メグマガ[04]2016年は、一時間遅れでやってくる。
── こいぬまめぐみ ──

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師走も半ばにさしかかり、今年も残すところ半月。この時期になると、人の集まるところにはこの定型文で溢れ返る。

「早いもので今年もあと少し…」

「2015年あっという間だったね」

話の導入を遮らないように大抵その場では同意して流してしまうが、実際にそう思ったことはない。Yahoo!の検索大賞や報道番組の今年のニュース大特集でこの一年間の出来事を振り返ったり、一年前の自分が書いたネタ帳を読み返してみると、人々は今とは違うことに興じ、私は今とは違うことを考えている。




三年前なんてきっともっと違う。そこに一年間や三年間という月日の流れをあてがってみると、とりわけ早くも遅くもなく、妥当ではないかと思うのだ。

現代人は常に時間を欲している。一日二十四時間じゃ足りない、もっと自由に使える時間を持ちたいといった願望は、本屋さんにたくさん並べられている「時短テク」の本からも見てとれる。それなのに、まだ火曜日か今週長いなとも思うし、時間がないと言いながら暇つぶしの手段を探している。

時間の体感速度は誰が決めているのだろう。9月17日と9月18日の変わり目に、今年も一年早かったなとは思わないということは、時計やカレンダーによって時間の経過が可視化されることで、自分が今一日や一年のどの地点にいるのかを認識しているのだろう。

ということは、自ら可視化した時間の流れをつくり出すことで、自分のライフスタイルも変えることができるのではないかと考えた。

そこで今回は、私が最近開発したタイムマネジメント法をご紹介しよう。だが、これを思いついた動機は時間を有効に活用したかったからではない。早起きが苦手な私が、寝坊した朝をなかったことにする細工を施したのが始まりである。

その方法は至って簡単なもので、お手持ちのスマートフォンや腕時計の時刻表示を実際の時刻よりも進めるというものである。

ご存知だろうか、(他機種はわからないが)iPhoneの時刻設定は自動から手動に切り替えることで、デバイス内の時刻表示を自分の好きな時間に変えることができる。

これを就寝前に発見した私は、思い切ってiPhoneの時刻表示を、東経135度の日本標準時子午線が定める時刻よりも一時間進めてみた。本当は家中のすべての時計も同じようにしたかったが、実家住まいのため、他の家族の生活が混乱しそうなのでやめておいた。

東京の自宅のベッドに寝転がりながら、枕元のiPhoneの時計はグアムの現在時刻を指している。そうして、自らの中に一時間の時差を作り出した私は眠りについた。

翌朝、気持ちのいい冬の朝の二度寝から目覚め、何度目かのスヌーズ音を止め、iPhoneの時刻表示を目にした私はハッと我に返り飛び起きる。若干の寝坊である。ベッドから飛び出し、着替えをしている最中に、昨夜の自らの計らいを思い出す。寝坊は帳消しされた。

しかし、ここで重要なのが、あくまでその進めた時間の中での生活を徹底することである。ここで安心して三度寝してしまっては元も子もない。そこそこ急いで身支度を整えた私は、大学へ向かう。

しかし到着したのは始業の一時間前。大学へ三年間通って、こんな経験ははじめてである。図書館へ行き、ずっと気になっていた本を借り、閑散とした自習室で本を片手に考え事をする。

パッと時刻を目にしたとき、円盤の中で針と針が交差しながら時を知らせるアナログ式の時計よりも、スマートフォンやパソコン上、朝や夕方のテレビの左上に刻まれる四桁の数字が時を知らせるデジタル式の時計の時刻の方が、信憑性を感じる気がする。

アナログ式時計の狂いには寛容だが、デジタル式時計が狂っているのはなんだかちょっと許せない。これはデジタル世代の性なのだろうか。

スマートフォンやパソコンが提案した新しい暮らしは、確かに我々のライフスタイルを変えたけれど、常に時刻が画面に刻まれていることで、生活することと時間に追われることがセットになって、時間を消費する体感速度をより一層速めてしまったのではないか……などと考えていたら、一限の終わりを知らせるチャイムが鳴る。余裕を持って二限の授業の教室へ向かう。なんと余裕のある生活。

しかし、ここまで読み進めた人はきっとこう思っているだろう。一時間早い自分の時計で生活していても、学校や街中の時計は標準時刻のままではないか。きみの時計が一時間早いからといって、授業は三十分で終わらないし、相手は一時間早く待ち合わせ場所に来ない。世界はきみ中心に回っていないよ、と。この方法の核心はそこにある。

このタイムマネジメント方法は、時計の示す時間に則って生活しているだけで、結果的に一時間の心の余裕を生み出すことができる。主に自分で自由に使える家の中での時間を、いかに余裕を持って有効活用するかにフォーカスしたものである。

要するに、時計を家の中と外とで使い分けるという考え方で、そこで重要になるのは、相対性である。家の中では実際の時刻(外タイム)よりも一時間早い時刻(家タイム)で生活し、学校や会社や街中にいるときはその場所にある時計が示す時刻(外タイム)に合わせて行動する。

これによって生まれる効果は、実際の時間と比較するからこそ実感するものであるため、7時だけど8時だと思って生活することに意義がある。

それゆえに、外タイムから家タイムへ切り替わる瞬間に一時間失われるなどの多少の違和感は、生まれる余裕の代償であると思って、そのときどきで臨機応変に対応しよう。

実際の時刻との計算のしやすさを配慮して一時間早めたが、三十分、十分、五分でもいいかもしれない。時間には世界一忠実な日本人である、仮に日本の全国民がこれを行ったら、日本の標準時刻は一時間早まってしまうかもしれない。

たかが一時間、されど一時間である。時計を一時間進めたことで、物事に一時間早く取りかかれるかもしれない。一時間早く起きられるかもしれない。

始業前の一時間で一息つきながら本を読んだり勉強したり、朝一のメールを送れたりするかもしれない。早く到着した目的地の下調べは完璧だ。辺りを散策してその地の人や物を観察し、ネタ採取もできる。

人は誰しも皆、二十四時間という時間を平等に手にするが、その中での時間の捉え方は自由にカスタマイズすることができる。時間の体感速度の決定権を持てるのだ。

さあ、これを読んだどれくらいの人が時計の設定時刻を変えるだろう。そして、どれくらいの人がそれを一日で元に戻すだろうか。


【こいぬまめぐみ】
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武蔵大学社会学部メディア社会学科在学中。宣伝会議コピーライター養成講座108期。現在、はてなブログ「インターフォンショッキング」にて、「おもしろい人に自分よりおもしろいと思う友だちを紹介してもらったら、13人目には誰に会えるのか」を検証中。