[4149] 賢者たりえぬ坊主はパンダと化すしかない

投稿:  著者:  読了時間:33分(本文:約16,000文字)



《技術的特異点の到来はSFのような空想話ではない》

■ Otaku ワールドへようこそ![236]
 賢者たりえぬ坊主はパンダと化すしかない
 GrowHair





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■ Otaku ワールドへようこそ![236]
賢者たりえぬ坊主はパンダと化すしかない

GrowHair
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20160624140100.html
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中国において仏教はすでに廃れたも同然らしい。いちおう寺はあるし、坊主もいる。しかし、坊主について人に問えば、「あの堕落したやつら」ぐらいの答えしか返ってこない。もはやちっとも尊敬されていないのである。

社会において果たしている機能は、せいぜい観光資源くらいのもの。これでは成都にパンダがいるのとあんまり違わないではないか。

日本においても、仏教はけっこうピンチなことになってるらしい。日本は中国とは違うからまだまだ行けるとする根拠も特に見当たらず、この流れはもうどうしようもないんじゃないかと思う。時代の趨勢かなと。

たぶん、あと30年、もたないんじゃなかろうか。日本の坊主も魔法にかけられたように、みんなパンダになっていくであろう。

現代の世界は科学技術と貨幣経済を原理として回っている。これらの原理だって、突き詰めて考えると、基盤にあるのは信仰であって、本質的には宗教とあまり違いはないということはある。

しかしながら、輪廻転生や因果応報の原理と比べれば、相対的に、依って立つのに頼りがいがあるように見える。伝統宗教は時代遅れになりつつある。

宗教が廃れると、モラルが低下して、社会に悪がはびこるようになるのか。そんなことはない。統計によれば、日本において、殺人や傷害のような凶悪犯罪は、ここ15年ばかり漸減傾向にある。

このところ凶悪犯罪が増えているように感じるとしたら、テレビの見すぎである。仮に仏教が完全に廃れたとしても、世の中の秩序は崩れず、犯罪発生件数は低く維持されるであろう。

ならば宗教は要らないのか。私はそうは思わない。逆に、これから大いにクローズアップされるべきものと思っている。宗教は、科学や経済の合理性とわれわれの心の不合理性との間に生じる齟齬からくる苦悩に対して救いの手を差し伸べるという点において、その役割を背負って立つべきものと考えている。

これから30年くらいの間に、脳科学と人工知能の研究は次々に新しい発見をなし、その成果が実用に供されていき、社会は大きく変化していくであろう。

その変化は、われわれの生活の利便性が高まるといった、量的な連続変化ではなく、意識の大転換をともなう不連続なものになるに違いない。価値観や人生観や死生観などまでもが土台から揺さぶられることになる。

極端な場合、政治判断や経営判断についても、人間よりも機械のほうが優れた能力を発揮するようになる可能性がある。機械が絵を描いたり小説をものしたりするようになるかもしれない。

そのとき、われわれの存在は危機に陥る。幸せとは何であるか、人類としての尊厳をどのように保ったらよいか、あらためて考えなおし、更地から再構築しなおさなくてはならなくなる。個々人の悩みというレベルではなく、社会全体が病理に蝕まれるようなものである。

そういうのが、SFの世界ではなく、現実味を帯びてきている。予見できるからこそ、脳科学や人工知能の研究およびその応用技術の開発において、道徳・倫理の観点から基準を策定すべき、との声が上がり始めている。

いま、世に出てきてほしいのは、賢者である。

こういうときこそ、坊主がしゃしゃり出てきて、意見を言うべきである。そうでないと、科学技術の問題が科学技術の側からのみ解決が図られることになり、人間がますます疎外されていく。

坊主が科学をちっとも勉強していないのがいちばんいけない。科学技術の発展が社会や人心にどのような危機をもたらすか、その観点から近未来が見通せていないことには、せっかく意見を求められたとしても、時代遅れの的外れな答えしか返せない。これでは賢者たりえない。

今後、寺に期待される社会的役割は、賢者サーバーである。これが果たせないのであれば、坊主はやはりパンダと化していくしかあるまい。

●日本の仏教はじり貧なのか

感覚的には、若者の仏教離れが進んでいっているような気がする。

そう言えば、あのカルト教団が起こした毒ガスによる同時多発テロ事件から、もう20年以上になるのだなぁ。あれのせいで、宗教は恐ろしいもんだというイメージが一気に広まり、宗教離れが加速したんじゃないかな。

実際には、特定の教団の狂信者たちによって引き起こされた一事件であったのだが、新興宗教全般がアヤシイもののように見えてきて、近づかないほうが無難というムードが広がった。伝統宗教でさえも、少なからずあおりを受けたのではなかろうか。

感覚的にはそうなのだが、裏づける統計はないだろうか。文化庁のウェブサイトに宗教統計調査の結果が公表されている。
http://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/shumu/

それによると、2014年12月31日(水)時点において、日本における宗教団体の信者の総数は1億9022万人である。単純に人口で割れば、一人あたり平均1.4団体の信者になっていることになる。ずいぶんと信心深いではないか、日本人。

もっとも、この統計は、各宗教団体から提出された数字を合計しているだけなので、信憑性に多少疑問がなくもない。しかし、もっと根拠のしっかりした統計が他にあるわけではないので、当面はこれを見ておくしかあるまい。

内訳は、48.5%が神道系、45.8%が仏教系、1.0%がキリスト教系、4.7%が諸教である。

2005年末において信者総数は2億1102万人であり、たまに増加する年があっても、全体的には減少傾向である。

この統計だけでは心もとないので、ネットをさらに漁ってみると、『「日本の伝統文化が…」急速に進む仏教離れ、消えゆく寺院に海外から惜しむ声』と題する記事が見つかった。2015年12月6日(日)に発行されている。
http://newsphere.jp/national/20151206-1/

それによると、現在日本にある仏教寺院77,000のうち、約4割が、少子高齢化、後継者不足などのため、25年以内に閉鎖されるであろうと予想されているとのこと。すでに2万以上の寺院が住職のいない「空き寺」になっているのだとか。

若者の宗教離れは世界的な現象だが、特に日本の仏教において顕著であるらしい。かつてないほどの危機に瀕している日本のお寺の現実をルポした書籍が出ている。

鵜飼秀徳『寺院消滅』(日経BP社、2015/5/21)

今、見つけたばっかで、まだ読んでないが、Amazonの内容紹介を読むと、やはり、日本の仏教の衰退は現実のことらしい。

●日本において犯罪は減っている

日本の犯罪に関する統計は警察庁のウェブサイトで公開されている。
http://www.npa.go.jp/toukei/index.htm

統計をとることができるのは犯罪の認知件数と検挙件数であるが、どちらも犯罪の発生件数そのものを表しているわけではない点に注意が要る。

同じ犯罪であっても、かつては大したことではないと届け出をしなかったものが、最近はカウントされるようになれば、発生件数は同じであっても、認知件数は上昇する。犯罪捜査の技術が向上して検挙率が上昇すれば、発生件数は同じであっても、検挙件数は上昇する。

なので、認知件数や検挙件数の上昇が、必ずしも発生件数の上昇を意味しないという限界はある。

『平成26年の刑法犯認知・検挙状況【確定値】』と題する、2015年2月5日(木)付の資料が参考になる。
http://www.npa.go.jp/safetylife/seianki/h26_keihouhan.pdf

それによると、刑法犯の認知件数は、2002年のピーク以来、一度も上昇することなく、単調に減少し続けている。2014年の120万件は、ピークの約半分である。また、刑法犯の検挙件数は、2004年をピークに、やはり単調減少している。

凶悪犯罪に限定すると、どうか。Wikipediaの「日本の犯罪と治安」の項目によくまとまっている。

殺人の認知件数は、2003年にピークがあって1,452件。以来、2014年の1,054件まで、漸減傾向にある。

傷害の認知件数は、1995年に17,482件でいったん底を打ったものの再上昇して、2003年の36,568件をピークに減少傾向に転じ、2014年の26,653件に至っている。

強制わいせつの認知件数は、60年前の4倍以上になっているけど、これって、かつては泣き寝入りしてたってことなんじゃないだろうか。2003年の10,029件をピークに、2014年の7,400件まで漸減傾向にある。

もろもろの犯罪の認知件数が2003年あたりまで上昇していたのは、一種の世紀末現象だろうか。

刑法犯全般をみても、凶悪犯罪に限定してみても、日本の犯罪発生件数は減少傾向にあるとみてよいだろう。

●相関関係は因果関係を表さない、は統計学の常識

いちおう断っておくけど、Aという事象とBという事象との間に相関関係があるからといって、必ずしも因果関係があるわけではないというのは、統計学の常識である。

仏教が衰退するにつれて、犯罪も減少していっている。さては仏教が犯罪の原因だったのだな、とするのは、さすがに誤りである。

しかしながら、「信仰心が薄れると、世の中に悪がはびこる」という仮定は、完全に否定されたのではないかと思う。

極端な話、モラル意識が希薄になっていっても、社会の秩序は保たれうるのではないかと思う。

そこいらじゅうに監視カメラが設置されるようになったり、DNA分析などの科学捜査の技術が向上したりすれば、犯罪検挙率は上昇する。どんな犯罪もたちどころに検挙される、となれば、犯罪は割に合わないとの意識が世に浸透し、動機がくじかれる。

モラルが低下しても、防犯のためのシステム整備によって、ある程度補うことが可能であろう。

また、ラクしてズルして自分だけ得しようなんていうさもしい根性で生きていれば、一時的には得するかもしれないけど、次第次第に人々から疎んじられるようになり、自分の居場所が狭くなっていく。人々の信頼を失えば、ありつける職も限定的になり、結局は得しない。

損得勘定で考えるだけでも、悪いことはしないほうがいいでしょ、という結論になる。それでも悪事に走る人は、信仰心が足りないからってことではなく、単純にバカだから、ってことでいいんじゃないかと思う。

●世の中を回すお金の原理

世の中を回しているのは金である。この世は金がすべてである。……とまでは言わないけれど、現代の社会において、経済が重要な役割を占めているのは否定できないであろう。

このところ、政治的イデオロギーの違いによって生じる国家間の対立が薄まってきているように感じる。政治体制が共産主義であれ社会主義であれ、経済においては資本主義の自由競争の市場原理を解禁することで、景色が似たり寄ったりになってきており、イデオロギーの違いが大して気にならなくなってきた。

公平・公正を旨とする一定のルールの下で、各個人が欲望の赴くままに得しよう得しようとあれこれ画策するのは、悪いことではないとされている。

アダム・スミスは『国富論』 の中で、「見えざる神の手」という概念を提唱している。市場経済において、各個人が自己の利益を追求すれば、社会全体にわたって、あたかも神の見えざる手によって調整が加えられたかのごとく、適切な資源配分がなされ、社会にとっても経済成長という形でプラスの効果がもたらされる、とする考え方である。我利我欲万歳!

企業は利潤を追求する。それは悪いことではない。利潤は、世の中に価値を提供する代償として得られるものであるから、原理的には、利潤を追求する営みは世の中をよくする営みであると言える。世の中にたくさん貢献した者が、世の中からたくさん報酬をもらえる、たいへん合理的なシステムである。

その営みの過程において、無駄な支出があっては利潤が減ってしまうから、コスト削減に努めるのも、企業の自然な指向のひとつである。近年、製品の製造や貨客の運搬などの業務は、人が手作業で遂行するか、機械による自動処理に委ねるかの選択肢が生じるようになってきた。

人を雇い入れるまでの過程において、そんなにコストはかからない。一方、設備を導入するには、それをメーカーから買い入れなくてはならないので、装置によっては億と金がかかる。

運用過程において、人には人件費がかかり、機械にはランニングコストがかかるが、概して、人件費は高くつく。ある一定期間運用すれば、 差額分の累積が初期導入コストをカバーし、それ以降は機械化したことによる得が拡大していく。

なので、経営側としては、労働集約型よりも設備集約型を好む。テクノロジーの進化によって、機械によって置き換え可能な業務領域が拡大の一途をたどっている。

無駄なコストを削減できれば、その分だけ企業の利潤が拡大する。それは、給料に上乗せする形で労働者にも還元することが可能なので、みんなにとって、うれしいことである。ただ、機械によって置き換えられてクビになっちゃった人を除けば、だが。

クビになったら別の職を探せばよい。けど、人から設備への転換が、大多数の企業に共通の指向となっている現状においては、元の収入を維持しながら別の雇用にありつくのは困難になっていく。

おいしい職にしがみついていられる人、こぼれて職にあぶれていく人、二極化が拡大していっている。ここにおいて、神の見えざる手が、望ましく機能しているのか、疑問に思えてくる。

いやいや、これで問題ない、との考え方もある。自由競争なんだから、勝ち負けが起きるのは自然なことである。成功する機会自体が誰にも公平にあったのだとしたら、負け組に陥ったのは本人のせいであって、いわゆる「自己責任」ってやつでしょ、と。

実際、世界の富の半分以上を1パーセントの富裕層が握っている。世界人口の貧困側の半数のもつ富は、富裕側62人のもつ富と同等である。これでいいんだろうか。

この流れがさらに進むと、企業は経営者とロボットしかいなくなり、経営者は左うちわでスーパーリッチなウハウハ生活が送れる。一方、大多数の一般人はろくな職にありつけず、極貧化していく。ごくごく少数の勝者が富を総取りする社会。

こうなると、社会全体の購買力が低下し、企業はいくらものを作っても売れなくなる。結局は、企業の経営も悪化していく。つまりは、全体の景気が悪化していき、経済は沈没へと向かうことになる。

そうなってはまずい。神の見えざる手に任せるのをどこかの時点でやめにして、強制的に流れを変えて、富の再配分をしなくてはならなくなるであろう。そこで、ベーシック・インカムを制度として導入すれば、解決するんじゃないかという気がする。

ここまでのシナリオにおいて、仏教には演じるべき役が回ってきていない。

●システム社会の行く末は?

今の社会の特徴を表すキーワードとして、「システム社会」を挙げることができよう。これについては、すでに書いたとすでに書いたとすでに書いたとすでに書いた。最新のを引用するにとどめよう。

4月1日(金)配信分『自閉性の時代 -導入編-』より
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20160401140100.html

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すでに何回か書いているが、今の社会はシステム社会なのだと思う。なにごとも、細部にまで及ぶ完璧なルールに則ってきわめて事務的、機械的、合理的、効率的に運用されており、便利で安全で快適な社会が実現している。

しかし一方、社会の中でいちばん偉い位置にシステムが君臨しており、人間はシステムに隷属してめんどうをみる消耗品の役割に格下げされている。ある人が職を去れば、抜けた穴を別の人が埋め、マニュアルにしたがって、大差ない機能をはたしていく。

そのような職種においては、仕事を通じて自己実現を図るというのが、なかなか難しい。個の力を発揮しようとして、現行の仕事のやり方に、独自の工夫を加えようとしたりすると、余計なことは考えるな、と、かえって怒られたりしかねない。

マズローの欲求五階層説によると、最高位に位置づけられている自己実現の欲求のすぐ下に承認欲求があるけれど、これすらもなかなか満たされづらくなってきている。職場環境において、自分が代替可能な単なる部品の役割としかみられていないとなると、このオレの個としての姿はどこで現せばいいのか、と。

そこに現代の病の根源があるのではあるまいか。承認欲求が満たされてなくて、くすぶってるやつ、多すぎる。

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システム社会がさらに進むと、もっとひどいことになる。われわれの存在自体の意味が希薄化していく。

システムの機能が洗練されていくと、人のサポートを必要とする要素がどんどん減っていき、システムの自律性が高まっていく。しまいには、人がまったくいなくても、完全自動で、勝手に回るようになる。

人は、お払い箱。部品としての機能すら必要なくなり、社会のヒエラルキーの末端も末端、ただの消費マシンと化していく。

養鶏場のブロイラーみたいなことになる。日々の生活が単調でつまらないだけでなく、われわれの存在そのものがつまらないものになり下がっちゃっている。人間の一生がこんなふうであっていいものか。

これはわれわれの心のありようの問題である。こういう場面で、仏教に登場願いたいところである。念仏なり読経なり法話拝聴なり座禅なり滝行なり床のぞうきんがけなりが、人間の尊厳を回復させてくれて、精神を救ってくれるのであれば、ぜひとも導いていただければと願うものである。

●脳科学と人工知能が社会にインパクトをもたらす

最近10年ちょいくらいの間に、脳科学と人工知能という二つの研究分野からもたらされた発見は、割と衝撃的である。

脳科学における「受動意識仮説」と人工知能における「深層学習(deep learning)」およびそこから予見される「技術的特異点(singularity)」がキーワードとなり、その方面の人々が騒然となっている。

4月15日(金)配信分『天然知能と人工知能をめぐる議論』において、その辺の事情を解説するとともに、関連書籍のレビューを書いている。
http://blog.dgcr.com/mt/dgcr/archives/20160415140100.html

物質と意識との関係の謎について、ルネ・デカルト(1596年 - 1650年)は二元論を唱え、脳内にある松果体という器官を介在して相互に作用しあっているという説を提唱した。それは後に否定されているが、では何が正解かというのは長年解明されず、膠着状態が続いてきた。

それが、ここへ来て、ほぐれ始めている。われわれに自由意志があると思うのは実は錯覚で、脳内の物理作用によって自動的に決定された意志を、意識の側が後から観察して、自分で主体的に決めたものと思い込んでいるらしいと分かってきた。「受動意識仮説」である。

あくまでも仮説のひとつにすぎないとは言え、メディカルな実験による裏づけがなされており、定説になりつつある。われわれに自由意志がないとしたら、本質的に、機械仕掛けで動いているロボットとあまり違いがないということになりかねない。

この説を認めると、裁判がほぼ茶番になってしまう。被告人は、犯行に及ぶ前の時点において、それを実行に移すか、思いとどまるかの選択肢があったということが前提として仮定されている。思いとどまるという選択肢があったのにもかからわずそれを選択せず、犯行に及ぶほうを選択した、その過ちに対して責任を取りなさいよ、と決定を下すのが有罪判決である。

もし犯行直前において心身喪失状態にあって、意志決定する能力がなかったのであれば、無罪が宣告される。受動意識仮説を認めちゃうと、意志決定の機会など、そもそも存在せず、ものごとはいつでも必然の法則にしたがって進行していくことになるので、なんでもかんでも無罪になっちゃう。

そのナンセンス知りつつ、今までの慣習にしたがって裁判が執り行われ続けるのだとしたら、裁判とは台本に沿って役者がそれぞれの役を演じているだけの無意味な茶番劇になってしまう。

受動意識仮説は、一般の人々にはまだあまり広く知られていない。けど、いつか定説として拡散浸透すると、少なからぬインパクトをもたらすのではあるまいか。

宿題をサボったのも、努力を怠ったのも、生活がだらしないのも、性格が悪いのも、ぜーんぶ必然の作用だったのであり、他に選択の余地がなかったのだと言えば、ダメダメな自分への言い訳にはなるけれど。

実はロボットみたいに自動運転している存在にすぎないのだとなれば、なんだか虚無感に取り憑かれたりしないだろうか。

悪いことをするのも、自分の決めたことではなく、必然だったとなれば、もうやけくそ、なんでもやりたい放題で、歯止めがきかなくなってしまわないか。社会全体のモラル低下を招きかねない。

こういうところで、坊さんが出てきて、ビシッとなんか言ってくれたらなぁ、と思う。ただし、物質と意識の謎という根源的な問いに対して、唯物論から唯心論にただ退行するだけだったら、つまらないと思う。

唯物論と唯心論は、一方にのみ光を当てて、他方を見ないようにするだけなら、どっちの側に立ってもそれなりに説得力のある議論ができてしまう。

哲学は長らく唯心論側が優勢でやってきたところへ、脳科学から唯物論にぐいと引き戻されて今に至っているわけだから、今さら唯物論から目を覆って唯心論に逃げ込むだけなら、歴史を逆戻りするにすぎない。

ものを言うなら、両者を俯瞰する立場から言っていただきたいなぁ、という期待はある。

そういうことまで含めてすべてが必然のシナリオに沿って進行しているのだとすれば、じたばたしてもしょうがないとも言えるが。

一方、人工知能方面においては、今から約30年後には、機械の知能が人間のそれを追い抜く「技術的特異点」がもたらされるであろうと言われている。

これについても、まだ一般の人々にはさほど浸透していないように思う。けど、人工知能の応用技術が製品やサービスの形で世の中に普及していくとき、いつか思い知らされるときがくる。

ご主人様とメイドとの関係は、ご主人様が下した命令にメイドが従わなくてはならないという、支配と服従の関係である。絶対的な上下関係。そこは崩れていないのに、このメイドロボットは、どうやら自分よりも知能が高いようだということにだんだんと気づかされる。

そのとき、われわれのプライドとか、人間の尊厳みたいなところは、だいじょうぶでいられるだろうか。われわれの存在意義をあらためて問いなおされる、自己存在の危機に陥らないだろうか。

そういうときにも、坊さんが出てきて、なんかビシッと言ってくれるといいな、と思う。

実際のところ、技術的特異点の到来はSFのような空想話ではなく、現実味を帯び始めている。下手をすればわれわれよりも知恵をつけた機械は、われわれの考えそうなことはすべて先読みして、先回りして封じ込めてくるかもしれない。

そうなると、われわれ人類は機械の支配下に置かれてしまう。最悪の場合、機械が人類を滅ぼしてしまうような ことにもなりかねない。物理学者のスティーヴン・ホーキング氏はそこを警告している。

なので、今のうちに、人工知能の研究開発全般をカバーした倫理基準の策定が必要であろうと言われている。


・AI研究の「倫理」どうする? 人工知能学会、倫理綱領を策定へ
ITmediaニュース 2016年6月8日(水)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1606/08/news088.html

・人工知能学会が倫理綱領作成へ たたき台示す
毎日新聞 2016年6月7日(火)
http://mainichi.jp/articles/20160607/mog/00m/040/001000c

人工知能学会の倫理委員会(委員長・松尾豊東大准教授)は6月6日(月)、同学会の全国大会で公開討論会を開いて、研究者が守るべき倫理綱領の素案を示した。

倫理綱領は人工知能の研究者を対象とし、「人工知能の研究開発が社会に有益なものになるために良識に従って倫理的に行動すべきだ」とする序文を掲げて、人類への貢献▽公正さを持つ▽法規制の尊重▽他者に危害を加える意図で利用しない▽他者のプライバシー尊重▽悪用を発見した場合の防止措置など10項目を提示している。

・徒党を組む〝野良ロボット〟が参政権要求、振り込め詐欺、人間に反乱…AIのリスク総務省研究所が報告』
産経ニュース 2016年6月21日(火)
http://www.sankei.com/economy/news/160620/ecn1606200012-n1.html

総務省情報通信政策研究所のAIネットワーク化検討会議(座長・須藤修東大大学院教授)は6月20日(月)、人工知能(AI)を用いたネットワークシステムの社会・経済への影響や課題を検討する会議の報告書をまとめた。

想定される複数のシナリオを検討することで迅速な対処が可能になるとして、20項目の具体的なリスクを挙げている。

そのひとつとして、人間に投棄された「野良ロボット」が徒党を組み、参政権などの権利付与を要求する可能性を挙げている。

こんなことを総務省が真面目に議論しているのであるから、時代はもはやクレイジーな領域へと突入しつつあるのかもしれない。凡庸の徒たる私なんぞには、だんだんついていけなくなってきている。

この種の議論に坊さんも加わってほしいと私は思う。ただ、それに際しては、まず坊さんたちが科学技術の現状を把握するために勉強すべきだろうと思う。いったいどういうことが解明されてきており、われわれの何が危機に瀕しているのか。

人の倫理を優先するあまり、科学的なものの考え方や、技術の進歩の指向を盲目的に否定したりするのでは、意見としてさほどレベルの高いものとはなりえず、かえって不安になる。

今からじゃ多少出遅れているような感じもしなくもないけど、仏教系の大学では、理系の授業を必修にするとか、外部から講師を呼んできて、脳科学や人工知能の概論や現状に関する講演を催すとか、そういう仕組み的なものの導入も必要と思う。

この混迷の時代にあって、時間軸方向には遠くまでクリアに見通せており、領域の広がりに対しては全体を大きく見渡す俯瞰的視点をもっており、人類がほんとうに幸せになるためにはどっちの方向へ進んでいったらよいのかを総合的に示すことのできる賢者が出てきてほしい。

どこから出てくるかな、と考えるとき、仏教方面からなんじゃないかな、と私は期待しているのである。

僧侶たちだって、日本の仏教がピンチなのは意識しているに違いなく、寺に籠って人が訪ねてくるのを待っているだけでなく、われわれ衆生の世界に降りてきて、救いの手を差し伸べる活動に積極的になってきている。

坊主バー然り、尼僧バー然り、お寺カフェ然り。

・中野坊主バー、高円寺尼僧バー
http://nakano-vowsbar.com/

・四谷坊主バー
http://vowz-bar.com/

・寺カフェ代官山(信行寺)
http://tera-cafe.com/

・神谷町オープンテラス(梅上山光明寺)
http://www.komyo.net/kot/

また、神道や仏教などの体験イベントが開かれたりもしている。宗派や宗教を超えて、さまざまな日本の伝統文化を体験できるイベント「向源」は2016年4月29日(金)から5月5日(木)までの7日間、東京・日本橋で開催されたのが第6回を数える。「ニッポンを遊べ」をテーマに、100コマ以上の体験型ワークショップや公演などが催された。

・寺社フェス向源
http://kohgen.org/

また、ネット上に人生相談サイトが開設されており、相談者の悩みに僧侶が答えてくれるサービスが提供されている。

・回答者全員がお坊さんの Q&A サイト「hasunoha(ハスノハ)」
http://hasunoha.jp/

回答が秀逸だと評判になっている。

・【カオス】お坊さんが悩みに答えてくれるサイト「hasunoha」のQ&Aがガチすぎる件 / Q「ソシャゲやめたい」お坊さん「私は艦これをやめました」』
ロケットニュース24 2016年1月29日(金)
http://rocketnews24.com/2016/01/29/700472/

社会に蔓延するつまらない思い込みから超然と距離を置いた、縛られない自由な視点が新鮮でスカッとする。やっぱ坊主って頭いいんだなぁ、と感心させられる。

わざわざお寺まで相談しに足を運ぶのはハードルが高くて気が重いという人も、テキストで書いてネットで送信するだけなら気軽にできる。予想を遥かに(時として斜め上に)超えた回答に、目から鱗が落ち、救われた人も多かろう。よくすれば、それをきっかけに、仏様とのご縁に目覚めるかもしれない。大いに意義のあることで、じゃんじゃんがんばるといい。

個々人がそれぞれ抱えている悩みに、個別に対応する役割もそれはそれで意義深く、もしかすると、そういうふうにしかできないのかもしれない。

けれど、世の中全体を広くみるとき、システムはきっちりと回っており、おかげで人々の生活の利便性は高く維持されているけれど、一方、人々はいっこうに幸せになっていっていないようにみえる。社会全体がそういう構造的な病みを患っているのではなかろうか。

過剰な期待かもしれないけど、個別の悩みを超えて、社会の構造的な病みに対して霊験を授ける救世主の役を負うことはできないだろうか。解決策とまでは言わずとも、せめてヒントだけでも。

坊さんたちよ、パンダになっちゃう前に、もうひとがんばりしていただけないだろうか。


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◎映画の収録

死んでるだけの簡単な仕事です。……と言われたわけではないけれど。自主制作映画への出演依頼を受け、5月11日(土)、千葉県某所の現場に行ってきた。私に振られた役は、怪しい新興宗教の教祖様。

教団員のエキストラを募集しているというので、私も自分のfacebookアカウントで呼びかけたら、7人も来てくれた。以前デジクリに寄稿していた茂田カツノリさん、福島県の本宮映画劇場の館主の娘さんであるU子さん、人形作家の渡邊萠さん、などなど。

結果、リアルお知り合いだらけの教団となり、もしかして、リアルでも教団を始められちゃうんじゃないかと。

東武東上線の中板橋駅の近くでレトロ酒場「三本杉」を営む伏見直樹氏も手を挙げてくれた。かつては新宿最大のホストクラブ「クラブ愛」のナンバーワンに君臨し、女に一億円貢がせた、伝説の「新宿ジゴロ」である。

歌手の岡村奈奈さんの歌を伏見氏が作詞しており、その曲名が「三本杉」である。岡村さんも信者として来てくれた。伏見氏には、信者ではなく、大きな役が振られた。台詞がやたらといっぱいある。6月8日(水)から12日(日)まで5日間連続でお店を休業し、千葉に泊まり込んで収録に臨んでくれた。強烈な個性を発揮して、大活躍。

小柄の俳優・マメ山田氏の演じる悪徳エロ市長は、教団をやっかい者扱いし、潰そうとしている。市長と対峙した教祖様は、市長が超能力で投げつけてきたブロックの直撃を頭に受けて、あっさり即死してしまう。以降はずっと、死んでいる姿を熱演する私。後で聞けば、いびきをかいてたとか。

収録風景の写真。
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/6295837818610664481

◎愛$菩薩さん主催のイベントに出演

翌日、6月12日(日)は京都。祇園にあるライブハウス「Silver Wings」にて、愛$菩薩さんが主催するイベント「菩薩ソニック7」が開催された。

インディーズ系のバンドなどがよく利用するこの種のライブハウスは、30人も入れば割といい入りだと思えるくらいの規模のものが多く、ここもそんな感じである。

このイベントでは、丸椅子が50席、ぎっしりと詰めて置かれており、周辺にはスペースの余裕があった。そこも立ち見のお客さんたちで埋まり、100人を超える大盛況であった。僧侶の方も多くいた。

共演者たちは、愛$菩薩さんが敬愛するアーティストさんたちを呼び集めたというだけあって、どの方も、披露してくれる芸の知的レベルの高さが尋常ではなかった。こういう箱で開かれるイベントとしては、異色と言える。まあ、奈良県吉野のお寺の副住職でありながら、アイドル活動をしている愛$菩薩さんご自身も異色と言えるのだけれど。

たいへんよいイベントであった。中身のよく詰まった、いい芸をいっぱい見せてもらったという満足感が非常に大きかった。……などと、すっかりお客さんモードで楽しんでしまった私だが、大喜利では、私もステージに上がらせていただいた。

当日、開場前にメンバーが集合して、司会者から説明を聞いた。出題されるお題は当然事前に教えてくれて、出番までに回答を考えておけばいいのかと思っていたら、そういうズルはナシで、ガチでやるのだと。えーっ。

具合が悪くなりそうなプレッシャーであった。その場でいきなりお題を聞いても、ろくな答えが思い浮かばなくて、客席からひとつも笑いが起きなかったらどーすんだよ?! お芝居のできない私は、ステージに上がってからもなお、「心配」の二文字が顔に表れていた。

それがかえって幸いしたのか、スリル満点の緊迫感ある空気が作り出せて、案外と面白い出し物になったようである。得点はみんな互いに僅差だったのですが、ごめんなさい、私が優勝してしまいました。後で司会者から、目が真剣だったとツッコまれましたけど。

写真
http://picasaweb.google.com/Kebayashi/6295839642759995121

愛$菩薩さんのステージ(動画、1時間00分26秒)


大喜利(動画、17分13秒)



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編集後記(06/24)

●古谷経衡「左翼も右翼もウソばかり」つづき。2014年の衆院選で、次世代の党は壊滅的敗北を喫した。敗因は「ネットの虚像」にその政策や主張のターゲットを合わせてしまったからだ、と筆者は分析する。当時の山田宏幹事長の発言は、新聞報道によれば「若い人たちは新聞やテレビよりも、インターネットでニュースを見ていると思う。わが党はネットでの人気は野党第一党だ。ネットでは若い人たちの保守化傾向は強い。従って次世代の党の支持も高いと思う」だった。これはまさに、その当時でさえ完全に否定されていた「若者が右傾化している」論を肯定、歓迎する典型的、古典的な思考であった。

その当時でさえ、ネット空間は「純然たる若者」の空間ではない。ましてやネット右翼のメインは若者ですらない。ところが、「ネット=若者=保守」という、まったく根拠のない「ウソ三位一体の法則」がいまも健在であり、「若者の右傾化警戒論」「若者右傾化(保守化)肯定論」が交互に現れるという。これは「若者」という存在に対する、ある種の強烈な「願望」が右にも左にも存在しているからだ。しかし、若者は「どの方向にも」向いていない。自分の意志で主体的に方向性を定めるのは、加齢とともに社会的役割が拡大するに連れてから始まるのだ。それは当たり前の話だ。18歳で方向が分かる方が稀だ。

「若者の右傾化」と同様に、頻繁に用いられている「若者の草食化」「若者の○○離れ」。「草食男子」発案者の深澤真紀によれば、その言葉にネガティブな意味を持たせたつもりはなく、むしろガツガツしていない優しい男性というポジティブな意味だったという。筆者が誰でもアクセスの出来る資料を簡易に総覧しただけで、若者のナントカはまったくのウソであることが分かった。イメージと実際の乖離は、観察者である上の世代の「願望」が要因である。少子化と若者の草食化を簡単に結びつけて語られるがそれはウソ、少子化は出産・育児環境の劣悪化と住宅政策の失敗だ。それを糊塗するのが若者のナントカだ。

「若者のクルマ離れ」も上の世代によるウソ。若者がクルマというモノそのものに興味を失ったのではなく、政府による自動車政策の明らかな失敗の結果である。為政者側にとっては「若者がセックスをしなくなった」「若者がクルマに興味がなくなった」ことにすれば、失政を糾弾される心配がない。若者の心の変化が原因だから、上の世代に落ち度はないと言いたげである。「○○」離れは事実ではない。為政者側のやましい「願望」の変化形である。筆者はネットで誰でも得られる資料を分析して、物事の真実を明らかにする。〈「科学」や「データ(事実)」をベースに物事を見よ。〉いい教えである。 (柴田)


●ロビ続き。が、一気にやっているものだから手を抜く。テストボードに繋がっていたケーブルはいちいち接続し直さない。裏蓋を元通りにする時にはネジを締めない。一応蓋ははめる。同じ作業なのでID番号だけ覚えておき、説明書でいちいち確認しない。

サーボは首3軸、腰1軸、両腕6軸、両脚10の合計20軸使用。20回同じことをせにゃならんのだ。パーツは違うとはいえ、一気に作ると飽きてくる。組立だって腕や足は二本ずつなので、同じことをしなければならない。

サーボが20個あるってことは、20稼働するところがあるってことで、いろんなポーズがとれたり、首をかしげたりの愛らしい表現ができるんだけど、作る時は飽きる(笑)。

サーボにあるコネクタは二つ。それぞれにケーブルを差し、橋渡しで繋げていく。場所によってはケーブルをねじったり、パーツの隙間を縫ったりと器用さが求められる。

こわごわ触っていたケーブルだが、最後の方は、ぐいぐい押し込んでいたりしたわ。多少乱暴にしても切れることはない。 (hammer.mule)

45号 左足首の関節と左足を組み立てる

すぐに溝からケーブルが出てくるのでぐいぐい。動画はわかりやすいなぁ