デジクリトーク/災害は他人ごとではありません あい

投稿:  著者:  読了時間:5分(本文:約2,000文字)



熊本、大分でまた大きな地震が起きました。今も余震が続いています。私は阪神淡路大震災の被災者です。他人ごとには思えず、テレビに見入りながら、胸が苦しくなります。

かつて経験したことが心の奥底の、無意識の域に住み着いているようで、その時の思いがわきあがってきます。

阪神淡路大震災というとよく出てくる、高速道路がひっくりかえった、映画の1シーンのような映像があります。わたしは、その真ん前のマンションに住んでいました。ちょうど断層の上で、周囲の木造の家はほとんどがつぶれ、下敷きになって多くの方が亡くなりました。

1月17日の日が昇り、空を見上げると高速道路の路面が見えたのですが、あたりは異様に静かだったのを覚えています。




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今朝、普通に通勤の電車に乗って、混雑する駅を歩きながら、なんで私はこんなふうに普通に歩いているんだろう。余震におびえて時間を過ごしている人々がいるのに……と違和感を覚えました。申しわけないと……。

そのわけは、震災後、その逆をずっと感じていたからです。ある程度日にちが経って、交通機関が復旧してきた頃、10分も電車に乗れば、そこではみんな従来と何の変わらない生活をされているのです。

神戸の人はすぐにわかりました。みんなおしゃれとは縁遠いパンツスタイルでスニーカー、リュックまたはショルダーバッグ。そんな状況が数か月ではなく年単位で続いたと思います。

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我が家は7階建てのマンションの7階でした。あの重い冷蔵庫をはじめ、すべての家具は倒れまるでミキサーにかき回されたように、家の中のものがぐちゃぐちゃになりました。一部屋はまったくドアが開かず、かなり落ち着いてきた半年後、ドアをのこぎりで切って、中に入りました。

正直、家の中に居れたものではありません。余震もかなり来て、もうこわくてこわくて、みんながいるところに逃げるのが精いっぱいでした。我が家から5分のところに実家のマンション(築18年)があったのですが、階段が階段の形をしていませんでした。ぼろぼろに崩れていました。

そして、映像ではけっして見せられない修羅場も見ました。家族が大けがをしたので、頭をえぐられる大けがをされた近所の人と一緒に病院に連れていくと、病院はぺちゃんこで、前の広場に病人やけが人がゴロゴロと並べられ、お医者さんや看護婦さんが必死で処置していました。

手が足りないので自分でやってくれと言われ、消毒薬と包帯をわたされました。すぐ横で「お父さん目を覚まして」と泣き叫ぶ女性の声……心にやきついています。

私の家のすぐ近くにあった小学校では、水はまったく出ません。もちろん電気もつきません。復旧が一番遅い地域でした。水道が出るようになったのは2か月後、電気やガスはもっと遅く3月末くらいだったように思います。

私の車(四輪駆動)が青空駐車場においてあったので、こわれずに動きました。通れる道を探して、遠くの運動施設に避難しました。そこは水も電気も通っていました。その後、私は車で親戚の家に避難して3月末に家に戻りました。

今回、地震が起きて熊本に住む友人に即連絡をとり、伝えたのが、まだ水道の水が出るならすぐに水をためたほうがいいというこということでした。

ガスや電気がなくても、なんとかなります。救援物資も届きますし、炊き出しも行われます。飲み水は配給されるでしょう。でも、生活用水がないというのは本当に大変なことです。

手も洗えない、汚れを落とすことも出来ない。なによりも困ったのはトイレです。水がないとトイレが使いものにならないのです。避難所でもそれが大きな問題でした。何週間かして自衛隊がきて、トイレを設営してくれたそうです。

書いていると、あれもこれもと思い出します。ひとこと言うなら、地震に限らず災害は他人ごとではありません。普段の生活の中で、災害が起こった時はどうすべきか、何を準備しておいたほうがいいかを考え、すぐに実行すべきだと思います。

世間とは、被災地に関する報道量が減ると、そこはもう普通に戻ったと思うようです。でも、元に戻るにはかなりの年月がかかります。10年。20年。そういったこともわかってほしいと思います。

追記:私の記憶の中に日本と近い経度の南半球で大地震がおこると、必ず数か月の間に日本に地震がおこるというのがあって、この3月にインドネシア沖で大地震がありました。その時、あっ、また日本で大きな地震がおきるかもと思いました。あたってほしくないけど、今回もそのとおりになりました。


【あい】WEBプランナー デジクリ創刊以来の読者


◆昨年の6月に、大地震と風呂の水について後記で書いたところ、即反応されたのが、大震災被災者だったあいさんでした。何度かメールのやりとりを交わし、そのうち体験談を書きますというお約束をいただきました。

4月14日21時26分、M6.5の地震が熊本で発生しました。翌15日、あいさんから「今こそ書くべきだと思いました」と、このテキストが届きました。(柴田)