[4038] MANGAとマンガの融合

投稿:  著者:  読了時間:18分(本文:約8,600文字)



《メリハリ:イタリアにない概念》

■ショート・ストーリーのKUNI[186]
 にらの海
 ヤマシタクニコ

■ローマでMANGA[92]
 MANGAとマンガの融合
 midori





━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ショート・ストーリーのKUNI[186]
にらの海

ヤマシタクニコ
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20151217140200.html
───────────────────────────────────

あるところに男がひとりで住んでいた。小説や雑文を書いて収入を得ていたが、中年を過ぎてからは書く題材にいつも窮するようになった。

締め切り間際にはいつも吐き気がするほど苦しむ。若いうちはおもしろいように書きたいことが湧いてきたのに、泉はすっかり枯れ果てたようだ。

──いっそのこと、こんなことはやめてしまおうか。所詮おれには向いていなかったのかもしれない。

そう思ったときに彼はひとりの女と出会い、ともに暮らすようになった。すると、書く題材もまた浮かんできた。いや、女がそれを与えてくれるのだ。

とはいっても、別に女が物語の筋書きを考えてくれたわけではない。

彼が欲しているのはささやかな契機、小さなはずみのようなものだ。それがあれば永年の経験を生かして、なんとか物語に仕上げることができた。

女は彼とはまったく違う世界に生きてきたようだ。彼の知らない語彙を持ち、思いもつかない発想をする。それが彼のなまった神経に刺激を与え、さびついた回路が動き出す。

どこにも行けないと思っていた部屋にふと気付けば窓があり、外気が吹き渡って音楽を奏でるような。女は彼にとって窓だった。

──ああおなかいっぱいだ。もう耳かきほども食べられないよ。

──耳かきで飯を食うやつがいるか。

──あはは。ほんとだねえ。

他愛のない会話をしているうちに、何かはっとひらめいたりする。

──雨が降ってきたからちょっと出かけてくる。

そう言ったこともあり、ほんとうに雨の中を散歩に行く女だ。後を追いながらなんだか楽しかった。見たこともない料理を思いついてつくる。食べてみると悪くない。鍋で金魚を飼い始める。

──おまえがいると小説のネタが浮かぶよ。

──ほんと? じゃああたし、がんばるよ。

──何をどうがんばるんだ。

──あれ、ほんとだね。どうがんばればいいんだろう。でも、あんたの小説、
好きだから…だから、がんばるよ…。

彼と女は一見まったく違っていた。多くの人が、二人には何の共通点もないと思っただろう。だが、本当は近いものを持っていた。からだの奥の、深いところに。お互いがお互いを呼び合っていた。

だからこそ、それは時には予想もつかぬ亀裂を生み出すこともあった。

あるとき、つまらない口論がいつになく尾をひいた。彼も女も引き下がらなかった。どうにも険悪な雰囲気になった。

と思っていると、彼の内から得体の知れない塊がどんどん膨れあがってきて、抑えきれなくなった。

彼の手はひとりでに動き、その手が女の首に伸びる。なんということだろう、気がつけば彼は女を絞め殺していたのだ。

ものを言わなくなった女を前に、彼はしばしぼうぜんとしていたが、やがて庭に穴を掘り、そこに女を埋めた。体中ががくがくと震えた。恐ろしさで胸が締め付けられた。だが、誰にも何も話さず、隠し通した。

彼はふたたびひとりになり、ふたたび書く題材に窮するようになった。それでも書き続けてはいたが、自分でも拙いとわかっていた。このまま書き続けても誰も読んでくれなくなるだろう。自業自得だと思った。

女がいなくなってからどれくらい経っただろう。長く打ち捨てた庭を見ると、女を埋めたあたりにさわさわと青い草が茂っていた。やがてそれは小さな白い花を咲かせ、花が終わったあとには黒い種がいくつもできた。

──何も植えた憶えはないのに…

何気なくその種を手にとってみた。手のひらで転がしたり目を近づけたりしているうち、種の表面にしわとも傷ともつかない微細な模様があることに気付いた。しかも、それはよく見ると文字のようなのだ。

 ミ ミ カ キ

──耳かき?

女の言葉を思い出した。

──耳かきほども食べられないよ…

彼はあわてて他の種を集め、さまざまな角度から眺めてみた。どれにも、同じように小さな、文字に見える模様があった。

あるものには「ワ ラ」、また別の種には「カ サ ナ リ」と見える文字があった。タ ノ シ イ、フ シ ギ、ナ ベ…

──あの女だ。まちがいない…。

たちまち何か湧いてくるものがある。ばらばらな言葉に過ぎないのに。女の無邪気な笑い顔が浮かぶ。

──あたし、がんばるよ。あんたの小説、好きだから…。

どういうことだろう。自分が殺した女なのに。指先にはいまでもきゃしゃな首の骨の感触が残っていて、思い出すたび震えが始まるのに。

だが、一方では早くも書きたくてたまらなくなっていた。新たな小説。書きたい、書きたい、書きたい! そんな気持ちになったのはひさしぶりだった。

彼はいくつもの種を握りしめ、部屋に戻るともう書き始めていた。文字通り時間がたつのを忘れて書き、未明に心地よい疲労とともに書き終えた。笑い出したい気持ちだった。おれは書ける、おれは書ける!

それ以来ふたたび、彼は次々と新しい小説を書くことができた。種に記された言葉はひとつとして同じ言葉はなかった。毎日、いくつかの種を取っては謎解きに挑むように思いをめぐらすのが日課になった。

夜、布団の中でふと冷静になってみると、わずか数ミリの種に本当に文字が記されていただろうかと思う。自分は何かの幻覚をみているのではないだろうか。

だが、それでもいいと思った。書いたものは高く評価された。執筆の依頼がどんどん来るようになった。ファンレターも来た。あなたの小説を愛読しています。一度お会いしたいと思っています…。

その女も小説のファンだと言った。

夏の日のことだ。事前の連絡もなしに女がやってきて、「あなたの書くものがとても好きなの」と言った。それから家に上がり込んだ。女は若くはなかったが美しく、手もなく彼はとりこになった。夜昼ともに過ごし、汗まみれになって快楽をむさぼりつつ、どこかで思う。

──これでまた新しい材料ができた。おれはまた書けるだろう。

ところが、その女が居座ってしばらく経つと気付いた。書けない。何も浮かばない。これはどういうことだ。

庭に出てみて彼は驚いた。あの青々と茂っていた草がすっかりなくなっている。

──庭に草が生えていたと思うが…。

──ああ、にらね。

──あれは…にら、なのか?

──そうよ。昨日も食べたじゃない。

──食べた?

──私が炒めて出したら「おいしい、おいしい」と言って食べたじゃない…。

あわてて彼はもう一度庭に出た。あれは、にらだったのか。

白い星のような花が輪になって咲く。そのままのかたちで種ができ、やがてその種を包んでいた皮がかさかさになり、風が吹くと細い茎がゆらゆら揺れた。

そして黒い種がこぼれる。あれはにらだったのか。だが、目の前のにらは乱暴に根元から刈られ、ずたずたになっていた。彼は膝を折り、ただぼうぜんとそれを見ていた。

それでもいくらか残ったにらは実を結んだし、根が残った株からはまたどんどんと青い葉が伸びた。だが、何かが変わってしまったのだろう。彼が収穫した種には確かに文字が読み取れたが、すべて同じ文字だった。

モウ オシマイ

モウ オシマイ

モウ オシマイ

モウ オシマイ

モウ オシマイ

モウ オシマイ

モウ オシマイ

突然押しかけてきた女はやがてまた突然に、どこかに消えた。

彼は「モウ オシマイ」と読める種を皿いっぱいに盛り、毎日見つめていたが、やがて何か浮かんだらしくゆっくりと、長い小説を書きはじめた。それが彼の最後にして最高の小説と、後に呼ばれるものになった。

主亡き後、庭は一面繁茂したにらの海となり、いまもさわさわと風に吹かれているそうだ。


【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
http://midtan.net/
http://koo-yamashita.main.jp/wp/

今日、突然トースターが壊れた。突然といっても30年ものなので本人はだいぶ前からしんどいしんどいと言ってたのかもしれない。ほとんど毎日使うものなので、さっそくネットで物色中。ちなみに、トーストしたパンにバターとママレードを塗るのが最近のお気に入りです。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ローマでMANGA[92]
MANGAとマンガの融合

midori
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20151217140100.html
───────────────────────────────────

●鳩のパルンボ

90年代に講談社のモーニングが、海外の作家に書き下ろしてもらった作品をのせるという前代未聞の企画を遂行していたときに、ローマで「海外支局ローマ支部」を請け負って、そのときのことを当時のファックスをスキャンしつつ、それをもとに書いているシリーズです。

ここ二回ほど交互に番外編を入れてしまい、ちょっと話がわかりにくくなっているので、もう一度整理してみる。

南イタリア出身の忍耐強いパルンボ、最初の提案から二年を経て、パルンボのユーモアが大好きという三人目の編集者さんと巡りあって、やっと現実に掲載につながる作業を開始した。

ちなみに、パルンボという名前(苗字)で「ンボ」つながりでコロンボを思い出す人もいるかもしれない。それは実は正しいのだ。

コロンボは鳩の意味で、ラテン語で鳩を意味するPLUMBUSから派生したということで、どちらも語源は同じ。むしろパルンボのほうが語源をよく伝えている。

どちらもイタリアで苗字としてよく使われて、コロンボはかのコロンブスのイタリア読み。というか、コロンブスはジェノバの人だから、コロンボがオリジナル。コロンブスはスペイン語読みだ。

パルンボは南イタリアに多く見られる苗字。方言の中に語源が残っていたりする現象を思い起こす。

鳩といえば平和の象徴と言われて、パルンボの温和な性格にあっている名前だ。でも、実は鳩は攻撃的な鳥だということも聞いている。パルンボの何が何でも掲載させてみせるぞ! という闘志をも象徴した名前だなと感心してみたりするけど、パルンボのMANGAとは別の話だ。

パルンボが講談社モーニング誌用に描いたのは、「CUT」という名のもしゃもしゃの長髪にヒゲモジャのおっさん。三人目でやっとパルンボと息の合う編集者に巡り合い、毎回「CUT vs 誰か」で、CUTの復讐ドタバタをパルンボのリアルな作画でやるということに決まった。

雑誌と、当時はまだ珍しかったウェブ雑誌に掲載。月一で8ページから16ページの読み切り連載ということになった。

●メリハリ:イタリアにない概念

モーニング編集部ローマ支局を請け負って一番楽しかったというか、醍醐味を味わったのは、漫画家がネーム(ストーリーボード)を提出して、その後に来る担当編集者の意見を読む時だ。

私は字を読むことを覚えて以来、ジャンルを問わずにMANGAをたくさん読んできたし、自分でもちょこっと描いてきた。

当時はMANGAを教える学校はなかったし、モーニングに載せてもらった時も、2ページのエッセイMANGAで、特に直しをもらったことがなかった。

要するに、「演出」という考え方を持たないまま読者と作家をしていた。10年の海外支局で演出ということを習ったわけだ。

この企画に参加したイタリア人作家は、皆、プロだった。それでも日本のプロMANGA編集者の演出の目は、このプロたちも納得するものだったわけだ。

例えば、「路上サッカー」。CUTと背広姿の男性がバスを待っている時に、後ろの練習場からサッカーボールが飛んできて、二人で火花を散らせながらボールを蹴り合ってしまう、という話のネームについて、新さんはこう書いている。

「コマ割りが大変楽しく、また1ページ大のCUTのパイスクル・キックの絵や、最後のCUTが嬉々として逃げる絵など、面白い絵があっていいですね。笑えます。さすがにサッカーの強豪国の漫画家ですね。ちょっとだけ、作品のリズムという点から感想を申し上げます。

1)最初にサッカープレイが始まる瞬間の、一瞬、静止した感じのコマが、大きく欲しいところです。本物で言えば『笛が鳴る瞬間』でしょうか。具体的には、3ページ目上の3コマ目ですね。

私が思うに、この3ページ目の上3コマのうち、最初の2つはいらない気がします。3コマ目の、ピキピキっと火花が散る二人を、精一杯使って大きく描いてはいかがでしょう?

そのほうが、一瞬の静寂を、効果的に演出できると思います。そして、静から動への変化が楽しめるのではないでしょうか。二人の顔がすごくリアルで大マジメだと、なおバカらしくていいですね」

↓話題の3ページ目のネームはこちら
https://goo.gl/O7NolO

↓そして修正後の下書きがこちら
https://goo.gl/ByD9xs

パルンボが出してきたネームでは、問題の3ページ目に上段は三コマに分かれてオジサンとCUTが足元にあるボールを眺める、ボールのアップ、オジサンとCUTの目が合う、という構成になっている。

この構成で、何が起こっているのかがわかり、欧米方式では全く問題がない。MANGAでは、新さんが言っているように「作品のリズム」というものを大事にするのでよろしくない。

メリハリというやつで、この言葉をイタリア語に訳すことができない。イタリア語にはない言葉だからだ。仕方がないので必要なときは「山と谷」「引っ張ったり放したり(この言い方の成句はある)」と言ってみる。

言葉がない、ということはその概念がない、ということで、ない概念を使うことはできない。でも、人間の脳みそが理解することだから、説明すればわかる。

パルンボのネームで目につくのは、1ページを上中下の三段に分けて、どの段も同じ高さだということ。

これは、欧米で雑誌あるいは本形式でマンガが出版されるようになって以来のコマ割りの仕方だ。一説では最初は新聞に一段づつ掲載される方式で、原稿料も一段づつ支払われていたからということだ。

新さんは無理に日本式に各段の高さを変えろとは言わなかった。ウェブで一コマづつ分解して掲載するのにうってつけの描き方ではあったし、作家のリズムをなるべく尊重したい、という考え方からだった。

でも欧米式では、読みのリズムが一定になってしまう。

新さんのサジェスチョンは続く。

「2)この段階から再構成をするのは難しいかもしれませんが、後半はずっとアクションの激しい場面ですので、途中でCUTとオジサンが、一瞬停止してにらみ合う、大きめの1コマがあると、なおアクションが効果的だと思いました。

二人ともハアハア息を切らしながら、相手を睨んで笑みを浮かべ(きさま、やるな…)(ああ、お互いにな…)という雰囲気の、緊張した見つめ合いです。いれるとすれば、6か7ページあたりでしょうか。動から静、静から動と言う緊張感。」

↓お直し前とお直し後の6ページ目ネーム
https://goo.gl/NN2IN3

↓お直し後の下書き
https://goo.gl/ZMFq5f

こうして、段の高さは変えないで、つまり、今までのやり方を大幅に変えることなく、MANGA式読みのリズム、メリハリを付ける体験をしたパルンボだった。

パルンボの正確な人体描写によるリアルな表現と、ありえない大げさなドタバタが、MANGA・マンガならではの楽しい作品になった。

そして、パルンボが慣れたマンガのやり方にMANGAの読みのリズムを加えた、まさに、MANGAとマンガの融合だった。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

この年になってもアニメは好き。でも息子が高校生になってから、お母さんと映画館になど行ってくれないし、旦那はアニメなどまったく興味がない。というわけで、ここ数年、ピクサーアニメはDVDになってからしか見ることができなかった。全部手に入れるわけでもないし。

ところが、最近、私が講師をする学校関係で30歳代のオトモダチが四人できた。四人とも同棲中のカップルで子供なし。半分独身のような気軽さ。全員マンガ関係で、アニメは子供のものと考えない世界にいる。

この4人が私の訴えを聞いて、アニメ映画鑑賞のオトモダチになってくれることになった。前回書いたように、妙な遠慮はやめることにしたので、旦那と息子にも宣言してこの四人と最新のピクサー映画「アーロと少年」を見に行った。
http://www.fashion-press.net/news/18059

日本では来年3月公開とか。おもしろかった。見に行く方はハンカチと鼻水を拭くティッシュを忘れずに。また彼女らに遊んでもらおう。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/18803/

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
編集後記(12/17)

●曽野綾子「人は怖くて嘘をつく」を読んだ(産経新聞社、2015)。筆者はわたしの一回りほど上の年齢だから、人生の先輩であり、老人の先輩である。この人ほど考えのしっかりした現役の老人はあまりいないから、いまのうちから望まれる老人像を会得すべく、熱心に読んだ。「高齢者になって、私が自由を得たと思う点は幾つかある。もういつ死んでもいいのだから、冒険をしてもよくなったということと、高齢者に対する辛口の批判を言い易くなったことである」という。わたしのような老人初心者に対するご意見も、今後四人に一人が高齢になる時代に通用する心構えとして聞いておかねばならない。

これからは「引退後は悠々自適という名の下に、趣味や旅行に専念しても許される。年相応に健康であるが、労働をしないことが老年の特権だ。老後は何もせず、遊んでいてもいいのだ、それが当然なのだ」という考え方は通用しなくなる。もはやそんなこと言っていられないのだ。働かずに遊び回る人(老人)がゴロゴロいる福祉国家日本は、やはり健全とは言えない。人間は生きている限り、毎日働くのが義務なのだ。別にお金になる勤めに出なくてもいい。料理、洗濯、掃除、片付け物をしてこの世を生きるのが当然だ。人に頼らずきちんと家事をする。生活上で持ち続ける緊張感が健康に役立つはずだ。

病人であろうと老人であろうと、暗い顔をして機嫌が悪いことは、社会や家庭において「純粋の悪」であると実感した、と筆者はいう。「老人にも任務がある。心の内面や肉体には影も苦痛も出るかもしれないが、無理をしても明るく感謝を続けることだ」。年をとると人間がどんどん利己的になる。加えて自分以外の他者の存在にも、外界の変化にも興味を示さなくなるというのが普通らしい。「どんなに辛くても周囲に対して我慢と礼儀を尽くせ」とは、相当の難関だと思うが、心の準備はしておかなければならない。自信はないが、そういう決意のないまま本当の老人になってしまうと、下の世代に迷惑をかける。

「ここ10年以上、私は健康診断というものを受けたことがないんです」と言うと、名医は深くうなずき力をこめて言うのである。「それでいいんです!」「私は急性症状を楽にしていただきたい時は病院に行きますけれど、他の時には病院に寄りつかないんです。持病みたいなものありますけど、診察を受けないので、つまり私は健康です」相手は再び同感してくれる。「それがいいんです!」この問答はじつにいい。一回りほど下の年齢のわたしもまったく同じ行動をする。「人は自ら選んだ年齢を過ぎたら、病気を探索しない自由を持つ」のだ。些細なことで健康保険を使うな。国費の無駄遣いをやめよう。 (柴田)

曽野綾子「人は怖くて嘘をつく」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594073255/dgcrcom-22/


●怠惰と聞いて、「不機嫌は怠惰の一種である」を思い出した。たぶんゲーテの言葉。現国の先生が最初の挨拶で言い、授業でもしょっちゅう言っていたような覚えがある。その先生が好きだったのは萩原朔太郎だったっけ。忘れたなぁ。お元気かしら。生徒と結婚し、その後離婚したという話までは聞いた……。

昨日の続き。遅刻しがちな私にはiPhoneが必須。今は各種経路検索、Google Mapsが強い味方。カレンダーやリマインダー、タスクアプリ、タイマーにアラーム。それらのおかげでどれだけ助かっていることか。

数年前、環状線(電車)に乗り遅れた。乗り継ぎに間に合わない、万事休すと思いつつも経路検索したら、反対回りの快速に乗れば間に合うと出た。乗ろうとしていた電車の2.5倍の移動距離があるのにと、半信半疑で乗ったら間に合った……。続く。 (hammer.mule)

まにまにフェスティバル(まにフェス)P4
http://m2college.net/fes4/