一切合財のはたらきが、いったいどこから生じるものなのか、謎である。人類は何千年にもわたって、この謎を抱え続けてきた。

ところが、ここへ来て、解決の糸口がみえてきた。精神なんてものは、錯覚のなせるものであって、実は存在しないんだ、ってことにしちゃえば、たしかに矛盾は解消する。

ラ・メトリの『人間機械論』(1747年)である。いやいや、それじゃなくて。扉を開けたのはベンジャミン・リベット氏によるところが大きかったと思う。リベット氏の実験についてはご自身の著書『マインド・タイム』(2005年)に詳しく書かれている。

われわれ人間が、今からこれこれのことをしようと思い立った瞬間よりも0.5秒前から、脳内では行動の準備が始まっているということを、実験によって示している。自由意志とは、どうやら、錯覚とか思い込みのたぐいのものであって、ほんとうはそんなものはなく、脳内の物理作用によって、必然の法則から決まっているのだということが示唆されている。

昼飯にラーメンを食うか、ハンバーガーを食うかは宇宙の開闢(かいびゃく)以来、決まっていたことなのである。われわれの自意識は、脳内自動決定を後から観察して、自分が自由意志を発動して決めたのだと錯覚しているだけ。

リベット氏自身、自分の仮説が直感に反するもので、とうてい受け入れがたいものであるとして、著書の後半では、実験結果とわれわれの直感との折り合いのつくような新たな仮説の捻出に苦心している。

学術の世界で自由意志の存在がぐらついたからといって、われわれ一般庶民の日々の生活がすぐにどうかなっちゃうわけではない。なんだか、雲の上で優雅に暮らす仙人たちが暇つぶしに展開する机上の空論みたいな感じの話ではある。

しかし、やがては気がつきはじめるときがくる。テクノロジーの発展の成果として、気が利きすぎるメイドロボットが世の中に普及するようになる。

ふと、ラーメンが食いたくなったな、と思う。思った瞬間に目の前にラーメンが出てきている。

ご主人:今、思ったばっかりなんだけど
メイド:前々から分かってました
ご主人:前々からっていつからだ?
メイド:宇宙の開闢以来

自意識という錯覚が、フリフリヒラヒラで萌え萌えきゅーん(はぁと)なメイドロボットにより、木っ端微塵に粉砕される。人類のうぬぼれが崩壊する瞬間である。シンギュラリティ。

自由意志不在のテーゼを一般の人々が実感として分かり始めたとき、心の平安を保っていられるであろうか、というあたりが心配になる。自己崩壊の危機にさらされたりしないだろうか。精神に松葉杖が必要になったりしないだろうか。

そういうときに行くべき場所として、太古の昔より、扉を開いて人々を待ち続けているのがお寺である。そうだ、お寺に行こう。

人間機械論に直面して、私はどうしたらいいでしょう、との問いを引っ提げて、奈良県吉野のお寺を訪問し、僧侶から話をお伺いしてきた。11月28日(土)のことである。

そういうときになぜセーラー服を着ていくのかという必然性については説明しづらいのだが、これまた宇宙の開闢以来、決まっていたことである。

●吉野にいたる道

中野の「坊主バー」にときどき行く私は、高円寺に姉妹店として「尼僧バー」がオープンしたことを知り、そっちにも行くようになった。

7月4日(土)、二度目に行ったとき、カウンターの上に置いてあるCDが気になった。タイトルは『菩薩 Revolution』。アーティスト名は「愛$菩薩」。お店でかけてもらったら非常に面白かったので、ご本人にコンタクトを取って、一枚、郵送してもらった。

愛$菩薩さんについては、7月17日(金)のこの欄に書いている。
『漫画のアイドルとお寺のアイドル』。
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20150717140100.html

8月28日(金)、難波でライブがあり、愛$菩薩さんが出演するというので見に行った。始まる前に、偶然、ちょこっとだけお話する機会が得られた。

愛$菩薩さんは、奈良県吉野にある浄土宗のお寺「西迎院 (さいこういん)」で副住職を務める。そのお寺で生まれ育ち、父親が住職である。

9月13日(日)、本拠地で初のライブが開かれている。『お寺 SONIC』略して『テラソニ』。私はそれにも行っている。

難波と吉野のことは、10月2日(金)のこの欄に書いている。
『夏が去ってもミラクルは続く』。
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20151002140100.html

10月6日(火)、愛$菩薩さんから、ツイッターのメッセージが来た。11月10日(火)に用事で江戸に行くのだけど、夜、一緒に尼僧バーへ行きませんか、というお誘いである。おー、行きます、行きます。

夏ごろだったか、浄土宗の大本山である芝の増上寺に行ったとき、作務衣のモデルとしてスカウトされたのだそうで、江戸での用事とは、その撮影のために11日(水)、再び増上寺を訪れるものだそうである。

高円寺の尼僧バーは 11:00pmで閉まる。中野の坊主バーは、もっと遅くまでやっている。この際だから、ハシゴしちゃいましょう。火曜は定休日だというが、あらかじめ言っておけば店を開けておいてくれるというので、そうしていただいた。

坊主バーの釈氏は、愛$菩薩さんを存じ上げているとのことで、CDを入手したいというので、私はそれを伝えておいた。

当日、私は仕事帰りに高円寺の焼き鳥屋で一杯ひっかけてから尼僧バーに行った。姿はB面である。10:00pmを5分ほど遅れて到着したが、愛$菩薩さんはまだ到着しておらず、少し後に現れた。半袈裟姿でも、キンキラキンのステージ衣装でもなく、ごく普通の十万三十三歳の女の子の格好で、けっこうかわいくてドキドキしてしまった。

お店は11:30pmごろまで開けてくれていて、それからタクシーで中野へ移動し、坊主バーへ。そこで2:00amごろまで話し込んだ。翌日、モデル撮影があるというのに、遅くまで引き止めちゃって、申し訳ないことをしたが、撮影はうまくいったみたい。

坊主バーで、私は、ドラえもんの「どこでもドア」について話した。あれは究極の精度をもつ3Dスキャナと3Dプリンタという二つのユニットからなる。もし仮に、分子レベルで完璧な精度で人間のコピーが取れる技術があったとして、そこに出力されるのは、いかなるものか。

(a)肉体だけあって生命が不在なので、死体のようなもの
(b)肉体と生命だけあって精神が不在なので、植物人間のようなもの
(c)肉体と生命と精神があるが、経験がないので、精神は赤ん坊のようなもの
(d)他人からみても、本人にとってもオリジナルと区別のつかない完璧なコピー
(e)その他

また、リベット氏の実験に由来する、受動意識仮説についても語った。

11月12日(木)、吉野に戻った愛$菩薩さんからツイッターメッセージが届いた。「どこでもドアの話を住職にしたら佛教サイドからの答えがあるようでした! 対談していただけたらと思います」。ぜひにぜひに!

という経緯があって、11月28日(土)、吉野へ再び足を運んだ。今度は一人ではなく、プロの写真家である岩切等氏とともに。

●げっ、先を越された

吉野のお寺を訪問して、いいネタが仕込めたと満悦した二日後の11月30日(月)、まったく同じ発想にもとづいて企画されたと思しき対談をレポートする記事がネットに上がっているのを発見して、驚愕した。

人工知能研究者と僧侶とがお寺で対談したというもの。題して、「人工知能は悟れるのか」。導入部には、下記のように書いてある。

クリエイター、研究者、僧侶らで語る「人工知能の現在と未来」。SENSORS SALON 第8回の参加者は真鍋大度氏(Rhizomatiks Research)、松尾豊氏(東京大学特任准教授・GCI寄付講座共同代表)、市原えつこ氏(アーティスト)、松本紹圭氏(光明寺僧侶)、そしてモデレーターに西村真里子(HEART CATCH)。舞台となったのは神谷町光明寺。エンターテイメントから宗教まで、人工知能が変えようとしている世界の様々な事象を語り尽くした。

11月27日(金) の予告記事に始まり、11月29日(日)から12月3日(木)まで5日間連続でアップされたレポートのうち第2回目を、ネットに上がったその日に私が見つけたというわけだ。

【5日間連続公開】クリエイター、僧侶、研究者が語る「人工知能の現在と未来」
http://www.sensors.jp/post/salon0.html

ライゾマ真鍋大度らが語る、ゴッホやピカソを凌駕する人工知能×アート論
http://www.sensors.jp/post/salon_ai1.html

「人工知能は悟れるのか?」光明寺 松本僧侶×東大 松尾豊 研究者対談
http://www.sensors.jp/post/salon_ai2.html

「あなたは人工知能と恋愛できますか?」アーティスト市原えつこが創造する未来の恋愛
http://www.sensors.jp/post/salon_ai3.html

「アニメ大国・日本は人工知能競争で勝てる」東大松尾豊の提言
http://www.sensors.jp/post/salon_ai4.html

「修行するAI」人工知能の未来 ─ 真鍋大度×光明寺 松本僧侶×市原えつこ×東大 松尾豊
http://www.sensors.jp/post/salon_ai5.html

さらに、11月29日(日)の3:15am〜3:45am(土曜深夜)に、日テレの番組『SENSORS』でも放送されている。この番組自体、ウェブとテレビをミックスする新たなメディアを展開する狙いに基づくものであり、番組と上記サイトの記事とが連動している。

なぜ会場がお寺なのか、なぜ参加者のうちの一人がそのお寺の僧侶なのかについては、「異色なメンバーで」としか説明されていないけれど、私と同じような思いが企画者の念頭にあった可能性は多分にあろう。

僧侶の松本氏のプロフィールをみると、東京大学文学部哲学科卒業、2010年、インドのSchool of BusinessでMBAを取得とあり、超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』(higan.net)を設立したともあるので、僧侶かどうかよりも、議題について語れる人として適役だったということもあるかもしれないが。

松本氏は、いきなり、東大の研究者の松尾氏に「人工知能は悟れるのか」という質問を投げかけている。そもそも悟りとは何か、悟るとどうなるかというあたりから説き起こされるが、それがじゅうぶんに語られないうちに話題は別のほうへ移ってしまい、結局、元の質問に立ち返ってくることはなかった。なんだかはぐらかされたような気分である。

ライゾマの真鍋氏と東大の松尾氏は、人間の精神の本質を問うような面白いことを実践的に仕掛けてきたりはしながらも、個人としては現実世界に対して非常に健全に適応しており、精神の奥底の黒い深淵を覗き込んで、根源的な問いについて病むほど悩むという趣味はあまりなさそうである。人間は、身辺が適度に整理整頓されていて、快適に暮らせていれば、とりあえずは幸せ、という世界観をもっているようにみえる。

対照的に、僧侶の松本氏とアーティストの市原氏は、悟りとは何か、人工知能との共生により人間の精神はどのように変わっていくか、といった、抽象論のほうへ興味が向いていく傾向がある。人間の精神を得体の知れない底なし沼のようなものと捉え、根源的な問いの中に深くもぐっていく指向をもっているようにみえる。

土台がまるっきり違うもんだから、当然、議論はちっともかみ合っていないが、てんでばらばらのジャンルから出てきた代表者たちによる議論のいちばん面白いところはそこにあるとも言える。

ところで、モデレータの西村氏は、私がよく知っている人ではないか! 幕張
メッセで開催された『東京ゲームショウ2015』で、「株式会社ガルボア(GaLboa)」のスマホアプリゲーム『おやじ Girly』のブースに、9月19日(土)20日(日)私を出演させてくれた人だ。将棋のプロ棋士である加藤一二三九段とステージに上がらせていただいている。

別のイベントへの出演話を持ってきてくれていて、12月1日(火)の夜に市ヶ谷で打合せをする予定になっている。記事を見つけた日の翌日だ。聞くと、このディスカッションが催された日は11月9日(月)だったそうである。私より19日早かった。

完全に先を越されましたとシャッポを脱ぐと、いやいや、視点が違えばまた違った味の記事になるはずだからと慰められ、多少、気をとりなおした。

西村氏は、世の中の将来ビジョンが人よりも遠くまでよく見えている、聡明なフューチャリスト(未来派)である。国際基督教大学(ICU)卒、IBMでエンジニア、Adobeにてマーケティングマネージャー、デジタルクリエイティブカンパニー(株)バスキュールにてプロデューサー従事後、2014年、株式会社HEART CATCH設立という、きらびやかな経歴をもつ。

そんなお方が、人工知能のテーマで僧侶から話を聞こうと思い立ったということは、やはり近い将来、われわれに救いの光を投げかけてくれる存在として僧侶が待望される日が訪れることを予感させてくれるではないか。仏教はこれから来るトレンドだ。会いに行ける賢者。

●仏教では唯物論と順番が逆

11月28日(土)、9月のときと同じ列車で吉野に向かった。

8:50 東京 ─ 11:08 京都、のぞみ103号広島行
11:50 京都 ─ 12:44 橿原神宮前、近鉄京都線・橿原線橿原神宮前行特急
12:47 橿原神宮前 ─ 13:11 下市口、近鉄吉野線吉野行特急

途中、新横浜駅から乗ってきた岩切氏と、自由席1号車で合流した。京都駅新幹線コンコースで、岩手県盛岡からの修学旅行生と遭遇。新幹線を乗り継いで帰るところだった。ほとんどの生徒がなぜか私を知っていたようで、すごい騒ぎになった。

下市口で降りて、徒歩で西迎院に向かうと、途中に商店街廃墟があり、ものすごくいい感じに荒廃しているのが、岩切氏も私もすっかり気に入って、ずいぶんたくさん撮ってもらった。お寺に到着したのは2:00pmごろである。

浄土宗の総本山は京都市東山区にある「知恩院」である。ご住職様から差し出された名刺の肩書きには、「総本山知恩院 布教師会会長」とある。よく分からないけど、ものすごーく偉いお方なんじゃないだろうか。撮影とお話しで、6:00pmごろまでたーっぷりお時間をいただいた。ありがたすぎることである。

「統一的主体」について教えていただいた。科学的な立場からすると、まず、宇宙という空間があって、空間の中に物質があって、物質によって肉体が構成され、そこに生命や精神が宿るという考え方をするが、仏教では、まるで逆であるという。

まず生命ありき。その生命の格に応じた肉体が与えられる。犬には犬の身体。その身体をのぞき窓のように使って世界を見ているので、人によって世界がどう見えているのかが異なっているものである。それでいい。

唯一絶対の世界が先にあって、それをありのままに正しく捉えることができなければ、それは認識するわれわれの側の誤りであるというふうには考えない。世界は人それぞれの見え方をしていていい。仏教は、科学とは、基本的な考え方の原点が異なるという。

臨済宗や曹洞宗などのいわゆる禅宗では、悟りの境地とは「無」になることとされるのではないかと思う。それって、自由意志など「ない」と知るということに似てないだろうか。

しかし、浄土宗では、そういうことではないらしい。何を一番大切なこととして生きていくべきかというと、それはいつくしみの心だという。人さまから苦を取り除いて幸せになってほしいと願う心である。「仁」、「恕」、「悲」などと書き表される。

表現のしかたは異なっても、古今東西の賢者・聖者たちは、どの宗教を信仰するかを問わず、みな同じことを言っているという。

他にも、いろいろな話が出た。無限次元の空間のことにも及んだ。死後のことにも及んだ。

死んだらおしまい、それっきりで、無になってしまうのか。そうではないという。もしそうだとしたら、どうせ何も残らないのであれば、どう生きたって一緒ではないかというヤケっぱちな心が生じ、他人を踏みにじってでも自分の得になるように生きようという自己中心的な考えがまかり通ってしまい、よろしくないという。

まだまだたくさんあって、ここに書き留めてお伝えしたい気持ちは山々だが、きりがないので、これくらいにしておこう。

ご住職様は、私一人だけのために長い時間をとってくださり、ひとつひとつの質問に対して、真剣に考えて、ていねいに答えてくださった。ほんとうにありがたすぎることである。

ひょっとすると、科学も宗教も、究極的に行き着きたいところは、根源的な問いに対する正しい答えであって、どちらも一緒なのかもしれないが、歩みが着実で間違いが少ないけれども進展が遅すぎて間に合わない科学的アプローチに対して、宗教はまるっきり逆向きのルートからアプローチしているように感じられる。テクノロジーにやられて満身創痍になった人々に救いをもたらしてくれそうな気がする。

お寺を出たすぐのところに「西迎院前」バス停があり、17:47に下市口駅前を出たバスが来た。車がめったに通らない道を山奥へずんずんずんずん入っていき、1時間ほどで終点の洞川(どろがわ)温泉に到着した。川に沿って、どっしりとした木造の旅館が立ち並ぶ温泉街である。

人気の高い温泉で、日本全国から人が来てそれなりに活気があるけれど、女人禁制の大峰山の登山口にあたる門前町であって、よくある温泉街のような享楽的な空気ではなく、静謐である。しかも、めっちゃ寒い。

予約を入れておいた「いろは旅館」はたいへんよかった。写真を撮るのによさそうな古くてどっしりした造りで選んだのだが、建物のあたたかみに加えて、人もあたたかく、人情味たっぷりであった。

朝は、総出で見送ってくれた。付近の散策路を小一時間ほど散歩した。森の妖精になっているワタシ。下の道と鍾乳洞とをつなぐモノレールは、羽田空港線みたいなやつではなく、軌道は鉄道の線路にそっくりなのが一本だけであった。これでよく転ばずに行けるもんだと、たいへん不思議である。傾斜がたいへんきつい。

午後には奈良へ行き、シカと戯れ、東大寺を見物した。修学旅行気分である。東大寺でも青森からの修学旅行生の大集団と遭遇し、やはりたいへんなことになった。

岩切等氏撮影による写真はこちら。
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/Town151128I
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/Town151129I


【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
セーラー服仙人カメコ。アイデンティティ拡散。
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12月5日(土)、『第二回浅草紅白歌合戦』が催された。今年もまた、本宮映画劇場の田村U子さんと一緒に歌ってきた。

去年の模様は、2014年12月12日(金)のこの欄でレポートしている。
『異常にパワフルな中年たちが本気でふざけた浅草紅白歌合戦』。
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20141212140100.html

われわれは、セーラー服姿で『セーラー服を脱がさないで』をフリつきで歌ってきた。今年は、同じではつまらないので、半袖の体操着に赤いブルマという姿で『アタック No.1』の主題歌を歌ってきた。「だけど涙が出ちゃう。女の子だもん」という台詞がある、アレである。おっさんですがなにか?

12月3日(木)の夜、練習しておこうと、仕事帰りに一人カラオケ専門店「ワンカラ新宿大ガード店」に立ち寄った。テレビ朝日がそのお店を取材しているところへ、ちょうどいいタイミングで入っていった私。姿はB面である。

インタビューされ、歌ってるところも収録された。シャイな性格で、ついこの前まで人前に出て歌うことのできなかった私だが、いつの間に、テレビカメラの前で歌ってのける度胸がついたのだろう。番組は『スーパーJチャンネル』である。

練習の成果を見たいということで、浅草のイベントにもテレ朝の収録班が来てくれた。けど、これ、放送されるだろうか。テーマはあくまでも、一人カラオケ専門店であり、企画としては、典型的なお客さんのサンプルがほしかったのではなかろうか。私はずいぶん外れてないだろうか。

飲んだらすっかり気が大きくなり、そのまま帰れちゃうような気がしてきた。銀座線から神田で中央線に乗り換えたときは比較的空いていたが、ふと気がつくとぎゅうづめの混雑であった。私は左隣りに座っている女性の肩を借りて、爆睡こいてたらしい。

中野に着くと、その姿にもかかわらず、私をセーラー服おじさんと認識してくれる人がいて、ずいぶん写真を撮られた。案外どうってことなく、まかり通っちゃうもんなんだね。今はちょっと寒すぎるけど、春になったら「ブルマおじさん」もときどきやってみようかなっと。

張 徽慶氏による写真はこちら。
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/Event151205

12月6日(日)、お金があり余って困ったので、五つ星ホテルの高層階で催された宴席にAKB48のメンバーを二人、呼んでみた。いちばんびっくりしたポイントは、ビジネスマナーが完璧だったこと。誰がしつけたのであろうか。

まあ、もちろん嘘である。いろいろ嘘である。場所は「わたみん家 赤羽東口駅前店」であった。来てくれた二人は、一人3,000円ずつ置いて、先に帰っていった。こっちから呼んだのではなく、向こうから取材に来てくれたのであった。AKB48ではなく、その姉妹グループSDN48であった。元メンバーの双子の姉妹である。

ビジネスマナーは完璧であった。もしかして、持ちつけないお金を急に持ったベンチャー企業の成金社長たちの宴席に呼ばれて行く、なんていうお仕事もしていたのであろうか。それを聞いたら、むにゃむにゃむにゃむにゃという答えであった。

ポップカルチャー研究家の櫻井孝昌氏が12月4日(金)に事故で亡くなった。東大寺で修学旅行生たちに囲まれている写真をフェイスブックに載せたところ、「すごい(^-^)」とコメントをくれたのが11月30日(月)のことであった。

11月13日(金)に御徒町で飲んだときは、私の左隣りに櫻井氏が座っていた。
「国際オタクイベント協会(IOEA)」の事務局長として、世界のオタクイベントをつなぐことに尽力してきた方である。弁舌さわやかで、エネルギーの塊みたいなパワフルな方という印象であった。

去年、フランスでもお会いしている。バスチーユのオープンカフェで一緒に飲んだのであった。今後もぜったいにいろいろつながりが出てくるはずの人だったのに。

西日暮里駅は、ホームの片側にだけホームドアが設置され、もう片方は設置予定のようであった。酔って帰ったからってホームから転落することなどめったにあることではなく、そこへちょうど電車が入ってきちゃうなんて、確率で言ったらどれほどゼロに近いんだ。

きっと天国に呼ばれたんだろうという。あっちで大きなイベントがあって、櫻井氏の力が必要だったんだろうと。これからは天上の世界で大活躍して下さい。


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編集後記(12/11)

●2008年以降、中学・高等学校で「地球温暖化」の教育が行われている。文科省の学習指導要領で定められたからだ。教科書にはIPPCの受け売りが掲載されている。義務教育で学問的に評価の定まっていない事柄(しかもエセ科学)を一方的に教え込むとは、根本的に誤りである。子供たちに「温暖化をもたらすCO2の排出量を削減するために何をしたらよいか」なんてやってるらしいが、言ってる先生だって温暖化の実感なんてあるまい。猛暑の夏だってヒートアイランド現象だろうが。CO2が温暖化の原因であるならば、CO2濃度が年々増え続けているのに、気温が18年間横ばいであるはずがない。CO2温暖化は大ウソだ。

俗説その1◎地球温暖化によって海水面の上昇が激しい。このままでは世界中の沿岸地域が水浸しになりツバルやモルディブが水没してしまう。 →島の水没はCO2温暖化の「大義」に合わせるためのお粗末な作文であったことが判明。そもそも珊瑚礁は沈まない。島嶼国の洪水対策は気候変動とはまったく無関係の話である。俗説その2◎地球温暖化によって世界中の氷河が消えようとしており、また北極海の海氷が減っている。やがて消えてしまうと大変なことになる。 →北極海の海氷が減ったのは気温上昇のせいではなく、海流の変化によると専門家も認めている。2013年からは氷河は増加に転じた。

俗説その3◎温暖化によって台風やハリケーン、サイクロン、竜巻などが増えている。 →気象は常に大きく変動するもので、大昔からある確率でくり返し起こっていた自然現象。俗説その4◎地球温暖化で平均気温が2度C上昇すると、温室効果ガスの増幅作用で(後戻りができなくなり)灼熱地獄に向かうかもしれない。 →2度C生みの親、ポツダム気候影響研究所のシェルフンフーバーは「2度Cは別に魔法の数字ではない。単なる政治目標だ」と言う。2度C目標は真の科学とはまったく関係ない。以上のように、俗説はもっともらしく聞こえる。俗説を正義と思いこむ地球温暖化信者にとって、正論はカルトらしい(笑)。

「地球温暖化との戦いと、テロとの戦いを分けることはできない。我々が立ち向かわなければならない二つの大きなグローバルな挑戦だ」とCOP2で大層な演説をしたのは、議長国フランスのオランド大統領だ。大丈夫か。片一方の戦いはドイツ発の虚構、むしろ詐欺だよ。それを「温暖化がテロや紛争の土壌を生み出すという考え方は、これまでも複数の国際的な報告書などで指摘されてきた」と拡大するのは朝日社説だ。マスコミはIPPCの旗を担いで、地球温暖化の危機感を煽ることに熱中している。しかし、虚構をテロに結びつけるとは……。俗説その5◎ として挙げておく。CO2温暖化教は9条教と同根かな? (柴田)

深井有「地球はもう温暖化していない 科学と政治の大転換へ」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582857914/dgcrcom-22/


●昨日、コーヒーミルやら全自動コーヒーメーカーを検索していて、見つけたショッピング動画。やはり音はうるさそう。しかし音についての感想はなくスルーされていて、トーク少なめの番組なのだろうかとその後も聞いてしまう。

「コンビニでも一杯100円はしますよね」「でもこちらは30円」という流れ。へぇ安いんだなぁと画面を見たら「コーヒー豆100g250円」の補足表記。え? そんな安いコーヒー豆ないでしょ!

で、検索したらありましたよ、100g250円のコーヒー豆が。島根県松江市の松浦珈琲さん。そこには、スーパーだと100g100円のもあると書かれてあったけれど、知る限りではそんなに安いのは見たことないよ。 (hammer.mule)

毎日プチ贅沢!豆から挽ける全自動コーヒーメーカー


ロープライス革命
http://matsuuracf.exblog.jp/i17/

100g300円になってたわ
http://matsuuracf.exblog.jp/i0/

1g1円のコーヒー豆があった……100円は存在したのね
http://www.sawaicoffee.net/item/6.html

まにまにフェスティバル(まにフェス)P4
http://m2college.net/fes4/