ショート・ストーリーのKUNI[197]自由研究にぴったり/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:13分(本文:約6,100文字)



ごくかすかな違和感を感じ、ぼくは目覚めた。

見慣れた天井の模様。寝たまま引っ張れるように長く垂らした照明のスイッチ。枕元にはスマホとテイッシュの箱と、ウサギの絵がついたゴミ箱──前の彼女が持ってきたものだ──、脱いだままのシャツ。

キッチンのほうからはぴちゃっ! という音が聞こえた。ちっ。また蛇口がゆるんでいるみたいだ。でも、特に変わったことはなかった。いつもの自分の部屋、そのままだ。気のせいか。

少し早かったが、用意をして、時間があったのでネットでニュースの見出しだけ見た。牛乳でも飲んでいくかと冷蔵庫を開けたら、サンドイッチがあったので食べた。うまかった。

え?

──サンドイッチなんか買ったっけ……。

夕べは隣の課の連中と三人で飲んで、かなり酔って帰った。帰りにコンビニに寄って買ったんだったかな。そんなことまで忘れてるなんてやばいな。まだそんな年じゃないのに。苦笑いして、ぼくは出かけた。

会社では特に変わったこともなかった。課長から小さなミスを指摘され、ねちねちと注意されたことは変わったこととはいえないだろう。

隣の席の山田が「おれ、もう辞めるから」「もうがまんできないから」と言ったのも、向かいの席の加藤が午前中から居眠りしてたのも、まあいつものことだ。その三人で昼は牛丼を食べた。

午後は眠かったが、眠気がピークに達したころに近所で火事があったらしく、消防車のサイレンがものすごい音量で鳴り響いたのはラッキーだったかもしれない。サイレンがすごかった割には火事はボヤ程度で済んだらしい。ぼくらはまた仕事に戻り、5時になるとさっさと切り上げた。

そしてアパートに帰り、冷蔵庫を開けると、チンすればすぐ食べられるドリアとみずみずしいグリーンサラダが入っていた。

──絶対、おれのチョイスじゃない……。

ぼくは自分で買って帰ったコンビニ弁当とそれらを見比べた。どう見ても、冷蔵庫の中のもののほうがおいしそうだった。ぼくは言われるままに──どうぞ、と言われたような気がしたんだ──ドリアとサラダを食べた。ものすごくうまかった。

夜中にふと目が覚め、冷蔵庫にあったからといってそれをほいほいと食べるなんて、自分はばかじゃないかと思った。毒が仕込まれてるかもしれない。コワモテの男が突然現れて「誰の許可を得てそれを食べたんだ!」とどなり、ぼくをボコボコにするかもしれないではないか。





ま、そのときはそのときだ。

ぼくは自分が案外図太い神経の持ち主なのかもしれないと思ったが、単に食い意地が張ってるだけのことかもしれなかった。

しかし人間は何にでもすぐ慣れるものだ。

ぼくは毎日冷蔵庫を開けるのが楽しみになった。朝はだいたいサンドイッチかデニッシュ、またはパイ。オレンジジュースか牛乳は切らさないようにしてあった。

夜もパスタかピザ、グラタンなどが多かったが、栄養のバランスは考えられているようで、ブロッコリやカットフルーツが添えられてあったりした。

とりあえず、何も考えなくとも食べるものが用意されているのはありがたい。昼はたいてい職場の仲間と近くの店で食べた。変わりばえしないが。

あ、変わりばえといえば、ぼくにガールフレンドができそうだ。


少年の部屋に入った父親は、すぐに、机の上にある四角い装置に気づいた。照明を控えめにしたその部屋のなかで、装置は青みがかった光を発している。その中で何かが動いている。

「そんなもの、買ったのか」

「ああ、父さん。そうだよ。いまぼくのクラスでちょっとしたブームになっててね。夏休みの自由研究にちょうどいいだろ?」

「最近はなんでも、そういうキットを売ってるんだな。高かったんじゃないか」

「これはいちばん安いやつだよ。えさ代込みで100ラーゲル」

「えさをやるんだ」

「うん。といっても、メーカーのサービスセンターのほうでやってくれるんだけどね。このキットのメーカーは元々学習機器の会社だし、一定期間、一定のえさを与えたときにどういう結果が得られるかを調べるためのもの、ということになっているんだ、一応。決してのぞき見するのが目的じゃないんだよ」

少年は片目──人間でいえば目に相当する器官ということだが──をいたずらっぽくつぶって言った。

「実際はのぞき見が目的でやるやつが多いということだな」

父親は苦笑いした。だが、確かに面白い装置だ。このアンガーダン星から何百光年も離れた地球とかいう星に生息している生き物の、生態を間近に観察することができる。

なんだっけ。ああそうだ。ニンゲンというんだ。もちろん、その姿が投影されているだけで、触れることはできないが。インテリアの一種として置くやつもいるとか。妙な時代になったものだ。


ガールフレンドの話だ。

ぼくの部署にかなり久しぶりに女子社員が入ってきた。町田さんという。ぼくより2歳下。

かわいい……タイプではない。山田も加藤も「なんかコワイ女が入ってきたな」「へたなこと言ったら殴られそうだよな」というが、ぼくはそこまで思わなかった、最初から。

昼ごはんを4人で食べたり、帰り道にちょっと話したりしているうち、ぼくと町田さんとはけっこう気が合うということがわかった。

くだらない冗談でなぜか笑いがとまらないとか、道を歩いていて前からやってきた男の顔が誰かに似ているようだけど思い出せないとか、ささやかなポイントがなぜか一致する。

笑いながらお互いの顔を見てしまう。楽しくて。よく見るとなかなかの美人だ。山田も加藤も気づいてないようだけど。

今度の日曜に映画を一緒に観にいくことにした。


「もっと大きな装置がほしいなあ」

アンガーダン星の少年は聞こえよがしにためいきをついた。父親が振り向いた。

「もっと大きな装置?」

「これじゃ狭い範囲しか観察できない。この人間が住んでいる部屋の中だけ。部屋を一歩出るとわからない」

「それで十分だろ」

「友達のドゥーダーはこれの100倍くらいの範囲がわかる装置を持っている。その人間が住居から外に出ても、何をしているかわかる。

もちろん広い範囲を把握できるといっても、装置自体が大きいわけじゃない。ページをめくると見える感じらしい。問題は、そういうやつはとても高価だということなんだ。ドゥーダーの持ってるのは5000ラーゲル以上も」

「おまえには必要ない。パパはお金を出す気はないよ」

「ドゥーダーのそのまた友達のヘッスだって持ってるよ。ぼくのよりずっとずっと大きい」

「自由研究なんじゃなかったのか? それとも装置を自慢したいのか? まずは、その小さな装置でしっかり観察して、基本を理解すること。そして、ちゃんとしたレポートを書いてからだ。最近、そのニンゲンには何か変化が観られたかい?」

父親は装置を指差して言った。

「ああ……雌の仲間ができたみたいだ。一度、この中に現れたから」

「ふうん……。観察はほどほどにしたほうがいいぞ」

父親は目配せした。


ぼくは町田さんに夢中だ。いや、本当は町田さんではなく、ユリエさん、いや、ユリエと呼んでみたい。

映画の帰りに食事をして、それからワインの酔いがまわったのか、町田さんは少し足元がふらつくという。それでぼくの部屋で少し休んでいけば、と誘った。

冷蔵庫にはその日もきちんと、カツサンドが入っていたが、外で食べたので食べる気はしなかった。もったいないなと、ちょっと思った。

町田さんは冷たい水を飲み、ソファにもたれているうちにだいぶ落ち着いてきたようで、終電に間に合うように帰っていった。彼女を送るために一緒に外に出たとき、彼女は首をかしげながら言った。

「あなたの部屋にいたとき、なんだか誰かに見られているような気がしたんだけど、気のせいよね……」


少年は装置を前にして、考え込んでいた。装置の中では、人間が冷蔵庫に入っていたえさを食べ、テレビを見てくつろいでいた。

ニンゲンはとても、とても小さかった。少年の小指の半分もなかった。ニンゲンの声も、だからとても小さくて、オプションの装置をつけないと聞き取ることはできない。

もっとも、聞き取れたところで意味がわかるわけもない。表情だってよく見えないし、そもそもどのニンゲンも同じ顔にみえるし……と、少年は思う。だが……。

「何を悩んでいるんだい」

父親が声をかけた。

「ドゥーダーが……」

「ドゥーダーが、どうした?」

「ドゥーダーは、頭がいいんだ。この装置はただ観察するだけのもので、僕たちは直接干渉できない。どのニンゲンを選ぶのかも、彼らにえさを与えるのもセンターにまかせるしかない。それを、ドゥーダーは破った。プログラムを解読して、システムに侵入したんだ」

「それで……?」

「試しに……試しに、とドゥーダーは言ってたよ。試しに……ドゥーダーは、道を歩いていたニンゲンに、ふっと息を吹きかけた。何百光年離れた、このアンガーダン星から。そしたら」

「……そしたら?」

「そのニンゲンはそばの建物にたたきつけられた。腕が一本折れたようだったって」

「なんてことだ!」

「ぼくじゃないよ、ドゥーダーがしたんだ! ぼくは話を聞いただけだ」

「おまえがやったのなら、おまえも同じ目にあわせるところだ!」

「ぼくはしないよ……」

父親の剣幕に押され、少年は震え声で言った。ドゥーダーのしたことはたぶん良くないことだ。それはわかる。だが、一方で、なんだかぞくぞくするものを感じていた。少年はとても言い出せなかった。明日、ドゥーダーの家に行くことを。

翌日、ドゥーダーの部屋には少年と、ヘッスと、ヘッスの友達の4人が集まった。ドゥーダーの装置はすばらしかった。

ほぼひとつの街が、そこにはあった。箱庭とかおもちゃじゃない、地球に実際に生息しているニンゲンたちの住む街。

たくさんのニンゲンたちがてんでんばらばらに動き、クルマというらしい乗り物も、ニンゲンと同じくらいの数があって、さまざまな大きさの建物の間をまるで生き物であるかのように進んだり止まったり、方向転換したりしていた。その様子はいくら場面を変えても見飽きることがなかった。

「で……おまえがこの間やったというのは」

ヘッスが促した。ドゥーダーは「これかい?」と言ったと思うと、装置の底のほうと、それにつながっている何か──少年には何が何だかわからなかった──を少しいじった。

それから、装置の上面を確認してから、細いストローのようなものを手にしてふっと呼気を送り込んだ。あっという間に小さな家が吹き飛んだ。みんな息をのんだ。

「やばいな」

「やばいよ……」

ドゥーダーはにたりと笑った。

「いざとなれば街ごと吹き飛ばせるけど、そんなことしても面白くないよな」

少年は身をこわばらせて、ただ座っていた。家が吹き飛んだあと、まわりからたくさんのニンゲンやクルマが集まってくるのを見ていた。声は聞こえなくても、ニンゲンたちの表情までわからなくとも、大騒ぎになっていることがわかった。

がれきの山の陰に、脚がもげたらしいニンゲンがいることに気づき、ぞっとした。いけない。こんなことをしてはいけない。

そんなことは少年も、ヘッスも、ヘッスの友達もみな、わかっていた。ドゥーダーももちろん、わかっていたのだ。


ぼくには今まで本当の友人なんていなかったのではないだろうか。最近、ふと、そんなことを考える。

そう思うのは、町田さんと話していてあまりにも楽しいからだ。何を話しても楽しい。どこに一緒に行って、一緒に何を見ても楽しい。

ふたりでもっともっと一緒に過ごしたいと思う。こんな気持ちになったのは町田さんが初めてだ。ぼくたちは恋人──自分で言うのが照れくさいが──であると同時に最高の相棒であり、理解者であることができる。たぶん。

ぼくは子どものころからよく「おまえは変わっている」「変だ」と言われてきた。あまりにもたくさんの人からそう言われるので、たぶんそうなのだろうと思ってきた。

でもそうじゃなかった。理解してくれる人に出会ってなかっただけなのだ。なんだかずいぶん損してきたように思うけど、これから取り戻せばいいのだ。彼女と一緒ならそれができそうだ。ぼくは幸せ者だ。

そういえば、昼間、救急車と消防車のサイレンがやかましかった。どこかの家が突然崩れて、下敷きになった人が出たそうだが、だいじょうぶだったのかな。原因不明というが、手抜き工事だったんだろう、おそらく。まったく世の中、何が起こるかわからない。


「今日も行こうぜ」

ヘッスに誘われて、少年はどきりとした。

「どこへ?」

「決まってるじゃないか」

ヘッスはにたにたと笑った。

「ドゥーダーのところさ。またおもしろいものを見せてもらおうぜ」


「おれ、もう辞める」「絶対辞める、こんな会社」

隣の席の山田がまたぶつぶつ言ってる。また課長に何か言われたのだろう。向かいの席の加藤はまた居眠りしている。ぼくは黙々と仕事する。


「おい、早くみせてくれよ」

ヘッスが言う。

「何を」

ドゥーダーはわざととぼけてみせる。少年は誘われるままドゥーダーの家に行ったが、いらいらしている。ちゃんと自分の気持ちを言えない自分自身に。もじもじしながら、それでも思い切って言った。

「あのさ……もうあれくらいにしといたほうが……いいんじゃないかな」

ヘッスとドゥーダーが少年のほうを向き、見つめる。ヘッスが「いやなら見なきゃいいじゃないか」と言う。


午後の倦怠を打ち破るようにサイレンが響く。加藤がぶるるっと身震いして居眠りから覚める。サイレンが遠ざかったと思えば、次のサイレンがいっそうけたたましく、それに重なり、また次のサイレンが重なる。

「何事だ」

「これはおおごとだぞ」

だれかがネットで検索する。

「えっと……○○町○丁目付近で突然の強風にあおられた乗用車3台が激しく衝突、炎上。後続の数台も巻き込まれ、火勢は手がつけられないほど……消防車20台が消火に努めており……おい、すぐ近くじゃないか!」

そのときになって、ぼくは町田さんがいないことに気づいた。午後、集金に行ったまま、まだ戻っていない。ぼくはあわてて携帯で町田さんにかけてみた。出なかった。にわかに動悸が速まった。


その夜、少年は自分の部屋で、ドゥーダーの装置に比べるとおもちゃみたいに見える装置の前に座っていた。

今日、ドゥーダーの部屋で見たものがいつまでも脳裏に焼き付いて消えなかった。何台ものクルマがぐちゃぐちゃに重なり、燃えていた。そのクルマの中にも、まわりにも何人ものニンゲンがいた。

あっという間のできごとで逃げられなかったのだろう。大きく口を開けているらしいのは叫んでいるのか、それとも苦しいからそうなるのか。さすがのヘッスも怖じ気づいていたっけ……。

目の前の装置の中では男がひとり、うずくまっていた。今日はえさも食べず、入ってきたときからずっと、じっとしている。両手に顔を埋ずめて。小刻みに体をふるわせて。いつまでも、いつまでも。


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「『ファイル○○.ai』は新しいバージョンのIllustratorで作成されました。このファイルを読み込みますか? データの一部が失われる場合があります」と表示されることが増えてきた。そろそろCCにすべきかなあ。リュウミンが使えるらしいのも魅力だし……と悶々。