ユーレカの日々[57]図で解くことを図解という/まつむらまきお

投稿:  著者:  読了時間:20分(本文:約9,700文字)



プログラマー・森巧尚さんの著書「楽しく学ぶ アルゴリズムとプログラミングの図鑑」のイラストを担当させていただいた(今月末にマイナビ出版から発売)。
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森さんとはFlash黎明期からの付き合いで、これまでも森さんの本のイラストをたくさん、担当させてもらってきた。

前回担当した「SwiftではじめるiPhoneアプリ開発の教科書」は「さし絵」が多かったが、今回の本は「図解」が中心となった。

アルゴリズムの本なので、たとえばサーチやソートといったアルゴリズムの仕組みを図解で説明する。森さんから図解の原案をいただくのだが、原稿もしっかり読み込んで、内容を理解しなくては描けない。

普段は関数で済ませてしまっているサーチやソートの「原理」なんて、気にしたこともなかったが、その手法にも色々あるんだと、今回初めて知った。

こちらの数字をあっちに入れて…という手順をとるとあら不思議、順番通りに並び変わる。まるで手品師の手つきの秘密を見るようで、とても面白いのだ。

この仕事をしながら、「昔からこういった、図解が好きだったなぁ」と思い出した。





●子どもの頃から図解好き

子どもの頃、雑誌や図鑑の図解が好きで、内向的だったぼくは、そういう本ばかりを眺めていた。お話のさし絵よりも図解、特に科学系のものが好きだった。火山の断面図だったり、エンジンの仕組みだったり、そういうやつだ。

今でもよく憶えているのが、学研の雑誌『○○年の科学』の記事で、「温度」の図解記事だ(小学校の頃なので記憶は曖昧だが、イラストは新井苑子さんだったはず)。

本を横に使い、数ページにわたって真ん中に温度計が描かれている。そこをUFOのようなマシンに乗った人が下へ下へと降りていく。温度計の両脇には、それぞれの温度で何が起きるのかが、イラストと文章で解説されている。

たとえば、100度では水が気体になり、0度では固体になるという具合。ページをめくっていくと、どんどん温度が下がり、そして絶対零度、-273度が温度の底。温度計は左右ではなく、上下に伸びているので、この「温度の底」感がハンパなく伝わってくる。うーん、すごい。物理の世界を見事に説明している。

目では見えない世界を、ひとめでわかる概念で説明してくれる図解の魅力。新学期に教科書を受け取ると、片っ端からページをめくり、図解をさがした。

大伴昌司氏の有名な『怪獣大図解』も、リアルタイムだった。しかし、マンガ雑誌は買ってもらえなかったので、散髪に行った時に待ち時間に急いで見たものだ。こちらのインパクトも強烈だった。

ああ、怪獣が光線を吐くのは、ちゃんとそれを作っている臓器があるからなんだなぁ、怪獣の形や行動には理由があるんだなぁということを学んだ。

未来予想も、新しく出来たビルも、アポロ計画も、すべて図解で知り、図解で学んだ。

●図解の具象と抽象

図解について考えていて、こういった図解は大きく二つに分類できることに気がついた。具象事例と抽象概念だ。

東京タワーや怪獣の図解は、具象事例。実際にあるもの(怪獣やSFメカは空想だが、実在するものとしてとらえる)を描き、それぞれの場所の意味や、内部をより詳しく説明する。細かく描いてあればあるほど、見ていてワクワクする。絵の力による所が大きい表現だ。

小松崎茂や長岡秀星といった人たちの描くメカは、外観だけでも、写真以上にディテールがはっきりして、それだけで図解的だ。

もう一方の抽象概念は、先に述べた温度だとか、時間だとか、そういった概念を、図形や比喩を使って説明するもの。アポロの月への行程や、地形を無視した路線図なんかも抽象概念だ。

今にして思えば、これらの図解から具象である「絵」と抽象である「グラフィック」を学んできたのだと思う。どちらも大好きだったぼくは、その両方の要素がある「イラストレーション」に魅力を感じたのかもしれない。

そういえば、昔のマンガも、図解が多く使われていた。忍法やトリック、武器の構造、秘密基地、そういったものは、マンガの中で図解されていた。家なんかは断面図を見せるというのがよくあった気がする。

現代のマンガは、映画のようにカメラを意識して描くのが主流になって、そういった図解はすっかり少なくなってしまった。

やはり小学生の頃、それなりに教育熱心だった親が、アメリカのタイムライフ社の科学図鑑シリーズを定期購読してくれていた。

時間とは何かとか、相対性理論についてなど、科学について子どもでもわかるように図解されている本だ。そしてそのイラストがとても洒落ていたのだ。

光速に近い速度で移動すると、お互いの見え方が変わってくる、時間の進み方が変わってくるといった説明が、グラフィカルな列車のイラストで図解されていた。

目に見えないものを、さまざまなものにたとえて、絵で説明する。そういった場合、リアルな絵柄より、デフォルメされてシンプルな絵柄の方が、意味が伝わる。そういうことも、さし絵や図解から学んだように思う。

図解はぱっと見た時は、複雑な絵だが、じっくりと見ていると、絵、文字、色、記号、レイアウトの意味がだんだんと浮かび上がってくる。

そして、その複雑な構成から、「概念」が伝わってくる。この「概念」は言葉には出来ない。言葉だけでは伝わらない。図解にしかできない伝達表現。

もちろん、小学生であるぼくがそんなことを考えていたわけではないが、とにかく図解は見ているだけでも楽しくてしょうがないものだった。

●仕事で図解をやってみる

自分自身が「図解」をやりはじめたのは、就職してからだ。建築メーカーに務めていたのだが、配属された部署では、提案書や企画書を作る機会が多かった。

それらの書類では、フローチャートや、イメージ写真を使って企画内容を説明する図版が必要で、ぼくが入社した当初はまだパソコンは「計算」や「活字」としてしか使われおらず、図解はロットリングとテンプレート、インスタントレタリング、カラートーンを使って作られていた。

大学時代にマンガ同人誌をはじめ、編集作業が好きだったぼくのところには、自然とそういう仕事が集まって来た。

指示された内容に対し、勝手に改良を加える。わかりにくい略図を、わかりやすく工夫する。もともと図解のヘビーユーザーだったから、意識しなくても手段は自分の中にたくさん蓄積があった。四角形を立方体にしたり、色で流れを作ったり。

学生時代には高価でなかなか買えなかった、カラートーンとインレタが使い放題だったのが天国だった。大きなプレゼン図版はCADとプロッターを使った(Illustratorやカラープリンターが登場する前の話だ)。塗りは色ペンとハッチングで表現した。

●「MACLIFE」の頃

会社を辞めてすぐに、今はなきパソコン雑誌『MACLIFE』から仕事が舞い込んだ。編集部から送られてきたラフは、Macと周辺機器の解説記事で、周辺機器の接続を見開きで構成し、キャラクターが色々と紹介するという趣向だった。

この時はキャラクターを描くことの方に、自分では気を取られていたが、今にして思えば手慣れている「図解」であったことがラッキーだった。

この仕事が好評だったのか、翌月からすぐに、入門者向け連載記事のさし絵を担当することになった。こちらは小さなカットが沢山だが、どれも図解だ。

特に指示があったわけではないが、矢印や枠、罫線などのパーツ、画面の中のもの、フォントやマウスポインター、ウインドウもすべて、フリーハンドで描いた。

Illustratorなどのツールで作成するので、直線や図形は簡単に描ける。それをわざわざ、手書き風に描くのは、ものすごく手間なのだが、図解するには「省略」が不可欠なのだ。

たとえばウィンドウシステムの説明の時、ウィンドウのバーにある文字や、アイコンが実際のものだと、それぞれの意味が生じてしまう。

この部分をうまく省略したり、特定のものでないものにする(抽象化)ことで、説明したい本質である『ウィンドウ』というものの概念がはっきりと浮かび上がる。

また、手書き風にすることで、自分のキャラクター絵とトーンを合わせることが可能になる。実際にすべて手書きでやると大変な作業だが、コピペが使えるので、だいぶ楽だ。

そんなわけで、自分のスタイルのようなものが出来上がっていった。そういうことを、だれに教えてもらったわけでもなく、自然と選んできた。小学生の時に見まくっていた図解のおかげだ。

パソコン雑誌では、解説する対象がデジタルなので、おのずと抽象的概念が多くなる。だからこそ、イラスト、図解の出番が多くなる。たとえばインターネットと接続する、というのをどう図で説明するのか。そこで起きていることを写真で撮影することは出来ない。

こういった情報がやりとりされているのですよ、といった手順と、こういった設備が機能しているのですよ、という具体的なモノを構成して、全体像を解説する。

自ずと「たとえ」を多様することになる。メールは「手紙」の形になったり、ネットは地球儀になったり。そのうち、さし絵も図解的になっていった。

●さし絵だって図解

図解的でない、たとえば小説のさし絵だって、実は図解的だ。限られたスペースの中に、文章の内容からモチーフを選び、構図を使って意味を構成する。不要なものは極力排除する。

たとえば、背景をどのように入れるのか。人物をどのように配置し、どう演技させるのか。マンガは、ある意味そういった図解的さし絵を複数のコマでやっているし、映画や映像ではカットごとでやっている。

たとえば、ノーマン・ロックウェルの絵が、だれが見ても楽しいのは、その絵の場面の前後の時間が予想できるよう、モチーフと構図が緻密に組み立てられているからだ。

意味がはっきりした、必要なものだけで構成された、言語的とも言える絵を、無理なく自然に構成するのには、緻密な計算が必要。ロックウェルの絵は、とても図解的で、だから素敵だ。

●うさんくさい言葉「インフォグラフィック」

最近は「インフォグラフィック」と言う言葉が流行っている。

infoが解説、graphicが図だから、図解じゃないかと思っていたが、図解の翻訳はschematicというらしい。しかしschematicを日本語に翻訳すると「回路図」ということで、Googleの画像検索でも回路図だらけ。全然わからない。

図解を辞書でひくと「図で説明すること。また、図を使って説明を補うこと」とある。一方インフォグラフィックは「情報、データ、知識を視覚的に表現したもの」。うーん、何が違うのだ?

棒グラフや折れ線グラフはインフォグラフィックらしいが、ぼくの中では図解ではない。なぜなら楽しくもないし、図解の本質である、抽象的概念を具象化する努力がみられないから。

どういうことかというと、たとえば米の収穫量を折れ線グラフにしてみよう。収穫量を長さ(y軸)に変換し、時間というまた別の尺度をx軸の長さに変換する。その結果、米の収穫量の変異を2次元上で図に表すことができる。

折れ線の斜面で推移が、折れ線で表される面で、量を実感することができる。しかし、これは単に量と時間の概念を、長さという違う見方で置き換えただけであり、変異を把握するのには有効であるものの、本質的には抽象概念間での置き換えにすぎない。

人が理解しやすい具象例、たとえになっていない。その証拠に、グラフを読むのには、読み手が「読み方を知っている」必要がある。それを知らない小学生低学年にとって、グラフは単なる図形に過ぎない。

本来の図解は、読み方を知らなくても何を言っているのか直感的にわかるよう、身体的な表現を比喩として利用するものだ。いくらグラフを図像としてきれいに仕上げて誌面に納めようが、それは図解に置き換わるものではない。

ならば、図解であればどう表現するだろう? それには前提となる、このグラフがどうして必要なのか、から始める必要がある。

たとえば、収穫量が減り続け、農業が弱体化していることの危機感を訴えたい
のであれば、農家をモチーフに。パン食との比較であれば、ご飯をモチーフに
図を作成する。目的が違えば、同じデータであっても表現の方法は全く異なる
はずだ。

フローチャートに代表される、チャート図はどうだろう? たとえば項目を4
つの四角で囲んで、田の字型にレイアウトする。

これは図ですらないと思うのだが、こういったものを図解とし、インフォグラフィックとの違いを解説する人もいる。うーん、そうではないと思う。

チャート図は図でしかない。図と図解は違う。インフォグラフィックは図なのか、図解なのか、はたまたそれらとも違うのか、ぼくにはさっぱりわからない。

色々、Webを見てみたが、だれもが曖昧に使っているように思える。そういう曖昧な言葉は、不用意に使うべきではないと思う。なぜなら、そういうことが曖昧なままで平気な人が、すぐれた説明図(インフォグラフィックや図解)を作れるとは思えないから。

●「ポンチ絵」という言葉を殲滅したい

曖昧な言葉といえば、先日、「ポンチ絵」という言葉を数十年ぶりに聞く機会があった。

ごく限られた、役所などの業界で、インフォグラフィックや図解、チャートのことを「ポンチ絵」と呼ぶらしいのだが、この言葉は、どうも苦手だ。とても曖昧な言葉であり、美術、デザインの世界ではまず、聞くことがない。

若い方は聞いたこともない人も多いだろう。ぼく自身、55年の人生で、言葉で今回を入れて2回しか聞いたことがないし、活字メディアに載っているのを見た憶えもない。

30年ほど前に、職場で「ポンチ絵描いて」と言われて、ずいぶん戸惑ったのを憶えている。

ポンチ絵とは、役所などで今でも使われているらしい言葉で、絵のことではなく、図のことらしい。定義がさっぱりわからないのだが、どうやらチャート図(一直線(リニア)の文章表現に対し、非リニアな、平面展開された表現)のことを「ポンチ絵」と呼ぶらしい。

絵が一切使われていない、チャート図もポンチ絵と呼ぶらしいから、なぜそれを絵と呼ぶのか謎である。

ポンチって何よ? パンチならわかるが、と思って調べてみると、案の定、イギリスの風刺漫画雑誌「パンチ」から来ているという説が有力である。

パンチは1841年から2002年まで(!)イギリスで出版されていた雑誌だ。1862年(江戸時代だよ!)には横浜の居留地で、ジャパンパンチというのが発行されていたそうだ。

この時代、マンガのことをポンチ絵と呼んだと言うが、当時の漫画という言葉は、現在のイラストと同義で、主に線画表現のスケッチによるさし絵を指す。だから、ポンチ絵が「風刺画」の意味として使われてきたのか、単に「さし絵」として使われていたのかはよくわからない。

平凡パンチ、ハッスルパンチ、パンチを効かせるなど、60年代には「パンチ」という言葉が流行ったが、これがイギリスの雑誌と関係があるのかどうかも、よくわからない。

穴を開ける工具の「ポンチ」も、フルーツポンチも「パンチ」が本来だが、今でもポンチで通っている。

ということで、風刺画をパンチ絵(ポンチ絵)と呼ぶのはまだ理解できるが、どうしてそれが概略図や構想図となるのか。そもそも絵ではないし、風刺でもない。

パンチ=風刺画、滑稽画とすれば、一生懸命考えて作るチャートを「滑稽」と言われているようで、とても不愉快だ(滑稽な絵も真剣に考えて作るのだが、それは作り手側の心情で、受け手側にそう思われたらそれは滑稽画ではない)。

そもそも、役所などで使っている意味は「絵」じゃない。

こういう言葉はとっくに絶滅したかと思っていたら、未だに使われているのがショックである。人生を絵で成り立たせている身からすれば、とても不愉快な言葉だ。

なぜなら、「絵」というものを世間がそう捉えているのかと思うと、絶望を感じてしまうから。別にチャート図が下で、絵画が上と言っているのではない。絵ではない「記号」を、絵と言うことを許容している鈍感さに憤りを憶え、メディアでまず見ることのない言葉を仕事で平気で使う無神経さに憤るのである。

もっとも、こういった言葉、図解、図、インフォグラフィック、カット、チャートなど曖昧に使ってきた、グラフィック・出版業界にも問題がある。

だから今、日本で使われるインフォグラフィックという言葉にも不信感しか覚えない。大伴昌司の大図解で育ったぼくの方が、世間から見たらマイノリティなのかもしれないが。

●設計図と組み立て説明図

図解の最高峰は、きっと組み立て説明図だ。

複数の図解が時系列で連なり、手順を示す。図解好きにはヨダレもの。

プラモデルの組立説明図を集めて本にした「プラモ インスト ブック」というのもあるくらい(組立説明図のことをインストラクションという)。

建築図面もそうだが、専門家同士であれば図面の読み方がわかるので、わざわざ立体図にする必要はない。しかし、ユーザーは図面の読み方など知らないから、立体的に表現して、わかりやすく説明することになる。

つまりこれこそ図解だ。プラモデルの組立図は線画なのが図面っぽく、ほどよく「本格的っぽさ」が出ていてよい。単なる線画の羅列なのに、時間という抽象概念が見事に表現されているのにも萌える。

そういえばプラモデルはランナーに部品がくっついた状態だが、あれがそもそも、図解っぽいではないか。

パーツが整然と並び、番号がふられている。そして、自動車や航空機などのスケールモデルは、その存在そのものが現物を説明する、図解的な存在だ。単なる模型と違い、組み立て過程でよりディテールや構造を理解することができる。

図解的なものを、図解的な部品構成にし、図解満載の説明書で組み立てる。これが至福でないわけがない。

●魅惑の映像図解

映像の世界では、CGが登場してからこういった図解が格段に進化した。それまではチャート図や、手書きのアニメーションが用いられており、ディズニーは科学番組などでそういった映像図解を多く提供していたようだ。

カールセーガンのコスモス、という宇宙科学教養番組が35年ほど前にあったが、これがハシリかと思う。重力、時間、相対性理論などを、特撮やCG、比喩の映像を使って説明をする番組だったが、タイムライフの本で見ていたものの実写版のようで、とても面白かった。

この手の科学番組で、一番感心したのは、NHKとBBCが作った、「リーマン予想」のドキュメンタリーだ。

リーマン予想とは、数学の命題のひとつで、素数の分布の謎に起因した仮説。素数とは、1,2,3,5,7,11………と、1または自分自身でしか割り切れない整数のことだが、これを1から順に捜していくと、それが登場するパターンがどうしても見つからない。

いきなり連続して現れたかと思うと、何百も現れない。リーマン予想は、素数を使ったある数式に、規則性が表れることを予想したもの。つまり、ルールがないはずの素数の分布なのに、ある数式に入れるとルールが現れるという謎だ。

これが「予想」と言われるのは、証明されていないから。世界中の数学者が取り組んでいる。

この番組では、整数を無限に昇る階段として、CGで描く。あるルールの発見については、まさに「角度を変えて見る」ことをCGで描く。番組はこのCGの階段をツールに、難しい数学の世界を解説してくれる。

素数を階段で表現することで、自分が階段を昇る時、ひとつ踏み外したり、2段飛びで駆け上がる体験とリンクし、素数という普段はまったく縁のないモノを、自分自身の問題として感じることができる。数字をいくら並べたところで、この感覚は実感できない。

この番組を見ただけで、リーマン予想のことが全て理解できるほど、数学の世界は甘くない。しかし、数学が面白いことだけは、はっきりと伝わってくるのだ。「ああ、数学者たちは、こんな風に世界を見て、夢中になっていたのか」。

Eテレは映像図解の宝庫だ。特にすごいのが「大科学実験」。物理法則を現実世界の中で再現する………言い方がおかしいな。たとえばニュートンの法則を、大がかりな実験装置を使って、実証してみるというもの。その大がかりな実験装置が、実に図解的で美しいのだ。
http://www.nhk.or.jp/rika/daijikken/

放物線を、ちゃんとモノを投げて映像として作り出す。これぞ図解。単なるグラフで満足している人は、これを見て多いに反省すべきである。

最近感動した映像図解が、BEAMS40周年で制作された「今夜はブギーバック」。


1976年から今年までの40年間の、ファッションと音楽を一気に見せてくれる5分間の映像だが、これが超図解。ぼくが15歳の時からの歴史をタイムマシンに乗って一覧するようで、ファッションに疎いぼくでも、大感動してしまった。

●すぐれた図解の芸

すぐれた図解の面白さは、その図解の送り手側が「何が面白いと思っているのか」が伝わってくることだ。

リーマン予想の番組が面白いのは、数学が面白いのではなく、数学者たちが何を面白いと思っているのかが、伝わってくるところにある。すぐれた図解や説明は、その内容以上に、なぜそれが面白いのか、送り手の思想を語ってくれる。つまり、説明する「芸」のひとつが、図解なのだ。

いや、図解に限らない。文章でも、話でも、編集でも、レイアウトでも。わかりやすく、相手の興味をひき、おもしろく説明することが何よりも大切。新しい発見は受け手の人生を豊かにしてくれる。そして相手の考えていることが(受け入れられなくとも)理解できれば、世の中はもっとマシになるはずだ。

そういうことを目指して、図解やイラスト、文章や授業に取り組む。もちろん、毎回うまくいくわけではないし、ぼくよりも説明能力の高い人はいくらでもいる。でも、そういう「説明芸」に取り組むのは、作る側としても、いろんな発見に満ちていて、とても面白く飽きない。

●図解でユーレカ

ひさしぶりに図解と格闘して、自分の図解好きを思い出した。そして、気がついてみれば、この文章は、図解というものがいかに面白いかを図解的に書いたものだ。

四苦八苦して説明することで、相手にも自分にも、自分の考えていることが伝わる。まさにユーレカ。

願わくば、ぼくが何を面白がっているのかが少しでも伝わって、図解に取り組む人が増えて、世の中に楽しい図解があふれて欲しいものだ。


【まつむら まきお/まんが家、イラストレーター・成安造形大学教授】
twitter:http://www.twitter.com/makiomatsumura
http://www.makion.net/
mailto:makio@makion.net

ドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』が面白い。主人公二人が超理屈民族なのがツボだし、BGMでジャック・タチの「ぼくの伯父さん」が引用されてたりするのもツボ。

ちょっと似た設定の「デート〜恋とはどんなものかしら〜」や、日本ではめずらしい法廷劇「リーガルハイ」も理屈ドラマで面白かった。理屈でないドラマも好きだけどね。


〈編集部追記〉

●プラモ インスト ブック
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/449923090X/dgcrcom-22/

●リーマン予想・天才たちの150年の闘い 素数の魔力に囚われた人々(87分)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B003AM3BZG/dgcrcom-22/

●大科学実験DVD-Book リンゴは動きたくない!?
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B006JJBD1Q/dgcrcom-22/