はぐれDEATH[10]リハビリの日々
── 藤原ヨウコウ ──

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辻堂にいた二年間は、ほとんど引きこもり状態で過ごしたので、身体にガタが来た。と言うか、引っ越してきて初めて判明したのだ。ちょっと歩いただけで、足全体が痛くなり右膝と左足首は致命的だった。

理由は単純明快で、単なる運動不足である。とにかく脚は酷かった。むくみきってどうしようもないのが、一瞥すればすぐに分かるほどだったのだ。

引っ越してきた当初はサポーターでどうにかこうにか誤魔化していたのだが、7月には祇園祭の大工さんのお手伝いがある。この状態でまともにお手伝いなど到底無理な話だ。

何しろボクが今担当しているのは、肉体的にかなりヘビーな場所ばかりだからだ。鉾立というのは設計図や手順書などない。いや他の鉾は知りません。少なくともボクがお手伝いしている船鉾にはない。

だから、経験と記憶だけが頼りなのだ。経験と言っても、立てるのは年に二日程度である。二日目の午後3時には曳き初めがあり、それまでに何がなんでも組み上げないといけないのだ。これは昔からの決まりであり不文律である。

なぜヘビーな場所ばかりにボクが行く羽目になったのかというと、単にお手伝いを始めてかれこれ30年以上だからだ。すっかりベテランになってしまった。




棟梁からは「絶対に来い」と毎年釘を刺され(言われなくても行きますけどね。鉾立好きだから)、本職の大工さんの高齢化が進んでいるので、個人的には若い大工さんが入ってくれるまでの中繋ぎと思っている。

ところが、後継者不足は鉾立の現場でも深刻で、他の鉾も似たりよったりらしい。あくまでも風説のレベルなので、事実かどうかは分からないがそれほど不思議でもない。

「継続」という言葉がぴったりのような気もする。ただ続けるだけではダメなのだ。毎年行って作業して手順を身体に叩き込む。とか言いつつ、ボクは自分が担当しているところや、かつて担当していた場所以外は全然知らん。

とにかく身体が小さいので、狭いところや高いところに、どんどん送り込まれただけの話である。ちょっと特殊な例かもしれないが、今いる屋根組の大工さんだって小さくて細い。

身体に応じた作業場所があるのも、これまた事実なのだ。背が高くて大きな人じゃないと出来ない場所だって、しっかりあったりする。ずっと続けているとそういうことも分かってくるし、それぞれが自然と分に応じた場所で作業をするようになるのだ。

もちろん、担当場所を変わるときには、後継者につきっきりで面倒をみて憶えさせる。同時に新しい場所も手掛けるので、結構大変なのだがまぁ世の中そんなもんだろう。分不相応なことをすれば、とばっちりは自分だけではなく周囲の人にも来るのだ。

「伝統」とか「本来の」とか、さも知ったように抜かす馬鹿共は、こういう地味で時間がかかることを大抵知らないもんだ。でもって、大迷惑を掛けるのである。伝統行事にしろ伝統工芸にしろ、とにかく人材育成にはおっそろしく手間も時間もかかるのだ。こればかりは産業革命以来の大量生産、効率化では対処できないのである。そもそも規格とかいうものが足枷になる。

以前、某大学の某研究室の先生と学生が、最新鋭の機材を持って船鉾の測量に来たのだが、大工さん達は口を揃えて「今年はこうやけど来年はまた違うで」と言っていたもんだ。

祭りのハイライトである山鉾巡航の際に鉾が壊れないように、あちらこちらに遊びがありながら堅牢に構築されているのだ。遊びの部分は大抵経年劣化で減っていくし、その年の湿度によって延びたり縮んだりする。木だからね。

古い部品は乾燥しきっているのでまだマシなのだが、新調した部品はまずまともにはまったためしがない。正確過ぎる測定が仇になるのだ。結局、現場で大工さんが木槌で叩いて無理矢理ねじ込んだり、削ったり切ったりという荒療治をしなければならなくなる。

更に度量衡が未だに尺寸法なのだ。ミリとかセンチとかではどうにもならん部品だって出てくる。本職の大工さんは尺寸法で話をしているのだが(くどいようだが他の鉾は知らん)そっちの方が大抵正確だったりするのだ。

「大体」とか「こんぐらい」とかいう、現代人からすればアバウト極まりない指示や情報が重要になる現場だと思っていただいても構わない。それでなくても船鉾は、他の鉾と違い形状そのものが特殊である。

胴体は湾曲しているし、屋根組などはややこしいコト極まりない。一つ部品をつけ損ねて、それまで組んでいた場所をバラしてそれから入れ直す、などということだって二〜三年に一度ぐらいはある。無理矢理力でねじ込むのは、ほとんど日常茶飯事と言ってもイイだろう。

熟練の大工さんをしてこうなのだ。ボクが出る幕など本来ないのは、容易に想像できると思う。しつこいようだが、あくまでも船鉾に限った話で他は知らん。作業が始まれば、他の鉾の様子など見ている暇などないのだ。

ものすごい話が逸れた。とにかく基礎体力と柔軟性のある身体というのは、ボクが担当している場所では必要不可欠なのだ。なのに高々引っ越し時の二日の移動と作業で、足にガタが来るようではお話にもならないのだ。

とにかくお手伝いの日までに、この堕落しきった身体をどうにかしなければいけない。単純明快な自己管理なのだが、これは即リスクマネージメントにも直結するから洒落にならんのだ。

幸い新しい部屋は三階であり、エレベーターなどという文明の利器はない。さらに借りた場所が実に良かった。すぐ横を水路がはしっており、そこで散歩するなり軽い運動をするなりしやすいのだ。

おまけに大好物のにゃんこ共が集まってくる。ちょろちょろ見に行くな、と言う方が無茶である。

ハードなトレーニングをしている人からすれば軟弱そのものに映るだろうが、その程度のコトすらまともにこなせないぐらい酷かったのだ。前屈して両手が地面につかなかった時などは、絶望的な気分を味合わされた。

身体の柔らかさと骨の丈夫さだけが取り柄の人である。これはかなりショックだった。更にバランス感覚もかなり狂っていた。と言うか、バランスを維持する筋力が衰えてたと言う方が事実に近いだろう。

屋根組を始めるときは柱が六本、柱を横に繋ぐ梁が六本だけで、おまけに幅は結構狭い。ちなみに足場はこれだけである。更に屋根を組んでいくと、今度は気をつけていないと足が滑る。

他の鉾ではしばしば屋根組の際にも別に足場がきちんとあるのだが、船鉾の場合はこれが出来ない。足場があると邪魔になる作業が山程あるからだ。危険度で言えば数ある鉾の中でもトップクラスだろう。

リハビリはまず入念なストレッチから始めた。ガチガチになった身体の柔軟性を取り戻すのと、この後始める筋トレの準備だ。身体が硬い状態で筋トレなどするとロクなコトにはならない。筋肉もしっかり伸ばして、伸縮性を高めないと怪我の元である。

さらにストレッチの効果は柔軟性だけではない。マジメにやれば、そこそこい運動にもなるのだ。予備段階としてはベストに近い。とにかく暇さえあればストレッチをしていた。肩胛骨剥がしストレッチというヤツも試してみた。これはおまけみたいなもんだが、側筋にも結構効くらしい。

元々身体が柔らかいことは先述したが、幸い一週間ほどでかなりの効果が出た。特に下半身は入念にストレッチをしながら、痛めた箇所を自己流で治療して次のステップを目指した。次のステップと言っても軽い筋トレである。これまた下半身が先。

そもそも膝の痛みは大腿四頭筋(大腿直筋、内側広筋、外側広筋、中間広筋という四つの筋)という太腿の筋肉が著しく弱っているのが原因だったのだ。小中高と山越え通学をしていたボクにとって、下半身の筋肉(特に太腿の筋肉)の衰えはかなりショックだった。

ネットで色々調べた結果、膝の負担が少なくて効果の高いスクワットの方法があったので、それを実践してみることにした。最初の一週間ぐらいは、自分でも情けないぐらいスクワットが出来なかった。

たった10回なのに、そっこーで筋肉が悲鳴を上げるのだ。あまりの情けなさに相当落ち込んだのは言うまでもなかろう。

こっちはある程度筋肉が慣れるのに時間がかかったが、それでも大工さんのお手伝いに行く頃にはそこそこ回復した。ちなみに今もしつこくやっている。

上半身はサックスの練習を再開することで、ある程度フォローすることが出来る。よくサックスを鳴らしていると「スゴい肺活量ですね」と言われるのだが、実は肺活量はそれほど問題ではない。

特にボクのようなパワー系では、横隔膜を支える筋肉の方がずっと重要なのだ。腹筋、背筋、側筋をフル稼働して、横隔膜をしっかり支えないとまともな音は出ない。

まぁ当然のコトながら、再開当初は悲惨この上なかった。約二年も鳴らしていなかったのだ。当然と言えば当然である。ロングトーンという基本中の基本の練習で5分もすると筋肉が悲鳴を上げるのだ。情けないったりゃありゃしない。

爆音どころかしっかりロングトーンすら出来ないのだ。音はぶれるわピッチは安定しないわ、元々使っていた練習用のマウスピースでは広すぎて練習にすらならないので、昔愛用していた狭いマウスピースに替えなければならんわと散々だった。

上半身の筋肉をフル稼働するというコト自体は、身体が憶えていたので特に意識する必要はなかったのだが、とにかくインターバルをこまめに入れないと、とてもではないぐらい弱っていた。更にサックスの重さで、肩まで痛くなると言う情けない現実までおまけについてきた。

サックスはストレス解消の手段なのだが、再開時はストレスそのものというアホな事態に直面したが、せっかくイイ練習場所を確保できたのだ。目の前は宇治川と田畑。人家もまばらで遠慮なくサックスを鳴らせる。

これを放棄するぐらいなら、サックスなど売り払った方がマシである。が、一時期どっぷりサックスの魅力に浸かってしまったボクが、サックスを手放すはずがない。むしろ再開した方がいいコトづくめなのだ。

地道に練習していれば回復するどころか、以前よりも轟音を響かせることは過去の経験でよく知っている。鳴らしているだけで、上半身はもとより下半身も自然と筋肉が回復する。呼吸系もかなり効果があるしね。とにかくやらない方がアホだ。ひたすら基本に忠実に地味に練習することにした。

ぶっちゃけ、関東にいく前の状態に戻すだけの話なのだが、二年間の引きこもりはかなり深刻だった。幸い大工さんのお手伝いには滑り込みで間に合った。念のために膝のサポーターだけはして行ってたし、帰宅後も入念にケアしたので膝が悪化することはなかった。

膝が自己流で完治しないことも判明した。もう整形外科にいって、膝に一発注射を打たなければマズイだろう。ちなみに、必要以上の筋トレをする気は毛頭ない。基本、機能に即した身体の使い方をしていれば、自然と筋肉はつくし持久力もそれなりについてくる。

楽天的に過ぎるという意見もあるだろうが、ボクの身体はそうなっているので仕方ない。不必要なものはついていないしね。必要なものもなかったりするけど、それはでふぉなので気にしていない。

余談だが、この作文を書いているのは7月末である。掲載される頃に(いつかは知らん)どうなっているのか個人的には少し楽しみだったりする。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
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装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!