羽化の作法[11]強制撤去の情報
── 武 盾一郎 ──

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これまでは「新宿西口地下広場」、「京王新線の地下通路(現・京王モールアネックス)」の二か所の段ボールハウスの集落に絵を描いてきた。

11月下旬から、スバルビルにあるモニュメント「新宿の目(宮下芳子作)」側から伸びてゆく通称「B通路」の、長い直線の通りにある段ボールハウス群に絵を描き始める。行政的には「新宿副都心4号街路地下道」というらしい。

「新宿の目(宮下芳子作)」
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%81%AE%E7%9B%AE&espv=2&biw=1279&bih=678&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj1lf2b9ZnLAhWKlJQKHc1yDIsQ_AUIBigB


新宿西口地下からまっすぐ歩くと地上に出る300メートルもの通りで、段ボールハウスがずらーっと長屋状態で続いていた。今の動く歩道がある場所が、そのまま段ボールハウスになっていると想像していただければわかるだろう。とてつもない規模の段ボール長屋村である。

月〜金はラブホテル、土日は段ボールハウス。僕たちはちょっと異質な建物を往復する制作生活を送っていた。




「B通路」に描き始めて少し経った12月9日のこと。

「来年の一月にここが強制撤去されるかもしれない」と、ビデオジャーナリストの遠藤大輔さんから教えてもらった。

「ドロップアウトTV」というチームのリーダーである遠藤さんは、「新宿路上テレビ」という野宿者ニュースを、新宿西口地下広場にモニターを置いて放送する活動をしてた。

そこに『アートな気分』という映像コラム番組があり、僕たちの段ボールハウス絵画制作を紹介したりもしていたのだった。

段ボールハウス強制撤去の噂は、描き始めた頃、8月にはすでにあった。

そもそも段ボールハウス自体が恒久的な建築物ではない。「いつかは必ず消えてなくなる儚い家」なのだ。

強制撤去がどんなものなのかピンと来なくても、漠然と「いつかここもなくなっちゃうかもしれないのかあ」という感覚はあった。

そんな薄ぼんやりした「撤去」のイメージを抱いていたのだが、今回の撤去情報はなぜだか重くのしかかるようなインパクトを伴い、リアルに感じた。

強制撤去とは、「新宿西口から東京都庁まで〈動く歩道〉を建設する」ために、「B通路」の300メートルにわたる長屋となってる段ボールハウス群を排除する、というものだった。

「野宿者を排除したいがために〈動く歩道〉の計画を立てたのではないだろうか?」と僕は感じた。

強制撤去は、そこに住んでいる人たちにとって大問題だけど、僕らにとっても大問題だ。

情報は野宿者支援団体の「新宿連絡会」が最も速く仕入れているようだった。「連絡会」って何のことだろう? と最初は分からなかったが、「〇〇連絡会」という名称は、支援活動に付ける名前の典型のようであった。

僕はこういう場所に活動家の人たちがいる、ということすら知らなかった。

新宿連絡会の人たちとは会うことはあまりなく、現場でもほとんど見かけなかった。「なんだよ。支援者の人たちって、誰も来てないじゃん」という感じなのだ。それは、活動家の人たちは僕らに話しかけてくれなかったから、かも知れないが。

それでも情報は早く知ることが出来た。なぜかというと、僕らが新宿で絵を描き始めた初日に出会った、カメラマンの木暮茂夫さんが伝えてくれてたからだ。小暮さんはかなりの頻度で新宿に来ていて、よく話しかけてくれたのだ。

「1月に強制撤去が来るかもしれない」という情報を最初に聞いたのは遠藤さんからだけど、だいたいのことは木暮さんから教わった。

例えば、野宿してる人たちを基本「先輩」と呼ぶこと。僕はどうも「先輩」と呼ぶのはしっくりこなくて、「おっちゃん」とか普通に「〇〇さん」とかで呼んだのだけど。

そして、「マグロ」。寝ていると(あるいは起きていても)集団がやって来て持ち物を一切合切盗っていってしまうことで、ホームレスに対するホームレスの窃盗のことを指す。

なんとなく僕は、それは野宿の村に入る「イニシエーション」のように感じたのだった。なぜなら、木暮さんは「マグロ」に合ったらしいのだが、僕は結局「マグロ」には合わなかったからだ。

マグロの犯人は、木暮さんの知ってるホームレスの人たちだったそうだ。それから、食べものを「エサ」と呼ぶことを知った。

後々の話だけど、木暮さんは野宿者を撮った路上写真展で全国を回り、寄付を募って野宿者に数トンものをお米を寄付する。その写真展を「エサとりキャラバン」と名付けていた。

「エサとり」とは、野宿してる人たちの日常単語のひとつなのだ。それから、おでこにグーを当てるのは「警察」。例えば、「昨夜はこれが来ちゃってよお」と言いながら握りこぶしをおでこに当てる。

そういった、野宿している人たちの習慣やスラングなどは、木暮さんとの会話から知っていったのである。

木暮さんをはじめ、住人以外にいろんな人たちがいた。ホームレスの人との触れ合いを冊子にして配ってる人とか、なんとなくウロウロして支援活動の手伝いをしたがっている人とか、単独で行動している人たちも結構いた。

そんな人たちからはよく話しかけられたので、さまざまな情報が入ってきた。また、通りすがりの人たちから話しかけられることも多かった。

中には都の職員もいて、「私は都の職員であなたとは反対の立場なのですが、本当はあなたのやってることを支持してます」と耳打ちするように話して去っていった人もいた。

12月10日、木暮さんの路上写真展。

強制撤去の情報を聞いた翌日の10日、早速アクションを起こしたのがカメラマンの木暮茂夫さんだった。

これまで撮影してきた新宿の野宿の人と路上の風景を、〈路上写真展〉と銘打って路上で展示したのだ。フィルム300本、一万カットから30数点の写真を路上に並べていた。木暮さんいわく「今回は突き放して作品を作った」。

木暮さんは当時ジャパンタイムスのカメラマンらしかったけど、ライフワークのように新宿の野宿者たちを撮影していた。僕らが絵を描いている初日に仕事として撮影したが、その写真は掲載されなかった。

その後も、木暮さんは僕らの絵の写真をメディアに売ることはしなかった。それは「路上の写真は売り物にしない」気持ちからのようだった。

木暮さんの路上写真展について12月10日の制作日記にはこう記されている。

「ホームレスの人達の中に入り同化し、空気のような存在となって路上生活者達を撮る。長い時間と根気のいる仕事だ。重い意味を持つ問いかけ、冷静な視線の中に、人間社会の何かに対する深い憤りを感じた。見た目は軽薄そうな木暮さんだが……。僕ももっといい絵を描きたい。」

この〈路上写真展〉は後に、何人ものカメラマンによる大規模な〈路上写真展〉に広がって行く。

写真による「路上写真展」、映像による「新宿路上テレビ」、路上の出来事の小冊子を配布する人、絵による「新宿西口地下道段ボールハウス絵画」、現場のことを現場で表現する、いわゆる「反対運動」とは違う表現が、ここ新宿西口地下道から幾つも産まれていたのだった。

強制撤去の噂は瞬く間に広がり、新宿西口地下道一帯は一気に緊張した空気で充満していった。(つづく)


【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/売れっ子アーティストへの道】

今年はすでに年末までのスケジュールが決まっている。人生で初めて計画的に暮らすことができている感じ。

◎『アリス in アートラッシュ』展
2016年3月9日(水)〜3月28日(月)
新作、線譜パンク・シンフォニー『アリス・イン・アンダーグラウンド』から第一楽章『アングラウサギのメグ』、第二楽章『チェシャ猫のμ(ミュー)』を出展します。
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この新作は新境地という感じで、今までずっと自然音とかノイズ音のようなものを線譜にしてきたのですが、「ネズミに恋したネコのタムちゃん」を描き始めたのがきっかけでメロディや主旋律が浮かび上がる音楽も線譜にできるようになってきました。

「アリス・イン・アンダーグラウンド」は伴奏とメロディがノイズや自然音を伴って繰り広げられる楽曲、というイメージです。

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