ショート・ストーリーのKUNI[189]新しいマリ子
── ヤマシタクニコ ──

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「あなた、レタイル社の権藤さんがお越しよ」

マリ子の後から、穏やかな笑みを浮かべた権藤が入ってきた。

「これはこれは、おひさしぶりですな」

広澤祥一郎も血色のいい顔にいっぱいの笑みを浮かべ、古くからの友をにこやかに出迎えた。マリ子は会釈して立ち去り、部屋は二人だけになった。

「いよいよ悠々自適というわけですか。事業の大半は後進に譲られたとお聞きしまして」

権藤が言うと、広澤はうなずいた。

「まだまだするべきことはあるのだが、少しずつ身辺を整理していこうと思っている。せっかく自分で起こしてそこそこの規模にまで成長させた会社だからこそ、今のうちに今後の道筋をつけておきたい」

「確かに…思えば私が初めて広澤さまにお会いしたときは、まだ30歳になったばかりの頃。それから30余年。お互いに年を取りました」

「その通り。君はある意味、この30数年の間で最も深く私と関わった人物といえるかもしれない。そう思うと、胸にこみ上げてくるものがある」

権藤もうなずき、聞いた。

「マリ子さまの具合はいかがですか」




「ああ、申し分ない。口数は少ないがいつも静かに私を見つめ、微笑む。ただそこにいる、そのことだけで私を支えてくれるようだ。こういうのを理想の老後というのだろうか。こんな日々が私にも訪れるとは…そうだ。久しぶりにあの部屋に行ってみるかい」

広澤が目配せしながら言うと、権藤はうなずいた。

広澤は地下室の鍵をあけ、壁のスイッチを押した。白っぽい照明が一斉につき、がらんとして、ほとんどものが置かれていない室内を照らし出した──ただ、中央の三つの透明なケースを除いては。

広澤は三つのうちのひとつの前でたちどまった。その中にはマリ子とそっくりの女が目を閉じて横たわっている。マリ子はレタイル社製のアンドロイドなのだ。広澤はついに人間の女性とは暮らさず、アンドロイドを伴侶としてこれまでの月日を過ごしてきたのだ。

「今のマリ子の前だから、何と言えばいいかな──前マリ子とでもいうべきか。前マリ子もよくやってくれた。こうして見るとさまざまな思い出がよみがえるようだ。今から10年前、今のマリ子に交替するまでの7年間、私とともにあったのだ」

権藤は小さくうなずくとケースの蓋を開け、自分のポケットからリモコンのようなものを取り出した。そして、いくつかのボタンのうちのひとつを押すと、前マリ子はぱっちりと目を開け、いきなりしゃべり始めた。

──あら、あなた、どこにいらっしゃるの? まだ寝てらっしゃるの? 朝ですよ。もう起きないと会議に間に合いませんわよ…ええ、朝ご飯はいつものように目玉焼きとトースト、オレンジジュースね…はいはい、目玉焼きの黄身は半熟、ケチャップをかけておきました…

広澤は驚いた。

「これは…こんなものが残っていたのか。データはすっかり消去されたと思っていたが」

「普通はそうするのでございます。古くなったアンドロイドを処分するときはリサイクル専門業者に引き取ってもらい、部品に分けられ、またどこかに流れていきます。

当然、その際には過去のデータ一切を消去するのですが、広澤さまの場合はこちらで保管されるとのことでしたので…私も、自分が開発に携わったアンドロイドですから、なるべくそのまま残しておきたかったのです。

もっとも、アンドロイドとしての機能はすべて停止させておりまして、単なる記録にすぎませんが…勝手なことをいたしまして、申し訳ありません」

「いや、そんなことはない。よく残してくれた。君の開発したアンドロイドは相手と会話をしながらどんどん学習してゆく。相手に合わせ、相手が喜びそうなことを常に考える。そう、確かに当時、私は目玉焼きとトースト、オレンジジュースの朝食をとっていた。目玉焼きにはケチャップだった。今は納豆とご飯だが」

「がらっと変わったのですね」

「長生きするには納豆だよ。君もそうしたまえ」

「はあ」

権藤はうなずきながら、前マリ子の隣のケースを開けた。そして同じようにリモコンを操作すると、やはりマリ子と同じ顔だがメイクやヘアスタイルの違いで、多少若く見えるアンドロイドがしゃべりだした。

──あら、あなた、どこにいらっしゃるの? いないのか…どっかに行ったのかなあ。ラッキー…。

広澤は驚いた。

「な、なにがラッキーだ。この前マリ子、じゃない、えっと、前マリ子の前は元マリ子になるんだろうか」

「いや、総理大臣ではないので…そうでございますね。全部『前』とか『前々』でよろしいのでは」

「そうか。とすると、これは元元マリ子なのだな。前々マリ子め。前々マリ子は前マリ子と交替する前の9年間をともにしたのだが、こんなやつだったとは」

前々マリ子は広澤にかまわずおしゃべりを続けた。

──ほんとに最近、何だかいらいらしてるみたいで困ったものだわ。たまにこんなときがあるとほっとしちゃう。でも、たぶん忙しすぎるのよね。身体をこわさなきゃいいけど…それが心配だわ。

そうだ、せめてカルシウムの多いお料理でも作ってみよう。でも、消化が良くってコレステロールは少ないほうがいいわね。うーん、なにがいいかしら…

「ははは、やっぱりあなたのことを案じておられる」権藤が言うと、

「どうもそのようだ。前々マリ子、ありがとう。確かに前々マリ子と過ごしていた頃はちょうど事業が大変な頃でもあった。それまでは順調に黒字を重ねてきたのに、出す製品出す製品ことごとく不評だった。

アンポコポロニカもダマストメイラーも、ニャンバンドロリンコも不発。社内でも一旦すべてを見直すべきだ、新しい製品を出すのはしばらく止めるべきだとの声が出た。私は確かにいらいらしていたと思う」

「でも、広澤さまは新規開発を止めることはしなかった。果敢に新製品の開発を推し進めた。そして、ついにボヨヨヨスクリャーピンが大ヒット」

「そうだ。なんとかそれで落ち着いたが、前々マリ子には苦労させた。さっきは誤解してすまなかった、前々マリ子」

広澤はやさしく声をかけたが、前々マリ子はそれには無反応でひとりぶつぶつとしゃべり続けた。

「人間同士でも、伴侶というのは不思議なものでございます。一緒に長い年月をともに暮らしているうち、それぞれが互いの鏡となり、証人となる。出会う前とは別の人間に変わってゆく。アンドロイドの場合、それがこのように端的にデータに反映されるのでわかりやすいというだけのことで」

権藤はそう言いながら、さらにもうひとつのケースを開けた。眠っていたアンドロイド──前々々マリ子がぱっちりと目を開き、しゃべり始めた。桜色のほほ、華やかにカールした髪が愛らしい。

──だれ? ショウちゃん? ショウちゃんじゃないの? あーん、キスしてえ〜ん。

広澤が耳まで真っ赤になった。

「ショ、ショウちゃん…」

「そ、そう呼ばれてたようだな、おほん」

──今日はショウちゃんといっしょに食べようと思って、いちごのケーキ作ったよ! いっぱいいっぱい食べてね!

「広澤さまが甘党だったとは知りませんでした」

「ま、人間の嗜好は変わるんだよ。あー、えへん、おほん」

──ショウちゃん、どこに行ってたの? お仕事ばっかりしちゃだめだよ。マリ子、さびしいからね!

「そうか。当時の私たちはこんな会話をしていたのか。すっかり忘れていたが…私はまだ30代だった。徹夜しても平気だった。ラーメン2杯、余裕で食えた。みそせんべいを自前の歯でばりばり食べることができた。今から思うと夢のようだ」

──ショウちゃん、ねえ、あたしのこと好き? あたしはショウちゃん、大好きだよ。ずっと…ずっといっしょにいようね〜。

前々々マリ子はかまわず甘い言葉を発し続けていた。

「えー、その…おほん…はい、私もそうです。それでですね、実は私もこのたび引退することになりまして、広澤さまとのおつきあいも今度の新しいマリ子さまが最後になりまして」

──ショウちゃんのクリームパンみたいなお手々が好きよ〜。

「ああ、そそ、そういうことだったね…どうも気が散っていけないな…寂しい限りだが仕方ない。で、新しいマリ子はもう完成したのかね?」

広澤は汗を拭いた。

「あ、はい…だいたいできましたので、今日は見ていただこうと」

権藤はそう言うと、さっきとは別のポケットからトランプのカードほどの装置を取り出した。そして、それを操作すると権藤の前方1メートルほどの空間に、ふわりとアンドロイドの姿が投影された。

「これが完成イメージだと思ってください。基本的には代々のマリ子さまと同じ骨格ですが、それとなく年齢が加わったと感じられる風貌になっております」

「うむ」

新しいマリ子は地味なドレスに身を包み、髪をまとめていた。ドレスの裾を揺らしながら、歩く。壁に向かって。そしてターンしてまたこちらへ。

「おや」

広澤が何かに気づいたように言った。

「歩き方が…ちょっと変だな」

「お気づきになりましたか」

「うん。かすかなものだが…どこかをかばいながら歩いている感じだ」

「さようでございます。新しいマリ子さまは若干腰に不具合を抱えており、日によっては痛みが強くなるというふうに設定しております。年齢相応と申しましょうか。といって、大きな支障になるほどではございません」

「なるほど。リアリティというやつだな」

「実は私、広澤さまが現役を退かれるとお聞きしまして、心配で」

「どうして心配なのだ」

「忙しくしていた人が急にひまになると、体調を崩したりするものでございます。人間、適度の緊張やストレスがないとだめになるのです。身近に多くの例も見てきました。

そこで私の提案なのですが…これまでは、マリ子さまが広澤さまをさまざまな面で支えてきた。今後は、広澤さまがマリ子さまを支える、という生活はいかがかと」

「なるほど。それもいいかも知れん。どうすればマリ子のためになるかを考えるのも、それはそれで張り合いのある生活だろう。よし、なんだかやる気がわいてきたよ」

「気に入っていただければ幸いです」

権藤が装置をしまう間、広澤はケースの中で横たわる前マリ子、前々マリ子、
前々々マリ子を眺めた。そしてしばし考え込んだ。

仕事優先で脇見もせずに進んできたこと。友人たちが次々に伴侶を得て幸せそうな家庭を営むのを横目に、アンドロイドで十分だ、それも機能は優れているが最長10年で更新されてしまうレタイル社のアンドロイドのほうがいっそのこと気楽でいい、過去なんかどうでもいいと自分に言い聞かせてきたこと。だが、いまとなって後悔するところがまったくないと言えばうそになる。

「権藤くん…」

「はい?」

「新しいマリ子に…過去のマリ子のデータの一部を移植することはできないかな…いや、それは…むずかしいのかなあ」

「えっ」

権藤はしばし考え込んだ。

「それは…いや、そうですね……できないことはないと思いますが…えーっと…過去の記憶として別領域に納めることはできるかと…で、あーしてこーして、それと連携させる…という感じでしょうか」

「うん。たまに、昔のことを思い出しながら語りたいんだよ、マリ子と」

「…わかりました、やってみましょう! 少し完成が遅くなるかもしれませんが、私の最後の仕事としてやらせていただきましょう。あまりクリアでなく、適度にぼやけたり歪んだりした記憶に、加工したほうがよいかもしれませんね」

広澤はうなずいた。

前々々マリ子はまだおしゃべりを続けていた。

──ショウちゃん、何むずかしいこと言ってんの? ショウちゃん、こっちに来ていっしょに遊ぼうよ。でないと、お尻ぺんぺんしちゃうぞー!


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最近、ネットで買い物すると早く着きすぎてこわいくらいだ。私のことなのでだいたい注文するのは真夜中、1時とか2時だったりする。それが翌日にちゃんと届く。すごいの一言。どうなってるんだと思う。

だけど、実際はそんなに急がなくていいことも多い。ネット印刷みたいに、ゆっくりでいい場合は安くしてくれないかな(笑)