ローマでMANGA[96]やはり最初の志を全うしようと決めた出来事/midori

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ローマ在、マンガ学校で講師をしているMidoriです。私の周辺のマンガ事情を通して、特にmangaとの融合、イタリア人のmangaとの関わりなどを柱におしゃべりして行きます。

●子犬に柵を

将来の夢、マンガ家。という20代の若者が、たとえ美術学校へ行かなかったとしても、自分で勝手にマンガ作品を描いたことがないっていうのはどういうわけ? と毎年セミナーが始まる度に思うのだが、驚くほどに作品を作ったことのある者が少ない。

私のセミナーは「mangaの構築法(mangaの文法)」であってmanga式の絵の描き方ではない。具体的な絵の描き方や道具の使い方は見せることができるので、学習する方も自分のレベルなど把握するのが簡単だ。

構築法の解説は具体的に示すのが困難。いや、既成のmanga作品のページを使って示すことができるのだけれど、概念の説明に似て自分で体験したことのないことはわかりにくい。

私の解説を聞いて理解して、課題の作品に反映できる者は、自分で勝手に作品を作ったことのある者にほぼ限られてしまうことが、今までの経験で分かった。

それならば、と言うことで作品を作ってもらいながら構築法の説明をしていく、という方法をこの数年とっているが、これもうまくいかない。




ページ数が多いとコントロールしきれないだろうと、4ページを作ってもらう。

生徒「惑星がふたつあって、その惑星どうしで戦争があって文明が滅びてしまう。そのうちのひとつに主人公が住んでいて、力を持っている。どちらも復活してきて、でもまた戦争になりそうになって……」

私「ちょっと待って。それ、4ページで?」

生徒「あ…」

というようなことがちょくちょく起こる。

作品は作ったことがないけれど、なんとなく、漠然としたストーリーとかっこいい武器の数々のデザインを持ってたりすることがよくある。

放っておくと、初めて野原に出た子犬のように跳ねまわって収拾がつかなくなる。だから、SF禁止令を出したりする。

条件をあれこれつけて、子犬が動ける範囲をある程度狭めてしまったほうが迷わずに済む。

そして、サイレント・マンガ・オーディションだ。
http://www.manga-audition.com/

テーマがあり、最低5ページから10ページという範囲があり、セリフなし。締め切りまでの時間二か月。

子犬の周りに柵ができた。

●ネームは暗号か??

今回参加したSMA05は3月31日が締め切りでテーマが「友情&伝達のツール」。目的がはっきりしていると制作に向かう気力が違う。結構早々とそれぞれストーリーが出てきた。

ストーリーを出すのに困っている生徒にはサジェスチョンをする。できるだけ「産婆術方式」で、質問攻めにして答えを引き出すようにしている。

ストーリーが出てきたら、それをネームにする。

生徒たちはmangaを読んだことがあるのだから、各ページはコマというもので区切られていることを知っている。

1ページ目の1コマ目から、正式コースで習った描き方で人の顔をまず楕円をふたつ重ね(ヨーロッパ人の凹凸のある顔を描くためのベースは楕円一個ではなく、大小二個なのだ)中心線をひいて正確に描こうとする。

それを止めて、もっと簡単に、顔は丸一個でいい、背景は「学校の廊下」とか「町のシルエット」とか説明文でいい、とサジェスチョンしていく。素早く決めて行った方が勢いのあるネームができる。

何人か必ず、きちんと描かないと想像できないという生徒がいる。その場合はしかたがないのでそのまま描かせる。そうでないと先に進めないのだ。

この学校に来る前にすでに描いていた生徒は、アタリで描いていく事ができるし、作業が早い。

マンガ制作の経験のないものを短時間で引っ張っていくのは難しい。どうしても中に詰め込むものが多くなるのが素人さんだ。

例えばアリアンナ嬢は、「友情」を一人でネットの世界に住むのが好きな主人公の女の子が現実の友人(リア充っていうの?)との交わりを知ることとし、「伝達のツール」に紙に書いた手紙とスマホを使った。

「友だちがいない」ことを、原稿を左右に分けて、授業中のクラス内、主人公のつまらなそうな顔のアップ。そして授業が終了したクラスと主人公の嬉しそうな顔で表現した。

その後、学校を出る主人公。自宅に入る主人公。部屋でコンピューターの前に座ってヘッドホンをつける主人公。Facebookの画面にlikeがたくさんついているのを見てにっこりする主人公、と続く。

その後、窓ガラスになにか当たる。窓から見るとクラスの男子が丘の頂上にある木に向かって走っている。ドアに行ってみると手紙が差し込まれていて、丘の上の木の絵が描いてある。

ちょっと驚いて(驚いた顔のアップのコマ)何の疑問も持たずに丘の上の木に向かうのだ。

木のそばに絵手紙の主がいて、他の二人の友だちを紹介してくれる。四人で走り回って遊ぶ。

次のページに同じ大きさのコマが三つ並んで、同じ構図の木の絵。実がなったり葉っぱが落ちたりして、時間の経過を示す。

次のコマはなぜか引っ越しの車の絵。そして主人公と男の子が手を振る。

次のページは雪景色だ。雪を踏んで二人は木のそばへ。スマホを取り出す。

最終ページはそのスマホを中心に、四人が座っておしゃべりしている大きなコマが占める。終。

ネームの解読が必要だ。

主人公の女の子に絵手紙を送る男の子は誰? 突然現れる二人は誰? 二人が街を去るのは都合良すぎる。

最後のページでスマホを中心に四人が座っているのは、チャットを表しているのだそうだ。ネットを通した付き合いだけど、実際に会った後なので、最初のネット内だけの付き合いとは意味が違う、というわけだ。全10ページ。

ほとんどの生徒のネームはこのように、行動の羅列になってしまう。

本人には内容はわかっているのだが、作者の頭の中を覗けない読者には行動の意味が伝わらないし、主人公の感情はなおさら伝わらない。

「友達がいなくてつまらない学校生活」に口がへの字の顔だけでは読者は感情移入ができない。ただの信号だ。

ここから贅肉殺ぎの作業をしていく。出てきたストーリー、というか、行動の羅列の中で、いいたいこと(テーマ)に必要のないものをわかってもらい、それを外して行く。

アリアンナ嬢の場合、余計なのは木がある丘で紹介してもらう二人だ。学校から出る。家に入る。という行動もいらない。そのスペースで、ネット世界に遊んで満足している様子を描くことができる。

リア充に導く男の子のことをもっと読者に知らせる。例えば、内気なクラスの男の子で、主人公を気に入っていた。だから、最初のページに主人公を目で追う男の子を描く。木のある丘で会って、握手をするときにはにかむコマを入れるなど。

アリアンナは自分のスマホでネームを撮って、Facebookのメッセンジャーを使って送ってきた。週に一度の授業なので、次の週までに私が意見を送れば、直したネームを持ってくる、というわけだ。熱心な生徒だ。

上に書いたことをもう少し詳しく書き、しかもPhotoshopを駆使して、ネームを直したものをメッセンジャーで送った。

しかし、その後アリアンナは授業に来なくなって、このネームがそれ以上進むのを見ることはなかった。自力で仕上げて送ったかどうかもわからない。

正式コースではない悲しさだ。私のセミナーに来なくても成績には影響しない。

●夢の実現

締め切りの3月31日の週に復活祭もあった。復活祭はキリスト教徒にとって、クリスマスと同じかそれ以上に重要なのだそうだ。国の祭日でもあり、クリスマス時期と同じように学校は一週間休みになる。

セミナーのある金曜日がその中に入ってしまうので、復活祭バカンスの前日と直後に学校へ行って仕上げた原稿を受け取ることにした。

家にスキャナがない生徒が多いし、サイトへアップするのを間違えては困るという不安もあるからだ。原稿を仕上げない理由をひとつでもなくすための策でもある。

結果七人が仕上げた原稿を持ってきた。それ以外に二人は自力で応募している。計九人。

セミナーの参加者が当初45人。段々脱落していって20人ほどになり、その中で作品を期日までに仕上げた者が9名。この数字が多いか少ないかという問題ではないと思う。

ゼロから自分の作品をペン入れまで仕上げた、期日までに二か月で仕上げた、という経験をこの9名は得たわけで、そういう機会を提供できたことを嬉しく思う。

でも、仕上げたー! で終わらせないで、やっと一歩なのだ、とわかってくれないとね。この先どんどん作品を仕上げていかないと夢の実現には近づかない。

セミナーの半ばで一作目を仕上げるのは例年通りだ。今年はオーディションに参加というイベントになったことが違う。そして、一作仕上げると一段落した気持ちになるのか、セミナーに出てこなくなる者が増えるのも例年通り。

参加希望者が多くて、部屋に入りきれず、朝、午後、夜と三クラスあったものが、合計で15人ほどになったので、一クラスにまとめようと学校に言われた。

この文章の最初に「具体的な絵の描き方や道具の使い方は見せることができるので、学習する方も自分のレベルなど把握するのが簡単だ。」と書いたのは、このことにも関係している。

一段落すると出てこなくなる、ということは、それ以上はいいや、と思うということだ。魅力がない。

だからふっと、人気の出そうなつけペンの使い方とかトーンの使い方とか、具体的な作画技術を専門にしてしまおうか、と、考えたのだ。

と、考えたのと同じ日に、当のサイレント・マンガ・オーディションのスタッフの一人からメッセージが届いた。

「山根先生の教え子サルバトーレ君が準グランプリをとって東京に来ています。教えが実を結び始めた感じですね。」

絵に描いたような大団円……ではないのだ。

サルバトーレ君が参加したのは3月始めが締め切りの特別企画、テーマ「桜」のオーディションで、しかも学校の生徒ではないのだ。

5年前にデ・アゴスティーニ社刊の「manga & anime」シリーズの監修をしていたのだけど、同名のオフィシャル・サイトでのチュートリアル・ページをよく訪問し、課題を提出し、質問をしていたのがサルバトーレ君なのだった。「教え子」というのも必ずしも間違いではないか。

サルバトーレ君にお祝いのメッセージを送ってちょっとやりとりする中で「当時、mangaと言えばつけペンとトーンで描くものという認識しかなかった時に、構築法という側面からmangaを語った唯一の人があなただった。おかげで色々なことを学んだ」ということを書いてくれた。

学校から参加した生徒が賞をとったのなら、セミナーへの関心ももっとあがったかもしれないけれど、サルバトーレ君の入賞は、もちろん、その功労のほとんどは本人の絶え間ない努力によるものだけれど、私のしていることはまんざら無駄ではないのだ、と思わせてくれた。

作画技術というわかりやすく、目を引き、人受けがいい講義。だからこそ、他の学校でもやっていることに傾かず、やっぱり最初の志を全うしようと決めたできごとだった。

これを書いているときは、サルバトーレ君の入賞はまだ発表になっていないけれど、これが出るときにはサイレント・マンガ・オーディションの公式サイトで作品が見られるはずなので、ぜひともご覧ください。


【Midori/マンガ家/MANGA構築法講師】midorigo@mac.com

飼い犬のヌーボラ嬢がはや15歳を過ぎ、ヨボヨボになってきた。白内障で耳が遠くて、あちこちの関節が炎症を起こしている。昨年11月の予防接種の時の診察で、予防接種は受けなくていい、それより炎症を抑えたり中枢神経の働きを助けるサプリメントを服用させて、あまりプロテインの高い食事は避けて……といろいろ注意をもらった。

つまり、犬生の終わりに近づいているという宣言だった。ここへ来て、寝ていることが多くなり、移動も大儀そうになってきた。足の筋肉が弱って、よたよた歩き、何もないところで滑ったりしている。時々ハッハッハッハッと息が荒くなるのは、弁膜が上手く閉じないので血流が悪く、酸素不足になるからだそうだ。

幸い、かかりつけの獣医は、何が何でも寿命を伸ばそうという考え方ではない。取れる痛みは取っていくという対処療法で自然の手に任せ、彼女が逝く時を決めるまで見守ろう(打つ手がなくなり苦しむだけならば安楽死も含む)という考え方だ。

この二日、下痢をして食べなくなり、寝たきり状態になったので、医者に通い、また今日食べ始めてヨタヨタ歩くようになった。

昨年、三年前と90歳を超えた舅と姑を看取って、命の終わりとその尊厳を体験として学習したので、下手に高ぶったり不安になったりせずに、ヌーボラの終焉を見守ることができそうだ。感謝とともに。

MangaBox 縦スクロールマンガ 「私の小さな家」
https://www-indies.mangabox.me/episode/18803/

主に料理の写真を載せたブログを書いてます。
http://midoroma.blog87.fc2.com/