わが逃走[182]ごぼごぼとお茶を飲む の巻
── 齋藤 浩 ──

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あなたは、いつ、いかなるときでもごぼごぼとお茶を飲んでいる。

と、極親しい間柄の歳上の女性Aさん(年齢非公開)に言われて、ああ、たしかにごぼごぼと飲んでいるなあと、その擬態語選択のセンスに感心させられた。

お茶は物心ついた頃から飲んでいた。食後のお茶、一息ついてお茶、キリがいいのでお茶、帰宅してお茶、食前にお茶、寝る前にお茶。

文章にたとえるなら「、」のタイミングごとにごぼごぼとお茶を飲んでいたし、いまも飲んでいる。別に理由などなく、おいしいから飲んでいるだけだ。

上品に所作を愉しむ(←あえてこの字)とか、そういうことには興味はない。

お湯は沸騰したてでなく、少しさましたところを、器の七分目まで注ぐ、とか家庭科の本に書いてあったが、私は熱いお茶を湯のみにたっぷりと注ぐのが好きだ。だってその方がおいしいから。




実家の隣がたまたまお茶屋さんで、今でもそこで買うことが多い。

静岡産『深蒸し茶』と『ほうじ茶』という大雑把な名前のものをよく飲んでおり、とくに玉露がどうとか、どこ産のナントカいう品種をブレンドしてとか、そういったことにはこだわらないし、知らないし、とくに興味もない。

ただ、経験から言えることは、値段と味はほぼ比例する。安すぎるお茶は、心の底から後悔したことがあるので買わないようにしている。

さて、いずれのお茶も普通においしいのはせいぜい二番煎じまでで、三番煎じをするときは、急須の蓋をはずしてなるべく蒸気を逃がしてからお湯を注ぎ、抽出時間を多めにとる。

ビンボーくさいと思うが、おまじないみたいなものだ。

寝る前にあと一杯飲みたいけど、お茶っ葉を変えるほどじゃない、といったときに有効な気がしている。あくまでも気がしているだけー。

そういえば、最近のヒトはお茶というとペットボトルをイメージするらしい。

お茶屋の息子がペットボトルの緑茶を飲んでいて、それを見たオヤジが嘆いていたらしいが、そんな話を笑い話と受けとめられない人も多数派になっているようにも思う。

また、ときどき友人、知人からお茶を頂くことがあるのだが、そのすべてがティーバッグなのである。これにはかなり驚いている。

お茶を飲む習慣のない家には急須もないのかもしれないなあ。そしてまた、お茶っ葉の処理もめんどくさいのだろうか。紅茶ならまだしも、緑茶やほうじ茶だったらそんなこともないと思うのだが。

磯野家はもちろん、バカボン家や野比家の食卓にも急須と湯飲みは見られたはずだ。つまり、それが物語の中で家庭を表す記号として機能していたのだが、最近のプリキュア家とかでは、もうそんなものは姿を消しているのかもしれないね。見てないから知らんけど。

きっと新聞もとってないし、固定電話もないんだ。寂しいなあ。昭和は遠くなりにけりか。

お茶とは年寄りが飲むもの、と思う人は少なくないようだ。

極親しい間柄の歳上の女性Aさん(年齢非公開)もそのひとりだが、私が淹れるもんだから近頃(ここ15年くらい)はよく飲むようになった。

しかし、緑茶は胃に負担がかかるのと、夜眠れなくなるのでほうじ茶がよいと
言う。

私には眠れなくなるという経験がないので、その意見には驚いた。カフェインで眠れない=迷信だと思っていたのだ。

私は物心ついた頃からコーヒーを飲もうが濃い緑茶を飲もうが、横になれば寝てしまう体質なのだ。

小学生のときは布団に入るのが辛かった。

やわらかい“おふとん”は大好きなのだが、そこで横になり目を閉じた次の瞬間、朝になっており、さっき帰ってきたばかりの学校へ、また行かなくてはならなかったからだ。

よく手術のときの全身麻酔の経験を、同じように表現している文章を見かけるが、だとしたら私の脳からはそういった物質が出ているのだろうか。

謎が謎を呼ぶ。

ちなみに今でもその体質はほぼ維持しており、私には眠れないという経験がない。おふとんの中で読む本もせいぜい3ページが限界、ピロートークなど不可能である。

あなたは、いつ、いかなるときでもぶんかぶんかと寝ている。

と、極親しい間柄の歳上の女性Aさん(年齢非公開)に言われて、ああ、確かにぶんかぶんかと寝ているなあと、その擬態語選択のセンスに感心させられた。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
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1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。