羽化の作法[19]強制撤去の日
── 武 盾一郎 ──

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◎1月19日(金)
オネエサンにきつい事を言われた。
:制作ノートより

この日は「ケンさん」に誘われて、ケンさんの巨大段ボールハウス「サロン」で、すき焼きをご馳走になった。幾人かのホームレスの人たちの宴に加えて貰ったのだ。

大きな鍋を囲んで、僕たちはホームレスの人達とすき焼きをつついた。お酒もすすめられたがこれからも制作するのでお断りした。

制作ノートに出てきた「オネエサン」とは、とあるホームレスの女性のことでちょくちょく挨拶を交わす人だった。

すき焼き宴でオネエサンは、冗談なのか本気なのかよく分からないツッコミを入れてくる。

「あんたら、ホームレスのためにやってるって言うんだったら、今持ってるお金全部ここに出しな」

ギョッとしたけど僕は答えた。

「今僕はお金を持っていますが、これは全部ペンキ代に使います」

自分は慈善をやってるのではなくて「絵を描いている」のだ、と正直に伝えた。自分の気持ちは段ボールハウスを絵で埋め尽くすことだったが、タケヲとヤマネは少々落ち込んでいる様子だった。




◎1月20日(土)
朝、雪が積もっている。地下から見る出口はとても美しかった。昨夜の8:00から今日の昼12:00まで16時間制作した。しかし、僕も含め3人のオーラは不思議なことに良い。
:制作ノートより

この日も夜から朝にかけて制作し、翌21日の朝にヤマネと僕は引き上げ、タケヲは新宿西口地下道に残った。

21日の夜から僕は「ケンさん」の家のゲストルームに寝泊まりすることにした。これで完全に24時間態勢になった。

◎1月22日(月)
朝、通勤の人間から「オニイサンいいウデしてるねえー、他にすることあるんじゃないー」と言われる。
:制作ノートより

これはタケヲが通行人から話し掛けられた言葉だった。タケヲは過労のせいだろう、風邪をひき始めていた。

◎1月23日(火)
皆ボロボロ
:制作ノートより

●強制撤去の日

1996年1月24日の早朝。

三人は「ケンさん」の家の巨大群像絵を、『スウィートホーム』と名付けて制作していた。元旦から描き始めて24日目。あと少しで完成という段階まで来ていた。

この日のことはクリアな風景の断片が散りばめられてるようにしか思い出せない。ヤマネとタケヲがどうしていたかもほとんど思い出せない。恐らく、三人して『スウィートホーム』にひたすら筆を入れていたのだろう。

ものすごい喧噪が響き渡ってくる。

「わっしょい! わっしょい!」と列を組んで、ヘルメットを被った人たちがドタドタと通り過ぎる。

カメラを背負ったマスコミの群れがバタバタ、ガシャガシャと、足音と機材音が駆け抜けて行く。

遠くで騒ぎ声が聴こえる。

(強制撤去始まった?)

地下通路にいる人たちが、通路から追い出されていく。まずマスコミ、そしてボランティア、さらに段ボールハウスの住民、、、

住民は家から追い出されていった。職員が、残っている住民がいないか確認しながら通路を歩いてる。

「みなしごハッチになっちゃよ…」と去っていく人。僕らの後ろを通り過ぎる時に、「ありがとな」と小声で言って去っていくおっちゃん。

僕たちは通路の真ん中あたりにいて、ひたすらにダンボールに向かって『スウィートホーム』の絵を描いている。

いつの間にか通路には誰もいなくなっている。

誰もいない。僕たち三人の絵描きだけだ。僕たち三人だけが「強制撤去」という騒ぎから取り残されている。

1月の空気が凍り付いている。段ボールをこする筆の幽かな音が通路に染み渡る。

機動隊が後ろを一糸乱れぬリズムで行進して行く。

向こうの方で噴煙が上がっている。騒ぎ声が聴こえる。

再び静寂が訪れる。

抵抗運動は鎮圧されてしまっているようだ。

僕たちは絵を描いてる。タイトルは『スウィートホーム』。群像だ。

通路の両側から清掃用のトラックが入ってきた。野宿者の家と荷物を、飲み込むようにしてトラックの荷台に全てが積まれて行く。

僕たちは描く。

トラックは段ボールハウスの暮らしを食べながら、両側から徐々に迫って来る。

『スウィートホーム』が完成した。

両側からやってきたトラックはちょうど『スウィートホーム』を挟んだ。

絵から離れて見つめ、三人で「完成」と頷きあった。その瞬間、段ボールハウスは崩され、手前に倒され、バラバラにされ、トラックに積みこまれた。

トラックの荷台に段ボールが積まれていく。めくれて「涙」を描いた絵が表面になる。撤去物の山には絵に描いた「スウィートホーム」の文字が見える。

強制撤去は大方終わった。

この間、どれくらいの時間の長さだったのか全く分からない。

その後、三人で居酒屋「三平酒寮」で食事をした。座敷席でコーナーの上にテレビがあった。強制撤去のニュースが流れていた。

ヤマネは、これで新宿西口地下道段ボールハウス絵画制作はやめる、と言った。ここで僕たちは三人は解散した。

気が付くと僕は西口地下広場にふらふらと歩いていた。

そこにはバリケードの現場にいた人たちと、強制撤去で段ボールハウスを失った人たちでお祭り騒ぎのようにごった返し、興奮と落胆が渦巻いていた。

「よお兄ちゃん、こんなところでウロウロしてると捕まるぞ!」突然見知らぬ人に言われる。

ぼんやりとその人の顔を見つめると、僕は夢遊病者のようにホームレスの人達でごった返す西口地下広場を彷徨った。

顔見知りのホームレスのおっちゃんを見つけた。向こうも僕に気が付いた。怪我はしてなかったようで少しホッとした。帰る所のない人達の住処であった段ボールハウスが撤去されてしまった。

そのおっちゃんに僕はこう言った。「ごめんなさい。僕には帰る家がある。帰ります」。一礼しておっちゃんに背を向けて俯くと涙が出てきた。

とぼとぼと歩いて行くと、ホームレスの人混みの隙間から初期の段ボールハウス絵画の大作、『新宿の左目』が現れてきた。強制撤去されてなかったのだ。(つづく)

参照:羽化の作法05 新宿の左目
https://bn.dgcr.com/archives/20151106140100.html



【武盾一郎(たけじゅんいちろう)/線譜画家】

真面目に肩書を書いてしまった。

小説家の星野智幸コレクション全四巻(人文書院)の装画を担当することになりました。いよいよ最後のIV巻『フロウ』を制作。制作過程はフェイスブック、ツイッターにアップしてます。夏以降に出版となります。乞うご期待!
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独り酒をやめました。今年は瞑想始めて、早朝散歩始めて、お酒辞めて、次に来るのは貧乏神ときちんと別れること。アーティスト収入だけで暮らすのが目標です。

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