[#4075] 主語・動詞・述語がそろわないと話が作れない?

投稿:  著者:  読了時間:16分(本文:約7,600文字)


《やっぱり頭の中がそうなっているのだ》

■ローマでMANGA[94]
 主語・動詞・述語がそろわないと話が作れない?
 midori

■メグマガ[08]
 ささくれ
 こいぬまめぐみ

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■ローマでMANGA[94]
主語・動詞・述語がそろわないと話が作れない?

midori
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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

●30分で幸せを感じる

私の講義は題して「manga式物語構成の技術」。

mangaは主人公の感情をベースに語っていく。イタリア生まれでイタリア育ちの生徒たちに、感情をベースにした、いや、感情だけを取り出して1ページを構成してもらうという実技を始めた。

いわゆるネームというものを作ってもらうのだ。構成時間は30分。時間を区切らないと、構成の仕方を知らない学生たちはボーーっと考えて、考えがまとまらないまま時間ばかり消費してしまう。

たかが1ページ、傑作を編み出せとは言っていない。30分で何も出てこないようだったら困る。

テーマとしては「幸せを感じた出来事」。しかも、自分が過去感じた幸せな出来事をベースにする、という条件をつけた。

ゼロから作れというとボーーっと考えて、考えがまとまらないまま時間ばかり消費してしまう。そして、感情をベースにするのだから、自分で体験した感情は自らも感情移入がし易いはず。

すると、どうしても(ここ、下線付き)テーマであるところの幸せを感じた事由を描く。全員(ここも下線付き)。「幸せを感じた理由は構成の中に入れないで」と何度も言ったのに、どうしても理由付けを描いてしまう。

「長いエピソードの中の1ページのつもりで。幸せを感じた理由は前のページで語ったつもりで」とも言ってある。

感情だけを表現した既成のmangaページも見せてある。イタリア語で講義してるつもりだけど、なぜわからないのだ??!

●表現が違うのは言語のせい。言語の違いは…

mangaが好きでmangaを読んでいる生徒が多いのにこうなるのは、やっぱり頭の中がそうなってると解釈するほかはない。

そうなっているとはどうなっているかと言うと、イタリア語が持つ特徴の話だ。

その一つが時制。mangaと日本以外のマンガの違いを、数年前にここで書いた時に、読者の方が指摘してくれた特徴だ。

イタリア語を始め、ヨーロッパ言語は時制がはっきりしている。しかも、過去形が豊富なのだ。動作を終えた時の過去形(過去完了)。習慣的な動作の過去形。一時的な動作の過去形。文章で使う過去形。

「学生だった時、電車である広告を見ました」

「課長がお茶を淹れるように言いました」

「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました」

日本語ではあまり変化がないが、イタリア語では形が全部違うのだ。しかも、
一つ目の例には過去形が二種類含まれている。イタリア語的には。

もう一つの日本語にはない特徴は、主語と動詞と述語をはっきりさせること。

文例の一つ目には主語がない。でも日本人は、主語はそれを言ってる人だと受け取る。課長がお茶を欲しがってる例では述語がない。これをイタリア語に直訳すると、誰に言ってるのか表現がないので、ニュアンスとしては課長が、お茶を淹れろ! と誰彼なく言っているようになる。

ヨーロッパ語ではありえない言い方だ。ヨーロッパの言語では必ず(ここ下線付き)主語・動詞・述語がワンセットになる。

英語が苦手という方は、ぜひとも必ず主語・動詞・述語をワンセットにセンテンスを作ってみてください。途端に英語になります。

この、時制がはっきりしていることと、主語と述語がはっきりしていることと、授業で感情をベースにしたネームが作れないことと、何の関係があるのかと言うと、おおありなのである。

物語を考えるときは頭の中で文章を作る。「物語」ではなくて「センテンス」とか「一文」でもいい。

イタリア語の場合、物語は大過去という大それた名前の過去形で表現されるのが普通だ。過去完了やその他の過去形に比べて、遠い感じがする。

加えて主語をはっきりさせるべきなので、主語を置く。主語は誰? 三人称だ。「彼」とか「彼女」のあれだ。あるいは主人公の名前で考えるかもしれない。

「ウンベルトが真夜中に目が覚めて階下に降りてみると大きなクリスマスツリーが準備されていた」みたいな。

日本語にすると、大過去にあたるものがないので、さほど遠く感じないかもしれないけれど、イタリア語で大過去で聞くと「昔々あるところに…」的なニュアンスを感じる。

言ってみれば、劇場で私はこちらの客席にいて、ウンベルトは舞台の上。ちょっと距離がある。ウンベルトの驚きや喜びは、ウンベルトの動作によって確認される。行動で物語を構成していく欧米マンガのあり方そのものだ。

日本語の場合は、時制も主語も曖昧のままなので「階下に降りたらクリスマスツリーがあった」で、自分が階段を恐る恐る降りてクリスマスを発見できる。

カメラが自分の目線と一致して、舞台の上のウンベルトではなくて、ウンベルトに乗り移ってクリスマスツリーを見るのだ。

これは武田鉄矢の「今朝の三枚おろし」中で「日本語はなぜ美しいのか」の中で出ている例が、私が言っていることにつながる。



川端康成の「雪国」の冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
これを英訳にするとこうなる。

「The train came out of the long tunnel into the snow country.」

英文を読んだ英語を話す人達にこの文を絵で表現してもらうと、一様に空中撮影で電車がトンネルを出てきたところを描くそうだ。

The trainと主語が明確になっているのでtrainを主題に描くわけだ。

主語が明確でない日本語の文を読んだ日本人は、汽車に乗っている自分の目を通して、暗いトンネルを通って、トンネルが開けるとパァッと白く輝いて現れる雪景色を想像するはずだ。

「誰」が「何をするのか」を追いながら物語を考えていくと、主人公がクリスマスツリーを見たり、寄り添ってくる猫を撫でたり、お皿に盛られたパスタを見たり、という動作を描く…以外のことが考えられない。

二回目は、同じテーマで、それぞれ選んだ思い出はそのままに、感情だけを表現するようにと言った。それでも(ここ下線付き)、どうしても、一コマ目にパスタだの、猫だのを描いてしまう。

主語・動詞・述語がそろわないと話が作れない?

それならば、これからは一人称単数(私)・現在形(今、何をしてるのか)で話を作るように指示しよう!


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

本文で引用した武田鉄矢のトークで引用されたのが、金田武洋著「日本語が世界を平和にするこれだけの理由」です。購入しちゃいました。

http://www.asukashinsha.co.jp/book/b180961.html#pagetop

難民で大騒ぎのヨーロッパ。イタリアではずっと大騒ぎでした。何しろ地中海に橋のように突き出ている国。北アフリカからどんどん、毎日のように難民を乗せた船が着く。

海保が近づくと、船を操縦していた人が難民を海に突き落として逃げたりする。政治的、社会的にいろいろ問題があるイタリアだけど、目の前に死にそうになっている人を見て放ったりしない。否応なく救出する。

着の身着のまま垂れ流しで、飲み食いもせずに何時間も身動きもままならずにいた人々を収容し、洗い、診察して食事を与える。医療が必要な場合はそれも与える。

ただでさえあまり裕福ではない、シチリア自治州の南端や島に着く。シチリアから南イタリアに送って、収容施設に住んでもらったりする。すべてイタリアの負担で養うわけだ。

イタリアはずっとEUに向かって「難民はイタリアの問題ではなく、ヨーロッパの問題だから、見て見ぬふりしないでくれ」と言っていた。ドイツが受け入れますと言ったときは、イタリア中で「やっと言ったか!!」となった。

ナイジェリア、アルジェリア、アフガニスタンに始まって、今はシリアから。情勢が変わらない限り、難民は増えるばかり。こんなにたくさんの、何も持たない外国人を受け入れる容量がない。

北イタリアのある街では、市長が難民に空きアパートを提供すると言って、住居に困っている市民から逆差別だと非難があがった。

かと言って、住居も収入もないままでは犯罪に走らざるを得ない。難しすぎる問題。しかも、長い時間をかけて方法を見つけましょうという問題でもない。どうするんだ……。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/32604/

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/


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■メグマガ[08]
ささくれ

こいぬまめぐみ
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20160226140100.html
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数日前から、右手の親指にささくれができていた。爪の根元を覆う後爪郭の表皮は剥け、赤い皮膚が顔をのぞかせている。

何も刺激が加わらなければ、そこにささくれがあることなど忘れてしまいそうだが、髪の毛にシャンプーをつけて泡立てるとき、手袋をはめるとき、みかんの皮を剥くとき、紙が引っかかったとき、そこには思い出したかのように鋭く短い痛みが走る。

そのときは痛みを噛みしめるが、ほんの一瞬一瞬の我慢を重ねればいつの間にか治っていることが多いので、さほど気にもとめず、適切な処置を施さずに放置していた。

それどころか、ようやく治りかけた頃になって、小さなとっかかりが気になって、無意識でその表皮を剥いてしまった。

するとせっかく治りかけていた皮膚はふたたび剥けてしまい、より深みを増した傷口の根元にはうっすらと血が滲む。それでも放置し続けた私の指先は炎症を起こし、傷口から入った細菌によって緑色に化膿していった。

皮膚科の先生は、私の指先を見ながら、今このときに来てよかったねと言った。

さらにしばらく放置すると、どんどん膿がたまっていき、激しい痛みを伴いながらさらに悪化していくという。

やがて表面上だけでなく、奥へ奥へと侵入した細菌は骨にまで達し、壊死する。すると場合によっては、指を切断するケースに至ることもあるという。怖すぎ。

あんなに小さな傷からは想像もできなかった、殺傷力の高さ。たかがささくれとは言っていられない。

小さな綻びから生じた大きな傷口には、小さな手当てを正確に施すことで、その結び目をひとつひとつ解いていく。

ビタミンやたんぱく質をとること、手や指先の保湿ケアをすること、まとまった睡眠時間をとること、ストレスを発散すること、そのどれもが、私がこれまでできていなかったことだった。

自分自身の小さな変化ひとつにも気づけなかったのに、私は、これから大きな変化を起こそうとしている。

※都合により、この回をもちましてしばらく休載とさせていただきます。また新たなネタを引っさげて戻ってきますので、どうぞよろしくお願いいたします。


【こいぬまめぐみ】
Twitter: @curewakame
BLOG: http://koinuma-megumi.hateblo.jp/

武蔵大学社会学部メディア社会学科在学中。宣伝会議コピーライター養成講座108期。


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編集後記(02/26)

●昨日は思わず図書館を罵倒してしまい、少し反省している。話題の新刊は図書館から借りるものだと無邪気に決め込んでいる、けっこう金持ちの人たちがいるという話はよく聞く。腹立たしいやら情けないやら。「公共図書館はほんとうに本の敵?」というシンポジウムが2015年2月に紀伊国屋サザンシアターで行われた。その記録が「マガジン航」に掲載されていた。「図書館は版元の敵ではないか」という議論がかつてあったが、もはやそういう状況ではなく、版元も図書館も非常な危機にある。図書館と版元と書き手はどう共存できるか、あるいは理想の図書館とはどのようなものか、などについて語られた。

登壇者は、佐藤優、林真理子、猪谷千香、根本彰・東大大学院教授、菊池明郎・筑摩書房、石井昂・新潮社、進行は植村八潮・専修大学教授の7人。私と図書館、なぜ重版が必要か、図書館の役割と公共性、注目図書館と海外の図書館事情、理想の図書館というテーマで進行した。大変な分量の記録だ。まず思ったのは、テープ起こし(いまはICレコーダー起こしというのだろうか)が大変だっただろうなということ。発言を文字に書き起こす地味で苦痛な作業である。かつて「日本語の文字と組版を考える会」セミナーのテープ起こしはわたしが担当した。編集者の仕事だから仕方がない。運営側はすべて無料奉仕だった。

このシンポジウム記録から、各人のナイスな発言を抜き出して、辻褄のあったテキストを作ろうとしたが、途中で放棄した。もはや、そういう根気がない。延々と読み続けて、どうしたもんかと思っていたら、最後の最後に関川夏央が「公共図書館への提言」として、このシンポジウムをきれいにまとめていた。それを利用させてもらおう。主題への注目度の高さゆえ、当日の聴衆450人、満席だったという。パネラーは一致して「公共図書館は、もちろん本の敵ではない」と確認した。しかし議論を深める中、作家や出版者にとって現状の公共図書館のありかたは「理想」とは程遠いのではないか、という意見も出た。

「図書館人には、出版界の声に真摯に耳を傾けていただきたい、また予算削減のみを要求する運営自治体に、自らの理想とする図書館サービスのあり方と意義を説いていただきたい。そういう痛切な願いを、私はこのシンポジウムを通じて抱きました。公共図書館が果たすべき役割は大きいのです。出版界と協調しつつ次世代の読者と作家を育て、日本の出版文化、日本語文化の未来に貢献されることを期待します」。うーん、さすがだ。出版社にとって、ブックオフとかアマゾンとか、困った問題はいろいろあるが、せめて図書館は協力してほしいものだ。明日は返却日、新書を一冊、今日中に読めるだろうか。 (柴田)

公共図書館はほんとうに本の敵?(マガジン航)
http://magazine-k.jp/2015/07/09/libraries-are-not-ememy-of-the-books/


●こいぬまさん、ありがとうございました。復帰お待ちしております〜!

サービス「Mailbox」が今日で終了。寂しいなぁ。Dropboxに買われて展開されると思っていたら3年で終わってしまった。

日本語版サイトはまだ紹介案内のまま。英語版サイトには「We're all done.」の文字。Mailboxらしい画面になっている。画像名はサンセット。

2013年の後記には「予約したのは1月23日。ストアに登場したのは2月8日。アプリに予約コードを入れたら161,971人待ち。後ろは295,060人。今朝の時点で92,811人待ち、後ろが652,253人。」と書いていた。

このプロモーションは面白かった。いや、純粋にトラブル回避のためだったかもしれないけれど。

代替アプリを探し出すと複数見つかったものの、どれも一長一短。いや、Mailboxよりは機能は多いものの、しっくりこない。慣れるしかないのよね。 (hammer.mule)

Mailbox
http://www.mailboxapp.com/

日本語版
http://www.mailboxapp.com/ja/

2013年1月23日に利用待ち列に並んだんだった
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20130212140000.html

Picasaの終了と、10年続くウェブサービスの少なさ
http://lifehacking.jp/2016/02/10-year-service/

Dropboxは2008年に正式スタート。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Dropbox
2009年10月に「寂しいよ。良くなったよ。戻ってきて〜」というメールが届いてる。いつ登録したんだろう……。Top Secret.txtが2008年9月の日付になっているから、これかなぁ。

Evernoteも2008年だ。日本語版が2010年。
http://wired.jp/2013/06/12/evernote-phil-libin/
2008年6月に登録。英語OCRに感動した後、日本語だとOCR機能が使えないからと放置した覚えがある。

Gmailは2004年から。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Gmail
2005年4月に登録していた。容量オーバーになったらどうしようと用途別にアカウントを作ったが、どんどん増えていっていまだに上限にならず。