はぐれDEATH[06]文字で書くより口で言うより絵の方が早い/藤原ヨウコウ

投稿:  著者:  読了時間:8分(本文:約3,700文字)



ボクは、作文という抽象思考が必要な作業はとことん苦手である。イメージさえできれば絵にできないモノはない一方で、いくら具体的なイメージがあっても、それを描写する作文能力がからっきしない。

よりによって作文をこの上なく苦手とするボクが、このような形で連載をするというのは、正直いかがなものかと思う。

恩があるとは言え、この点について編集長の見識は疑わざるを得ないし、付き合わされる読者(どれぐらいいるのか知らないけど)の皆様には迷惑千万であろう。起承転結のカケラどころか、脈絡すらない作文しか書けないボクにとってもかなりの苦行である。

作家の人達はえらいなぁ、といつも尊敬している。ボクにはネタだってそれ程あるわけではない。基本ワンパターンな生活に終始している上に、極めて地味な日常である。

そもそも文章と言われても、小学生の作文以下なのだ。日記にすらならない。編集長はそれはそれで面白いと言うが、少なくともボクにはどこがどういいのかさっぱり分からないでいる。

よほど書く人材が払底しているに違いない。もしくは何かの間違いだと思うが、こうして駄文を晒す以上はそれなりにマジメに書く。不真面目にしか見えないとしたら、それは単に文章の説得力がないだけ。ご容赦願いたい。





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作文は小学生の頃からめちゃめちゃ苦手である。読書量だけは平均を遙かに上回ることだけは事実であろう。読んで理解する能力はある。しかし「読書をすれば作文が上手くなる」という法則は、ボクに限って言えば全く通用しない。

小学校4年生の頃、あまりの下手くそさ加減に業を煮やした親父が、当時の朝日新聞の「天声人語」を毎日書き写しさせたほどだ。2年ぐらい毎日やったが進歩のカケラもなく、さすがの親父も匙を投げた格好になった。

そもそもボクには、言語化する能力が著しく欠けているのだ。文章というのは抽象表現である。文字という記号を使って表現する方法だ。イメージを言語化して表記する。このフィルターがボクにはない。

代わりと言ってはなんだが、絵には出来る。どんな抽象的な表現が施された文章でも、読めばそのまま絵になって理解するわけだ。これはこれでかなり歪なフィルターだが、これのおかげでお仕事が出来ているのだから、文句を言う筋合いはない。というか、それしかできないのである。

ちなみに数学もさっぱりダメ。特に微分・積分には最後まで苦労させられた。概念はちゃんと頭の中で視覚化できて理解しているのだが、数式という別の記号を用いるとなるともうお手上げである。これが歴史になると話は逆で、流れ全体を映像として処理している。だから分かりやすいし理解も早い。

文章が即、絵として頭の中に展開されるのはごく普通のことだと思っていた。自分がそうだから他の人もそうだろうと単純に考えていたのだ。

本を読む速度の早さも、実は頭の中で絵に出来るということが大きな要因になっている。とにかく「即、絵」である。途中で読み返したりとかはまずない。抽象思考をすっ飛ばしていきなり絵になるのだから、当然思考速度そのものに差が出る。

本の中のポイントとか重要な部分は、黙っていても強いイメージが絵になって頭に残る。要は、考えていないのだ。ちなみにこの習性は子供の頃からで、何もかもこの手でスルーしてきた。

だから、重ねて書くが、作文という抽象思考が必要な作業はとことん苦手なのだ。イメージさえできれば絵にできないモノはない一方で、いくら具体的なイメージがあっても、それを描写する作文能力がないのだ。

大体、ここまでだらだら書いていることだって相当苦労しているのだ。それでももって回った言い回しにしかならないのは、頭の中で整理が全くできていないという極めて明快な理由による。

文章を書くためのソフトが世の中にはあるらしいのだが、作文そのものに関心が薄いボクは使ったことはない。というか見たことすらない。存在していることを知ってるだけだ。

というワケでちょっとググって、概要を摘み読みしてみたのだがさっぱり分からん。アウトラインナントカとか言われても、グラフィックに特化してるボクが想像できるのはAdobe Illustrator、Photoshopのそれである。そもそも横文字が多すぎて、年寄りにはかなり酷である。

ちなみにこの作文はOS Xというか、Macにはもれなく付いてくるテキストエディットで書いている。縦書きとか横書きとかはプロや作家志望の方には必要なのかもしれないが、この程度の作文ならあまり関係ないと思う。

知人の作家でこの手のソフトに詳しい人はいるが、正直本当にどこまで使っているかは疑問である。というか、あんまり必要ない気がする。彼らは元々ちゃんと作文ができるのだ。

ボクがPhotoshopでよくお世話になる、レイヤーとかレイヤーマスクとかアルファチャンネル程度の使い方しかしないのではないだろうか。

むしろボクのような作文のド素人が使うのがイイのかもしれない。とか言いつつ、結局どれ一つお試しでダウロードすらしない。説明読んでるだけで面倒くさそうだし、そもそも使い方を覚えるのも煩わしい。

この手のソフトで、ボクが唯一愛用しているのはLightWay Textだが、これはメールで送られてくる原稿を、縦書き表示にして読むためだけに使っているので、それ以外の機能は知らない。

手書きの原稿はPDFにして送ってくれるのでプレビューで十分。ただ長編となると話は別である。ちゃんと紙にプリントしたゲラを送ってもらっている。

ディスプレイと紙とではやはり違うのだ。ボクは紙の方が圧倒的に楽。雑誌の挿絵は分量も少なければ時間もないのでデータでどうにかなるが、装画・装幀絡みになると話は別だ。

ちょっと話が脇に逸れた。ざっと執筆支援ソフトを見ていると、やはり情報の整理という点につきるようだ。執筆者はネタだけばんばん放り込んでいき、整理はソフトに任せる(本当はそうじゃないけど)的な感じ。

ネタが増えれば増えるほど整理は楽になりそう。ボクのように整理が出来ない人にはうってつけ、と思われるかもしれないがそれは違うと思う。

実際に使っていないので予想レベルの話だが、入力する段階で人は少しづつ頭で整理をしていると思うのだ。整理もしないで入力とかはあり得ない。

基本的な取捨選択はやはり人の側にあるのであって、そこまでソフトに期待するのは無茶なような気がする。結局、その人自身の問題であってソフトはあくまでも「支援」に過ぎない。

余談だが、ボクはメモをほとんど取らない。この段階ですでにアウトなのである。整理をする心構えそのものがなっていないのだ。絵だとスラスラというか、ほとんど反射的にできるのだが。というか、もう絵になってしまってる。

メモ的なモノも、視覚情報はすんなり記憶している。多分どこかで整理はしているのだろうが、意識的に整理はしていない。それでも憶えてしまうのだ。

例えば一度行った場所なら、うろ覚えでも辿り着くことができるとか、特に資料を見なくても何となく絵にするとポイントだけはちゃんと描けてたりとか、こんなアホなことはできる。

ところが、この記憶を文章化できるかというと、正直できない。一番の理由は「絵にした方が早いから別に作文しなくてもいいじゃん」とか「口で説明するより絵にした方が早い」という不遜な(ワガママとも言う)考えがあるからだからだ。

この状態は他者とのコミュニケーションを取る上で、極めて不利なようである。絵でしか説明できないというありかたは、日常生活上ほとんど役に立たない。お仕事は別です。

ラフと称して、ほとんど完成形に近いモノをそっこーで送るので、編集担当さんは「ああ、こうきたのね」で済むのだ。そこからあれこれ提案があったりしたりして完成、というのが一般的な流れである。

もっとも、一発オーケーが大半なのだが。絵にするお仕事しかできないというのはボクの場合は必然であり、これしかできることがないのだ。

ここまで極端にバランスを欠いた状態というのは、人としてどうかと思うが、もうなっている以上どうしようもないではないか。苦手なことを克服しようなどという前向きな根性はカケラもない。むしろ好きなことで向上を目指す方がボクには気楽である。

だから作文が上手くなる可能性は限りなくゼロに等しい。ちなみにボクが書いていることは、ほとんどその場で思いついたことをだらだら垂れ流しているだけで、もちろん整理もしていなければ推敲もしていない。

まぁ、いつもこんな感じである。だからオチがない作文などザラにある。というか、ほんとんどオチがなかったりする。もちろんこの作文だってオチなどは全く考慮に入れていないので、いきなりここで終わってしまうのだ、呵々♪


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!