ショート・ストーリーのKUNI[206]おれはおれを殴ってやりたい/ヤマシタクニコ

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ふと気づくと、おれは会議室らしきところにいた。なんとなく見たことがあるような部屋だ。どこだったろうと思いながら、席に着いた10人ほどのメンバーの顔を見ているうちにギクリとした。

ぼさぼさ頭で血色悪く無愛想、何か不満でもあるかに見えるが実は単にそういう顔だという男。着ているのはグリーンのシェトランドセーター風の安物ニット。見覚えがある。若い頃のおれ自身だ。

どういうことだ。しかし、どう見てもあれはおれだし、そういえばこの部屋は…ま、まさかの「ゴーカク出版」! おれが若い頃3年ほどいた会社だ。

セット販売の問題集や参考書を作っていた。3階に会議室があって、月に一回会議があったような……気がするが、自信がない。なにしろ、そうだとするとかれこれ30年も前、大昔じゃないか。いや、だいたいなんでおれがここにいるんだ。




と思っているうち、会議が始まる。今販売している問題集セットに何か付録をつけろと、営業部に注文されての企画会議らしい。しゃべっているのは編集部長のマツヤマだ。

おっさんだと思ってたが、こうやってみるとまだ若い。無理もない。この時点でまだ30ちょい過ぎのはずだ。そうそう、マツヤマ部長の特徴は何と言っても額が広いのか、はげ上がってるのか判然としないヘアスタイルだった。

おれは改めてまじまじ見て、うなずいた。こちらを向くマツヤマの視線とガチでぶつかったが何の反応もない。どうやらおれの姿はみんなに見えてないらしい。ためしにげほ、げほ、と爺むさい咳をしてみたが聞こえていないようだ。

「……というわけで、みんなから案を募ったがあまりいい案が出なかったので、私が考えた『今からでも間に合うダイジョーブ君のおまかせコラム』でいくことにした。会員向け通信に連載していたコラムをまとめ、そこに新たにいくつか付け加える。評判が良かったら『ヨユー君のおまかせコラム』も作る予定だ」

30年前のおれの顔がなんだか紅潮してきたことに気づく。イライラしているようだ。何か言おうとしながらためらっているみたいだ。それにしても、こいつ、ダサい。髪が多すぎて暑苦しい。

服の趣味が悪い。イチゴ模様のシャツが全然似合ってない。グリーンのセーターとあいまってクリスマス風だが、わざとなのか。今すぐ脱がせたいくらい恥ずかしい。その恥ずかしいおれはさんざん迷ったあげく、流れがすでに次の議題に移ったころ……

「部長、さ、さっきのダイジョーブ君のおまかせコラムですが」と言い出す。

そうなのだ、おれは人前でしゃべるのが苦手なくせに目立ちたがりだった。かつ、タイミングがずれる。こうやって見ているとそのことがよくわかる。顔から火が出る。やめろ。

室内の全員が若いおれのほうを向く。マツヤマ部長がじろりとにらむ。

「なにかね、ナカタくん」

「ダイジョーブ君のコラムでいきましょうと提案したのは、ぼぼ、ぼくです。正確に言うと、ヤマナカ君とぼくがふたりで考えて……ぼくが直接出しました」

「そうだったかもしれないが、中身がいまいちだったので、私がかなり補足した。それと、タイトルに『今からでも間に合う』をつけたのは私なんだ。ここがポイントだ」

「で、でも!」

「それだけかい。では、さっきの話に戻って……」

30年前のおれは、怒りでぶるぶると震えるこぶしをテーブルの下に隠し、さらにごまかすために親指と親指をぐるぐるまわし、なかなかおさまらないので逆回転もさせた。

おれははらはらしながらそれを見守った。そばによって肩でもぽんぽんとたたけば落ち着くかもしれないと思いつつがまんする。なんとか会議が終わる。

「あー、むかつく。こっちが苦労して出した案が、結局部長の案になってるじゃないか!」

仕事が終わると若いおれは仲間と居酒屋に直行した。おれもついていく。若いおれはグチを言いまくる。仲間がなぐさめる。

「まあまあ、いつものことだよ」

「部長もああみえて、そんなに悪い人じゃないよ」

「一応、案が認められたようなもんだし」

「それに君、ヤマナカとふたりで考えたというけど、実際にはほとんどヤマナカが考えたそうじゃないか」

「そうかもしれないけど……まとめたのはおれだ!」

そ、そうなのだ。この件は覚えている。この頃、ヤマナカがおとなしいのをいいことに、おれはたびたび利用してヤマナカの案を自分が考えたようにして提出していた。とんでもないやつだ、おれは。おれはがまんできず、おれをぼこんと殴ってやった。

「ん? だれだ、いま殴ったのは。まあいいや。あー、酔っ払ってきた。次、行くぞ! スナック『めだか』!」

おなじみのスナックで、マイク片手に「ボヘミア〜ン」などと歌いまくる。これがまたひどい。声がでかいだけだ。おれはますます恥ずかしくなった。スナックのママがお世辞で「おじょうずね〜」と言う。

「おれ、バンドのボーカルに誘われたことあったんですよ。今からでもやろうかな〜」

お世辞を真に受けるんじゃないっ。いいかげんにしろ。もう一回殴ったが、つい手加減するのでこたえてない。

やっと店を出て乗った電車では、目の前に年寄りが来ても知らん顔だ。無礼者っ。年寄りが日常どれだけ体の不自由を感じているか知らないかっ。立ってるだけでもつらいこともあるんだぞ! おれは今度という今度は容赦せずバーン! と頭をどついてやった。

「痛っ!」

若いおれは顔をしかめ、思わず立ち上がってあたりをきょろきょろ見回した。その拍子に年寄りはすいっと席にすべりこんだ。思いの外たくましい年寄りだったようだ。よかった。

結局おれはアパートの部屋まで若いおれについていった。ぐでんぐでんに酔っ払ってて心配だったのだ。若いおれは部屋に入るなりそのままばたんと倒れこんだので、押し入れからふとんを引っ張り出してかけてやった。

まったくどうしようもないやつだ。こんなにおれがばかだったとは。こいつに比べたら今のおれは人間としてずいぶん成長したわけだ。やれやれ。

                 *

ふと気づくとおれは見知らぬ街の一角、安っぽい建売住宅の前にたたずんでいた。どこだここは。なんで自分がここにいる。と思っていると、向こうのほうからおやじがやってきた。どういうことだと思ってよく見ると、おやじのようで微妙におやじではない。

──え、まさか。

それは年取ったおれだった。多すぎて持てあましていた髪はかなり少なくなり、半分白髪だ。太ってはないが腹が出ている。左ほほにでかいシミがある。いや、そういうふうに細部を観察するまでもなく、全体にものすごく老けていた。ものすごく老けていて、おやじに激似で、そしてまぎれもなくおれなのだ。

年取ったおれはあっけにとられているおれにまったく気づかず、家の中に入っていった。おれは見えていないようだ。そのとき気づいたが、確かに「ナカタタケオ」という表札がかかっている。

小さいながらも持ち家らしい。ほほう。おれもあとをつけ、中に入る。年取ったおれは自分でカギを開け、自分で部屋の照明をつけ、近くの店で買ってきたらしいレジ袋をテーブルの上に置く。

テーブルに広げたままの朝刊の日付を見ると「2016年(平成28年)12月22日」となっている。元号が変わっているのもびっくりだが、それより何より、ここは30年後の世界なのだ! そうか。30年後、おれはこうなっているのか……。

おれはどうも独り身らしい。結婚しなかったのか。オッケー、オッケー。そういう選択もありだと思う。どころか、なぜみんな結婚して子どもを作るのが当然だと思うんだ。世間一般というやつが唯一の正解だなんて、どうして言えるんだ。

一度きりの人生、そんなものにかまわず自分の道を歩むべきじゃないか。いいぞ、年取ったおれ。それにしてもぱっとしない男だ。だいたい服の趣味が悪い。コートの下にてらてら光る布地で作った、薄いキルティングのベストを着ているが、なんだか昆虫の腹のようだ。それを見ているだけでむらむらと殴りたくなる。

「ただいま、よしこ」

いきなり年取ったおれが言ったのでびっくりした。年取ったおれはひとりごとを言う習慣があるらしい。着替えをしながら、湯を沸かしながら、普通にひとりごとを言う。

「おまえがおれに愛想をつかして出て行ってから今日で7年だね」

結婚してたのか、ていうか逃げられたのか!
 
「おれも再来年で定年らしいよ」

そういう年齢なのだ。30年後か。まあおれにしたらだいぶ先だけど。

「最近は年金予定額の通知とか来るんだけど、案の定というか、額が少なくてがっかりだ」

しけた話をするなよ。

「思えばこれまでの人生、ろくな会社に勤めなかった。初めて正社員採用されたゴーカク出版はすぐにつぶれたし、その後も入る会社入る会社、なぜかすぐつぶれた。雨男というのがあるならおれは倒産男かもしれない」

呪われた存在か、おれは!

「無職期間もあったしなあ。退職金も期待できないし、まだローンも少し残っている。年金だけでは食べていけないから、どこか再就職先を探すつもりだよ」

ローンまだ払ってるのか。こんな、千円くらいで買えそうなぼろい家なのに。

ぽんぽこぽんぽん、と音がした。電話がかかってきたようだ。年取ったおれがポケットから電卓みたいなものを取り出して耳にあてている。へー、あれが未来の電話か。ちょっとかっこいいなと思うが、この時代ではみんな使ってるものなんだろう。別に年取ったおれがかっこいいわけではない。

「はい、ナカタです……どうもお世話になっております……いえいえ、何をおっしゃいますやら。ああ、あの件でしたらどうにかまとまりそうです。ええ、ええ、ほんとうにお世話になりまして、ほんとにもう、××さまには何から何まで、ええ、ええ、もう、ほんとに、はいはい、とんでもない、何をおっしゃいますやら、どうお礼を申せばいいやら」

見えない相手に向かって平身低頭している。おれが「何をおっしゃいますやら」などと言うとはおどろきだ。これが「人間がまるくなる」というやつか。どうせ自分の言いたいことも言わずにのみこみ、いけすかないやつにでもお世辞言ったりぺこぺこしたりしてるんだろう。あーいやだいやだ。

人間、そうなったらおしまいじゃないかというものに、おれはしっかりなっているというわけか。手がむずむずする。目の前の年取ったおれを殴りたい。いまのおれのほうがずっとまともだぞ、絶対。

電話が終わり、年取ったおれはスーパーで買ってきたおかずで晩ご飯を食べ始める。食べ終わる。ひとりで茶をコップに注ぐ。ずずーっと飲む。

「おまえがいてくれたらなあ、よしこ」

うわ、めそめそし始めた。最悪だ。おい、しっかりしろ! 今度こそ、どーんと一発殴ってやりたくなってきた。

「よしこ……おまえは外見はあれだったが、料理はうまかった」

ほめたいのかけなしたいのか。

「でも、これはこれで楽しい生活なんだよ」

え、そうなのか?

「ひとりで自由に暮らすのも悪くないな。そうだ、今度、バンドやるんだよ、おれ」

おれはずっこけた。

「ついこの間、むかしゴーカク出版でお世話になったマツヤマ部長から連絡があってね。おやじバンドやってるから参加しないかと言われて。いやあ元気そうな声だった。その後送ってくれた最近の写真を見ると、意外なことに毛もふさふさしてるんだ。人間わからんんもんだな」

なんだって?!

「おれ、若いころから歌がうまいと言われてたんだ。ボーカルをやらないかと誘われたこともあったんだよ。ちょっと聞かせてやろうか」

いきなり「ボヘミヤ〜ン」と歌い出した。うう、ひどいもんだ。音程もあやしいし、やはり年取った分、声量が落ちている。そしてそれをカバーできるテクニックが全然ないということが、こんなにも悲惨な結果を生み出すとは。

いや、それとも今のおれの歌もこんなにひどいのか? まさか! ここまでひどいはずがない。おれは冗談抜きで腹が痛くなってきた。トイレはどこだ。

「♪破れかけのタロット投げて〜」脂汗がにじむ。頭痛もする。ほとんど拷問だ。「♪今宵も〜あなたの行方占ってみる〜」やややめてくれ、やめてくれ! おれはがまんできず、年取ったおれの頭を思い切り殴った。

ぼっこーん。

どてっと倒れた年取ったおれは、目をむき、なぜ自分が倒れたかとしばらく考え込んでいたが、やがて気を失ってしまった。

翌朝、年取ったおれが目を覚ましたころ、若いおれも目を覚まし、泥酔して帰った割にはちゃんとふとんをかけて寝ていることに気づいた。

「そういえばだれかがふとんをかけてくれたような気がするが、だれだろう。おふくろのはずがないし、やっぱり自分でかけたのだな」

まあそうともいえる。


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ひさしぶりにベランダでカメムシの姿を発見。エアコンの室外機の陰。一瞬どきっとしたが、どうやら冬眠しているようす。そうとわかれば、ゆっくり眠らせてやりたい。

それ以来洗濯物を干すときも、ハンガーを落として大きな音を立てたりしないよう注意しているが、三匹も殺しておいて何をいまさらですかねえ。