映画ザビエル[16]死して、なお守られるべきもの/カンクロー

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◎サウルの息子

原題:Saul fia
制作年度:2015年
制作国・地域:ハンガリー
上映時間:107分
監督:ネメシュ・ラースロー
出演:ルーリグ・ゲーザ

●だいたいこんな話(作品概要)

1944年10月。アウシュビッツの強制収容所でゾンダーコマンドとして、囚人の遺体処理の仕事をしていたハンガリー人のサウルは、ある日ガス室で、かろうじてまだ息のある少年を見つける。

少年はすぐ息をひきとり、サウルは彼を自分の息子だと主張して収容所の医師に解剖しないよう懇願。ユダヤ教に則った弔いをするために、収容所内でラビ探しに奔走する。

2015年、第68回カンヌ映画祭グランプリ受賞(最高賞はパルムドールなので次点)。第88回アカデミー賞でも最優秀外国語映画賞を獲得。




●わたくし的見解

アウシュビッツの強制収容所が舞台の物語なので、変な言い方になるが「ホロコーストもの」を期待して鑑賞するのであれば、少し思惑と外れるのではと想像する。

主人公の男性サウルが、強制収容所内でせわしなく動き回る姿を、ひたすらカメラは捉え続ける。一眼レフカメラの写真のように、ほとんどの場合ピントはサウルに強く絞られていて、彼以外の人物や背景はピントを合わせた中心から離れれば離れるほどボヤけて映る。

携帯電話のほとんどにデジタルカメラが付いているので、今では見慣れたデジカメの画像と比べると、一眼レフ的画像は実際私たちが目にしている光景に近い。デジカメ画像は背景の端の方まで比較的ピントが合っている。これが綺麗に写っているように感じる要因でもあるが、短所としては綺麗過ぎて嘘くさくもなる。

見ようとしているものに焦点が合って、それ以外のものは比較的ボヤけて見える私たちの肉眼と、一眼レフの画像は確かに似ている。

おそらくこの作品も、まるで出来事を目の当たりにしているような、そういった効果を狙っての事と思われるが、ピントの絞り込みがあまりに極端なので、臨場感以上の緊張がみなぎり、リアルから一周まわった別次元の世界を強制的に見せられた疲労感がある。

「時計じかけのオレンジ」みたいに、無理やり瞼を開かれて見せられるような。はたまた一周まわって、そこまでもが狙いか。

ピントの対象サウルや、サウルが話しかける人物以外はボヤけているので、目を背けたくなるようなものは、はっきりとは見えない。

サウルはユダヤ人として収容所にいるが、ゾンダーコマンドと呼ばれる囚人の中でも特別扱いされた労働者で、仕事の多くはガス室に送られた囚人の遺体処理とガス室の清掃。

はっきり見えなくとも、おびただしい数の囚人の遺体が、ずっしりとした確かな重みを持ってそこに積み重なっているのが分かる。ボヤけているからこそ、否応なしに刮目させられるのだ。

こういった光景が序盤、ほぼノーカットで見せられるのに「ホロコーストもの」と少し外れる理由は何なのか。

ゾンダーコマンドは特別扱いされているはずだが、彼らは働くうちに、いずれ自分たちもガス室で処刑されるのではと疑念を持っている。サウルの属するグループは、その疑念が現実である確証を得て脱走を計画していた。

サウルは信用に足る人物のようで、その計画の中でいくらかの重要な役割を担っていた。彼のグループは虎視眈々と脱走に向けて下準備を重ねていたのだ。今日明日にもそれが実行されようとするなか、グループの中でサウルだけ脱走よりも優先せざるをえない出来事が起きてしまう。

緊迫感を持って脱走の実行へ突き進むサウルのグループと、まるで逆流するようなサウルの行動。サウルは決して仲間を裏切る訳ではない。

予定通り仲間から与えられた役割をこなしながら、偶然にもガス室で見つけた自分の息子を、尊厳をもって弔いたいという無理難題を解決しようと奔走する。この極めて個人的な欲求に基づく行動が、数ある「ホロコーストもの」の中で新しい描かれ方ではないかと思う。

サウルらゾンダーコマンドは、ガス室に溢れる多くのユダヤ人の遺体を処理する時、感情を殺す事などはとうの昔に乗り越え、もはや感覚まで殺し作業することに集中しているだろう。同じユダヤ人なのに酷いと言うのは簡単だが、それはあまりにも無神経で思慮に欠ける発言だろう。

ところで、実はサウルが息子だと主張する少年は、年恰好の似ているだけの他人なのではと感じることが何度かあった。

サウルにその自覚があるのかは最後まで不明だが、極限状態で生き残ることだけに集中してきたサウルが、これまでの苦労を全て無にすることになろうともやり遂げたいと願った息子(あるいはそう思い込んだ少年)の弔い。

それは単純に埋葬することではなく、ユダヤ人がユダヤ人の考える天国に行けるように、儀式にこだわり続けたサウル。もし息子ではなく、息子と見立てていたのなら、自らの罪悪感をそそぐためのエゴともとれる。

しかし、ユダヤ人と一括りにして処分されようとしていた現実の中で、そのエゴは個人の尊厳を死に物狂いで訴えるものに見えた。

ホロコーストは、その残虐さと前代未聞の犠牲者数で語られがちだ。他にも、誰のせいでもなくても起き続けるカタストロフィー(大災害)についても、犠牲者の数で、その被害の大きさを計ってしまう。

でも、その何万人を一括りにしてはいけないと改めて思い知らされた映画だった。犠牲者一人一人に、感情を殺すことなど到底不可能な、彼らを心から大切に思う人たちがいるのだから。


【カンクロー】info@eigaxavier.com
映画ザビエル http://www.eigaxavier.com/

映画については好みが固定化されてきており、こういったコラムを書く者としては年間の鑑賞本数は少ないと思います。その分、だいぶ鼻が利くようになっていて、劇場まで足を運んでハズレにあたることは、まずありません。

時間とお金を費やした以上は、元を取るまで楽しまないと、というケチな思考からくる結果かも知れませんが。

私の文章と比べれば、必ず時間を費やす価値のある映画をご紹介します。読んで下さった方が「映画を楽しむ」時に、ほんの少しでもお役に立てれば嬉しく思います。