ショート・ストーリーのKUNI[193]離れられないふたり/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,600文字)



ある家のある部屋のある引き出しの中で、一本の古いハモニカが今日もぶつぶつとぼやいていた。

「ああ、まったくここは気が滅入るね。今日みたいにお天気がいい日は外に出て、だれかに吹かれてみたいもんだ」

「まったくだ。とはいうもののおれはリモコンだし、コンビを組んでたβのビデオデッキはとうの昔に廃棄されたが。あの頃が懐かしいや」

「うらやましいこと。あたしなんか箱に入ったまま一度も使われたことがないんだから、思い出さえないってことよ」

そう言ったのはもらいものの、今となっては流行遅れのカフスボタンだ。

他にも15ゲームだとか「バック・トゥ・ザ・フューチャ」の缶バッヂだとか、温泉旅館で買った指人形だとか、なぜか墨汁、暑中見舞いのはがきの束とか、いろんなものが放り込まれて積み重なり、そのまま凍結されたかのようになっている。まあそれがこの引き出しの状況である。




「いったい、どうなってんのかしらね、あたしたち」

「完全に忘れられてんじゃないの?」

「そんなことはないさ。半年前も、奥さんがここを開けてはふうっとため息をついて、また閉めた」

「なにそれ。どうにかしようとは思った、てこと?」

「いやいや、ほとんど意味ないね。年に二回の儀式のようなもんさ」

「こうなったいきさつはというとだな」

「ふむ」

「たぶん、前の引越しのときに急いでたもんで、そこらにあった中途半端なもん、つまりどこに入れたらいいかわからないものを、だーっとかき集めてここ、つまり箪笥の一番上の引き出しに入れた。で、それ以後、そのまま」

「そうそう」

「てことは、問題なくどこかの箱に入れられたやつに比べたらあれだけど、即決で捨てられたやつらに比べたら、まだ愛されてるってことになるんじゃないだろうか、おれたち」

「でも忘れられてんだよ、ほとんど」

「むしろ…思い出したくないっていうか」

「めんどくさいって感じ?」

「どうしたらいいか、考えたくないんだ」

「そうそう。われわれのように引き出しに放り込んでほったらかしにされている物たちっていうのは、考えるのもめんどくさい存在ということなんだ」

「やっぱり」

「そうだったんだ」

「えっ、その、前の引越しって、28年前の、あの引越し?!」

「そうだけど、何か」

「おれたち、28年もそのままなわけ?!」

「そういうことだな」

「道理で古くなるわけだ!」

「古いどころかかさかさだよ。私、もう蓋は開かないと思うんだ、きっと…」

墨汁が嘆いた。

「あたしは今でもぴかぴかよ。いつでもお役に立てるわよ」

カフスボタンが言った。ハモニカも

「ぼくだって、まだまだきれいな音が出るはずだ」

「『ぼく』だってさ。笑えるな。人間だって28年もたてば少年は中年に、少女
はおばさんだ」

「ぷぷぷ、見て見て。あのハモニカのケースに書いてある名前。1年3組 ○○○○子、だってさ」

「笑える」

「仕方ないだろ、ぼくはここの奥さんが中学生だったときのものなんだから」

そう言ってハモニカがふんっと息を吐くと、背中で中学生向けのミニ英単語集が抗議した。

「んあああ、やめてくれよ。あんたとおれはぴたっとくっついてるんだからああ。こないだみたいにくしゃみなんかされたら、もう、局地的大地震に出遭ったようなもんで、背中がびりびり破れるかと思ったんだからあああ」

「わかりました、わかりましたってば」

「お気の毒。でも、あたいらも似たようなもんさ。だから、たまには整理整頓してほしいんだけどね」

ハイヒール型栓抜きの下敷きになっているトランプが苦しそうに言うと、そうだそうだと、あっちこっちから声が上がった。そのとき

「しーっ!」

誰かが言った。遠くから足音が近づいてくる。引き出しの前に誰かが立った。引き出しをごとごと、と開けにくそうに開ける。光が差し込む。しばらく沈黙。

それから、ふーっと大きなため息が聞こえ、また引き出しはごとごとと閉められた。足音が遠ざかる。

「…また、例の『儀式』?」

「どうかなあ」

「これでまた半年、忘れられるんだ」

すると、隅のほうで実験用ピンセットが言った。

「いや、それがそうじゃないかもなんだ!」

「なんだ、どういうことだ」

「この間から、なんか変なんだよ、ここの奥さんとご主人…夜中に長々と話し合ってるし…けんかしてたこともある」

「うん?」

「ていうと?」

「まさか、その、え、ちょっと待って。まさか、まさか、その、離婚とか?!…ええっ? そうなの?!」

「いや、その、まさかの離婚、または別居だと思うよ。だから、つまり…28年ぶりの引っ越しがあるんじゃないかと」

おおおおおおっ! と引き出し中がどよめいた。

「じゃあ、ひょ、ひょ、ひょっとして」

「われわれ、どうにかなっちゃうわけ!」

「そうなんだ…」

引き出しの中の空気は急にどよんと重くなった。だれもが想像をしている。ああなるのかこうなるのか、それとも。もしかして、いや、もしかしなかったら。だけど…あまり良い状況になるとは思えなかった。なんとなく。


実験用ピンセットの推測は正しかった。この家の夫婦は基本きれい好きでも整理整頓好きでもなく、どころか真逆で、そもそもそういうところが似たもの同士なのだが、そんな二人が今度ばかりはついに腰を上げ、家中のものを片っ端から分類し始めた。

別居となれば仕方ない。これは私のもの、これはあんたのもの、と自分が所有権を有するものをそれぞれの名前を書いた段ボール箱に入れていく。

引き出しの中のみんなにも、見えないが気配でわかる。みんな、奥さんとご主人がぷりぷりしながら整理していく様子を固唾を飲んで見守って、いや、聞き守っていた。


「この押し入れの中に残っているのはほとんど君のだからね。あとはよろしく! ああ、せいせいした!」

「この本棚の下二段はあなたのですからね。さっさと片付けてちょうだい。あら、いやだ、私の本の間にあなたの『8マン』の本が! ああ、けがらわしい!」

「なんだと。おもしろがって読んでたくせに」

「おもしろがってるふりしてただけよ。ふん」


週末ごとにそんな日々が繰り返され、ついにその日が訪れた。引き出しにも「分類」の手がつけられたのだ。

奥さんが、墨汁はご主人、カフスボタンもご主人、指人形は自分、トランプも自分、と次々引き出しから出してそれぞれの箱に分けていく。そして、ハモニカを自分の箱に入れようとして…。

「あらやだ、くっついてる!」

ハモニカの入ったビニルケースの背中には、夫のミニ英単語集のコーティングされた表紙がべったりとくっついている。はがせない。

無理矢理はがそうとすると、英単語集の表紙の表面だけがハモニカのケースにくっついて残り、無残なことになりそうだ。それは避けたい。

よりによって夫の英単語集の表紙が私のハモニカのケースにべったりと、呪われたように張り付いていたりしたら。考えただけでぞっとする。でも、はがせない…。

かなりの時間、奥さんは格闘したが、あきらめざるを得なかった。ハモニカと英単語集を残して、引き出しはごとごとと閉じられた。


「どうなるのかなあ、ぼくたち」がらんとした引き出しの中で、ハモニカがつぶやいた。


三日後、引っ越し屋のトラックが来た。作業員が来て、どんどん段ボール箱を運び出していくようだ。

「あのさあ、ぼくたちのことだけどおおお」英単語集が言った。

「うん」

「君は奥さんのものだけどおお、ぼくはご主人のものじゃないかあ」

「うん」

「だけどお、この通り、離せないだろおおお」

「うん」

「それでえええ。ぼくたち、どうやら、ひと月交代で奥さんのところとご主人のところを行ったり来たりすることになったらしいんだよおおお」

「はあ?! どんだけ中途半端な結論なんだ?! うそだろっ」

しかし、英単語集の言う通りだった。その月はふたりは奥さんの新居に、翌月はご主人の新居に、その次はまた奥さんの新居に…というめんどくさい生活がそれから始まった。所有権がどっちにあると決められなかったのだから仕方ない、ということのようだ。


「めんどくさいけど、仕方ないわね。はい、今月はあなたが当番ね」

「ああ。君のおんぼろハモニカを預かるなんて、全然気が進まないけど仕方ないね」

「私のほうこそ、がまんして一か月、英単語集を預かってたんですからね」

「はいはい。ところで、元気そうだね」

「もちろんよ! あなたと顔をあわせなくてすむんですもの!」

「おれだって! 食欲がもりもり出て困ってるよ」

「おたがいさま!」


で、ハモニカと英単語集を預かっていた月のある日、奥さんはふと、気まぐれでハモニカをケースから取り出した。

すっかりつやのなくなった金属部は見て見ぬふりをし、口にあて、そっと吹いてみると思いがけずきれいな音が出た。意外と大きな音でもあった。楽器というものから長いこと離れていた人間にとっては。

彼女は思い出し思い出ししながら吹いたり吸ったりした。できるだろうかとおそるおそるメロディを吹いてみる。

さ・い・た、さ・い・た、ちゅーりっぷのは・な・が…吹けた。

うれしくなった。いや、これじゃ小学一年生だ。もう少しましな曲を吹こうよ。

そ・ら・をこえて、らららほ・し・の・かなた…。

小一時間ハモニカと遊んでいて、ふと見ると、ハモニカのケースから英単語集がはがれていた。知らぬ顔で別々に横たわっている。えええええっ! 思わず声が出た。

「なにこれ、なんでいまごろ…ああそうか、そうか、引き出しの中にあったときと湿度とか気温とかが微妙に変化してるから…時間が経ったら、自然にはがれた?てこと?! ええっ?! そうなの?!」

奥さんは年代物の英単語集を手にとり、ぱらぱらとめくってみた。40数年前のもののはずだ。

「ん?」

一個所、赤のボールペンで線が引かれた単語があった。

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奥さんはぷーっと吹き出した。思い出した。夫が「中学校のとき、クラスに村田というやつがいて、そいつが勝手におれの英単語集に赤線を引いてさ、にたにた笑ってやがんの、ほんとだよ! おれが引いたんじゃないんだぜ!」と言ってたことを。

奥さんはまだくすくすと笑いながら英単語集を閉じた。それから、さて、どうしたものかと思いながらその夜は寝た。

翌日、奥さんはネットでいろいろ調べたらしかった。霧吹きで英単語集の表紙にしゅぽしゅぽと霧を吹きかけ、湿らせた。そしてハモニカのケースに密着させ、上から重しがわりに文庫本を数冊載せた。

「あたためたほうがいいかな?」

その状態で浴室に持って行った。

「なななな、なんなんだよおおこの展開。まさかあ、奥さんはおれたちをもう一回くっつけようと、してるんじゃあないだろうなあああ。せっかくうまいことはがれたと思ったのにいいいい」

「ぼくにいわれても知らないよ」

「来月も再来月も、おれたち、行ったり来たりするのかよ、なんだよそれ。もうわけわかんないよおおお」

「確かにわかんないよね」

ハモニカと英単語集はぺったりとくっついたまま、ため息をつくのであった。


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阿蘇や別府というと高校の修学旅行を思い出す。関西汽船に乗って、まず着いたところが別府だった。阿蘇に向かうバスの中で、ガイドさんが「阿蘇の恋歌」を教えてくれたっけ。同じような思い出を持っている人も多いだろう。

その阿蘇や別府で大きな地震があり、まだ余震が続いているとは。もちろん、近畿地方でもいつどうなるかわからないのだけど……どうか早く収まってくれますように、としかいいようがないです、ほんとに。