[4210] 中途半端なニッチジャンルの憂鬱

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《ハイリスク・ハイコスト・ノーリターンを肝に銘じて》

■私症説[84]
 求心的に生きるとはどういうことか
 永吉克之

■晴耕雨読[26]
 中途半端なニッチジャンルの憂鬱
 福間晴耕

■はぐれDEATH[13]
 はぐれだからできる中継ぎ-2
 藤原ヨウコウ




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■私症説[84]
求心的に生きるとはどういうことか

永吉克之
https://bn.dgcr.com/archives/20161014140300.html

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31歳から一年間、オーストラリア(シドニー)で過ごした。他に、短期旅行として、ニュージーランド、タイ、アメリカ(ニューヨーク)にも行ったが、好き好んでそれらの国に行ったわけではない。

いまわの際、「ああ、若い時に海外生活を経験しておけばよかった。俺はもっと視野の広い、コスモポリタンな人間になっていたかもしれなじゃないか。そして、《コスモポリたん》というキャラをヒットさせて、大儲けしていたかもしれないじゃないか……」

と、未練を残したまま死んで成仏しきれず魂魄この世にとどまりて……を未然に防ぐために行ったのであるが、結局、コスモポリタンにもポリタンクにもならず、仕事を辞めてまで行く必要はなかったというのが結論である。

                 *

国際感覚を身につけることのできる人は、観光旅行しても身につくだろうし、できない人は外国で一生暮らしても身につかないような気がする。

明らかに、私は後者に属する人間である。そもそも外国には関心がなかった。十代の頃だったか、父親が「金は出してやるから、外国旅行してこい」と言ってくれたのを、なんだか面倒くさくて、断ったことがある。

今でも、外国旅行するならどこに行きたい? と聞かれるのが煩わしくて、台湾とか韓国とか、近場でいいんじゃない、安いし、なんて飲み屋でも物色するような調子ではぐらかしている。

こんな男が外国に行ったところで、貴重な何かを学んでくるとは思えない。

                 *

人間の行動や志向を、ざっくりと、遠心的なタイプと求心的なタイプに分けてみる。

外洋に向かって足を踏み出し、めっちゃ見聞を広め、外国人の友達をめっちゃ作って、外国語がめっちゃ巧くなって、めっちゃ帰国して、めっちゃめちゃにする、といったような行動は、遠心的な人びとのものであって、求心的な人びとには向いていないから真似をすべきではない。時間と金の浪費である。

求心性を保ったまま外国に行っても、得られるものは何ひとつない。それは、豪華客船クイーンエリザベスで世界中の港を巡りながら、船からは一歩も出ず、日がな一日カジノで遊んでいるようなものだからだ。

「ほらほら永吉はん、ウランバートル港に着きましたえ。たまには船降りて、観光してきやはったらどないどす?」

カジノでルーレットを回していた祇園の芸妓、まめ里が、体当たりしてきて私を船外に撥ね飛ばしたので、私はタラップをごろごろと転げ落ち、顔面をしたたか打って鼻血をだらだら流しながら立ち上がり、周囲を見渡した。

海のない国、蒙古の首都ウランバートルには港がないので、沖仲仕も、船員相手の曖昧宿も見当たらない。

「これのどこが港なんだ……いや待てよ。これこそが真の港の姿なのかもしれない」

そういえば、沖仲仕も曖昧宿も、まだこの目で見たことはなかった。それらはすべて、書物から得た知識に基づいた私の思い込みかもしれないという疑念が生じ、私は事実を確かめるために、港周辺を歩き回った。

すると、貨物船のそばで、沖仲仕たちが一塊になって地面に坐り込んで一服しているのが見えたので、近づいて尋ねた。

「一体全体、ここに沖仲仕はいるのでしょうか?」

それを聞いたひとりが吹き出すと、みなが蒙古語で笑い出した。

「いないよ。港でもないところで沖仲仕になんの用があるってんだい?」

頭領らしい男がそう言うと、沖仲仕たち全員が立ち上がって貨物船に戻り、荷運びを始めた。

「曖昧宿なんてのもないんだよ、この、タコ!」

背後で蒙古語の罵声が聞こえたので振り返ると、厚化粧が逆に年齢を露呈させていることに気づいていない、六十くらいのミニスカートの女が、なまめかしい笑顔で怒っていた。

「曖昧宿じゃないとするなら、あなたの後ろの、軒に赤いランプが灯っている家は何なんですか?」

「港でもないのに、船員相手の曖昧宿なんかあるわけないじゃないか、この、うすら馬鹿!」

「で、あなたは何なんですか?」

「そんなに曖昧宿が好きなのかい、この、ヒヒ親爺!」

《タコ、馬、鹿、ヒヒ》と、動物で統一したセンスには舌を巻いたが、この女と話をしてもムダだと思ったので、さっさとクイーンエリザベスに戻ってカジノで遊ぼうと踵を返した時、ふと、この光景をかつて見たような気がした。

その瞬間、何十年間も意識下で眠っていた記憶が、昨日のことのように鮮やかに甦ったのだった。

                 *

小学生の頃、火星が最接近するというので、それを観察したくて両親にねだって、子供向きの顕微鏡を買ってもらったことがある。

最接近の夜は幸い晴れで、アパートのベランダから空を仰ぐと、小さな、しかし明らかに火星とわかる赤い星が浮かんでいるのが見えた。私はさっそく顕微鏡を三脚に固定し、火星の方向に向けてレンズを覗き込んだ。

視度調整リングを回してピントを合わせると、火星の表面がくっきりと見えた。倍率を上げると、火星の素材であるポリ塩化ビニルの分子が姿を現した。

「父さん、火星の分子が見えたよ!」

「そうだろう。もっと倍率を上げてごらん」

父に言われずとも、昂奮していた私はダイナミックに倍率を上げて、塩素原子のなかに入っていった。

「いま、何が見えてる?」

「あ!」

原子の中心に原子核はなく、そのかわり、貨物船のそばで荷物の積み降ろしをしている男たちと、軒に赤いランプを灯した家の前に立っているけばけばしい装いの女たちが、自然界の四つの力(重力、電磁気力、強い力、弱い力)で結びついていた。

「それ、何だかわかるかい? 沖仲仕と曖昧宿だよ」

「オキナカシ、アイマイヤド……なにそれ?」

「はは。大人になったらわかるさ」

そして父は、私の頭を撫でながら、こう言った。

「お前が、望遠鏡じゃなくて顕微鏡をねだった時、ひょっとしてこれはと思ったんだけど、やっぱりそうだった。お前は立派な求心的人間だ」

私の家族は両親も弟も妹も、そろって求心的人間だったので、家族みずからの重力によって収縮し、一両日中に家ごと白色矮星となる運命にあることを、皆すでに知っていたはずなのだが、誰もそれを口にしなかった。

それが求心的家族の宿命だと本能的に知っていたからかもしれない。

南無阿弥陀仏。


【ながよしかつゆき/戯文作家】thereisaship@yahoo.co.jp

このテキストは、ブログにもほぼ同時掲載しています。
・ブログ『無名藝人』
http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz

・小説非小説サイト『徒労捜査官』
http://ironoxide.hatenablog.com/

・『怒りのブドウ球菌』電子版 前後編 Kindleストアにて販売中!
http://amzn.to/ZoEP8e



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■晴耕雨読[26]
中途半端なニッチジャンルの憂鬱

福間晴耕
https://bn.dgcr.com/archives/20161014140200.html

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最近はインターネットのおかげで、ニッチジャンルについても書いたり話したりすることが出来るし、それを読んでくれたり話題を交換できる相手が居るのはありがたい。また日本最大の同人誌即売会であるコミケットのお陰で、それらについての本を出したり、買ったりすることも出来るようになってきた。

だが、中途半端なニッチジャンル、特に英語圏ではちょっと探すと資料や話題が見つかるのに、日本ではそれほど話題になっていない物について語るとき、いつも歯がゆさも感じてしまう。

最初に書いたことと矛盾するかも知れないが、やはり日本語でやり取りできるようになったとは言え、向こうのコミュニティの人数にはどうしても敵わないし、何より最新情報などは、常に向こうからやってくるのを待っているしかないのが物足りない。

外国、特に英語圏に行って本屋に行ってみたり、Amazonの洋書を漁るとわかるのだが、やはり読者のパイが大きいせいか、日本だと考えられないようなニッチなジャンルであっても様々な書籍や、更には月刊誌まである。場合によっては、定期的に大きなイベントが開かれているのを知ると、日本語で殆どのものが読めるようになったとは言え、やはりパイの大きさを痛感してしまう。

なにせ日本でもそこそこユーザーの多いサバゲーや、日本でも最近は有名になりつつある鎧を着て戦うアーマーバトルなどでは、向こうでは複数の専門書があるばかりではなく、本物の戦場を再現したような壮大な大会が何日も行われて、そこで出店や当時を再現した格好で生活を楽しめるイベントが行われていたりするのである。

更には、日本ではTVがイベントでたまに取り上げるようなトレジャーハンティングも、外国では月刊誌が複数出ていて、週末に楽しめる趣味として行っている人もいたりする。

ましてや、もっとマイナーなもので日本では書籍どころか、話題にもなってないものですら専門書が沢山出ていたりして驚かされる。

もしあなたが気になっていても全然情報がないと思っている物があれば、一度Amazonの洋書コーナーで探してみることをお勧めしたい。

ところで、こうしたジャンルについては読むだけでなく、それについて書くのは更に難しい。というのも、本当に好きな人は言葉の壁を乗り越えて直接英語でやり取りしたり情報を集めているので、いまさら同じことを日本語で書いても読まれない。

かと言って、それ以外の人相手に書こうにも、所詮はニッチジャンルなので、テーマだけでは誰も読んでくれないことすらあるからだ。

それでも奇特な人がいて、せっせと向こうの最新情報を翻訳して紹介してくれたり、更には現地に突撃して直接見聞きした情報を伝えてくれる人がいてありがたい。こんな時に語学力やフットワークのある人を羨ましく感じてしまう。


【福間晴耕/デザイナー】

フリーランスのCG及びテクニカルライター/フォトグラファー/Webデザイナー
http://fukuma.way-nifty.com/


HOBBY:Computerによるアニメーションと絵描き、写真(主にモノクローム)を撮ることと見ること(あと暗室作業も好きです)。おいしい酒(主に日本酒)を飲みおいしい食事をすること。もう仕事ではなくなったので、インテリアを見たりするのも好きかもしれない。


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■はぐれDEATH[13]
はぐれだからできる中継ぎ-2

藤原ヨウコウ
https://bn.dgcr.com/archives/20161014140100.html

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「呱呱プロジェクト」のM氏がボクに声を掛けてくれたのは、単純に「アナログ、デジタルを現場で見て感じて知っていて、技術だけではなく表現そのものにも関わっていて、なおかつどんな印刷技術の原稿でも入稿させることが出来る、フラフラしていて楽に操れそうなヤツ」と言うだけの話だ。

全部兼ね備えていて、フラフラしている人材などそうはいない(笑)。当然と言えば当然の帰結である。はぐれだから条件を満たしたと言ってもイイかもしれない。幸いM氏の話や計画を、ボクはすぐに理解した。

M氏曰く「ここまで言葉少なく理解してくれる人も珍しい」そうなのだが、ボクに言わせれば話して分かりそうだからボクに声を掛けただけの話で、実際のところは確信犯だと今でも思っている。

更にM氏の年齢のこともある。「呱呱プロジェクト」もやりっ放しで済ますわけにはいかないのだ。後身を作る必要があるとM氏が判断し、ボクに鉢がまわってきたのは当然である。ただM氏に不安がなかったわけではないし、今だってそれが取り除かれたわけではないことを、ボクは重々承知している。

それはボクの性格だ。とにかくキレやすいのである。もっともこの辺は五十歳を迎えたあたりから急に減速しているのだが(キレるのが面倒になってきたのだ)さすがにこればかりは、実際にやらせてみないと分からない。

上手い具合にプロジェクトを進められるかどうかは、この段階ではボクの性格次第という、極めてリスキーな性格を帯びてくる。何をしでかすか分からない危険人物というイメージは払拭されるどころか、更に増していたのだ、呵々。

おだて上手で人誑しのM氏が、上手い具合に手綱を締めてくれたのは言うまでもあるまい。こんな書き方をすると稀代の大悪人のようだが、そんなことはございません。天の邪鬼のボクが心酔し、言うことは何でも聞くという数少ない一人なのだ。人としての大きさを想像して欲しい。

といっても、ボクを知らん人には想像のしようがないか。とにかく偉い人なのだ(ああ、なんて貧困なボキャブラリー)。

後のプロジェクト名ともなった「呱呱」(命名:井上佳穂)は、原稿の段階からかなり特殊な性格を与えることにした。とにかくデータ通りでは絶対に再現できない強烈なインパクトを、現場の皆様に与えながら、彼らの解釈力を無理矢理に引きずり出そうというのがその狙いだ。

だからボクは、製版や刷版の現場の人達には「好き放題してイイ」と投げ出したのだ。無責任といえば無責任そのものだが、とにかくスタートとしてはこれがベターだと判断したし、M氏も納得して後押しをしてくれた。

このプロジェクトは、アート印刷工芸株式会社さんが担当してくれているのだが、全員が全員驚いたようだ。何しろレイヤーが全部残っている原稿データを渡して、「好きに印刷して下さい」などと言う暴言(!)を吐く人には初めて会ったと異口同音に言われたのだ。

ボクとM氏にしてみれば、予定通りの反応だったので、しめしめとほくそ笑んだものだ。もちろん、この段階でアート印刷工芸さんに危険人物としてマークされたのは言うまでもなかろう。

数え切れないほどの色校と工夫、手間暇をかけてくれた印刷物はもちろん素晴らしい出来映えであった。この間ボクは一切口出しをしなかった。

「現場が率先して考え試行錯誤しより良い印刷物にする」という目標を、最初にM氏と共に提起していたのだが、原稿を渡したボクは評価に関しては、アート印刷工芸さんが「これです」といってくれるモノが出てくるのをひたすら待つことにしていた。

彼らが胸を張って提出するものにしか評価はしない。それがこの時のボクのスタンスだったし、M氏も承知の上だったのだ。任せるといったら任せて、責任は任せた人間が取る、という方式を採用したに過ぎない。

もっとも、ボクは任せる立場にいたこともあるし、今は専ら任される立場である。「任せた!」と投げ出される方のプレッシャーは、イヤと言うほど知っているどころか、もうほとんど日常茶飯事とも言ってイイ。だから必死で工夫するのだ。

クライアントの予想の上を常に狙っているし(斜め上になることもある)とにかく「任せて良かった」と思ってもらわないと困るのだ。挿絵画家などはその程度のものだと、ボク自身は思っている。任せる、というのはそういう意味では任された側のスキルアップにも直結するのだ。

もっともマジメに取り組んでくれたらの話だが、幸いアート印刷工芸さんは見事にクリアして下さった。あとはねちねちとハードルを上げていくだけでいいのだ。とにかく現場が盛り上がってくれたのが、ボクには何よりも嬉しかった。イヤイヤではダメなのだ。「あのぼーず頭の青二才」(いやもう四十はとっくに越えていたのですが)と思われるぐらいでちょうどイイのだ。

●ボクとM氏の考えるアート・ディレクターとは

ちょっと話が逸れたが、ボクが京都に戻りアート印刷工芸さんを伺うことによってボクの責任は倍増したと言える。何しろ三年も待ってもらったのだ。ましてや、ボクの大好きな印刷の現場。明らかに変化した現場の空気にボクが驚いたぐらいだ。が、それでもボクはきっちり爆弾を持っていった。

アート印刷工芸さんが、再びはぐればーずの災厄に晒されることになったのだ。さらにM氏との引き継ぎが水面下でゆるゆると進む。ボクはこっちの方が怖い。名目上はアート・ディレクターとして関わることになるのだが、このアート・ディレクターというヤツが実に厄介なのだ。

業界一般ではどうか知らないが、ボクとM氏の考えるアート・ディレクターは「問題点を整理し解決法を模索し表現の方向性を明確に指示、監督できる役割」と理解しているからだ。

表現そのものはベクトルの上にしっかり乗っていれば、デザイナーに任せっきりにしてもいいのだ。むしろ、ベクトルから外れないように見張っていないといけない。

更に変に口出しをしてもいけない。デザイナーの思考を縛ってはいけないのだ。この辺のバランスを取るのが滅茶苦茶難しいのだが、ボクも表現をする立場の人間なのである程度のアタリはつく。相手にもよるけど。

で、素直にこの通りに物事が進むかというと、そんなことはまったくなくて、大抵の場合はデザインの再教育からスタートすることになる。これがめちゃめちゃしんどい。今まで何をやってたんや、と突っ込みを入れたくなるケースが大半なのだ。

これはボクが会社にいた頃からそうだった。白状してしまえば、やはり若い人の方が責任感が強く、結果的にこっちが驚くような提案をしてくれる方が多かった。経験値の低さが、ハードルそのものをさげる効果を持っているからだと思う。

逆に中堅以上になると、「なんでこうなるかなぁ?」というようなモノを平気な顔をして持ってくる。だから会社員時代ボクが、新規の仕事を任されるときよくお仕事を頼んでいたのは、同世代か若いデザイナーさんばっかりだった。

継続している仕事に関してはそれまでの経緯もあるので、首を飛ばすと言うことはしなかった。むしろ打ち合わせに時間をかけた。

こうしたアート・ディレクターという立場を明確に理解し、把握していたのは当時の本部長であり、M氏である。というか、同じ会社なのに我々は少数派だったのだ。これはグラフィックに特徴的な傾向なのかもしれないが、一連の工程をシステムとして理解し、それぞれの工程の特徴や目的があまり明確ではないのが普通らしい。

実際、グラフィック畑の人間はすぐに手を動かしたがる。その前に確認し、考えなければいけないコトが山とあるにもかかわらずだ。これは今も昔も大して変わらない。

PCの普及でむしろ酷くなったとも言える。ラフを描かないのだ。どこでどうイメージを構築するのかというと、デスクトップでごちゃごちゃいじっているうちに何となく出来ちゃいました、というケースをよく耳にするのだが、そうだろうなぁとも思う。とにかくこういう時代である。

アート・ディレクターは、人材の育成というアホなコトにまで手を突っ込まないとどないもならん、というのがボクとM氏の共通見解であり、M氏はそれをボクに「やれ」と言ってるのだ。ここが抜けると、せっかく印刷技術を向上させても意味がないのだ。

ただこれほど時間も手間も労力もかかる立場というのはそうそうない。が、本来教育というのはそういうもんだろう。はっきり言ってしまうが、教育に経済的なリターンを求めるのは筋違いなのだ。ハイリスク・ハイコスト・ノーリターンを肝に銘じておかないと大抵ダメになる。

ただ本当の意味でノーリターンかというと、そういうわけではない。専門学校で非常勤講師をしていた頃、教え子達がそれぞれに巣立つのを眺め、彼らがこれからどういう人生を送るのか、ボクが教えたことがほんの少しでも役に立てばいいのに、と思っていたことを素直に告白する。

実際どうなったのかは知らないが、彼らは彼らでまた後進の指導をする立場になっているはずだ。世代交代というのは、本来このような形で進むのが理想的なのだが現実は厳しい。そして交代すべき世代間の中継ぎとして、ボクは印刷の現場に戻ってきた。クローザーになってゲームを終わらせてはいけないのだ。

とにかくボクの知識、経験を伝える。もちろんボク自身は更に学ばなければならないだろう。学ぶ姿勢を見せるのも大事なコトだと思う。単なる巡り合わせなのだが、こうなってしまってはもうどうしようもないではないか。大人しく自らの立場を受け入れ、すすんで努力するしかない。

というかボクはアホなので、それ以外になぁんにも思いつかん。今から性格が変わるなどということはあり得ないし、人格が飛躍的に高くなるということもあり得ない。アホのボクはアホのままだ。

出来ることはする。今出来ないことも出来るようになるよう努力する。そしてちょっとづつ成果を出すしか他に手はないのだ。この辺は挿絵画家としての立場とリンクするが、当たり前の話である。

アート・ディレクターだろうと挿絵画家だろうと、ボクはボクなのだ。基本的なやり方が変わることはない。

で、アート・ディレクターのまんまでいいのかと問われると答えは「NO」である。ボクの後釜を育てなければならない。二重三重にややこしいコトを抱えてしまったのだがしゃーなしである。この辺は大工さんも一緒だな。

というか、こうして様々な技術やノウハウは受け継がれていかないとおかしなことになりはしないか? 実際、こうした歪みは社会のありとあらゆるところで噴出している。

派遣の人の方が知識も経験も技術力も正社員以上、なんてのはよく聞く話である。せっかく育てた人材をリストラの一言でばっさり切り捨て、コストの都合で安く調達しようという、経営者にとって都合のよすぎる状態が闊歩しているのだ。

すべてがすべてとはさすがに言わないが、目立つ事象であることは事実だ。酷いところになると、経験豊富な派遣の人が正社員を教育するというアホな事態まで起きているようだ。正社員以上の仕事をしながら正社員より給料安いのに、さらに人材育成である。あまり風呂敷を広げたくないのでこの辺でやめとく。

ちなみに挿絵画家に関しては、後進を育てる気はまったくない。邪魔くさい上に、ボクの方法論は山田荘八「近代挿絵考」(双雅房、1943年)と近代デザインの思想がごっちゃになっている。いずれも前世紀どころか戦前の論考である。時代遅れもいいところだし、こんなやり方を誰かに教える気はまったくない。基礎教養もかなり必要だしね。


【フジワラヨウコウ/森山由海/藤原ヨウコウ】
YowKow Fujiwara/yoShimi moriyama
http://yowkow-yoshimi.tumblr.com/

http://blog.livedoor.jp/yowkow_yoshimi/


装画・挿絵で口に糊するエカキ。お仕事常時募集中。というか、くれっ!


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編集後記(10/14)

●みうらじゅん「『ない仕事』の作り方」を読んだ(文藝春秋、2015)。仕事を始めて35周年の記念イヤーに、自分の仕事のノウハウを公開してしまう気前のいい本だ。ものすごく貴重な本だ。ああ、現役でこの本を読める人は幸せだ。なぜならみうらじゅんが「マイブーム」を「一人電通」で(ともにみうら造語)広めたその手法(仕事術)をすべて紹介してしまおうという、じつに太っ腹な好企画なのだ。みうらの仕事と取りあげる事象は特殊なので、一見フツーの人には関係ないかも、と思う人もいるだろうが、さにあらず。どんな仕事にも応用がきく。いや、ホント、今の年齢の半分のタイミングで読みたかった本だ。

みうらの仕事をシンプルに言うと、「まだ区分けされていないものに目をつけて、ひとひねりして新しい名前をつけて、いろいろ仕掛けて、世の中に届ける」ことだ。絶好調の「ゆるキャラ」も、みうらが名付けてカテゴリわけするまでは、そもそも「ない」ものだった。昔は地方自治体や団体が独自に作っていた単なる「着ぐるみ」に過ぎないモノが、「ゆるキャラ」になった今、もうみうらの手の及ばぬ一大産業に成長した。流行語大賞になリ、広辞苑にまで載った「マイブーム」は、ここ最近、個人的に夢中になっているモノ、という意味で一般化したが、本来はみうら自身の流行を世の中に広めていく、という意味だ。

みうらが本当に好きになったこと、まだ誰も知らないモノを、世界に届ける。そのためにブームを起こす。そのための戦略が「一人電通」で、クリエイティブだけでなく、作戦も営業もすべてみうら一人でやっている。接待までするのだ。いままでみうらが仕掛けた30余のブームを分類し、戦略からなにから全公開の大サービス。本のタイトルとなった「ない仕事」の出発点は「ゆるキャラ」にあった。「ない仕事」に共通するのは、「自分を洗脳」して「無駄な努力」を続行することだ。大量にソレを集めたら、次は「発表」だ。収集しただけならただのコレクター、書籍やイベントに昇華させて初めて「仕事」になる。

ブームの正体は「誤解」だという。あらかじめ理論づけはせず、人に誤解されたり、我が物のように言いたくなるような余地を残しておく。勝手に独自の意見を言い出す人が増えたときブームが生まれる。「すべての『ない仕事』に共通しているのは、最初は怪訝に思われたり、当事者に嫌がられたり、怒られたりすることもある」のだ。みうらは、これからも価値基準がないものに肩入れし、マイブームだといって買い集め、この先ずっと「アンチ断捨離」の余生を送るのであろう。ホント、面白くてためになる本。本文のゴチック体部分を拾い読みするだけで「むむ、これは……」となる。絶対おすすめ本だ。 (柴田)

みうらじゅん「『ない仕事』の作り方」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4163903690/dgcrcom-22/



●「外洋に向かって足を踏み出し……」ないわ。でも急にやりたくなる時はあるなぁ。/ニッチジャンルでご飯も食べられるんだろうなぁ。日本人の方が詳しいこと多い気がするけど、活躍できてない。

/ラフを紙に書いてから作り始めるのだが、実現するのに苦労する。たいてい頭の中の理想には遠いまま終わる。サイトだったらコーディングの時のことを考えて仕掛け減らしたりすることも。/「派遣の人の方が知識も経験も技術力も正社員以上」で「正社員より給料安い」って少なくないと思います。ええ。/みうらじゅんの本、読んでみようっと。

保険相談続き。窓口の彼は、「家族には延命治療はするなと常々言っています」とのこと。「認知症になったら捨てろ(施設に放り込め・面倒を見ようとするな)」とも。

延命治療をするかどうかは、気が動転している中、数分で決断を下さないといけない。倒れた人が若ければ若いほど延命治療をしがちだが、身体が丈夫なため、なかなか死ねない。

その間、家族は人生を病人のために捧げないといけない。そんなことを病人は望んでいないのだからと。認知症に関しても、なったら訳が分からなくなっているんだから、捨てられても平気だと、冗談めかして話していた。

事前に意思表示の書類を用意されておらず、本人の意思確認ができなかったら、家族はやっちゃうかもしれない。だから保険は自分のためというより、周囲の人のために入る人がいますよとのこと。

あと死んだ時の整理資金として、200〜300万程度は用意しておいた方がいいとは言われた。お葬式がいらないとしてもお金は必要だから。 (hammer.mule)

Dropbox Pro 3年版が24,000円
http://www.sourcenext.com/pt/s/1610/13_dropbox_u/?i=mail_mz2

Packratを使っていると使えなさそう。残念